内部被曝/低線量・長期被爆

『内部被曝』(肥田舜太郎著、扶桑社新書)を読みました。

広島で被ばくしてこれまで67年間、6,000人以上の被ばく者と向き合ってきた95歳の内科医が著者です。

現在の放射線防護の考え方は、「放射線によって引き起こされるガンは、細胞核(DNA)の悪性の突然変異だけから発生する」という間違った仮説をもとにしている、と著者は指摘します。

1972年、カナダのアブラム・ペトカウは、「低線量の慢性的な被曝は、高線量の短時間照射よりも影響が大きい」ことを証明しました。

体内に取り込んだ放射性物質が、体内から1日24時間ずっと低線量で被曝させる影響がどんなものなのか、医学界でも無視され続けていたのです。

本書では、低線量・長期被曝に関する調査結果はふんだんにあることも紹介されています。これらの成果も「なかったこと」として無視され続けました。

一億総被曝時代になってしまった今、私たちが生まれつき持っている免疫力を弱めずに人間らしく生き、原発のない社会を一人ひとりが考え、政治を変えよう、と受け止めました。

医療保障/現行制度の消極面・弱点の克服

『誰でも安心できる医療保障へ』(二宮厚美・福祉国家構想研究会著、大月書店)を読みました。

副題に「皆保険50年目の岐路」とあります。

私は今回の震災ほど、医療が住民にとってなくてはならないものであることを如実に示したことはない、ぐらいに思っています。

本書の「序」が言うように、「医療はそれ自体が防災機能を有するわけではなく、緊急対策時において中心舞台の役割を果たすわけではない。だが、被災直後の地域・住民にとって医療はどこでも生存権保障の最前衛部隊をになった。同時に、無事生き延びた人々全員にとって、医療はラスト・リゾート(最後の拠り所)であった。避難先には、いつでもどこでも医療のスタッフ・設備が不可欠であった」。

自然災害と原発人災が重なったことで、医療のこうした面が浮き彫りに見えましたが、実は「医療は人生のあらゆる時間と場所、一日二四時間のいついかなるときにも、人間の生存に必需」なのです。

こうした医療が憲法25条に基づいて、福祉国家型医療保障として、現制度の消極面・弱点を克服するにはどうするか、その展望をはっきりと示してくれます。

もちろん、国民による「たたかい」なくしてその実現はありえません。

系外惑星/「革命前夜」

『系外惑星』(井田茂著、ちくまプリマー新書)を読みました。

系外惑星とは、太陽系外の惑星のことですが、1995年に初めて発見されたあと、2010年までの15年間に500個以上が発見され、2011年にはケプラー宇宙望遠鏡の観測の中間報告で、さらに2300個以上の惑星候補が発見された、とのこと。

まさに生まれたての学問領域です。

それにしても著者とは、同じ時期にキャンパスで話を交わしたこともありましたが、「素粒子論的宇宙論の勃興期だった。夢中になってその勉強をした。その中で、この世界、この宇宙の仕組みに触れたような気がして、世界に繋がれたような気がした。自分の内面に深く潜ることで、逆に世界に繋がれたのだ。救われたような気がした」。

そうだったんだ!

本書本文の最後のことば、「革命前夜、それが今だ」。

もちろん、宇宙と生命のナゾに迫る世界のことです。

「ホットスポット」/日本の巨大メディア

『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』(NHK ETV特集取材班著、講談社)を読みました。

はっきり言って、「ポスト・フクシマ」のジャーナリズムのあり方を示す仕事と私は受け止めました。

NHK内では、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように『原子力村』に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部、取材規制を遵守するあまり、違反者に対して容赦ないバッシングをし、『彼らは警察に追われている』『自衛隊に逮捕された』など根も葉もない噂を広げた他部局のディレクターや記者たち」。

「有事になると、組織に生きる人々が思考停止となり間違いを犯すことも含めて描かなければ,後世に残す3・11後の記録とはならないと考えた」仕事の成果です。

NHKの記者たちの仕事をNHK出版でなくてなんで講談社なの? と本屋さんでこの本を買うときに思ったのですが、そんな背景もあるのでしょうか?

共産党出版局発行で志位和夫委員長の『日本の巨大メディアを考える』と題したパンフレットでは、「いまの日本の巨大メディアの実態は、公正、公平、独立というジャーナリズムの魂を、みずから投げ捨てるものではないか。このことがきびしく問われている」と提起しています。

私もまったく同感で、この『ホットスポット』は、なによりジャーナリズムの魂がほとばしっているように感じます。

原発利益共同体/補償・賠償・除染の責任と義務

『原発にしがみつく人びとの群れ』(小松公生著、新日本出版社)を読みました。

著者は日本共産党政策委員会の政治・外交委員。副題が「原発利益共同体の秘密に迫る」。

あの震災後、「『こころ』はだれにも見えないけれど、『こころづかい』は見える」のコマーシャルがテレビを席巻しました。スポンサーである企業がのきなみ自社CMを自粛したことがその理由であることはよくわかります。

このCMは「ACジャパン」によるものでしたが、正会員リストを見ると、日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の財界御三家はじめ、日本の主要な経済・業界団体が名を連ね、“大企業の、大企業による、大企業のための広告機関”であることがわかります。

そして本書では、財界・政界・官界・学界・マスメディアの「原子力村のペンタゴン(五角形)」、別名「鉄の五角形」の奇怪で醜悪な利権構造をえぐり出します。

これらの共同体には、原発事故に伴ういっさいの補償・賠償・除染のための費用を負担すべき責任と義務があります。

原発労働

『検証 原発労働』(日本弁護士連合会編、岩波ブックレット)を読みました。

昨年(2011年)8月4日の原発労働問題シンポジウムの記録です。

このシンポは、日弁連が「人間の復興を目指して」をテーマにした震災・原発問題の連続シンポの第一回でした。

日本共産党の渡辺ひろゆき・いわき市議会議員もシンポジストとして参加し、執筆者の一人として登場しています。

渡辺市議への原発労働者の相談や、日弁連貧困問題対策本部による原発労働者への聞き取りによっても、原発労働の下請け・孫請け・ひ孫請けと人夫出しの実態があり、これによって原発の現場で働く劣悪な非人間的な労働が集中的に顕(あらわ)れていると思います。

廃炉へ向け、長期にわたる原発労働は不可欠です。派遣労働があたりまえの労働法制の抜本的改正と、原発現場で働く人たちの労働環境の抜本的改善をいそがなければなりません。

福島は訴える/普通を取りもどす努力

 

『福島は訴える』(福島県九条の会編、かもがわ出版)を読みました。

「序にかえて」と「エピローグ」を県九条の会事務局長の真木實彦・福島大学名誉教授、「プロローグ」を県九条の会代表の吉原泰助・福大名誉教授、元学長が執筆。

昨年の3月14日には県九条の会事務局会議が予定されていましたが、3月11日の大震災と引き続く原発事故による交通手段の途絶で中止になったものの、集まれる人だけでも集まり、そこでの話題から、15日には事務局長名で「この難局を力合わせて乗り切りましょう」の呼びかけをしました。

そのなかで、「生々しい見聞とご意見をお寄せください」との訴えに寄せられた意見、その後の会員の安否確認での声を聞き、大震災から3か月たった7月11日に県九条の会として「福島第一原子力発電所の『巨大人災』にあたって」と題する見解を発表。

そこでは、「九条が依拠する『平和的生存権』=『恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』の侵害という根本的次元で、戦争の惨禍と原発『巨大人災』とは共通なものがあります。それどころか、『安全神話』を振りまいて原発路線を突っ走った利権絡みの原発利益共同体と、日本を再び『戦争のできる国』にしようとたくらむ改憲推進共同体とは、人的にも思想的にも太い地下茎で繋がっており、同じ土俵に根を下ろしている」と指摘。

その後、福島が経験しつつある実態を全国に知らせ、同じ立場からこの問題を捉えることができるようにするためにこの本の企画が進められました。

くらし、子育て、なりわいを破壊され、また自治体議員や住民としてのとりくみを、生なましいあの日の体験にも触れながら、25人が記録してくれています。

私もあの日直後にたずねた多くのかたがたとの話がよみがえってきます。そして、「普通の生活」を取りもどすことに、「粘り強い努力」が政治的にどれだけ必要なものなのか、また痛感です。

現行憲法があたりまえに実践される政治をつくりましょう。

エネルギー進化論

『エネルギー進化論』(飯田哲也著、ちくま新書)を読みました。

著者は私と同じ年の生まれで、京大工学部原子核工学科で学んでいました。もしかすると、あのキャンパス内か学生食堂で出会ったりしていたのかもしれません。

大学院も京大・東大を修了後、神戸製鋼の原子力部門で働き、3年後には電力中央研究所に出向派遣され、大学時代を含めれば、10年にわたって原子力の世界を経験した人です。

本書では、「自然エネルギーのコストは高い」「自然エネルギーは不安定だ」「自然エネルギーは非現実的だ」「自然エネルギーは産業経済的にマイナスだ」「自然エネルギーも環境を破壊する」といった、原発推進派の肩をもつためとしか思えないような「お決まりの批判」への反論を序章に、これからの日本のエネルギーシフトについて、世界と日本の地域からのとりくみも紹介しながら、きわめて現実的な展望を示してくれます。

新たな福祉国家/3・11を社会再建に踏み出す日に

『新たな福祉国家を展望する』(井上英夫・後藤道夫・渡辺治・福祉国家と基本法研究会編、旬報社)を読みました。

副題に「社会保障基本法・社会保障憲章の提言」とあります。

もともと生活保障が弱かったこの日本で、充実した保障への需要が広まり、深まっているにもかかわらず、構造改革はこの分野での公的責任と施策を縮小させてきました。そのために日本社会がかつてない社会的危機におちいっていますが、この「基本法・憲章」は、この危機を福祉国家型の社会再生で克服しようとする試みの一部です。

この文書の作成作業が終わりに近づいたときに、昨年の3・11の原発震災に襲われました。この影響とそこから明らかになったことを含め、震災後にも4か月を費やしてできあがったのが本書です。

あの3・11が、福祉国家型の社会再建に踏み出す第一歩の日となるか、あるいは、足止めされていた構造改革がふたたび加速して日本社会を巻き込んだ日となるかは、まだ決まっていません。

これからの私たちの闘いしだいです。その闘いの指針になることは間違いありません。

物理の疑問

『知っておきたい物理の疑問55』(日本物理学会編、講談社ブルーバックス)を読みました。

「鉛筆で紙に字が書けるのはなぜ?」、「暗くなると色が見えにくくなるのはなぜ?」、「若い人には高音がよく聞こえるのはなぜ?」、「熱すると赤くなるのはなぜ?」、「金が金色をしているのはなぜ?」、「宇宙旅行をすると歳をとらないのはなぜ?」、「宇宙が始まる前には何があった?」などなど、身近な疑問に答えています。

「物理学を専門に仕事をしない方にとっても、物理学を学ぶことはとても価値のあることです。社会の動きは複雑です。しかし表面的な動きに気をとられて、根本的な問題に気づかなければ状況を改善することはできません。物理学を学ぶ人は、こうした問題の本質をとらえ、その改善法を考えられるように鍛えられます」。

もっと真剣にとりくめばよかった! と反省しきりですが、人生これからも勉強です。