日本中世の百姓と職能民

網野善彦『日本中世の百姓と職能民』(平凡社ライブラリー)を読みました。1998年に平凡社選書として発行されたものを、2003年にライブラリー版にしたもので、私にしてみれば、「積ん読本」の消化読書です。大半が1980年代に書かれた文章を編んだものですが、相変わらず、「本書は、さまざまな『常識』を覆し、その背後にあった私たちの気づかぬ固定観念を払拭していく」(解説/和崎春日・文化人類学)。著者の「新稿」の「むすび」から強引に引用すると、「百姓が農業を含むきわめて多様な生業に従事するふつうの人たちであったという事実を前提とするならば…その生活は中世の当初から市庭(いちば)と不可分に結びついていた。/十三世紀前半までの百姓は、米や絹・布を主に交換手段-貨幣として、自らの生産した生産物の少なくとも一部を商品として市庭で売却し、生活に必要な物品を購入しており、そうした交易なしにその生活は成り立ちえなかった。…」

網野さんの本は、つねに刺激的です。

皮下注/「分担乗り越え、社会保障充実と雇用の脆弱性克服を」

きょうからまた、白血球を増やすための皮下注射の開始。午前中にし終えたばかりの注射器。さて、けさの「しんぶん赤旗」にはNPO法人「ほっとプラス」代表理事、藤田孝典さんインタビュー。「日本はすでに、高齢者が死ぬ間際まで働かざるを得ない社会になりつつある」。就労の継続を希望する最大の理由は、「収入がほしいから」。
社会保障の充実と雇用の脆弱性を修復することが急務。
そのためにも、市民が手を取り合って分断を乗り越えること、と。

吐気止め薬で治療「終了」/「経済」誌/みぞれ・大雪・夕焼け

おとといから、入院定期内服薬といっしょに服薬している3日分の吐き気止めの最後のカプセル剤の服用とあわせ、きょうはきのうまでの治療の延長というか、一環としての吐き気止め・副作用抑制剤の点滴を午前中1時間ばかり。きょうはこれらのみにて、「終了」です。

あしたからまた白血球を増やすための皮下注射が始まります。

また、来週には月・金予定で採血し、その血液検査結果によって、また対応が決められます。きのうの主治医の話では、この間の3度の経験則から、赤血球不足や血小板不足を補う輸血の実施がまたあるかもしれない、と。

ともかく私としても、副作用のなかでの体調不良のもとで転院を迎えたくないので、30日ないし31日までには最善の治療によって転院に耐えうる体調にもっていかないとなりません。これを前後し、午前中は『経済』2月号の特集「2017年の日本経済をどうみるか」を読んでいました。私にとって生きた経済は、理解するのがいつも難儀です。午後3時ごろには、それまではみぞれ様だったモノが大雪模様。とはいえ、道路にも積もる様子はなく、2時間後には雪もやみ、雲も切れ、夕焼け模様が見えるほどでした。

柳家小三治の落語6

『柳家小三治の落語6』(小学館文庫)を読みました。1991年から2000年にかけての7演目の口演の文庫化です。そもそもなぜ私が小三治落語の文庫を「集め」始めて読み始めたか。10年ほど前の「赤旗まつり」青空寄席に小三治師匠が登場し、そのナマ落語を聞いて引き寄せられたことがきっかけと記憶しています。その1年後に『柳家小三治の落語1』が発行されたのではなかったでしょうか(なお、こちらも)。半年せずに「3」まで発行され、まとめて購入したものの、ついに読みもせず、今回の療養・入院生活まで「俟つ」こととなってしまいました。ここまでくれば、ビジュアル版も見たくなります。

広野町・高野病院の常勤医/「医師確保は長期戦」と県幹部/きょうも12時間治療コース

広野町・高野病院の2~3月の常勤医兼臨時院長が決定したとのニュースを1月12日付各紙が報じています。私の手元は地元紙「福島民友」。なお、「朝日新聞」福島・浜通り版では、県幹部は「医師確保は簡単ではない。長期戦になる」と話しており、対応に苦慮している、と署名記事。4日の知事会見で、医師確保を支援する考えを示したこととかかわってのようです。さてきょうもまた、化学療法剤のシタラビンメインの12時間コース治療。順調に推移し、現在(20時半)はきょう最後の点滴である3時間のシタラビン。きのうとほぼ同じペースで、午後10時半には終わる予定。
もっとも夕べはやや間延びして午後11時近くになりました。

12時間コースの治療

きのうのリツキサンに続き、きょうとあしたは化学療法剤シタラビンをメインとした12時間コースの治療。まずは朝のうちに吐き気止めのカプセル剤を服用。点滴治療は若干遅れて午前11時近くに吐き気止めと副作用抑制剤の開始。これが約1時間。

次にシタラビン3時間。続いてアミノ酸補給のアミパレン200ml2時間を2本、計4時間。次にまた吐き気止めを1時間。

最後にシタラビン3時間。終了は午後10時半です。

広野町・高野病院への支援/「どこでも起こり得る問題」/思い出すことしきり

広野町が町唯一の高野病院の常勤医不在の事態に、クラウドファンディングを活用してインターネット上で寄付金を9日から受け付け開始したきのう、きょうの地元紙「福島民友」の記事です。「支援する会」の医師の言葉、「原発事故の被災地にとどまらず、過疎地域ではとこでも起こり得る問題であり、全国の人に自分のこととて考えてほしい」は、医療提供など医療制度に責任をもつ国の為政者に向けた言葉でもあると、私は受け止めます。

高野病院のことでは、東京新聞記者による『高野病院奮戦記』いわき市病院協議会行事選挙での訪問など、思い出すことしきりです。

CT・リツキサン

朝一番で腹部のCT撮影をしました。10時半ごろから分子標的薬・リツキサンの点滴治療開始、午後3時半ぐらいには終了。

その後、朝のCT撮影結果について、主治医から説明を受けました。再発発見時の腹水部のふくらみ(?)が小さくなってきているのは間違いないが、薬ではなくなっていないので、骨髄移植など別の治療が必要ではないか、との話です。

別れ/指先を擦りむく転倒/体重58kg超

別れを惜しむけさのペロ。おおまじめに、転院後は、妻の実家にあずけるかもしれないので、もしかすると今後数か月間、会えないかもしれないのです。

さて、病院へ戻り、車から降りようとしたら、ちょっとしたことで転倒。転倒と言っても、左手の小指の先と中指がコンクリートの地面についてしまい、それぞれ1mm程度を擦りむき、小指の先からは出血。「骨髄抑制」を伴う治療をし、白血球も減らしているときにばい菌などが入るとたいへん危険です。病室へ戻ってただちに処置してもらいました。

夕食後、体重計にのると、58kg超。自宅で食べすぎ?

自宅での入浴

今回の自宅外泊で、何がよかったかといって、入浴です。

ゆっくり入ってゆったりして、暖まって、全身も頭も洗って、すっきりです。

この間の病院では、点滴針を刺したままの状態の日が多かったうえ、針をはずした日も、必ずしも体調がすぐれず、フラフラ感もあって、倒れるのも嫌なので、少し広い風呂場は避けていました。
その代わり、夕刻に来てもらう妻に体を拭いてもらう日々なのでした。