放射能汚染/被爆者と私たち

『放射能汚染の基礎知識。』(朝長万左男[ともなが・まさお]著、マガジンハウス)を読みました。「売り」は「45分でわかる!」のブックレット仕立てです。

著者は日本赤十字社長崎原爆病院院長。

特に今、放射線の被ばくレベルと人体への影響が私たちの高い関心事ですが、この面でのデータが、広島・長崎の生存被爆者約20万人の、今日に至るまでの66年間にわたる健康への影響の研究から得られていることがわかります。

放射線によって細胞死の量がどの程度になるか、放射線によって傷ついた遺伝子の修復ミスで発ガンにいたる細胞がどの程度生じるか、放射線の人体への影響はこの2つにつきる、とのこと。

その影響の強さは、被ばくした放射線の量によるし、同じ放射線量でも、一度に浴びるか、複数回に分けて浴びるかによっても異なります。

こうしたことが、いま問題になっている放射線量とは3桁も4桁も違うレベルの放射線を浴び、これを乗り越え、生き抜いてきた被爆者によって私たちが与えられているわけです。

ともかく、「私たち一人ひとりが、正しい知識を持ち、科学的に理解し、考え、適切に、冷静に行動する」ためのひとつの材料になる本です。

食卓の放射能汚染/政治的審判

『家族で語る 食卓の放射能汚染[増補改訂版]』(安斎育郎著、同時代社)を読みました。

もともとこの本は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後、輸入食品の放射能汚染が問題化していたときに書かれたもので、福島原発事故を受けて増補改訂として緊急出版されました。

今回の原発事故の現状を執筆時点で見据えつつ、放射能とはなんなのか、放射線の人体への影響はどうなのか、かなり詳細に、かつ、安斎さんらしくわかりやすく解説し、そのうえで食品の放射能汚染にどう対処するかを語ってくれています。

「放射線や放射能について基本的な知識を身につけ、その危険性について理解を深めるとともに、無用な恐怖感をもたないように学習すること」の姿勢は、こういう事態に遭遇してしまった以上、誰にでも求められると思います。

原発事故はぜったいないという「安全神話」にいまだにしばられ、こうした知識を身につける必要はない、としてきた歴代政府と民主党政権の罪の深さが、よくわかると思います。大人も子どもも、こうした知識を学ぶ機会を得られなかったのは、すぐれて政治の責任です。そのことを政治的にはっきりと審判を下すべきときだと私は思います。

ジャーナリズム/憲法の精神/言葉として具体的に

『ジャーナリズムニ生きて』(原寿雄著、岩波現代文庫)を読みました。

今年2月中旬の発行で、08年12月の岩波市民セミナーで話した内容がベースです。発刊直後に手にした記憶がありますが、大震災に直後に襲われ、ずいぶんと間をおきながらの読書でした。

副題が「ジグザグの自分史85年」。共同通信社の社会部記者から始まって、外信部長、編集局長、専務理事・編集主幹、1986年からは6年間、社長をつとめました。

本書の最後に「私のジャーナリズム哲学」が21項目にまとめられていますが、ずしりと響く言葉が満載のように私は感じます。

「言論表現の自由はすべての基本的人権を支える基盤的自由である」「自由とは少数派、異端の自由を保障するものである」「少数意見の報道は賛否のバランスのためではない。真実追求に不可欠なものである」「ジャーナリズムの基本は、オピニオンよりオピニオンの基となる事実の報道である」「二分割思考のテレビ報道は世論形成をゆがめる」などなど…

まったくそのとおり、と思うことばかりで、原さんのこの「哲学」の根底に、日本国憲法の精神が流れているように思えるのです。ところが、「憲法」という言葉は出てきません。

世界的に、社会的・歴史的に築かれたはずの日本国憲法の意義を、ジャーナリズムの世界に言葉として、もっと具体的に表現して活かすべきだと私は思うのです。

国会議員定数削減/「身を削る」は方便

『国会議員定数削減と私たちの選択』(坂本修・小沢隆一・上脇博之著、新日本出版社)を読みました。

「ムダを省く」「自ら身を削る」ことは、議員定数削減とはまったく別問題です。国会議員一人当たりに要する年間費用は、議員歳費・文書通信交通滞在費・立法事務費・秘書人件費を含めて、衆議院が約7142万円、参議院が約6710万円だそうです。

民主党のマニフェストでは衆議院80人、参議院40人削減です。あわせると84億円あまり。

一方、口をつぐんですまして手にしている政党助成金は、共産党を除く政党を合わせて年間約320億円。民主党が言うとおりに議員数を減らしても、その4倍近く。これが政党にばらまかれているわけです。そして政党・政治家を堕落させているわけです。ムダの極致ではないですか?

議員を減らすその先は、足元から早くも揺らいだ「二大政党制」を立て直して少数意見は徹底して切り捨てる単純小選挙区制であり、憲法9条や25条は投げ捨てる「壊憲」国家・強権国家への国家改造です。

今月18日には、この大震災復興に全力をあげるときに、民主・自民・公明・みんな・国民新・たちあがれが、参院本会議で、改憲手続法に基づき改憲原案の審査権限を持つ憲法審査会の規定を賛成多数で可決しました。

これで、改憲の国会発議に必要なしくみが衆参両院でできあがったことになります。

本書は、「定数削減」が、まったくの方便であることを見抜き、誰もが納得する選挙制度を提案しています。

原発事故緊急対策マニュアル/人災/科学と社会

『原発事故緊急対策マニュアル』(日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会編、合同出版)を読みました。

もともとこの本は、22年前の1989年6月に出版された本の新版です。チェルノブイリ事故の3年後でした。

旧版は、「国民に原子力発電に伴う危険を正確に知らせず、しかも、万一の事故の場合の対策を示さないことは許されない」として書かれましたが、その「万一の事故」を目の当たりにしての新版です。

旧版が出版された89年正月には、福島第二原発3号機で深刻な事故が起こっていました。原子炉のアクセルとブレーキに当たる重要な装置である「再循環ポンプ」が大破損していたのです。警報がなっているのに、約1週間後の定期点検予定日まで運転を引き延ばそうとしていたと推測されています。

再循環ポンプや配管が破損した場合、冷却材喪失事故を起こす危険があるわけですが、「そうした事故は起こらない」とする安全神話が現場に浸透していたというほかありません。

そうしたときに発刊された旧版の警告はけっきょく生かされませんでした。どこからどう見ても今回の事故は人災にほかなりません。

この新版は、「原発由来の放射能というまったく無用な人為的被ばくから市民の命と健康を守るために少しでも役立つとともに、科学と社会の関わり方、とりわけ科学者の社会的責任に関して新しい議論の契機にもなることも願って」書かれました。

時代の証言/ペンネーム/演説

『不破哲三 時代の証言』(中央公論新社)を読みました。

「読売新聞」2010年11月1日~12月11日に連載されたインタビュー記事をもとに、新しい回想や論及も含めて、日本の政治史の現在と将来を考える材料の記録としてまとめられました。

中身はともかく、「不破哲三」のペンネームですが、1953年当時に住んでいた家の近くで、争議があったペンキ屋さんの「不破建設」と、勤めていた職場の鉄鋼労連の「鉄」をもじってつけたんだそうです。共産党の機関誌『前衛』1953年9月号掲載の論文かぎりのつもりが、1956年2月のソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判をし、これを契機に世界的に革命論をめぐる活発な議論の関わりで、この「不破」名を使い続けることにしたとか。

1969年12月に国政選挙初出馬の際、一般の人の前で世間に通じる話をするのは、それまで論文や政策の解説で党内で話すのとはまるで勝手が違い、演説で通用する「太い論理」をめざすようになった、というのは、私が言うのもなんですが、ものすごくわかる気がします。

就活とブラック企業

『就活とブラック企業』(森岡孝二編、岩波ブックレット)を読みました。

大阪過労死問題連絡会が昨年11月に開催したシンポジウム「ブラック企業の見分けかた」の再現です。

若者の過労死・過労自殺に取り組む弁護士、上場企業に就職して4か月で過労死した青年の遺族、就活で百数十社の企業を回った学生、若者の労働相談・生活相談に若者自身が応じているNPOの事務局長、青年労働者といっしょに団体交渉をしている地域労組の役員が報告しています。

いまや、「就職すれば違法に当たる」といわれるぐらいだそうで、若者を過労死・過労自殺に追い込んだり、違法な解雇や賃金不払いなどの違法・不当な働かせかたをしたりしているのは、一部の「ブラック企業」だけでなく、多くの企業に見られるものであること、だから、「ブラック企業」に就職しなければよいという問題ではなくなっています。

企業に法令を遵守させることが社会全体の課題であり、そして、まともな賃金、まともな雇用、まともな労働時間、まともな社会保障という中身をもった「まともな働きかた」(ディーセント・ワーク)について考える材料のひとつとして編まれたブックレットです。

時間とは/生き生きと生きていくこと

『時間とは何か』(池内了著、ヨシタケシンスケ絵、講談社)を読みました。

まぁ、この2か月間、あんまり短すぎるように感じていたところ、私がファンの宇宙物理学者が「時間」について書いている本を、行きつけの本屋さんできょう、目にしてしまいました。初版は3年前。

物理学者ですから、話の大半は私たちが実際に体験する「物理時間」のことですが、最終章(8章)で、ちゃんと「心理時間」に触れてくれています。

いつも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の感覚が短くなったような気分に追い立てられていることを、エンデという人が「モモ」という作品のなかで、「時間どろぼう」と呼んだそうです。

時間と競争するかのように忙しさに追われていることをテーマにしたことがうかがわれますが、どうも、アレコレ他のことを考えないため空白の時間が多くなるほど時間は短くなるようです。

流れる時間のなかに、どれくらいの思いが詰まっているか、によって時間が引き延ばされているように感じるようです。

子どもの時間はさまざまなものが詰まっていて、次つぎとなすべきことがあるので時間が長く感じられ、年をとると時間の空白が多くなってスカスカになっているので時間が短く感じるのかもしれない、とのこと。「何にでも興味があり、いろんなことにチャレンジすると老人の時計も速く回るようになり、若さが保たれることになりそうです」。

まぁいずれにせよ、時間は止めることはできず、それだけに「私たちは、時間を大事にして、いつも生き生きと生きていくことが大事」、というのが結論。

福島原発事故

『福島原発事故』(安斎育郎著、かもがわ出版)を読みました。副題は「どうする 日本の原発政策」です。

著者の安斎さんは、4月17日にいわき市にも来られた放射線防護学の専門家です。「東日本大震災・原発震災緊急報告会」で「放射能 そこが知りたい」のテーマで講演もしていただいたかたです。

1962(昭和37)年に、この日本で原子力政策を進めるために必要とされる技術者を養成する機関として創設された、東京大学工学部原子力工学科の第一期生です。

それ以来50年にわたり、とくに東大医学部助手時代に、尾行・差別・ネグレクト・威嚇・懐柔といったさまざまなアカデミックハラスメントにさらされながら、原発政策批判にとりくんできました。

3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、1923年の関東大震災の約45倍、1995年の阪神・淡路大震災の約350倍のエネルギーです。

この地震の揺れと津波に加えて、大量の放射線放出を招いた福島第一原発の事故が重なり、地球上で、人類が初めて体験する災害となりました。

「無力感に打ちひしがれることなく、一人一人が自分にできることを実践すること―これがいま一番大事」、「悔やんでも元へ戻らないことは悔やまず、事態打開の再出発のために力を尽くす…ゆとりがある人は資金を、元気な人は労力を、知恵のある人はアイデアを、言葉のある人はメッセージを、それぞれ出し合ってよりよく生きられる状況を切り開」くことを願い、全編書き下ろしです。

放射能や放射線、原発の基本についても、心を砕いて書かれています。

職業としての科学

『職業としての科学』(佐藤文隆著、岩波新書)を読みました。

著者は世界的に著名な宇宙物理学者で、私が学生時代は現役の教授でした。お会いする機会はありませんでしたが。

本書は、「科学とはなにか」といった話でなく、日本で言えば70万人、世界全体で700万人の研究者たちが担っている現代の科学界を前提に、科学の制度が常人の職業として持続可能であることが肝要だ、という話です。

そのためには、若者が、狭い経験や眼前の現実に目を奪われずに、歴史で想像力を養う思考の転換が必要だ、と訴えています。

民主党政権の「事業仕分け」で、「世界一でないとなぜだめなのか」という詰問にハタと目を覚まされた、ということから話が始まっています。

「アメリカの政策と連動した日本での科学技術基本法制定を通して見れば、冷戦崩壊が転換期のスイッチ」といったことを含め、「歴史的に科学にこびりついているイデオロギーを俯瞰的に理解」し、「歴史から想像力を育む一助となれば」とは著者の願い。