定時定点/元高校教員/人のつながり/「かけはし」

小名浜での定時定点での街宣後、きのうの午後に引き続き、元高校教員の後援会員が元同僚やお知り合い宅を案内してくれました。

市内の3校で教鞭をとったそうですが、行く先ざきで、「民主党があんなざまで、共産党に期待が集中しておかしくないはずなのに」、「プルサーマルに対する知事の説明なしの導入はまったくおかしい」、「写真ではお見受けしていたが、本人が来てくれるとは」と、ずいぶんと励まされました。

実を言えば、きのうもきょうもそれぞれの地域の党後援会員とたずねて歩いたお宅のお隣だったりして、人と人とのつながりがいろいろあることを実感するしだいです。

午後は今月の通信「かけはし」をご近所240軒ほどに配布。「いつもどうもありがとうね」、「あんたが長谷部さん本人だね」と声をかけられたりして、ありがたいばかりです。

領土問題―「かけはし」11月

ロシアのメドベージェフ大統領の国後島の訪問は、大統領の「国内視察」などという問題ではありません。

日本の領土である千島をこれからも占領し続け、領有を固定化しようとする、大統領の意思表示であり、領土問題の公正な解決に反する行動と指摘しなければなりません。

 千島に関しては、1855年の日魯(にちろ)通好条約と1875年の樺太・千島交換条約で、南北千島全体が日本の領土として平和的に確定されました。

ところが、第二次世界大戦の終結時に、旧ソ連が「領土不拡大」の大原則を踏みにじって千島列島の獲得を企て、対日参戦の条件としてアメリカ、イギリスなどにこれを認めさせ、講和条約の締結も待たずに千島列島を自国の領土に編入し、しかもその際、北海道の一部である歯舞群島、色丹島までも編入したのです。

そしてアメリカは、サンフランシスコ平和条約第二条c項で、日本に千島列島の放棄を認めさせました。

これまでの自民党の「北方領土返還」の主張は、「千島列島は放棄したから返還は求めない。南千島(択捉、国後)と歯舞、色丹の四島は千島ではないから返還せよ」というもので、国際的に通用するものではありません。

この問題の解決のためには、千島放棄条項を不動の前提とせず、第二次世界大戦の戦後処理の不公正をただす立場に立って、領土交渉をすべきです。

 尖閣諸島の問題では、なにより、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国に対して、理をつくして主張することです。

1895年1月14日の日本政府による閣議決定が、尖閣諸島に対する最初の領有行為でした。これ以来、中国側は75年間、一度も抗議をしていなかったのです。

日中国交正常化以来、歴代の日本政府が、本腰を入れて日本の領有の正当性を主張してこなかったことが問題です。

自宅近く/期待はずれの二大政党/びっくりつながり

土日に何があろうと、月曜朝を自宅で迎える限り、そして県議候補を予定している限り、自宅近くの定時定点の街頭からの訴えは欠かせません。

しかもここは、市場(いちば)から平・内郷方面へ帰るかたが少なくなく、私の自宅の近所から通勤で通るかたが少なくないことが、訪問して歩いて判明している場所なのです。

午前中は小名浜地域の医療生協職員自宅を訪問。職員のご家族にお会いできる機会です。これまでも何度かお会いしていた親御さんは、「いくつかサークルで声をかけておきたい」と、私のリーフレットをあずかってくれました。

途中、病院関係で長いおつき合いの事務長さんをたずねました。「二大政党に期待したが、まったくの期待はずれ。共産党の言うことがいちばんまともで、実際に地域で働いているのも共産党。名前で損していると思うが、がんばってほしい」と、職員のみなさんにも紹介していただきました。

午後は、元高校教諭の党後援会員が元同僚などのお宅を案内してくれました。高校教諭がご自分の政治的意志を示すことはなかなかない、というのは、ここ10年の私の体験でも感じてはいるのですが、「ウチは夫婦で2票、隣りにも声をかけるから」とおっしゃるかた。数十年のおつき合いで初めて、と案内してくれたかたが「画期的」とびっくりしていました。

またあるお宅は、以前に元小学校教諭の党後援会員とたずねていた教え子のお宅。そのお宅でも、きょうごいっしょした元高校教諭も、あとで連絡した元小学校教諭も、「こんなつながりがあるなんて」とみんなびっりくしていました。

原発抜きの温暖化対策

『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』(吉井英勝著、新日本出版社)を読みました。

著者が小学生のころ、京都市立勧業会館でアメリカの「原子力平和利用展」が開かれ、原子力平和利用に夢を持ち、京都大学工学部原子核工学科に学び、技術屋としてコンビナートなどの災害や環境問題ととりくみ、堺市議3期、大阪府議1期、参院議員1期を経て、現在衆院議員7期目を務めています。

技術者として仕事をしていたころから環境、原発、再生可能エネルギー、防災のテーマにとりくみ、議員になってからは産業や地域経済の問題意識が加わり、そして自治体財政や住民福祉の基盤の安定の課題が重要な部分を占めるようになり、そのすべてが相互に結びついている、というのが本書を貫く大テーマです。

とりわけ第3章の「原発依存は危なすぎる」は、国会の場を通じて明らかにされる原発行政の「安全神話」や原発推進のしくみを浮き彫りにする圧巻の章だと思います。

会議2日目/いわき九条の会/渡辺治さん

全県地方議員学習交流会議の2日目は、きのうの3報告も受けて、参加者の討論。私も前回県議選後を振り返りつつ、この間の有権者のみなさんと話してきて感じたことと来年への決意を語りました。

正午に終えるや、いわきからの参加者は、「いわき九条の会5周年記念秋の講演会」へ直行。この企画が決まってからずっと楽しみにしていたのです。というのも、講演者の渡辺治さんは、私が大学卒業後、東京で暮らし始めてから、最初に接した憲法研究者だからです。

おぼえているのは私のほうだけですが、25年前の当時から、渡辺さんの日本政治の見方や憲法政治への熱情には、ずっと引かれ続けていました。

きょうのテーマは「民主党政権のもと さて、どうなる? 私たちの憲法・くらし」。

菅民主党内閣になり、自民党との大連立で日米同盟強化、構造改革政治がいっそう進められる可能性と同時に、反貧困・反構造改革の運動を地域から広めることで、憲法9条・25条を実現する展望の話は、たいへんに勇気づけられました。

身近で安心できる医療/全県地方議員学習交流会議

午前中、ちょっとした用事があり、その近所の観光地の社長さんをたずねました。たまたま話はいわきの医療におよび、身近な人たちが市外の病院に行かざるを得なかった実情や、ご本人の不安が話題に。医療とはほぼ無縁に暮らされてきたようなのですが、「やはり身近で安心できる医療が受けられる条件をつくるのが政治の仕事」と。

いただいた珍しい魚。翌日のわが家の食卓で。

午後からは猪苗代町で全県地方議員学習交流会議があり、県議予定候補の私も参加。

党中央自治体局次長の金子邦彦さんが来年のいっせい地方選挙へ向けた政策論戦、久保田県委員長が選挙にあたっての具体的なとりくみ、神山県議団長から県民の暮らしと市町村政に冷たい現県政の報告。

それぞれがたいへんに準備された話であり、勉強になりました。

夕食交流会での県内議員のみなさんからの元気な話も愉快でした。

定時定点/病院、介護事業所など訪問

きょうの定時定点の街頭からの訴え時も、初めて目を合わせるようなドライバーのみなさんから、手を振ってくれての声援。もちろん、話を交わしたわけではないのにすっかりなじみのかたがたからも。

小名浜生協病院の管理部職員が休暇をとってくれ、知り合いや病院、介護事業所などをいっしょにたずねて歩きました。

介護事業所では、特別養護老人ホームでも、老人保健施設でも、居宅介護支援事業所でも、異口同音に「いったい何のための政権交代だったのか」という話。

利用者にとっても、事業者にとっても、自公政権時代と何も変わらないばかりか、自公政権時代に検討されていた「改悪」の方向だけが見えてきて、現場の声がほとんど生かされていない、の懸念の声が圧倒的です。

障がい者事業所でも、医療機関でも、政治の仕事がまともにされていないことは、民主党政権の今の外交姿勢や「政治とカネ」にとどまらない、あまりに広範に渦巻いている、と実感しました。

と同時に、医療・介護の現場の声をまっすぐ生かした政治を実現してほしい、と強く訴えられました。

写真はいずれも本文とは無関係です。

あしたから1泊の全県地方議員学習交流会議に参加します。

朝の感動/若松光一郎展/予防接種

4時半起床で「しんぶん赤旗」日刊紙配達。6時25分から10分間のテレビ体操。

朝食後、7時35分から55分までの20分間、定時定点の街頭からの訴え。初めて目を合わせるんじゃないかと思えるかたがたが運転席から手を振ってくださる姿は、私にとってはたいへんな感動です。

午前中、いわき市立美術館で開催中の「若松光一郎展」を妻と鑑賞しました。この美術館での個展から25年、没後15年を記念しての回顧展です。12月15日まで。

音楽の記号や大作曲家の曲目名をテーマにした絵にはちょっと引き込まれました。具象画から抽象画へと転向した経過も解説されていますが、現時点での私の理解の範疇外です。

インフルエンザ予防接種もしてきました。

日ロ領土交渉の根本的再検討/プルサーマル反対集会

共産党の志位委員長はきのう、日ロ領土交渉にあたって、歴代政権の方針の根本的再検討を求める申入れを菅首相あてに行ないました。

日ロ領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時のスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にあります。バルト3国の併合、ポーランドの一部地域の併合もそうでしたが、ほとんどが解決しているのに、当事国が批判しないまま今日まで残されているのは千島列島だけです。

申入れの趣旨は、1945年2月のヤルタ会談で千島列島をソ連に引き渡す秘密の取り決めと、これを追認してサンフランシスコ条約2条c項で千島を放棄した条項を不動の前提にしないで、条約そのものを根本的に再検討すること、そして、日ロ両国間で平和的に確定された国境線を歴史的に再検討し、それを交渉の土台にすべき、ということです。

きょうは夕刻、プルサーマルに反対するいわき地区連絡会による「プルサーマルに反対するいわき市民集会」がありました。いわき地方労平和フォーラム、いわき市労連、小名浜地区労、いわき地区交運共闘の4者が中心に準備を進めた画期的集会とデモ行進でした。

すぐに過ぎる20分/新鮮対話/「広めて」と

朝は小名浜での定時定点の街頭から。菅内閣支持率低下と外交・領土問題、「政治とカネ」問題、言ってることがバラバラに聞こえる閣僚のこと、いったい党として日本の政治をどうしたいのか、はなはだ不透明な政権の姿を語っていると、20分はすぐに過ぎてしまいます。

午前中は平の農村地域の後援会員とご近所を訪問。その後援会員のお子さんと同世代の若いご夫妻と出会えました。「あら~、○○ちゃん?」と話が始まり、「選挙は自分の判断で政治をこうしてほしいと投票したい」、「地縁・血縁投票が政治を悪くした気がする」、「来てもらってよかった。また話に来てください」など、新鮮な対話です。

午後は私の同級生・同期生・知り合いをたずね、リーフレットを広めてほしいとお願いして歩きました。開業医、パーマ屋さん・理髪店、介護事業所役員、動物病院、同級生実家、病院勤務医、ジャーナリスト。途中、中学時代のブラバン仲間とばったり会ったりして。

歩いてまわっていると、ご家族と会えて話ができたりもして、ほんとうに楽しく、励まされます。