『あなたの福島原発訴訟』(「生業[なりわい]を返せ、地域をかえせ!」福島原発訴訟原告団・弁護団編、かもがわ出版)を読みました。
福島原発事故による被害の救済を求める裁判は、今年(2014年)3月末までに、私たちのいわき、本書の福島、札幌、山形、仙台、新潟、前橋、さいたま、千葉、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、松山の17の裁判所に係属し、原告数は約6,500人を超えています。また、水戸、広島、福岡で提訴予定とのこと。
「生業訴訟」の目的は、放射能もない、原発もない地域を創る意味を込めた「原状回復」、個別救済ではなく、あらゆる被害者の被害救済、巨大企業が経済活動として原発を運転してきたことで引き起こされた公害としての被害根絶のための脱原発です。
私たちの「元の生活をかえせ、原発事故被害いわき訴訟」でも、すべての被害者への生涯にわたる健康維持のための施策の確立と実施、万一疾病にり患した場合に生涯安心して治療に専念できる公的支援策の確立、いわき市はじめ全県下で3・11以前の状態に復元するとりくみの推進、事故の完全収束と県内原発全基廃炉、原発公害被害者に対する社会的差別の克服を目的として掲げています。
いずれも、すべての原発被害者が救済される制度として行政の政策の実現をめざす政策形成訴訟として共通します。
本書で、今年3月25日の第五回弁論期日での東電の主張を中島孝原告団長が紹介しています。原告らの原状回復と慰謝料請求に対し、東電は原告らの権利を侵害したとは言えず、その請求は不当であり、除染によって事故前の空間放射線量の水準に下げる請求も、技術的に可能だとしても金銭的に膨大で、一企業の能力を超える不可能なことで、速やかに却下せよ、というものです。
まさに「被害が大きければ大きいほど責任はなくなるという倒錯した暴論」であり、「原発はいったん事故を起こせば、どうにも手がつけられない代物だと自白しているようなものです」。
加害意識の一かけらも感じられない東電、そして国の法的責任を裁判を通して明らかにしなければなりません。