地震報道を一日見ていた合間に、というか昼食後の「昼休み」に、ペロとちょっと散歩。
小学校のわきを通り、四丁目の2つの公園を横切り、三丁目のわが家に戻るルート。この間の雨と風の影響でしょうか、桜の花びらが「たまっている」といった感じの堀。
桜は葉がだいぶ出てきて、花もそろそろ見納めでしょうか。
住宅街からながめる向こうの山の春の様子にも味があります。
地震報道を一日見ていた合間に、というか昼食後の「昼休み」に、ペロとちょっと散歩。
小学校のわきを通り、四丁目の2つの公園を横切り、三丁目のわが家に戻るルート。この間の雨と風の影響でしょうか、桜の花びらが「たまっている」といった感じの堀。
桜は葉がだいぶ出てきて、花もそろそろ見納めでしょうか。
住宅街からながめる向こうの山の春の様子にも味があります。
「熊本地震」に関するテレビ報道を一日見ていまた。被害の実情、余震の頻度や震度の大きさ、布田川・日奈久(ふたがわ・ひなぐ)断層が動いたらしいこと、「階級4」の長周期地震動を初めて観測したことなど、地震の実態が徐々に明らかになってきています。
ウチにあるちょっと古い本を見ていたら、「熊本市の直下に1889(明治22)年7月28日、マグニチュード6.3の地震…5年後の1894(明治27)年8月8日、熊本県中部でマグニチュード6.3、翌1895(明治28)年8月27日、阿蘇でマグニチュード.6.3の地震があった。九州中部の平均的な地震活動の頻度から見ると、これら3つの地震もまた、集中的に連発していると見ることができる」(尾池和夫著『日本地震列島』朝日文庫、1992年)。
また、2002年11月10日発行の「AERA Mook 地震がわかる。」には、「地震列島近未来」の一つ文章に衣笠善博氏執筆の「地震の発生源となる布田川・日奈久断層系」があります。 「熊本県は、『島原大変肥後迷惑』で知られている」が、逆にこの断層系の活動により「『肥後大変島原迷惑』とならないように、地下構造調査にもとづく適切な地震動予測と、地震防災対策が望まれる」としていました。
この日本列島ではどこにでも大きな地震がありうることをあらためて知らされた思いです。
ついでながら、伊藤和明氏は『地震と噴火の日本史』(岩波新書、2002年)のなかで、「12世紀以降、京都に大きな災害をもたらした地震を年代順に挙げてみると、1185年、1317年、1596年、1662年、1830年となり、それぞれの地震の性格や震源地を度外視すれば、平均の被災間隔は約160年になる」として、「現在の日本で、もし内陸直下の大地震が起きたならば、最も危険な都市は京都ではないかと、私はつねづね思っている」と書いていました。
とにかく、集団的自衛権発動のための戦争に備えている場合ではなく、自然災害に真剣に備えること、そのためにも地震列島からは原発をなくすこと、戦争準備のための安保法制は廃止することこそ、政治の喫緊の課題です、
午前中は雨。4月に入ってからの「しんぶん赤旗」日刊紙の読み飛ばした記事を読み直していました。こうした機会を持たないと、けっこう、読み飛ばしたまま過ごす場合がしばしばです。
その後は2~3月分の3紙の処分作業。
雨が上がった午後は、ペロを連れてきょうも散歩。きょうは以前からのいくつかのルートの一つを小一時間で。景色を確認しながら歩いてみました。
記録のためにアングルをどうしようか、などと考えると、けっこう楽しく、面白いもんです。
また、きのうから読み始めた『隠れ貧困』を読み切りました。
『隠れ貧困』(荻原博子著、朝日新書)を読みました。
先月(3月)30日発行で、きょうは4月14日ですが、手元の本は4月20日2刷になっています。けさの「朝日新聞」の広告では「大増刷!3万部突破」とあります。
それはともかく、本書の第4章までに登場する3家族の夫は、中堅銀行課長、中堅機械メーカー部長、ゼネコン部長職の40~50代で、年収800万円。
ところが、ぜいたくな暮らしをしているわけでもないのに、将来の見通しが真っ暗な「隠れ貧困」を抱えている家族なのです。
収入が人並み以上なのになぜなのか?
様ざまな方がたの取材を通してデータを集め、働き盛りのこうした家族の家計が直面している問題の実態に迫っています。
第5~8章は「隠れ貧困」に陥らないための提案とアドバイスで、年収にかかわらず、参考になります。
午前中はまず、室内に洗濯物干し。その後、洗濯洗剤や柔軟剤、馬油クリーム、灯油などをホームセンターで買い物。家に戻ってからは、数日ぶりに小学校、ならびに隣りの公園の桜の様子見へ。
向かう途中、犬を連れた近所のかたが「小学校の桜が見ごろだよ」と声をかけてくれました。
校庭隣りの公園は今が見ごろかしれません。地元住宅の公園ですが、ここで花見というのはあまり聞いたことがありません。
グラウンドゴルフなどを楽しみながら花を愛(め)でているのかもしれません。
小学校の桜も確かに見ごろ。それでもやはり、散った花が地面には目立ち始めています。
わが家により近い街路樹の八重桜はつぼみをつけ始めました。
福島県合同庁舎・いわき市役所が並ぶ新川沿いの桜を見に、またペロを連れだして行ってきました。
桜の木には葉っぱも目立ち始め、散り始め、といった感じです。むしろ、黄色い花の「大群」が見事です。
それでも桜の木が並ぶさまはまだ見るに値します。
ここまで来たついでに、松ヶ岡公園まで足を延ばしました。震災後は初めてですが、震災前も子どもが小さいころに来た覚えがありますが、いつかは記憶が定かではありません。
リニューアルしたことは聞いていましたが、第一公園内のメリーゴーランドなどの遊技施設は東日本大震災での被害・老朽化で撤去され、ずいぶんとすっきりした感じ。
この公園は、1907年(明治40年)に日露戦争記念の整備事業が始まりのいわき市内では最も古い公園です。
きのう、きょうと共産党は中央委員会総会を開いていて、きのうは志位委員長が幹部会報告をしています。きのう、見損なってしまったので、共産党ホームページから、2時間弱のその報告録画を視聴しました。誰でも見ることができますが、便利になりました。
その前後、きのうから読み始めていた月刊雑誌にも目を通し、少し勉強。
午後は、「鹿島の千本桜」をペロを連れて見に行きました。きのうは「かしまふれ愛さくら祭り」があって、その真っ最中に買い物に行っていた妻が、「桜が満開で見ごろだから行ってみたら」というわけで、行かないわけにはいかなくなりました。
矢田川という川をはさんでのこの千本桜は、地元・鹿島の人たちがまちづくりの一環として毎年植え続けてきて今に至っている、とのこと。
「祭り」もきのうで7回を迎えたそうです。そうこうしていると、川から“バシャバシャ”の音と同時に水しぶき。
大きなコイ(?)がかなりの数…
けさは朝のテレビ体操後、朝食前にペロを連れて町内を散歩。
この時間、犬を連れて散歩するかたが少なからず、あいさつを交わしました。近くの公園によると、いつも桜見物に行っている小学校の様子も。
小学校にも寄ってみると、校庭では早朝ソフトボールを楽しむ(?)みなさん。
きょうは、長丁場でもひととおりの治療を終えての最初の日曜日ということもあり、安堵感もあるのか、あるいは治療の影響なのか、ここ数日の傾向でもある、眠気を伴う疲労感。
昼前から横になって寝てしまう時間もしばしばの一日でした。その合間に、月刊雑誌に時どき目を通すというような…
そういえば夕べの入浴時は、3月8日以来、1か月ぶりに腹部をごしごしと洗いました。というのも、3月9日に放射線照射の準備として、マジックでマーキングしていて、その部分はこすったり洗ったりしてはいけなかったのです。それともかく、けさ9時過ぎには、県営いわき公園の桜見物にペロを連れて行ってきました。わが家から車で数分のところにあります。
見ごろはきょう、あすだと思います。
「遊びのゾーン」では子ども連れの複数の家族が待ち合わせしている様子でした。
アミューズメントゾーンと林間アドベンチャーゾーンをつないでいて、ピクニックゾーンの上にかかるつり橋の「森のわくわく橋」からの眺めもなかなかなもんです。
向こうには県立光洋高校、その下にはスポーツゾーン内に楢葉町の仮設住宅の水色の屋根が見えます。
放射線治療もきょうで20回目の最後、終了です!
病院の臨時駐車場からいちばん近いスーパーに買い物に寄ってから家へ戻り、ペロを連れてまた小学校の桜見物。満開でしょうか?
隣りの幼稚園では入園式だったのか、園庭では父母のみなさんが集合写真を撮る様子。
幼稚園の前の公園はこの間の桜見物のコースにもなっていますが、小さな花も盛りです。
小学校の新一年生は下校時間でした。
家へ戻って昼食をとると、眠気を伴う疲労感。しばしまた眠り込みました。