つくば市で避難者と懇談/「どこに住めばいいのか」/ふるさと

隣県の茨城県つくば市内で、県発事故により双葉郡やいわき市から避難しているかたがたと懇談しました。

今年2月時点でつくば市には、500人を超える福島県民が避難しており、茨城県内には約4,000人。500人を超えているのはつくば市と日立市、茨城県内44市町に福島県民が避難しています。

党つくば市委員会の山中たい子さん(前県議)らがあの原発事故直後から避難者の声を聞き、福島県議団と避難されているみなさんとの懇談の機会を持ちたい、と県議団に相談があり、宮川県議と私が参加することにしたしだいです。

130421つくば市

最初は話しづらかったようなみなさんが、話し始めると、次つぎと怒りと悩みの声。怒りの声は議員や議会にも向けられますが、人為的な事故を起こした東電の責任、国策として原発を進めた国の責任、誘致に奔走した自治体の責任を問う声がだんだんと鮮明になってきます。

何よりの不安が、先が見えないなかで、これからどこに住めばいいか、ということ。災害公営住宅(復興公営住宅)の早期整備も強い要望です。

生活環境的につくば市は便利で、もとの生活環境はずっと不便だが、そうであってもふるさとにもどりたい気持ちのほうが大きい、その先が見通せないことがいちばんつらい、賠償も除染も加害者が責任をもって進めているとはまったく思えない、と、心のうちを率直に語ってくれるかたも。

原発事故による被害は、2年以上たち、こうして聞けば聞くほど、広まり、深まり、複雑化しています。この実情が、「事故収束宣言」を機に、「福島県民だけのこと」とされているような気がしてなりません。

さらにいっそう被災者・被災地からの声を発信し続けなければなりません。

きょうは私の自家用車で常磐自動車道を往復しましたが、往復約296kmでした。

演説会/原発震災の実情/「アカにはなるな」/世界観を変える党

市田忠義党書記局長を招いての演説会が郡山市・ユラックス熱海でありました。

7月21日投票と言われる参議院議員選挙まであと3か月ですので、その参院選勝利へ向けた演説会です。

130420市田演説会

私は、泉・小名浜地域から参加のみなさんが乗り込む大型バスに同乗して参加。会場へ向かう途中、原発震災・被災の実情を私たち自身が全国へ発信することの不可欠性というか重要性を、島根県松江市長選・市議選で強く感じたことを含め、短時間で語らせてもらいました。

会場では演説会に先立ち、5人の県議団の紹介もあり、神山団長が3分の簡潔な県政報告もしました。

130420市田演説会県議団

いわぶち友・福島選挙区予定候補、紙智子参院議員で今回の比例候補もあいさつ。それぞれに、原発震災後、被災者の暮らしと生業に希望の光をともすための活動をありのままに語ってくれました。

市田さんは、1時間にわたり、暴走と破たんの安倍内閣の本質と、これに立ち向かう共産党の姿を明快に語ってくれました。党を語るなかで、「個人的な話」と断りながら、「どんな悪いことをしてもいいが、アカにだけはなるな」と諭していたお母さんが、80歳のときに共産党に入り、9年間の党員生活をされた話はたいへん印象に残ります。

共産党は、人の世界観・人生観を180度変える存在です。「アカになるな」という人が自ら「アカになる」ことの根本的背景に、戦争反対を貫いた政党が日本に存在していた、ということらしいです。

今目の前で展開している原発再稼働、TPP参加、消費税増税、沖縄基地問題、国防軍をつくるための憲法づくりなど、この暴走を絶対に阻止しなければなりません。

浪江町議選応援/福島市内の仮設住宅/国にも東電にも

あさって投票の浪江町議選の候補者の応援です。

130419北幹線第一仮設

原発事故によって全町避難し、今月1日に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に「再編」されました。大半が帰還困難区域です。

県内の借り上げ住宅や仮設住宅などに1万4,500人余り、国外11人を含め県外に6,600人余りの町民が避難しています。仮設住宅は県内7市町31か所です。

130419佐原仮設

きょうは候補者とともに、福島市内の5か所の仮設住宅をまわり、訴えました。原発事故収束と県内原発全基廃炉は町民のみなさんの暮らしと心の再生の大前提です。しかし政府の「事故収束宣言」は撤回されず、収束見込みがないのに東電まかせで国の真剣な姿勢が見られません。全基廃炉にいたっては、国も東電も明言しないどころか、第一原発5・6号機、第二原発4基の再稼働すら視野に入れている姿勢です。

130419しのぶ台

私はこの問題にしぼり、政党助成金も企業献金もいっさい受け取らず、国と東電に真っ向からモノが言えるのが日本共産党であり、現に事故前から原発問題を取り上げ続け、事故後も町民に寄り添い、仮設住宅の住環境改善にとりくんできた共産党候補者の議席を守り抜いてほしいことを強調しました。

130418ある店

夕べはそういうわけで福島市に泊まり、中学・高校と同期の県職員と夕食をとり、2年前の震災時からのそれぞれのたいへんな状況、高校時代と進学時の話に花を咲かせました。

県議団会議/式典出席中止を/東電の損害賠償

県議団会議をしました。

まずはそれぞれのこの間の行動報告。私からは島根県松江市長選・市議選応援で、「原発ゼロの声を松江から全国へ発信を」と訴え、原発事故が収束するどころか、被害が拡大し、深まり、複雑化している福島県内の実態を話してきたことなど。

各議員からも、県内・県外の選挙応援の様子、各団体訪問の様子、都内でのシンポジウム参加の様子。

その後は6月議会までの各自の日程や団としての日程調整をし、冊子としてまとめる「2月定例県議会を終えて」の報告書文章の最終調整・確認作業。

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午後は、県委員会・県議団連名で、知事あてに「『主権回復の日』式典の県知事出席中止を求める申し入れ」。伊東正晃直轄理事が対応しました。

サンフランシスコ条約・日米安保条約が発行した1952年4月28日は、形式的に日本が独立国となったものの、実質的には、アメリカへの従属の地位にしばりつけられ、千島列島を放棄し、沖縄を本土から切り離した屈辱の日です。

しかも「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」設立趣意書では、52年4月28日を機に「直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先手順であった」とし、この日を改憲と一体の日として「記念」しようとする意図がありありです。

直轄理事は、個人的とはいえ、「全国民が喜べる日とは言えないと思う」と率直に語りました。県は、東京事務所長を代理出席させる意向ですが、政府に対して式典中止を求めるとともに、代理であっても出席を取りやめることを申し入れました。

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その後は、東電への損害賠償を求めてとりくんでいる県内諸団体と原子力賠償支援課職員をまじえ、懇談しました。国が前面に立って責任ある対応をすべきであるとの認識は一致です。

長寿会主催の議会報告会/時事放談/仮設要望

小名浜地域で「長谷部さんを囲んでいろいろ聞いてみませんか!」と銘打ち、「長谷部あつしの議会報告会」がありました。

130417玉川「囲む会」

主催はその地域の長寿会です。

もともと、小名浜生協病院の歴史と長年にわたってかかわる地域ですが、医療や介護の制度学習会など、医療生協支部と長寿会が共催で開催し、私が生協病院事務長のときも、県議1期目のときも、生協組織部長のときも何度も講師をつとめてきました。

その当時から、話は時事放談になるのです。

130417玉川懇談会

きょうは最初からそんな感じで、アベノミクスで年金や医療や介護はどうされようとしているのか、TPPは医療にどんな影響を与えるのか、消費税増税でなくお金のある富裕層や大企業が負担すべきじゃないのか、安倍政権は憲法をどうしたいのか、原発事故はほんとうに収束へ向かっているのか、などなど、1時間半にわたり、参加者のみなさんの意見開陳を含め、時事放談会の様相で、はなはだ楽しく有意義な時間でした。

党県議団の仮設住宅アンケートに要望を書いて送り返していただいたかたもたずねました。今のままの窓のつくりでは、暑い夏は耐え難い、とのことでしたが、たまたま通りかかったかたも加わり、話はこれにとどまらず、1時間半に及びました。

130417仮設

その後、先だって畳にしてほしいと要望を聞いていた別の仮設に寄ると、こちらはさっきのかたの要望を取り入れた窓のつくりになっていました。住民要望に基づいてそうしたらしいのですが、ともかく、仮設住まいが長引くなか、迅速な行政対応が求められていることは間違いありません。

商店街で/拍手/真剣な模索

朝7時45分には、宿所に松江市長候補がわざわざ迎えに来てくれました。

8時には事務所を出発し、出雲空港へ向かう途中、商店街の1か所で市長候補とともに訴え。お店や家の前に出てきて聞いてくれ、話し終えると拍手してくれるかたがた、宣伝カーを動かし始めたら、これまたあちこちで聞いていてくれたかたがたが、拍手で送りだしてくれる姿には感激です。

私の島根県松江市長選・市議選応援もここまで。

130416出雲空港

9時40分出雲空港発の飛行機に間に合うように連れていってもらい、あとは来た逆のコースで自宅へ。

夕べまでに、島根のみなさんからはいろんな感謝の言葉をいただき、恐縮するばかりなのですが、こうして全国あちこちへ行って、みなさんの話を聞くことで、ほんとうにいろんなことが学べます。

130416上野

とりわけ、今回は原発立地地域の選挙応援でしたが、マスコミの関係者や出会った住民のみなさんを含め、いま日本を、原発をどう考えたらいいのか、真剣な模索をしている心の内を感じます。

声援に励まされ/「漁業者はやりきれない」/市議候補/「原発はやべえよ」/2人の決起集会/青年と囲む会

午前中は玉造(たまつくり)温泉街を中心に4か所で市長候補とともに街頭から訴え。沿道やすれ違う車からの声援に励まされながらの行動でした。

130415松江市長選

昼食後は島根原発近くの鹿島町の漁港など4か所の街頭から尾村県議とも合流して訴えました。話し始めると、どこでも出てきてくれる人がいて、話し終えると拍手。「原発なくせ」の願いが強いことを感じます。

市長候補は3人ですが、「原発ゼロ」を明確にしているのは共産党公認候補だけ。これ自体、私には信じがたい思いをしなから、福島の実情を語りました。かつて海に出ていた高齢者は、「原発事故で海に出られない漁業者のことを思うとやりきれない」と。

130415島根原発近くの漁港

午後4時すぎから7時前までは、3人の市議候補の1人とけっこうこまごまと街頭から訴え。市議候補のなかでも、原発にはだんまりを決め込む候補が多いうえ、電力会社社員候補にいたっては、「世界一の安全基準によるから大丈夫」と、安全神話再稼働そのままをきのうの出陣式で語っており、私は徹底して「原発ゼロ」を福島の実情から語りました。中学生らしき3人が「原発はやべえよ」と。

130415原発・尾村県議2

7時にはその市議候補の事務所での決起集会、7時半には尾村県議事務所近くで市長候補と訴え、8時にはもうお1人の市議候補の決起集会に市長候補と参加し、9時前には尾村事務所へ行き、9時まで「電話かけ作戦」をしていた青年後援会のみなさんと「はせべあつしを囲む会」。生き返ったみたい。

飛行機の時間/松江市長候補応援

朝8時半ごろ、自家用車で家を出ていわき駅へ。

常磐線で上野駅へ行き、京浜東北線で品川駅へ、京急線に乗り換えて羽田空港へ行き、JALの飛行機に乗って午後3時40分定刻に出雲空港着。飛行機の時間にあわせた行程です。移動中、きのう書いた7分演説原稿をチェック、というかそらんじる努力。

130414搭乗機

恥ずかしながら、一人で飛行機に乗るのはたぶん初めてで、予約は済んでいるものの、「自動チェックイン機・発券機」なるものの扱いにちょっと焦りました。まぁ、なんということはありませんでしたが…

130414羽田・自動チェックイン機

出雲空港では中林党島根県委員長の出迎えを受け、党県委員会事務所の松江市長選挙候補事務所へ。

若干の打合せ後、市長候補とともに5か所の街頭から訴え。話は、「原発と人類とは共存しえないことを証明した原発事故を起こした福島から来ました」の自己紹介から始まって、「松江から原発ゼロの声を全国に発信する最大の力が、共産党公認候補を市長に押し上げることであり、最後までのみなさんのご支援を」と締め。

行動を終えてからは、尾村としなり島根県議事務所に寄り、あしたの行動打ち合わせ。

島根県松江市へ/県庁所在地に原発/収束とはほど遠い現実

あす、あさってと、島根県松江市長選・市議選の応援に行ってきます。

松江市と言えば、全国で唯一、原発がある県庁所在地です。

その島根原発は、事故を起こした福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉。1号機は1974年3月に運転を開始し、まもなく40年の老朽原発であり、2号機は89年2月から運転を開始し、こちらも24年がたとうとしています。

130125原発視察

軽水炉は福島原発事故が証明したように、熱制御に失敗するや、手の施しようがなくなる宿命的・致命的欠陥をもった原発です。

130125原発視察2

福島県内で原発事故後のこの2年間余り、事故原因の究明もされず、ネズミ一匹で停電して科燃料プールの冷却が停止したり、高濃度放射能汚染水が貯水槽から漏水していたり、事故収束などほど遠い現実です。

130125原発視察3

福島県民が味わわされているこの苦しみを二度と繰り返さないために、こうした実態をしっかり伝え、原発ゼロの声を松江から発するために、力いっぱい応援してきます。

写真はいずれも、今年1月25日に視察した際の福島第一原発の様子です。

富岡町へ/2年前のまま/夜の森桜並木/いわきの薄磯地域

富岡町の住民の案内で、そのかたが避難しているいわき市内の地域の人たちと宮川県議とで、富岡町に入りました。

130412家・庭の線量

富岡町は、先月(3月)24日までは「警戒区域」でしたが、25日から「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の3つに「再編」されました。避難指示は継続中で、宿泊はできませんが、立ち入ることができます。

130412家・牛の糞

農家でもあり、建設業も営んでいたお宅ですが、近くに牛を飼う家はないのですが、牛が来ていた痕跡はその糞で明らかです。

130412家・台所

台所は2年前に出てきたまま、電気が切れたまま2年が過ぎた冷蔵庫の中は朽ち果てた状態。

130412家・地震で空いた窓

離れの家屋は2年前はしっかりしていたとのことですが、地震によって窓が開いたままで、見るからに住める状態ではありません。

130412夜ノ森・観桜は車内

町のシンボルの夜の森桜並木にも寄りました。

130412夜ノ森・桜の根元線量

今月9日には満開になったのですが、同日、取材を受けた町長は、「これはひどいな。花の数が少ない」と語った、とのこと。この2年間、町が行なっていた維持管理は手つかずの状態です。

130412夜ノ森

いわきにもどってからは、3日前に薄磯(うすいそ)地域の人たちから話を聞き、きのう市役所でその地域の復興計画を聞き、きょうまた薄磯地域をたずね、懇談しました。

塩屋崎灯台がある観光スポットでもあり、避難経路となる道路のこともまた課題として話題です。