歴史認識/東郷和彦さん

130524歴史認識

『歴史認識を問い直す』(東郷和彦著、角川oneテーマ21)を読みました。

副題は「靖国、慰安婦、領土問題」。

著者は1945年生まれで、今は京都産業大学教授ですが、東大卒業後に外務省に入省し、条約局長などをつとめ、2002年に退官しています。

本書は、尖閣問題、竹島問題、北方領土の領土問題、それに中国・韓国・台湾との歴史認識問題、そしてこれからの国家ビジョンを元外交官の体験に基づき提言しています。

「自国を自分で守る責任ある安全保障政策によって、徐々に日米同盟からの自立をめざさなければならない」、「何よりも必要なことは、日本自身が、他者の痛みを感じ、他者の苦しみを理解する謙虚さのうえに立つこと」の言葉には著者の切実な思いを感じます。

そして「戦後の日本人が造ってきたいくつかの価値」に、「日本が実施してきた平和主義があり、これを、自らの責任を果たす積極的平和主義に発展」させること、「日本自身が学びつつある、個人の人権と民族の精神文化を大切にする民主主義」があり、これらを「人類の普遍性に達する」原理として提起しています。

憲法よりも日米安保を上位に置いている日本外交を担ってきたからなのかどうなのか、直ちには同意できない記述も少なくありませんが、現実の日本外交を垣間見ることもできます。

ちなみに著者は、昨年9月20日に共産党が発表した「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」の提言後、「週刊しんぶん京都民報」のインタビューに答え、「この問題では、日本共産党の考えと同じ立場であり、私は『提言』にまったく異論はありません」と話していました(2012年11月4日付)。

憲法改正をどう考えるか/ポツダム宣言の否定

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『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(樋口陽一著、岩波書店)を読みました。

著者は、今月23日に研究者らで発足した「96条の会」の代表に就いた、日本を代表する憲法学者です。

本書では、昨年12月総選挙に先立って公にされた自民党「憲法改正草案」(2012年4月27日決定)を、憲法そのものを考える対象にしています。

著者によれば、昨年の自民党「草案」は、これまでの改憲論とは「別格の意味」があります。「国防軍」創設も重大ですが、これまでの改憲論が好んで口にしていた「欧米諸国と価値観を共有する」という意味での「普通の国」の標準からはみ出す一連の条項に、その国防軍も位置づけられている、という問題です。

現行憲法13条の「個人」を「人」に書き換えてしまうことを含め、自民党「草案」は、人類普遍の原理を否定している、という指摘は重要だと思います。現に「草案」は、前文から「人類普遍の原理」を削除し、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」とする97条も削除です。

それは、日本の自由民権運動から憲政擁護運動を経て、大正デモクラシーと無産政党の議会進出までの歴史を指して、ポツダム宣言が「日本国国民の間に於ける民主主義的傾向」と言った、その歴史の積み重ねすら拒否する、という姿勢です。

「『草案』は全体として一つの独自な考え方にのっとっておおむね注意深く編成されており、そうである以上、成り立ちうる一つの主張である。それを是とするか非とするか…私たち一人ひとりの判断にかかっている」だけに「『考え』を磨いておくことが必要です」。

医療と地域社会

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『医療と地域社会のゆくえ』(角瀬保雄監修、非営利・協同総合研究所いのちとくらし編、新日本出版社)を読みました。「震災後の国で」と副題がついています。

宮城・坂総合病院名誉院長の村口至さんは、震災前からの社会制度や政策によって、立場の弱い人々の扱われ方が、被災によっても格差・差別の構造として現れたことをつぶさに検証しています。

また、復興においても、地域で生活するうえでの基本的課題を押しのけて、震災便乗型の企画が医療分野でも「成長戦略」の名のもと、「メディカル・メガバンク構想」として´ばく進´させられようとしています。

このメカバンク構想につては、龍谷大学名誉教授で医師の上林茂暢さんが、阪神・淡路大震災後に「創造的復興」計画として打ち出された「神戸医療産業都市」にさかのぼり、地域医療やその基盤となる適切な食、居住と切り離されたゲノム創薬、再生医療といった先端医療の危うさを指摘しています。

福島・医療生協わたり病院医師の斎藤紀(おさむ)さんは、原発事故から2年たった時点での構図を、「土壌汚染」「年間積算線量、集団積算線量」「自主避難」「甲状腺がん」「低線量率持続被曝」「低線量放射線被曝の社会病理学」として描いてくれています。

ほかに、社会保障改革推進法が進める社会保障「破壊」、TPPが国民皆保険制度を骨抜きにする危険、こうした全体状況の中で、地域の潜在的な医療ニーズを掘り起こし、患者と住民の参加を通じた事業の発展を、医療における非営利・協同組織のこれからの課題として提起しています。

チェルノブイリ法

130513チェルノブイリ法

『3・11とチェルノブイリ法』(尾松亮著、東洋書店)を読みました。

1986年のチェルノブイリ原発事故から5年後の1991年にチェルノブイリ法が成立していました。実は昨年の福島県議会によるチェルノブイリ現地調査の際に、私はこのチェルノブイリ法を学んでおきたかったのですが、なかなかいい文献にめぐりあえずにいたのです。

実際に、たぶんなかったのではないでしょうか。

本書は、チェルノブイリ原発事故で支援の必要な被災地をどのように区画したのか、その根拠、被災地に住む人やとくに子どもたちはどんな支援を受けているか、被災地域から避難した人たちは避難先で生活をどう再建したか、その人たちを助ける制度・施策はどんなものなのか、被災地の人びとの声はどう反映されているのか、といった著者の問題意識から書かれています。

そのきっかけは、福島県からの避難者との出会いだそうです。

法律運用の実態を知るために著者は、ロシアの被災地でも特に汚染度が高い西部ブリャンスク州ノボズィコフ市での現地調査もかなり入念にされていることもよくわかります。

ソ連崩壊直前のソビエト連邦閣僚会議決定で「チェルノブイリ原発事故についての法案」を策定することを確認していますが、1991年にロシア、ウクライナ、ベラルーシでそれぞれチェルノブイリ法が採択されました。

本書ではロシアのチェルノブイリ法(正式名称は、ロシア連邦法「チェルノブイリ原発事故の結果放射線被害を受けた市民の社会的保護について」)をもとに検証しています。

人類哲学/共生する哲学/並々ならぬ決意

130505人類哲学

『人類哲学序説』(梅原猛著、岩波新書)を読みました。

まもなく米寿(88歳)を迎える著者が、原発事故を伴う東日本大震災が起こったことにより、書くことを決意した本です。

大震災の年の秋に、京都造形芸術大学東京芸術学舎で行なった全5回の講座の講義がもとになっています。

ものすごく簡単に言ってしまうと、原子力発電をおもなエネルギー源とする現代文明は、科学技術文明を基礎づける西洋哲学に寄っており、それは自然破壊を容認する哲学です。この哲学は、もはや未来の人類の哲学として通用しません。

今、人類に必要な哲学は、生きとし生けるものと共生する哲学であり、それは、世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の共通の思想であり、日本文化の根本思想の「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)が基本になるはずです。

日本文化については著者の50年におよぶ研究成果ですが、若き日以来中断している西洋文明、とりわけ西洋哲学を研究し、より正確でより体系的な「人類哲学」はこれからなので、本書は「序説」です。

マルクス理論に基づく哲学の位置づけは眼中になさそうなのですが、ともかく、「人間はどう生きるべきかという問題を自分の言葉で語るのが哲学」であり、ニーチェが言う「血でもって書け」が著作者としての信念だ、という著者の並々ならぬ決意を感じます。

震災直後に瀬戸内寂聴さんとの対談『生ききる。』(角川oneテーマ21)で、「傲慢の文明を反省して、自然の恐しさを知ると同時に、自然の恩恵に感謝する文明を創らなくてはならない」と言っていた、その実践です。

130506散髪

きょう散髪し、わが家に帰っておやつを食するペロ。

憲法九条と軍事戦略/描けない青写真/論議展開こそ

130430九条軍事戦略

『憲法九条の軍事戦略』(松竹伸幸著、平凡社新書)を読みました。

松竹さんといえば、私が1978年から大学生生活を送り始めたころだったかその直前までだったか、全学連委員長をされていました。その後、共産党の参院比例代表候補にもなり、党政策委員会外交部長の肩書で『9条が世界を変える』(かもがわ出版)の著作を読んでもいました。

「九条」と「軍事戦略」という、矛盾する言葉を結び付けたところが画期的だと思います。

とはいえ、なかなか難しいのは、日米軍事同盟と憲法九条という相反する考え方のもと、軍事的などんな事態がわが日本の軍事的行動に影響を及ぼすか、ということ。

青写真が描けないだけに、あくまで想定するほかないわけです。

本書では、日米安保条約に基づく「抑止戦略」では日本の平和と安全が確固としたものにはならないことを前提に、九条のもとでの専守防衛、経済制裁、安全保障共有戦略を語ります。

ちなみに先日書いた小林節さんの『白熱講義! 日本国憲法改正』では、北朝鮮による拉致問題と憲法13条との関係についての文脈ではありますが、「国家として先天的な自然権の自衛権をわが国も持っているし、人権の見地でみても、自衛隊の特殊部隊を派遣す(る)ことができるはずだ。それは9条に違反しないし、逆に、何も行動しないことこそが憲法違反である」と断じています。

ともかく、思考を停止したり、封じ込めたりすることなく、憲法論議こそ展開しないとなりません。

憲法改正/改憲論者の改憲異議

130502憲法改正

『白熱講義! 日本国憲法改正』(小林節著、ベスト新書[KKベストセラーズ])を読みました。

著者は、本書でも繰り返しているように「30年来の改憲論者」の法学博士である慶応大学教授です。それだけに、憲法9条改定や天皇元首化など、今の憲法のどこをどう変えたらいいのかを「憲法改正」論者が考えていることを知る意味では参考になります。

むしろ私が共感するのは、「憲法改正は、主権者・国民の圧倒的多数が納得した上での『改正(改良)』でなければならない。決して『改悪』であってはならない」という主張。

そしてまた、「憲法は、主権者である国民大衆が、権力を託した者たち(政治家とその他の公務員)を規制し、権力を正しく行使させ、その乱用を防ごうとする法である」、「憲法は権力者たちを縛る法であるが、それが、その権力者たちによって改正の提案がし易いものにされてしまって良いはずがない」という憲法観。

ここに「立憲主義」の本質があると私は思います。「憲法9条を守るぞ!」ではなく、「『(国家権力に)憲法を守らせるぞ!』と言わないと、権力者と大衆の位置関係がわからなくなってくる」という指摘です。

その本質が、憲法99条と96条に体現されているのだと私は思います。

ともかく私は、著者の「憲法改正」の内容に同意できませんが、憲法の見方に同意します。

130502小林節憲法改正論者

ちなみに著者は、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の日曜版4月28日付、日刊紙の4月30日付に登場し、安倍首相による「96条改憲」に厳しく異議を唱えています。

SPEEDI

130406SPEEDI

『SPEEDI なぜ活かされなかったか』(佐藤康雄著、東洋書店)を読みました。

「SPEEDI」というのは、「緊急時迅速放射能影響システム」(System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information)の頭文字をとったものです。今や「スピーディ」という普通名詞になった感があります。

著者は気象庁気象研究所を9年前に定年退職した気象学の専門家です。原発事故時には、福島市に転居して7か月目だったそうです。

著者自身、「このような事故の際に最も早く公表されるはずだと私は聞いていた」というSPEEDI。

実はこのSPEEDIは、事故発生直後、放出源情報を定量的に把握することが困難な状況では、緊急時モニタリング計画を策定するための資料としての使用が想定されていただけでした。また、放出源情報が得られた場合は、「計算により得られた予測図形を配信する。配信された予測図形は、避難、屋内退避等の防護対策の検討に用いる」とされていました(原子力安全委員会の「環境放射線モニタリング指針」)。

なので、もともと、避難住民が頭上から降り注ぐ放射性物質にまみれないように、緊急避難情報として発信する姿勢ははなからなかったわけです。やはり「安全神話」に支配されていました。

本書では、SPEEDIとはどんなものであるのか、今回の事故でなぜ有効活用されなかったのか、また「移流拡散シミュレーション」とはどんなもので、どんな可能性・効用・限界があるのか、SPEEDI情報をタイミングを失せず有効活用するにはどんなことが必要か、が述べられています。

なおイントロの第1章では、福島第二原発裁判(1975年に福島地裁で開始、1992年に最高裁で結審)で、当時から原発の危険性、大地震・大津波による全電源喪失、炉心溶融、水素爆発、放射性物質の大気・海洋への放出などを指摘していた人たちが、福島にいたことも述べられています。

宇宙と私の謎

『宇宙になぜ我々が存在するのか』(村山斉[ひとし]著、講談社ブルーバックス)を読みました。

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夜空の星ぼしを見ていると、おそらく誰もが「この大きな宇宙に私はなぜ存在するのだろう」と思うのでは?

はっきりしていることは、私たちが存在するための材料がなければ私たちは生まれていなかった、ということ。

そしてこの材料の問題が、宇宙そのものに深く関わっているわけです。

ヒッグス粒子、ニュートリノ、インフレーション宇宙、ビッグバン、暗黒物質、暗黒エネルギーがいま生きている私に関わっていそうです。

原発賠償

『原発賠償を問う』(除本理史[よけもと・まさふみ]著、岩波ブックレット)を読みました。

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原発事故による避難区域再編が昨年4月から矢継ぎ早に実施され、補償打ち切りもこれと連動しています。

東電は一見、責任を負わされているようで、株主、債権者は応分の負担を免れ、政府は原子力損害賠償支援機構法によって延命された東電の背後に隠れ、資金援助をするだけで、責任を果たそうとしていません。

そしてその一方で、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)の目的にある「原子力事業の健全な発達」が追求されているのが現実です。

まったく被災者に寄り添ったものではありません。

原発事故がなかったならば、あったはずの仕事や生活を取り戻せる施策・措置を現実のものとするために、被害に対する補償、そして将来に向けた生活再建措置は不可欠です。