政治とカネ

『ゼロからわかる政治とカネ』(上脇博之著、日本機関紙出版センター)を読みました。

著者は「政治資金オンブズマン」(02年3月結成)の代表の1人。

大政党に有利な小選挙区中心の選挙制度をつくり、さらに大政党を優遇する政治資金制度をつくったのに、大政党への信頼は確立しないばかりか、政党離れが進むばかり。

そして大政党は、国民の中にきちんと根をはらず、政党助成金という名の税金頼みの国営政党化。民主党にいたっては本部財政の84%強を税金に頼り、自民党も7割弱。政党は、国民の中から必要性があって誕生し、国民の中に根をはって存続するはずなのに、自ら国民の中に入って努力しなくても、税金で財政をまかなえてしまっているのです。

しかも抜け穴だらけの法律で企業献金やパーティー券による資金集め。

驚くべき「政治とカネ」の実態を主権者が主体的に知り、財界主権でなく、国民主権の政治を打ち立てるべきだと、私も思います。

企業・団体献金も政党助成金も受け取らずに、支援者の個人献金や機関紙発行で財政運営をしている共産党だけが、「政治とカネ」で疑念がまったくない政党です。できるんです。

インフレーション宇宙

『インフレーション宇宙論』(佐藤勝彦著、講談社ブルーバックス)を読みました。

1981年に著者らが提唱したこの理論は、ビッグバン理論だけでは宇宙創生について説明しきれない困難な問題に、物理学の言葉で答える理論として提案されました。

当初は突拍子もない説という見方もあったようですが、今では標準理論として認知されるまでになっているようです。

本書はこの理論の提唱者が、この理論を中心にまとめた本としては初めてだそうです。しかも、朝日カルチャーセンター教室での講座で話した内容を、語り口調そのままにまとめられているので、「思いきりやさしく書いた一番わかりやすいインフレーション理論入門」の書にもなっていると思います。

地球カレンダー

『サヨナラ愛しのプラネット 地球カレンダー』(清水伴雄著、ごま書房、08年2月刊)を読みました。

地球が誕生してから現在までの46億年を1年365日におきかえると…

月は1月12日に生まれ、最初の生命が2月25日に生まれ、光合成を行うバクテリアが5月31日に登場し、真核生物が7月10日に登場し、多細胞生物が9月27日に現れ、オゾン層が11月14日にはでき、海の中だけで生きてきた生命が陸への挑戦を11月28日に始め、翌日に両生類が陸に上がり、哺乳類が12月13日に登場し、12月31日午前10時40分には人類の祖先がチンパンジーの祖先から枝分かれして猿人が登場し、現在の人類であるホモ・サピエンスが12月31日午後11時37分にアフリカで誕生し、産業革命が始まったのは12月31日午後11時59分58秒ぐらい。

こうして今人類が存在しているのは、苛酷な環境の中でも、一瞬たりとも途切れることなく続いてきた、命のリレーのたまものです。

著者は、「人類は、この驚異のバトンのデザインや構築にも、リレーのしくみにも、一切関わってきませんでした。この厳粛な事実を、私たちは受け入れる必要があります」と言っています。

本書は、著者のウェブ・サイト「21世紀の歩き方大研究」に、00年11月から設置したオリジナルの「地球カレンダー」がベースになっています。

人口減少とまちづくり

『人口減少時代のまちづくり』(中山徹著、自治体研究社)を読みました。

日本は人口減少社会に突入しました。現在の日本のまちづくのり仕組み(都市計画)は、人口・産業が急増することを前提に、広域計画を優先し、財源は国の補助金に依拠するものです。

これからのまちづくりのためには、その前提がなくなるので、発想の転換が当然に求められます。ところが現実は、従来の発想が続いています。

本書では、少子化対策は本格的に進めつつ、人口が減少すること、なおかつ、生活の質の維持・向上を前提に、事業所閉鎖・撤退コントロール、大規模な自然環境の再生、公共交通の再編成、商店街の活性化と商業施設の計画的配置、地域景観の再生、そして地方分権と市民参加について語ってくれています。

民主党は「地方主権」をさかんに強調しますが、この場合の「地方」が、地域住民のことではなく、地域の経済界、土建業界をさし、道州制がこれを推進することにも警鐘を鳴らしています。

地域内で仕事をし、子育てし、買い物し、医療や介護も受けられ、移動もできる社会がこれからの社会です。公共交通を充実させること、第一次産業と医療・福祉・教育で雇用と生活を支えるまちづくりが大事だと思います。

保育制度改革

『保育制度改革と児童福祉法のゆくえ』(伊藤周平著、かもがわ出版)を読みました。

自公政権のもと、厚労省所管の社会保障審議会少子化対策特別部会が昨年2月、市町村が保育義務を負う現在の公的保育制度を解体し、介護保険をモデルにした直接契約方式をとる新保育制度案を提案しました。

この提案は、民主党政権になっても白紙撤回されないばかりか、やはり自公政権時代に設置、任命された特別部会の保育第一・第二専門委員会の委員のもとで、保育制度改革の議論が、厚労省主導で進められています。

ここで検討されている新保育制度が導入されれば、児童福祉法は、憲法25条を児童福祉の分野で実現する法から、契約制度と応益負担を基本原理とする、市場原理に立脚した法制度へと大きく変容することになります。

保育を商品化し、子どもたちを金もうけの対象にしようとする新保育制度の諸問題を明らかにしています。

ネイチャーは警告する

『ネイチャーは警告する?』(池内了講演録、ほっとブックス新栄)を読みました。

04年4月の「池内了、大いに語る」と題した「エネルギー・環境問題の現在」の講演と質疑、そして今年3月に愛知県保険医協会創立60周年記念市民公開講座「科学の楽しみと科学者の社会的責任」の講演と質疑応答を一冊にまとめたものです。

著者は宇宙物理が専門ですが、「どうもおちこぼれ…学問の進展が非常に早くて…私のようなアイデアだけで勝負するタイプはもうダメになっちゃった…科学と社会にかかわる問題を議論してみよう」と、研究方針を大きく変えたんだそうです。

「科学者であることによって物事をよく知っている。そしてそれが変化すればどうなるかを想像できます。その限界がどこにあるかがだいたい分かる。これは科学者でなければできません。それが分かれば、社会に対して警鐘を鳴らす、何らかの言葉をかけるという社会的責任がある」という著者による、自然界からの警鐘と人間の生き方を語ってくれる書です。

自然エネルギー/小型化・分散化・多様化

『地域の力で自然エネルギー!』(鳥越皓之他5人著、岩波ブックレット)を読みました。

「世界的に見ても、日本の風土的な特徴となっているものばかり」として、「小水力、波力・潮力、地熱、バイオマス」の四つのエネルギーが、「さらに新しい可能性のある自然エネルギー」として取り上げられています。

これらの試みが、エネルギーという側面ばかりでなく、地域のコミュニティ内外の人間関係の新しい結びつきをつくり出す面もあることを示してくれています。

これを読んで引っ張り出した本が、池内了(さとる)さんの『私のエネルギー論』(文春新書、2000年刊)。

「このまま大型化・集中化・均一化の技術体系による大量生産・大量消費・大量廃棄の方式を続けるのではなく、小型化・分散化・多様化を基礎とした少量生産・少量消費・少量廃棄の技術体系へと転換しなければならない」と私も思います。

隠された被曝

『隠された被曝』(矢ヶ崎克馬著、新日本出版社)を読みました。

著者は1974年以来、36年にわたって沖縄に在住し、物性物理学の研究にたずさわってきました。放射線学を専門としているわけではありませんが、2003年には原爆症認定集団訴訟熊本弁護団から内部被爆についての法定で証言をするよう要請され、「原爆被爆問題」に初めて立ち入ることになりました。

「科学で解明することができないことが多すぎるので、被曝の実相解明が進んでいない」とそれまでは思い込んでいたそうです。ところが事実は、政治と「科学」が一体となって「あからさまな偽り」が行なわれている、ということでした。

行政とえせ科学者が、まぎれもない被爆者を「あなたは被爆者ではありません」といい続けてきたのです。

科学者の良心が、事実にもとづき、まやかしの被爆認定基準を徹底告発した書です。

歴史と学問と現代の一面/刺激的/書名

『歴史・科学・現代』(加藤周一対談集、ちくま学芸文庫)を読みました。

1973年に平凡社から刊行された本が今月、文庫化されて発売されました。本屋さんに行ったら、手に取ってしまい、半ば衝動買いです。

対談している時期は1966年~72年で、私が小学生から中学生になる頃です。時代的には70年安保、沖縄返還、ベトナム戦争反対運動、「建国記念日」、大学紛争、東京・大阪での革新知事誕生、アメリカ大統領訪中などがありました。

対談の相手は丸山真男、湯川秀樹、久野収、サルトルなど8人。加藤さんを含め、大半が故人です。

だいたい、この本を衝動買いした要因は湯川秀樹が入っているからですが、彼との対談は二つ収められていて、一つは江戸時代に30代で亡くなった富永仲基に関してで、もう一つが科学と芸術の関係について。

ともかく、当時の編集担当をされた鷲巣力氏が「解説 対談集の愉悦」を書いているのですが、当時はそれほどの売れ行きにはならなかったそうです。

その理由の一つに「対談集にしては内容が濃く、昨今の対談集ほどには気軽に読めないことである」をあげていて、「今読めば内容の濃さに驚く読者もいるに違いない」と言うのですが、確かに。

じっくりと、問題意識をもって読めばこのうえない刺激的対談だと思います。

加藤さんの「あとがき」では、この対談集が「歴史と学問と現代の一面に触れたもの」とあります。編集担当者は「加藤の関心が、一方で『歴史』に向かい、もう一方で『現代』に迫り、たえずそのあいだの往復運動をし」、「その往復運動をつなぐのは科学的な思考と方法である」と考えて、書名にしたそうです。

発達をはぐくむ目と心/発達の実現は権利

『発達をはぐくむ目と心』(白石正久著、全障研出版部)を読みました。

著者は障害児教育・障害児の発達診断を専攻する研究者。本書の発行は06年7月で、月刊誌「みんなのねがい」05年4月号から06年3月号までの12回連載をまとめたものです。副題は「発達保障のための12章」。

執筆時期は、廃止することだけは決まった障害者自立支援法が自公政権によって成立させられた05年10月のまさにその前後。

「『小さな政府』『官から民へ』を合いことばにした責任放棄や国民への『自己責任』の徹底、かつ『規制緩和』による民間依存を進行させている問題は、生存権への制限にとどまらず、自然権、自由権に対する侵害を『実感』させ」るその典型が「障害者自立支援法の制定でした」と指摘しています。

本書はその批判を主眼にしているわけではなく、著者自身が発達保障への理解を認識し感じたように記した、とのこと。

人間が生まれながらにしてもっている可能性の開花が発達であり、その実現はすべての人に保障される権利であることから話は始まります。

大学の先輩である著者からは、学生時代、ほんとうにやさしさを感じられることばをかけられていたことを思い出します。