「熊本地震」に関するテレビ報道を一日見ていまた。被害の実情、余震の頻度や震度の大きさ、布田川・日奈久(ふたがわ・ひなぐ)断層が動いたらしいこと、「階級4」の長周期地震動を初めて観測したことなど、地震の実態が徐々に明らかになってきています。ウチにあるちょっと古い本を見ていたら、「熊本市の直下に1889(明治22)年7月28日、マグニチュード6.3の地震…5年後の1894(明治27)年8月8日、熊本県中部でマグニチュード6.3、翌1895(明治28)年8月27日、阿蘇でマグニチュード.6.3の地震があった。九州中部の平均的な地震活動の頻度から見ると、これら3つの地震もまた、集中的に連発していると見ることができる」(尾池和夫著『日本地震列島』朝日文庫、1992年)。また、2002年11月10日発行の「AERA Mook 地震がわかる。」には、「地震列島近未来」の一つ文章に衣笠善博氏執筆の「地震の発生源となる布田川・日奈久断層系」があります。 「熊本県は、『島原大変肥後迷惑』で知られている」が、逆にこの断層系の活動により「『肥後大変島原迷惑』とならないように、地下構造調査にもとづく適切な地震動予測と、地震防災対策が望まれる」としていました。この日本列島ではどこにでも大きな地震がありうることをあらためて知らされた思いです。ついでながら、伊藤和明氏は『地震と噴火の日本史』(岩波新書、2002年)のなかで、「12世紀以降、京都に大きな災害をもたらした地震を年代順に挙げてみると、1185年、1317年、1596年、1662年、1830年となり、それぞれの地震の性格や震源地を度外視すれば、平均の被災間隔は約160年になる」として、「現在の日本で、もし内陸直下の大地震が起きたならば、最も危険な都市は京都ではないかと、私はつねづね思っている」と書いていました。とにかく、集団的自衛権発動のための戦争に備えている場合ではなく、自然災害に真剣に備えること、そのためにも地震列島からは原発をなくすこと、戦争準備のための安保法制は廃止することこそ、政治の喫緊の課題です、