「かけはし」5月号の一次原稿/平和創造の国民的合意の日へ

毎月の通信「かけはし」の原稿は、毎回、熟考して自分の考えを伝えようと思うのですが、毎回、付け焼刃的なので、消化不良に陥ります。

自分で付けたタイトルは「安保廃棄と平和創造の日に」。

4月28日、政府は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催しました。

130417ハタ・主権回復趣意書

自民党は2年前、「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」をつくっており、その設立趣意書には、「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先課題であった」と書かれています。

要は、この日の前につくられた日本国憲法は「占領憲法」だから、これを撤廃し、国防軍を創設する「自主憲法」をつくる記念の日としようとするねらいがありありなのです。

安倍首相が「式典」で、「私たちの世代は日本を美しい国にしていく責任を負っている。世界に貢献する誇りある国にしていく責任がある」と語った意味も見えてきます。また出てきた「美しい国」。安倍首相が使うときには逆さに読まなければなりません。「にくいしくつう」(憎いし苦痛)。

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ともかく、61年前の1952年4月28日は、サンフランシスコ平和条約(サ条約)と日米安保条約が発効した日です。

サ条約は、アメリカの世界戦略に反対しない48か国だけとの「片面講和」で、全面講和ではありませんでした。日本から深刻な被害を受けた中国、韓国、朝鮮は調印式に招待されず、ソ連も調印しなかったのです。

しかも、「領土不拡大」という戦後処理の大原則にそむき、沖縄は米軍の施政下におかれ(3条)、千島列島への日本の主権は放棄させられました(2条C項)。

同時に発効した旧日米安保条約は、日本を世界に類を見ない、アメリカの「基地国家」にしました。沖縄の基地問題が今日なお解決しない根本がこの日米安保にあるわけです。

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こうして、4月28日は、「主権回復」どころか「従属と屈辱の日」にほかなりません。

私はこの日を、日米安保の廃棄と、憲法が求める平和創造へ向けた国民的合意をつくる日とすべきだと思います、

消防団春季検閲式/参院議運/チラシ配布

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「第42回いわき市消防団春季検閲式」に参加しました。

この検閲式は、消防出初式、消防幹部大会、隔年の消防操法大会などの消防団のおもな行事のひとつです。

市消防関係はもちろん、国会、県議会、市議会の議員も毎回参加する行事です。

いわき市の2,360人という消防団員は福島県下最大だそうです。平(たいら)、小名浜(おなはま)、勿来・田人(なこそ・たびと)、常磐・遠野(じょうばん・とおの)、内郷・好間(うちごう・よしま)、小川・三和・川前(おがわ・みわ・かわまえ)、四倉・久ノ浜・大久(よつくら・ひさのはま・おおひさ)の7支団があります。

きょうは「通常点検」と「規律訓練競技」がありました。

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ところでいわき在住の岩城光英参院議員は議運委員長。わが党の参院国対委員長は私が大学在学中に4年間、お世話になった井上哲士さん。議会運営で申し入れもいろいろあろうかと思い、私と井上さんとの関係だけ、お伝えしました。

 

家にもどってからは、県党発行の「福島」号外をきょうもペロを連れてご近所260軒ほどに配布しました。

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原発事故にかかわる汚染水の抜本的対策、原発事故収束宣言の撤回、福島県内原発10基全基廃炉の決断を求めるチラシです。

散歩ですれ違う人、庭いじりをされている人、玄関前のホタル族の人など、「いつもご苦労さま」、「期待してます」、「ワンちゃんもえらいね」などと声をかけられ、うれしい限りです。

小名浜メーデー/医療生協ニュース/元気の源

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第84回小名浜メーデーに参加しました。

今回は「原発事故の完全賠償をさせる会」の伊東達也さんも来賓あいさつ。

政党では、社民党市議、共産党の私、民主党の県議、それに飛び入りで社民党福島選挙区予定候補があいさつしました。

けさの新聞には、「福島県議会 民主・県民連合議員会」の「2013年特別号」のチラシが折り込まれましが、あいさつした民主県議はこのチラシに名前がありません。2人の別会派をつくっているからなのですが、一般にはなかなかわかりづらいところがあります。

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それはともかく、私は、夕べの前夜祭でもふれた、きょうが日本にとって61年前にアメリカへの従属と屈辱の日であり、改憲と一体に、天皇の政治利用までして「式典」を開く安倍政権の危険きわまりない姿勢を冒頭で告発し、原発事故対応問題、貧困と格差を拡大する「アベノミクス」、消費税増税と社会保障のいっそうの切り捨てをやめさせ、いわき市民を含めた原発被災者支援を最優先する政治、原発ゼロを決断する政治、暮らし最優先の政治、憲法を活かし平和を世界に発信する政治にするため、2か月半後に迫っている参院選での支援を呼びかけました。

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家にもどってからは、「浜通り医療生協ニュース」をご近所の組合員宅にペロを連れて配布。今回は6月23日の総代会開催と、総代選挙告示も掲載されています。

途中の路地で、車で出かける3台から声をかけられたり、ご近所で立ち話になったり。こういうのが元気の源になるわけです。

SPEEDI

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『SPEEDI なぜ活かされなかったか』(佐藤康雄著、東洋書店)を読みました。

「SPEEDI」というのは、「緊急時迅速放射能影響システム」(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)の頭文字をとったものです。今や「スピーディ」という普通名詞になった感があります。

著者は気象庁気象研究所を9年前に定年退職した気象学の専門家です。原発事故時には、福島市に転居して7か月目だったそうです。

著者自身、「このような事故の際に最も早く公表されるはずだと私は聞いていた」というSPEEDI。

実はこのSPEEDIは、事故発生直後、放出源情報を定量的に把握することが困難な状況では、緊急時モニタリング計画を策定するための資料としての使用が想定されていただけでした。また、放出源情報が得られた場合は、「計算により得られた予測図形を配信する。配信された予測図形は、避難、屋内退避等の防護対策の検討に用いる」とされていました(原子力安全委員会の「環境放射線モニタリング指針」)。

なので、もともと、避難住民が頭上から降り注ぐ放射性物質にまみれないように、緊急避難情報として発信する姿勢ははなからなかったわけです。やはり「安全神話」に支配されていました。

本書では、SPEEDIとはどんなものであるのか、今回の事故でなぜ有効活用されなかったのか、また「移流拡散シミュレーション」とはどんなもので、どんな可能性・効用・限界があるのか、SPEEDI情報をタイミングを失せず有効活用するにはどんなことが必要か、が述べられています。

なおイントロの第1章では、福島第二原発裁判(1975年に福島地裁で開始、1992年に最高裁で結審)で、当時から原発の危険性、大地震・大津波による全電源喪失、炉心溶融、水素爆発、放射性物質の大気・海洋への放出などを指摘していた人たちが、福島にいたことも述べられています。

総代会提案議案/九条の会講演会/小名浜メーデー前夜祭

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午前中は浜通り医療生協の理事会に参加。6月の総代会へ提案する具体的議案の検討を始めました。

午後は勿来(なこそ)九条の会・いわき市九条の会連絡会主催の「九条の会講演会」がありました。オープニングはいわきの音楽グループ「雑魚塾」。原発震災を受けた「望郷」「本当の幸せ」、それに「伝えよう! この憲法を」の3曲を披露。

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講演は全国九条の会事務局長で東大大学院教授の小森陽一さんが「改憲勢力を押し返すために~『九条の会』の行動と思想~」と題し、第一次安倍内閣を崩壊させた九条の会運動で、第二次安倍政権を押し返そう、と力説。

とくに、1990年代以降の日本政治を振り返りながら、この20年間の歴史認識をあらためて確認する話はたいへんに新鮮でもあり、最近だったはずの記憶をよみがえらせ、そのことが大切なことを自覚させられました。

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夕刻には、小名浜地区労メーデー前夜祭に渡辺ひろゆき市議とともに参加。私が共産党を代表してあいさつしました。

地区労の直近の機関紙では、「社民・共産など護憲勢力を支持し改憲連合を敗北させよう!」の見出し。

これも受け、あしたを「主権回復記念日」としようとして議員連盟を設立した発起人たちが、この日を「自主憲法と国防軍の創設」こそ最優先の課題とすべき日として、改憲と一体であることを告発しました。

130427小名浜前夜祭

と当時に、全有権者比で2割程度の得票率で圧倒的議席を得る非民主的小選挙区制度による虚構の多数が、新たな原発安全神話、消費税増税、TPP参加、貧困と格差を拡大する経済政策を進める姿勢も告発し、こうした暴走政治を参院選でやめさせ、原発被災者支援を最優先する政治への転換を訴えました。

議員提案条例見直し/年次報告・基本計画/新入職員歓迎

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県議会の議員提案条例見直し検討会がありました。

3回目ですが、今回から実質的な検討に入ります。

今回は、見直し対象となる4つの条例にかかわり、条例が知事に義務づけている議会への年次報告の、大震災をはさんだ2010年度と2011年度との比較、および条例に基づく基本計画などの見直し内容の説明を執行部から受け、質疑しました。

対象となるのは「福島県農業・農村振興条例」(2001年3月施行)、「福島県過疎中山間地域振興条例」(2005年3月施行)、「福島県中小企業振興基本条例」(2006年10月施行)、「子育てしやすい福島県づくり条例」(2010年12月施行)です。

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質疑後の10人の委員意見交換で、条例見直しの基本的方針について、理念や目的や基本的施策など普遍的な内容を盛り込んだ条例であり、全面見直しでなく、大震災・原発事故を受けて、前文を含め、必要な追加・補足をすることを確認しました。

今後、2つのワーキンググループが2つずつの条例を担当し、詰めていくこととしました。私は過疎中山間地域と子育てを受け持つグループです。

10時から、お昼の50分間休憩をはさみ、午後2時半までの検討会でした。

 

いわきへとってかえし、浜通り医療生協の新入職員歓迎会に参加しました。私の娘の保育園時代の同級生が司会です。ときの移ろい。

130422洗髪

先日、洗髪したペロ。

伊達市と南相馬市/自治体ごと、自治体内のさまざまな課題

県議会の企画環境常任委員会の県内視察で、伊達市役所、南相馬市役所をたずねました。

それぞれで、除染に関するとりくみと課題、住民帰還に向けたとりくみと課題などの説明を受け、質疑しました。

130425伊達市

伊達市は一部の地域で2011年6月に113世帯、11月に15世帯が追加で「特定避難勧奨地点」に指定され、昨年12月に解除されるなどの経過がありました。一度指定を受けた地点の住民など、900人ほどが避難中です。市の人口は約6万6,000人(約2万世帯)です。

除染でいうと、特定避難勧奨地点に指定された地域を中心に2,555世帯を対象としたAエリア、そこに隣接し、年間積算線量が5mSvを超える地域で対象世帯は3,496のBエリア、残る約70%(約1万6,000世帯)が対象となるCエリアとし、4か月に一度、全市の放射線量測定マップを作製・配布もしてとりくんでいる、とのこと。

130425霊山・仮置場

Aエリアでは仮置場(50か所、約29ha)の確保など、住民の理解を得ながら進んでいる、との説明でした。

それでもまだ大半の「低線量」被ばく地域が残されており、また、市町村間の調整をすべき県の役割が不明確なことなど、課題はまだありそうです。

南相馬市では、桜井勝延市長も実情の説明をしてくれました。

130425南相馬市・桜井市長

人口は7万2,000人弱で、市外避難者は1万7,000人弱、転出者も6,400人ほど出ている、とのこと。

南相馬市は、南部が第一原発から20km圏内であり、昨年4月の「区域再編」でも、南部・西部を中心に、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域があり、除染はこれらの区域が国直轄、残る区域が市の除染実施区域です。

南相馬市では、国による中間貯蔵施設の設置が決まらないことが、除染が進まない最大のネックという説明でした。

こうして、除染の課題だけでも、自治体により、しかも自治体内の地域により、個別のさまざまな課題をかかえ、国や東電の原因者の責任は不明確なままです。

130425飯舘村・バス車中

伊達市から南相馬市へ移動するのに、いまだ大半の地域が居住制限区域の飯舘村を通過です。バスの中で簡易放射線測定器は、毎時1.3μSvを超えます。

いわぶち友さんと/被災者支援・平和の発信こそ/質疑録画

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午前中、7月に行なわれる参議院議員選挙・福島選挙区予定候補のいわぶち友さんとともに、いわき市内の市街地4か所の街頭から訴えました。私は5分だけ。

昨年の総選挙では、全有権者比で2割程度の得票しかない自民党が、民意を著しくゆがめる小選挙区制のもと、議席だけは圧倒的多数をとり、自公政権が復活しました。

そのもとで、国民の願いとは真逆の古い古い自民党政治の暴走が始まっています。

福島原発事故の原因すら解明されず、相次ぐトラブルが証明しているように、事故は収束していません。それなのに、新たな安全神話で原発の再稼働、新増設、輸出をしようというのが自公政権です。

庶民の所得が減り続けるもとで物価を上げれば庶民の暮らしはますます苦しくなり、大型事業バラマキは後世に借金を残すだけであり、大企業への減税や「規制緩和」による成長戦略は職場で正規を非正規に置き換え、内部留保をため続けさせるだけです。

130424友

破たんが明白なこの3本の毒矢に加え、消費税増税と、年金・医療・介護など社会保障のいっそうの改悪という2本の毒矢も用意されています。「アベノミクス」の正体です。

加えて、国防軍創設や、集団的自衛権を堂々と発動できる9条改定と一体の憲法96条改定。

この暴走を止め、いわき市民を含めた原発被災者支援を最優先にする政治、原発ゼロを決断する政治、庶民ではなくお金のある大企業や富裕層にこそ負担を求める政治、9条を活かし世界へ平和を発信できる政治のために、比例では日本共産党、選挙区ではいわぶち友さんに、願いを託していただけるよう、心を込めました。

午後には、居住する二本松から、浪江町議選でトップ当選した馬場いさおさんが党地区委員会へみえ、がっちり握手です。

その後、私は県庁へ。

うっかりしていましたが、福島県議会のホームページには、3月21日の総括審査会で、原発事故対応と県総合教育計画にしぼった私の質疑の録画がアップされ、再生できます。「答える立場にない」という企画調整部長の答弁や、すれ違いが多い教育長答弁がそのままですが、できれば、再生して私の話を聞いてもらえれば、と思います。

訪問/自らの趣味と腕/「二度と戦争してはならない」の思い

午前、午後と、私が住む地域の党支部のみなさんと訪問し、参院選挙のお知らせです。

これまでももちろんたずねている地域ですが、初めてお会いできたかたもいます。

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定年退職後、自らの趣味と腕を生かして、自宅で個展を開いたり、ボランティアで技を伝授しているかたも。

部屋を掃除中だった、いわきの生まれ育ちの87歳の女性は、「私はずっと共産党に共感していた」と、とどまらない話。

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介護事業所と入れ替わりでたずねたお宅では、男性の一人暮らし。「事業所の経営都合で来月いっぱいで事業を閉鎖する、とのことだった」との話から玄関先でお互いに介護の話をし始めると、部屋の中にすすめられ、敗戦で引き揚げてからの波瀾万丈の人生を小一時間、聞かせていただくこととなりました。

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敗戦直後、「二度と戦争をしてはならない」の思いで靖国神社にも行ったが、その思いが生かされているとは思えない、政治を根本から変える時だ、と静かに語るかたとの出会いも初めてでした

大熊町仮設住民と懇談/雪と桜/浪江町議選・松江市議選

福島第一原発立地町の大熊町のみなさんが避難している会津若松市の仮設住宅を県議団としてたずね、住民のみなさんと懇談しました。

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党大熊町議の石田洋一さんが呼びかけてくれました。懇談には自治会長や92歳の最年長者も参加していただきました。

大熊町は昨年12月10日から「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に「再編」されましたが、96%の住民は帰還困難区域だそうです。

多くの町民、とくに男性は原発を生活の場としてきた町だけに、複雑な心情も感じました。

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みなさんからは、「議員は、原発事故による避難者のことを最優先に考えてほしい」、「政府こそが責任をもった対応をするように働きかけてほしい」、「仮設住宅に永住するわけではないので、要望はいくらでもあるが、がまんして暮らしている」、「東電敷地から200~300mのところに家がある。5年たっても住めるとは思えない」、「県外に避難している子どもや孫たちがここに来てくれる時に、みんなが泊まれないからホテルに泊まる。いっしょに暮していたのに」、「避難者に負担させることのない復興公営住宅整備を進めてもらいたい」などなど。

原発事故前にご近所だったかたがたが住んでいる仮設住宅で、コミュニティが維持されていることを感じました。

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会場へ向かう途中、サービスエリアではきのうの季節外れの雪と、桜の花。

うれしいニュースが二つ。選挙最終盤の3日前に応援に入った浪江町議選で、馬場いさおさんがトップ当選しました。また、先週14~16日に応援に行った島根県松江市議選では3人全員が当選し、1議席増を果たしました。