告示/出陣

【11月21日公開】11月10日分

県議選が告示されました。

出陣式には、告示前の最後のビラに、名前入りでメッセージを寄せてくれたNPO法人理事長の長谷川秀雄さんが駆けつけてくれました。

遊説では15か所の街頭から。団地のベランダからの声援・拍手、宣伝カー前にきてくれて聞いてくれるかた、住宅街で宣伝カーに声援を送っていただくかた、すれ違う車からの声援。ほんとうに多くのみなさんからのご支援に心から感謝です。

小名浜・玉川地域と私の地元の郷ヶ丘での個人演説会もありました。それぞれ、ご近所からご参加いただきありがとうございます。熱い激励を受け、また感謝。

水曜定時/あす告示

水曜日朝はJR常磐線北側の北目町近くでの定時定点。きょうは告示前最後の朝の定時定点でした。

福島県議選はあす告示です。

福島市の宮本しづえさん、郡山市の神山えつこさん、伊達市伊達郡のあべ裕美子さん、会津若松市のはらだ俊広さん、そしていわき市で2議席をめざす宮川えみ子さんと私、それに二本松市の党推薦候補・根本さとしさんとともに、全力でたたかいます。

原発ゼロの日本、放射線量の徹底した測定と除染、原発事故による被害に勝手な線引きをさせずすべての市民への全面賠償、無料の全県民健康診断・がん検診、18歳以上の医療費無料化、一部損壊住宅への支援を実現させましょう!

あすから11日間、このブログ更新も「自粛」です。

原発の闇

『原発の闇』(赤旗編集局著、新日本出版社)を読みました。

アメリカから日本に原発が持ち込まれた「源流」をたどり、その後の経過を追いながら、原発推進勢力の野望と実態に追ったルポルタージュです。

原発推進の歴史としくみは、電力業界や関連大企業をはじめ、原発推進の政治家や官僚・行政、専門家や一部のメディアが、みずからの利益のために、国民の命を危険にさらし続けてきた足跡そのものです。

「しんぶん赤旗」の政治部、社会部、経済部など編集局あげての調査・取材に基づくもので、超優良企業の電力会社をスポンサーとしてきた大手メディアにはおよそ掘り起こせないテーマなのではないでしょうか。

原発に固執する勢力はいまだ原発をあきらめてはいません。「原発ゼロの日本」を望むみなさんにぜひ手にとってほしい本です。

小名浜定時/激励の1日/「選挙に行かない」?

きょうは告示前の最後の小名浜定時定点。地元地域の党後援会、医療生協党後援会から朝早いのに6人も「旗振り」「手振り」に出てきていただきました。感謝。

午前中は私が育った内郷高坂町の団地を中心に8か所の街頭から。ベランダに出て聞いてくれる人、話し始めたら宣伝カーに寄ってくれる人、自宅の庭の剪定作業中に木の上から手を振ってくれる人、店から出て手を振ってくれる人、散歩して「応援する」と声をかけてくれる人、ほんとうにありがとうございます。

午後は平の南部地域中心に9か所の街頭から。スーパーの駐車場から聞いてくれる人、事業所屋上から手を振ってくれる人、商店街で握手を求めてくださる人、家から友達といっしょに出てきて拍手してくれるかたがた。

たいへんに激励を受ける1日の街頭宣伝でした。

ただある場所では、「今度の県議選では選挙に行かないようにみんなに言って歩いている」とわざわざ報告しに来てくれるかた。「震災後に議員が誰も来てくれなかったから」と言うのですが、私自身の震災直後からの活動や、選挙に行かないことで今の事態を変えることはできないのでは、といった話をしていたら、最初は受け取ろうとしなかった私のリーフレットを受け取っていただき、「ぜひがんばってね」と。

今月の8日間で街頭宣伝は101か所でした。

 

月曜朝の2か所/平下平窪・内郷の街頭/大先輩のメッセージ

月曜日朝は、自宅近くでの2か所での定時定点の街頭から。告示前はこれが最後です。

午前中は平下平窪地域内の8か所の街頭から。外に出ていたかた、庭作業をしているかた、散歩しているかたからの声援、アパートから出てきてくださるかた、家の前で聞きに出てきてくださるかた、向こうのほうから手を振ってくださるかた、通りかかる車から手を振ってくださるかた、ほんとうに多くみなさんからの声援に感謝です。

午後は内郷地域へ移動。2階の窓を開けて聞いてくださるかた、窓際で聞き続けて「間違いなく応援する」と声をかけてくださるかた、ドリンクの差し入れをしてくださるかた、それにこの内郷では、たまたま、小中の同級生とばったり。「がんぱってよ」「私は言いまくってるからね」と。11カ所の街頭から訴えました。

1日で21カ所でした。

自宅にもどると、高校の大先輩の医師から、「イデオロギーを超えて推薦します」のメッセージがファクシミリで届いていました。とにかくびっくりなのですが、ぜひとも期待に応えなければなりません。

2か所でつどい/東電にも国にもきっぱりと/国策

きょうも、兵庫県の元南光町長・山田兼三さんといっしょに、2か所での「つどい」に参加しました。

午前中は小川町、午後は平赤井地域。

山田さんは、4日付の「読売新聞」福島版の記事を紹介しながら、東電に対しても国に対しても、きっぱりとモノが言える人が議会には必要だ、と熱く語ってくれました。

私は、原発のない社会を子孫に残すことを明確にすることと同時に、お金のある所に負担をしっかり求める財源論にも触れながら、国と行政が責任をもった徹底した放射線測量と除染、加害者の勝手な線引きを許さない被害者への全面賠償、全県民を対象にした無料の健康診断、とりわけ子どもたちの健康のために18歳までの医療費無料化、そして一部損壊住宅への支援を実現させることを訴えました。

懇談では、売られている野菜がほんとうに大丈夫なのか信用できない、の話に、農協に野菜を出荷している農家のかたから、放射線量を測定し、その結果も知らせてもらっています、という話も出され、たいへん有意義でした。

自給自足していた家庭菜園の野菜の放射能測定ができる体制を整えてほしい、原発関連の仕事がなくなったり風評で仕事がなくなった零細企業への具体的支援策が必要だ、といった要望も出されました。まったくそのとおりです。

国策として推進してきた原発による被害ですから、国策として補償・賠償することが当然なのです。加害者が、「あなたの被害はここまでです」などと線引きする筋合いの話ではありません。

期待/山田兼三さんとつどい

午前中は、内郷(うちごう)・好間(よしま)地域のいっせい行動に合流。恒例のスーパー前いっせい宣伝後、6か所の街頭から。

団地では、話し始めると窓をあけて聞いてくれる人、ベランダに出てきて聞いてくれる人、街頭でも庭いじりをしていたかたから話し終えると拍手、外に出ていたかたが最後まで聞いてくれて拍手。宣伝カーとすれ違う車から声がかかったり、クラクションの合図があったり。

これまでにない期待があることは間違いありません。

午後は、山田兼三さんの応援を受け、2か所での「つどい」。山田さんは、日本共産党員として、1980年から兵庫県南光町の町長を、合併まで7期25年間つとめたかた。

憲法25条を指針に町政運営することで、なにに優先してお金を使うかの姿勢を崩さず、子どもの医療費無料化年齢引き上げ、国保税の低減、80歳で20本の自分の歯=「8020」運動を進めたことなど、実際に手がけた山田さんだけに、説得力抜群です。

 

金曜定時/漁連・漁協/この雰囲気を結果に

金曜日朝は国道6号線沿いの平神谷(かべや)での定時定点。

午前中は渡辺ひろゆき市議と県漁連、いわき市漁協をたずね、ごあいさつと懇談。当然、県議選の話にもなるわけですが、「洋上風力発電計画は、漁業者は仕事をあきらめろ、ということなのか」という話題。自然エネルギーを本格的に活用・普及するするには、こうした議論をきめ細かく徹底してしながら合意を広める大切さを改めて痛感です。

放射線測量の要望があったお宅へ行き、私の最新のビラに名前を出してくれたNPO法人理事長をたずね、塩屋崎灯台近くの漁業者をたずねたら、午前中はあっというまに終わり。

午後は平高久(たかく)地域の農村部を中心に11か所の街頭から訴えました。そのすべての場所と、すれ違う車からの声援がありました。とにかくこれまでにない雰囲気ですが、しっかりと選挙の結果につなげないとならないと思います。

 

「原発と県議会」の読売記事

けさ、私の事務所に行くと、「わが家の放射線量はどうなっているのか心配。共産党の人たちが測定してくれていると聞いたので、うちにも来てほしい」という連絡があった、と。

さっそくたずねると、「はせべさん、6年前に今回の事故のことを質問していたんですね」と。何のことかと思って聞くと、きょうの「読売新聞」の「福島」のページに書いてあるよ、と。

見せてもらうと、きょうから始まった企画記事で、「インドネシア・スマトラ沖地震の被害を引き合いに、共産党の長谷部淳氏が原発の耐震安全性を質問していた」と、記事の半分近くが私の質問にかかわっての記事。

「津波への根本的な対策がとられることのないまま、質問の6年後、恐れていたことは現実になった」と。

私はほんとうに、当時、スマトラの津波の映像を見て、福島沖でこんな事態になったら、地震学者が指摘していることは間違いなくおきる、と思って質問したのでした。

この記事は、「『まさかそんなことが』と議場の出席者は思っただろう」という記述で始まっていますが、こう書いてくれた記者もそうだと思います。スマトラのあの事態を見て、私は切羽詰った思いで質問をしたのに、どこの誰も取り上げることはありませんでした。残念で無念ですが、そんなことを言っている場合ではありません。

原発のない社会を子孫に残すことを私たちの世代の責任として、果たさなければなりません。

事務所開き/井上哲士参院議員/小川街宣

2度目の事務所開きでした。4月予定だった県議選へむけ、2月6日に事務所開きをしたのですが、大震災・原発事故のために、ほぼ9か月ぶりに同じ場所での事務所開きです。

いったんは解約した事務所でしたが、いろんな経過で同じ事務所を借りました。

大学時代の2年先輩で、参院議員で国会対策委員長をしている井上哲士さんが駆けつけてくれました。30年前の学生時代の私の印象を語ってくれるのですが、私はさっぱりおぼえていません。

全港湾労組小名浜支部や小名浜生協病院職員からの応援のあいさつもあり、感激してしまいました。

井上さんとは事務所近くの公園前といわき駅前でいっしょに街宣。車からの声援、駅前を歩くみなさんからの声援に力づけられました。

午後は小川地域を地元の党支部長の案内で、けっこう広範に12か所の街頭から訴え。農作業をされているかた、庭の樹木剪定をされているかた、散歩されているかた、店舗の中から聞いてくれるかた、車で通っていくかた、多くのみなさんから声援を送っていただきました。