医療の選択/随所で納得/憲法に触れない違和感

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『医療の選択』(桐野高明著、岩波新書)を読みました。

著者は独立行政法人国立病院機構理事長です。

「社会保障を削減し、医療を自己責任にするという選択をした結果、人と人とが分断化され、社会から連帯意識が消失し、恵まれた少数の人々と恵まれない多くの人々との間に著しい格差が生まれる。そのような未来を、われわれ日本人は望んで選択するだろうか」。

新自由主義的な医療改革の方向はあり得ない、端的に言って、日本の医療制度をアメリカ型にすることを拒否する著者の意志表示だと私は思います。

また著者は、「社会保障には、①生活安定効果、②所得再配分効果、③労働力保全効果、④産業・雇用創出効果、⑤資金循環効果、⑥内需拡大効果」があり、「社会保障の経済効果については、一方的ではない冷静な見方が大切である」ことも提起しています。

こうして随所に、日本の医療をめぐる現状や将来について納得できる話が多く、参考になります。

ところが、「終章」や「おわりに」では、「社会保障目的の消費税増税をさらに追加する方が、国民の痛みは少ないはず」とする見解、自己責任を前提とした社会保障制度改革推進法や社会保障制度改革国民会議報告を持ち上げる考え方に同意はできません。

真剣に日本の医療の未来を考える書だと思いますが、日本国憲法、とくに25条に基づく国の責任にほとんど触れられないことに、違和感を感じました。

新書を一日で読み切るなど、まずないことでした。3日前、「かけはし」「あしたの風」をセットして配る準備をしているのですが、きのう、きょうと雨模様。お盆だし、どうしようかな。

福島原発訴訟

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『あなたの福島原発訴訟』(「生業[なりわい]を返せ、地域をかえせ!」福島原発訴訟原告団・弁護団編、かもがわ出版)を読みました。

福島原発事故による被害の救済を求める裁判は、今年(2014年)3月末までに、私たちのいわき、本書の福島、札幌、山形、仙台、新潟、前橋、さいたま、千葉、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、松山の17の裁判所に係属し、原告数は約6,500人を超えています。また、水戸、広島、福岡で提訴予定とのこと。

「生業訴訟」の目的は、放射能もない、原発もない地域を創る意味を込めた「原状回復」、個別救済ではなく、あらゆる被害者の被害救済、巨大企業が経済活動として原発を運転してきたことで引き起こされた公害としての被害根絶のための脱原発です。

私たちの「元の生活をかえせ、原発事故被害いわき訴訟」でも、すべての被害者への生涯にわたる健康維持のための施策の確立と実施、万一疾病にり患した場合に生涯安心して治療に専念できる公的支援策の確立、いわき市はじめ全県下で3・11以前の状態に復元するとりくみの推進、事故の完全収束と県内原発全基廃炉、原発公害被害者に対する社会的差別の克服を目的として掲げています。

いずれも、すべての原発被害者が救済される制度として行政の政策の実現をめざす政策形成訴訟として共通します。

本書で、今年3月25日の第五回弁論期日での東電の主張を中島孝原告団長が紹介しています。原告らの原状回復と慰謝料請求に対し、東電は原告らの権利を侵害したとは言えず、その請求は不当であり、除染によって事故前の空間放射線量の水準に下げる請求も、技術的に可能だとしても金銭的に膨大で、一企業の能力を超える不可能なことで、速やかに却下せよ、というものです。

まさに「被害が大きければ大きいほど責任はなくなるという倒錯した暴論」であり、「原発はいったん事故を起こせば、どうにも手がつけられない代物だと自白しているようなものです」。

加害意識の一かけらも感じられない東電、そして国の法的責任を裁判を通して明らかにしなければなりません。

学力格差/社会関係資本の可能性

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『調査報告「学力格差」の実態』(志水宏吉他3人著、岩波ブックレット)を読みました。

本書では、1989年、2001年、2013年の三時点での学力調査の結果を比較していることが最大の特徴です。その時の小5、中2を対象にしていて、89年はゆとり教育の前の状況を、01年はゆとり教育の影響を、13年はゆとり教育以降の「確かな学力向上路線」の影響をそれぞれ反映していると見ることができます。

これらの分析から、「ゆとり教育路線」から「確かな学力向上路線」への政策転換が子どもたちの学力形成に大きな影響を与えた事実、その政策転換を実質化する教育現場・教師のとりくみや授業改善へ向けた継続的な努力があったこと、そして社会関係資本の戦略的意義が浮き彫りにされています。

社会関係資本というのは、親の収入(経済資本)、親の学歴および文化的活動(文化資本)とはまた別に、「学校・家庭・地域における人と人とのつながり」のことです。

家庭の収入や親の学歴が高いほど子どもたちの学力は高くなる、というのは今や自明で、そこにとどまっていては展望が見えなくなってしまい、学校の内部、そしてその周囲に社会関係資本を蓄積していくことが、子どもたちの学力格差の克服にいたる道を開くことになると、本書での分析から導き出しています。

今後の課題としても、社会関係資本がもつ教育上の可能性について、多様な形での実証研究の実施とその検討をあげています。

日本の労働とILO

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『日本の労働を世界に問う ILO条約を活かす道』(牛久保秀樹・村上剛志著、岩波ブックレット)を読みました。

ILO条約というのは、国際機関のILO(International Labour Organization 国際労働機関)が採択した条約のことで、国際労働基準を構成する世界の労働法のことです。

ILOは第一次世界大戦後の1919年に創設されましたが、その第一回総会で第一号条約である「工業的企業における労働時間を一日八時間かつ一週間四八時間に制限する条約」を採択してから、2011年に採択された条約まで189の条約にのぼります。

ILOの労働時間条約はその第一号から始まって18あるそうですが、日本はどれも批准していません。

日本が批准しているのは49条約だけで、140条約は未批准。条約は、二度の総会にかけられて、三分の二の賛成で採択されていますが、日本の態度は世界の少数派に属しています。

それ自体驚きますが、いま日本では、非正規労働者の拡大、長時間労働の深刻化、過労死や過労自殺の増加、違法な労働条件を労働者に貸すブラック企業の跋扈(ばっこ)、メンタルヘルス疾患の拡大、解雇の横行、若年層の就職難、公務員バッシングなど、労働者をめぐる問題は深刻で、社会の持続性そのものが問われています。

本書では、日本の教員、郵政、運輸、医療の分野でILOの活用が始まっていることなど、これからの日本の労働者の生活、雇用、安全と健康の確保、安心して働ける権利の確立にとって、ILO条約を活用することの重要な役割を具体的に示してくれています。

ブラック企業のない世界

140721ブラック企業

『ブラック企業のない社会へ 教育・福祉・医療・企業にできること』(今野晴貴ほか7人著、岩波ブックレット)を読みました。

ブラック企業問題は今では、「若者の使い潰(つぶ)し」として把握されるようになっています。

被害者である若者の親、彼らを教育する教師、うつ病患者のケアをになう医療・福祉関係者、若者を採用したい企業にとどまらず、国・自治体を含め、「若者の使い潰し」に関して当事者でない人はいないだけに急速に「社会問題」として認知されています。

実は、先だっての6月県議会にはこのブラック企業根絶や対策を求める請願が出されましたが、社会問題化していることすら知らず、若者の受け止め方の問題であるかのように平気で言う県議には驚きました。

それどころか、その請願は「ブラック企業・ブラックバイト」の調査を求めることについてなのですが、県議会の自民・公明・民主・未来ネットの圧倒的多数が反対しました。社会問題を社会問題として認知できない県議会議員が多数を占める姿を見た思いです。

本書では、「過剰に企業に依存する日本社会相対のシステム」化ブラック企業を支えてしまっており、その解決のための新しい社会のネットワークが不可欠なことを、それぞれの分野から実態に即して明らかにしてくれます。

おこぼれ経済/憲法を基準に新しい政治を

140802おこぼれ経済

 

『「おこぼれ経済」という神話』(石川康宏著、新日本出版社)を読みました。

1950年代半ばから70年代初頭の「高度成長」期には、労働組合による賃上げのたたかいと相まって、「大企業の成長」と「国民生活・家計所得の上昇」がそれなりに両立を見せていました。

しかしその後、とりわけ90年代以降の日本経済は、「大企業の成長」と「国民生活の向上」が連動させないものに変質してしまいました。

140803「おこぼれ」p.24
【本書24ページ】

「おこぼれ(トリクルダウン)経済」というのは、「大企業が潤えば、いまに国民も潤う」という、10年ほど前に小泉純一郎首相が繰り返した経済思想・経済観です。

はっきりしていることは、すでに当時、「多国籍企業と一国経済の矛盾」は深まっていて、そこから国民の目をそらすために広げられたのが「おこぼれ経済」神話でした。

140803「おこぼれ」p.37
【本書37ページ】

という話を、戦後日本経済の変化の様子、とりわけ「失われた20数年」の実態、「おこぼれ経済」発信源の経団連が歴代政府に求めてきた経済政策、アベノミクス「三本の矢」に消費税増税、社会保障削減を加えた「五本の矢」の経済効果、これら経済政策が自民党のめざす近未来の日本社会づくりの一環であることから、その社会像を自民党の新綱領(2010年)と日本国憲法改正草案(2012年)から検証します。

140803「おこぼれ」p.108
【本書108ページ】

33の図表類を資料として示しながら、「大手が儲かれば暮らしもよくなる」虚構をあばき、財界言いなりの政治の転換、アメリカまかせではない安保・外交政策、日本の侵略戦争と植民地支配に対する認識の問題、これらの出発点となる日本国憲法の精神を基準に、新しい政治の展望が語られます。

大学が直面する危機/大学現場の連帯した力

140803大学危機

『危機に直面している日本の大学』(日本科学者会議大学問題委員会編、合同出版。合同ブックレット⑤)を読みました。

昨年12月発行で、今世紀に入ってから昨年10月末までの日本政府・財界による「大学改革」のねらいと実態の告発、そしてこれにとって替わる大学ビジョン構築の訴えです。

いま、研究現場では、「業績一辺倒」「新自由主義」的な大学運営によって、あらゆる研究分野で研究資金獲得のための過度な業績主義が横行し、本数稼ぎの研究論文の増加や論文のねつ造やデータの使い回しなど、研究者のモラルを逸脱した事態が指摘されています。

大学のこうした荒廃が、メガ・コンペティション(大競争)を勝ち抜くためにグローバル企業が求める成長体制、高付加価値を生む事業分野に研究資金と人材を重点配分する成長戦略に、大学と学術が従属させられている過程で起こっています。

入試倍率、就職率、留年率、学位取得率、科研費採択率、論文数・特許獲得数、外部資金獲得額、任期制教員採用数などの数字を大学に競わせて、学術の発展を通じて社会に貢献する大学本来の機能が発揮できるとは思えません。

人類にとって普遍的な価値をもつ公共財としての学術とそれを伝授する場としての大学現場の連帯した力で、大学「再生」の展望を切り拓く時ではないでしょうか。

原発ゼロで経済再生/「安全神話」妄信/協同組合

140730原発ゼロ

『原発ゼロで日本経済は再生する』(吉原毅著、角川oneテーマ21)を読みました。

著者は2010年から城南信用金庫の理事長を務めています。福島原発事故後の2011年4月1日、「原発に頼らない安心できる社会へ」を発表し、職員による被災地支援も続けています。

本書は今年4月に発行されて話題を呼び、手元にあるのは6月末の再版です。

安倍政権のもとで原発を「ベースロード電源」と位置づけ、原発再稼働に進むなか、「事故の原因は究明できたのか。汚染水はどこでどう処理するのか。核のゴミの問題に道筋はついたのか--。何ひとつ解決していないにもかかわらず、まさに官民一体となって、原発再稼働をなし崩し的に推し進めようとしている。そして、それを強力にプッシュしてきたのが財界のトップたちである」として、本書タイトルの根拠を展開してくれています。

著者自身も、事故前までは「原発肯定派」であり「政府や電力会社、マスコミ、学者たちによって作り上げられた原発の『安全神話』を妄信していた人間の一人だった」と言っています。

本書の特徴は、原発事故を受けた「原発ゼロ」を根拠をもって示してくれると同時に、信用金庫が銀行と違い、「会員の出資による協同組合組織の非営利法人」であることの歴史と現在の存在意義に立ち返り、世界に広がる協同組合の理念を具体的に説いてくれる点にある、と私は思いました。

憲法主義/しなやか日本列島

140723憲法・しなやか列島

『憲法主義』(内山奈月[うちやま・なつき]・南野森[みなみの・しげる]著、PHP研究所)、『しなやかな日本列島のつくりかた』(藻谷浩介[もたに・こうすけ]対話集、新潮社)を読みました。

「憲法」の内山さんはAKB48のメンバーで、愛称は「なっきー」。今年4月から慶大生です。まだ高校生だった今年2月、九州大学准教授の南野さんから丸々2日間の「憲法集中講義」を受けた様子の記録です。この講義のきっかけは、日本国憲法の条文を暗記している高校生アイドルがいる、と南野さんが知ったことのようです。

本文中には、内山さんが講義中に書き留めたノートの写し、5つのテーマの講義のあとには内山さんのレポートも掲載されています。

憲法の講義を受けて、「コンセプトを守りながら時代に沿って価値を高めていく私たちアイドルの活動と共通しています」とのこと。

タイトルの「憲法主義」は、Constitutionalism の訳で、通常は「立憲主義」。

「しなやか日本列島」は、「里山資本主義」の藻谷さんが、商店街、過疎集落、観光、農業、医療、鉄道、不動産開発の各分野の現場に身を置いて行動し、掘り下げと俯瞰を繰り返して「智恵」を確立している人と藻谷さんが評価する「現智の人」との対話です。

それぞれに考え方や見方はあると思いますが、「日本社会で何が起きているのか、これからどうなっていくのかについて、知っておいて損はない『現場』の『現実』を、端的に切り取ってお示しした本です」。

福島から語る

140619福島

 

『福島へ/福島から』(赤坂憲雄エッセイ集、荒蝦夷[あらえみし]発行)を読みました。

著者は学習院大学教授で、岩手県遠野文化研究センター所長でもあり、03年から福島県立博物館長を務めてます。

本書は、福島の地元紙である「福島民報」の「日曜論壇」に、2004年から2013年の間、2か月おきにつづってきたエッセイです。

「3・11」をはさんでいても、著者の一貫した「立ち位置」は「文化の力こそが信ずるに値するもの」で、そんな思いがあふれています。

3・11後、「福島こそが、新しい暮らしと生業の風景を創りだすはじまりの土地になる」「二十一世紀のもうひとつの自由民権運動だ」の言葉が印象的です。

「原発事故と汚染、それはすでに、わたしたちの生存の条件のひとつとなった」のですが、3・11前の著者は「原発というものに、まるで関心がなかった。眼を背けてきた。何とか『安全』に動いていれば、それによってわたしたちの暮らしの豊かさや便利さが保たれているのであれば、仕方がないと感じていた」んだそうです。

140615休息