「どうなるの?」/放射線量の発表

訪問して歩く先で、顔をあわせるなり「どうなるの?」がほぼ間違いない第一声です。

原発事故や放射能汚染のことです。

最近になって、「1年間に1ミリシーベルト」が一般の人たちの線量限度であることが「正しく」言われ始めました。一方で原子力安全委員会が5日、「20ミリシーベルトに引き上げるべきか検討を始めた」という話が出てきました。

これまでは、各地の環境放射線測定値が発表されると、「目安として、1回の胃のエックス線検査で受ける放射線量は600マイクロシーベルトです」といったことや、「現在の数値はただちに健康に影響はない」とよく聞かされました。

けっきょく、はっきりしていることは、今回のような原発事故はぜったい起こらないので、そのときの対策は考えない、というこれまでの国策です。

ともかく、被ばくする放射線量について、「いっぺんに被ばくした場合なのか、累積した被ばく線量なのか」、「空気中からの外部被ばくだけの線量なのか、水や食料や吸引を通した体の内部からの被ばくも含まれる線量なのか」、「その数字が出た場合に私たちはどんな行動が必要なのか」、こういうことがわからないデータ公表は、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と言っているだけに聞こえて、「じゃ、あしたはどうなるの? けっきょくどうしたらいいの?」の不安をかきたてるばかりです。

死者数と不明者数/入学式/お見舞いと激励

きょうの午後4時現在でのいわき市災害対策本部発表によると、市内での死者数は285名、不明者数は82名、あわせると367名です。

不明者数は3日前まではずっと「調査中」でわかりませんでした。4月4日に初めて70名と発表されました。12名ふえています。

きょうは公立小学校で市内いっせいの入学式でした。教師にとっても、親にとっても、原発事故の不安を抱えながらの実施でした。さまざまな思いを去来させながらのきょうだったことは間違いありません。

内郷地域では、党と党後援会として、地域の人たちにみそ汁を配ったり、来週11日の原発事故と放射能問題についての学習会の案内をしたり、街頭からお見舞いと激励をするいっせい行動をしました。

私は街頭からの話です。

大地震と大津波、原発震災と、いわき市民すべてが被災者です。そのお見舞いと、亡くなられたかたがたへのお悔やみ、そして原発震災は、想定外などではなく間違いのない人災であること、原発に頼らないエネルギー政策への転換、防災・福祉のまちづくりこそが復興の指針にしなければならないことをお話して歩きました。

写真スタジオ・運送会社・卸問屋・ラーメン屋/前向き

【小名浜港の埠頭】

少し街中を歩きました。

室内や設備に被害がないかちょっと心配していた写真スタジオをたずねたら、ちょうど、入園式を終えた子どもと両親が、おもちゃ遊びをする子どもを真ん中に撮影中。その様子を目にした瞬間、久しくもちえなかったなごやかな気分になれました。

マスターいわく、「撮影することを通して、住民のみなさんが日常を取りもどす手助けをしたい。それぞれの立場で日常復興の支援の仕方は違うが、いっしょにがんばりましょう」と。

運送会社の営業所では仕事は半減。「トラックが全部流された会社もあると聞くから、ウチは幸運とも言えるが、比重が大きい原発立地地域の集配のめどがたたない」と困惑気味です。

【県港湾建設事務所前】

食品・日用品の卸し問屋さんが言うには、今でもいわき市へ納品しに来ることをさける業者もあるとか。また、地元の小売店舗が営業再開に動き出したタイミングで、市が支援物資の一般市民向け配給を始めたことに困惑が広がった、の話はたしかに難しい問題です。

配給場所に出かけられる人は、小売店舗にも出かけられるわけです。出かけられずに家の中にとどまらざるを得ない高齢者や障害者にこそ、物資が届けられないといけないはずです。彼もそう言っていました。

ラーメン屋さんには、津波で家を流されたかたが何人か来るそうです。明るく語ってくれる人ばかりだそうで、元気と勇気を分け与えてもらっている、とマスター。

道のりがけわしいことは間違いないとみんなが承知していますが、前を向いて、励ましあいながら進みたいと思います。

【港湾労働者福祉センター前で 宮川県議と】

写真はすべてきのう。

メール/尽きない話/小名浜港湾の実態

先日たずねた避難所に避難されていたかたからメールがあり、自宅をたずねました。

本人は畑作業に出かけており、お母さんとしばし。「この年になってこんな恐ろしい出来事に出会うとは思わなかった」と、あの日の様子、この家を残してくれただんなさんの話、市外在住の娘さんがまもなく来てくれる話など、尽きる様子がありませんでした。

息子さんがいる畑の場所を教えてもらい、行くと、その場で1時間半にわたっての立ち話となりました。農政のこと、原発のこと、政治のこと、ご自分の仕事探しのこと、ほんとうに話さないではいられない境遇のお一人だったと思います。

困難ななかでも、前向きの姿勢でいっしょにがんばりましょう、と言うほかありませんでした。

【県港湾事務所】

午後は宮川県議と全港湾労組、県小名浜港湾建設事務所をたずねて実情や要望をお聞きしつつ、港湾の様子を見てまわりました。

港湾建設事務所は津波の直撃を受け、市の小名浜支所の部屋を間借りしていました。

小名浜港を面前にする企業群、下請企業、トラック業者などが、原発の影響も加わり、操業再開のめどが見えないばかりか、働く人たちの職場が失われかねない実態です。

国による一刻も早い救済措置が求められる小名浜港湾の実態です。

【3号埠頭】

新入生の学生服/縄文干し/船を降りて原発

【江名魚市場のガレキ】

江名(えな)地域のかたで、間接的に無事を確認できているお二人をたずねましたが、出払っていました。二人のことなので、元気に仕事やボランティアに出かけているものと察しました。

津波の被害を直接受けた江名漁港前の様子をうかがいました。もちろんどこも片付けの真っ最中です。

呉服店のかたは、「避難が呼びかけられたとき、なによりもなくしちゃいけない、と思ったのは注文を受けていた中学新入生の学生服。金庫や通帳は行方不明。この建物も2・3階は大丈夫だし、何とか再開したい。1階はいろんなものがやられてしまっていて、回復できるかどうかの点検や、修繕などで支援がほしい」と。

すぐ隣りの商店でも、「1階はこのとおり全滅だが、すぐ隣りの家に傾いたわが家が寄りかかっている状態で、すぐにでも解体して二次被害を防ぎたいが、自力でできるわけでもなく、業者にすぐお願いして自己負担でできるわけでもなく。まもなく、行政の点検は来てくれる思うが。なんでもしてほしいとは思わないが、こうした被害救済のしくみはぜひ考えてほしい」と。

やはりすぐそばの丸源水産食品。冷蔵庫が津波の直撃を受け、「事業をやめようと思う」と。被災直後に、「縄文干し」の無料提供をしたのも、保管する手段がなくなり、食べたい人の手元に早く渡したい、との思いから。

この「縄文干し」は、浜通り医療生協でも組合員の人気商品であるばかりでなく、『丹精で繁盛』(瀬戸山玄(ふかし)著、ちくま新書、07年12月刊)でも最初に取り上げられています。

この際、私は、この「縄文干し」をなくさないで、の支援を市内ばかりでなく全国から集中してほしい、と強く思います。

【中之作漁港】

江名の隣りの中之作(なかのさく)漁港も津波直撃。まん前の商店にお2人のおばあさんがいるので寄ると、「津波で店の中の冷蔵庫が倒れていた」とのこと。

【中之作 鉄工所】

話が政治に及び、「政治家はこういう現場をちゃんと見てよ。そのうえでなにが対策として必要か考えなさいよ。原発だっていっしょ。この地域の船の人間は、船を降りている時期は原発で働く人が多い。生活とお金のため。だけど、原発はやめたほうがいい、って言う人も多かった」と。

原発をめぐっても、日ごろはなかなか聞けない話が出てきます。

被災写真/アクアマリン/残される爪あと/ペロの散歩

市内被災の実態を医療生協職員のみなさんにも知ってもらおうと、大地震後に撮り続けてきた写真をまとめ、医局はじめ職場に3部ほど渡してきました。

【アクアマリン 海側から】

【アクアマリン 建物入り口付近】

被災後、ずっと気になっていたアクアマリンふくしまの様子を見に行きました。市外・県外ナンバーの車が次つぎとやってきていました。

【改札付近外側】

【蛇の目ビーチ】

【金魚が生きている ! 】

なんとか早く再開してほしい、という願いをもっての訪問のように私には見えました。

【小名浜漁港】

【1、2号埠頭間】

【臨港道路沿い】

【臨港道路沿い電柱】

近くの臨港道路沿いも、隣りの小名浜漁港も、大津波の爪あとは残されたままです。

市民いちがんとなって復興へ向けてがんばりたい気持ちです。

午後、わが家の中に閉じ込めっぱなしにして、ず~と申し訳なく思っていたペロを、ほんとうに久しぶりに県立いわき公園への散歩に連れ出しました。

いつものコースはがけ崩れや道路の陥没で入れませんでしたが、3度もウンチをして、気分爽快だったに違いありません。

公園近くには、公民館前の空き地に、災害派遣で来ている自衛隊がテントを張って寝泊りしているようです。連日、市内を走り回っている隊員のみなさんには感謝です。

「地震がわかる」/身近な人の悲劇/生き残った私たち

手元に、2002年11月発行のAERA Mook『地震がわかる』(朝日新聞社)があります。

そのなかで、石橋克彦さん(神戸大学都市安全研究センター教授、当時)が「人類の破局的災害『原発震災』を回避するには」を書いています。

「突然激しい地震の揺れに襲われると、機器・配管系のあちこちに損傷が生じて、冷却水が大量に漏れたり、『止める』ための制御棒が動かなかったり、『冷やす』ための緊急炉心冷却装置が働かなかったりする恐れがあります。電源を含めて多重防護の仕組みになっていますが、ある目的の多重システムがすべて故障する場合も考えられます。/その結果、最悪のケースでは、核分裂連鎖反応の暴走や、炉心の核燃料の溶融という重大事故が生じます。それらは、水蒸気爆発や水素爆発、さらには核爆発にもつながり、『閉じ込める』はずの多重構造が破壊されて、炉心の莫大な死の灰が外部に放出されることになります」。

いま、私たちが目の当たりにしている事態をものの見事に言い当てています。この本も参考に議会での質問を準備したことを思い出しました。

きょうも小名浜の医療生協組合員、小・中同級生宅、ショッピング街をたずねて歩きました。海にも比較的近い地域で、隣りの家まで床上浸水だったり、庭先まで津波の海水がやってきていたり。そして当日の身近なかたがたの悲劇はほんとうにやりきれない思いです。

が、「生き残った私たちががんばらないでどうする!」とみなさん。

【近所の屋根瓦の修理】

原発建屋爆発後に避難し、避難先から帰ってきたばかりのかたも少なからず。

これまでの原発推進政策やこれを支えてきた政治家をきびしく非難し、福島原発の廃炉、エネルギー政策の転換を求める声はきわめて強く感じます。

【病院支援米】

配湯会社/設備壊滅/「顧客以外は話せません」

【下神白筒地(しもかじろ・どうち)】

13日前にたずねて、20リットルのポリタンク2缶分の水をいただいてしまった高校恩師宅にポリタンクをお返ししたり、その近所の水道管業者をたずねたり、小名浜の包括介護支援センターに寄ったり、医療生協の総代さん宅をたずねました。

そのなかで私が初めて知ったのが、小名浜の1200戸ぐらいでは、小名浜配湯株式会社からお湯を直接「配湯」されていた、という事実。

もちろん、料金を払ってのことですが、1970年から一般家庭、旅館、ホテル、大衆浴場、飲食店、理容店などが利用していました。その多くは、水をお湯にする設備は持っていないのです。

その配湯が来年11月にはなくなる、という話の矢先、今回の大地震で設備が壊滅し、前倒しでお湯が来なくなってしまった、というわけです。

市に出向いても、「この事業は国の管轄で、市としては何の権限もなく、せいぜい、住民の納得を得てほしいし、そのための説明会を開いてほしい、と耳打ちするぐらい」とのこと。

こうした事業があること自体、初めて知りましたが、会社をたずねて住民の不安を伝えたら、「顧客以外のかたには話せません。行政指導も受けて、顧客のみなさんにはお知らせします」とのこと。

何の対策・補償の話もないままでは、住民の納得は得られるはずもありません。

【小名浜大原の家】

水/原発事故/東電社内と住民/広報車

きのうは「チョロチョロ」だった水道水が、きょうは3・11以前と同様に復旧しました。この18日間、ポリタンクやペットボトルその他にはほんとうにお世話になった、という思いです。白いポリタンクは、高校の恩師宅をたずねた際、「ウチは水道が復旧したから、この水を持ってけ」とあずけられたもの。12日前のことです。あしたにでも返そうと思います。水はほんとうに大事です。

避難所をたずねていたら、高久(たかく)小学校で、地元に住むいわき市農業委員会会長とばったり。「数日前に、災害対策本部前で宮川さん(県議)と高橋さん(市議)とばったり会ったんだ」。「原発事故に関わる農業の補償ははやくはっきりさせてほしい。それにしても原発事故は共産党の言うとおりの事態になったと思っている。立場はいろいろあるが、がんばってもらいたい」と。

小名浜地域の医療生協関係者や事業所をたずねました。いろいろ教訓めいた話がいっぱいです。

孫の友だちの東電社員が、建屋爆発直後に、「2~3日後には最悪の事態の可能性がある」と言っていて、家族で市外・県外へ転々と避難されたかた、お連れ合いの弟の東電社員が「いわきからは避難したほうがいい」と言われ、避難所生活から親子で県外へ避難したというかた。

東電社内のどういう情報かは定かでありませんが、いわき市住民に伝わる全国情報とはかなりのかい離があったと言うほかありません。

また、小名浜の海岸に近いところにお住まいのかたは、「地震後に、広報車がまわっていたが、何を言っていたかわからず、家の水が出なくなったので、断水情報かと思っていたら、隣りの人が会社から帰ってきて、津波が来るから避難しよう、と言われ、初めて津波が来ることを知った」と言うかた。

ほんとうに危機一髪というほかありません。

こうした現実をしっかりと受け止め、市民に寄り添う行政とはなんなのか、人減らしを進めればいいのか、しかと考えるべきです。

入浴送迎/放射能汚染への不安/いわき海星高/義捐金

平工業高校体育館の避難所からの入浴送迎バスを午前9時半に見送り。

わが家でも、けさから水道水が「チョロチョロ」と出始めました。

きのうから再開したせいきょうクリニック、先週金曜日に再開している岡小名デイサービスに寄りました。デイサービスでは、職員が地震当日の体験を利用者に語っていました。祖父母が津波にさらわれる直前、いっしょに必死に逃げていたかたに助けられた話は、涙なしには語れませんでした。

午前中は小名浜岡小名地域の医療生協総代など組合員宅を訪問。多くのかたが「放射能汚染」への不安を語ります。「家の中に閉じこもるのもいやだから、こうして庭いじりや野菜を植えている」、「原発建屋が爆発したとき、庭の畑の野菜をビニールで囲った」、「小さな子どもたちは心配だけど、もう私はいいよ」、「原発は終息するのかしないのか、何が最悪の事態なのか、政府発表ではわからない」などなどです。

【海星高校実習室】

訪問途中、海岸沿いのいわき海星高校にも寄りました。毎日片付けにきていると言う教員は、「はやく重機なり自衛隊なりに入ってもらわないと、流された車や瓦礫の山はまったく手付かず」と疲弊しきっています。

【海星高校津波被害】

海の人を育てる実習室は津波が貫通し、決壊した堤防が建物を襲っています。

午後は江名(えな)小学校体育館の避難所をおとずれ、様子をうかがいました。

きょうは、これまでに全国から党中央に寄せられた救援・救済募金から、500万円をいわき市長に手渡し、懇談しました。