『原発賠償の行方』(井上薫著、新潮新書)を読みました。
「原発事故の賠償問題は、現在議論の空白地帯を形成して」おり、「必要であるにもかかわらず、あまり議論されてこなかった原発事故の問題に焦点を当て」、「あくまでも冷静に論理的な検証」に心がけた元判事による本です。
憲法によって国民主権が貫かれ、法治国家である現時点での法制度のもとで、東電以外の会社に損害賠償金を負担させることも、浜岡原発を停止させる要請も、東電に融資している金融機関に債権放棄を求めることも、原発の再稼動の条件にストレステストを導入することも、ありえないことなのに、そういう指摘や議論がほとんど見られない、と著者は強調されているように受け止めました。
「『東電が悪い』『政府のせいだ』で議論をおしまいにして思考停止するのでは、『事故はおきない』と信じ込むのと同じ」の指摘をシカと受け止めなければなりません。
原発をめぐる現在の法制度は、「原発は大事故を起こさない」ことが大前提になってしまっているのです。
そしてまた「政府の策定した賠償枠組みは…実質的な賠償金の負担者として加害者である東京電力を外し、これは丸ごと温存させ…実質的な負担者は何の責任も本来ありえない電気の購入者、つまり加害者以外の善良な国民に対して巨額な賠償負担をさせることを決めた」ことも看過できません。
著者自身は、「ここまでひどい迷惑を人にかけておきながら、なお『想定外』と言う自称専門家には、強い違和感を抱き」(あとがき)、「被災者の方々には、放射能と風評等と被害との因果関係の立証に困難を感じて個別の賠償請求をあきらめることのないようにお願いしたい」(はしがき)と言っています。