水/原発事故/東電社内と住民/広報車

きのうは「チョロチョロ」だった水道水が、きょうは3・11以前と同様に復旧しました。この18日間、ポリタンクやペットボトルその他にはほんとうにお世話になった、という思いです。白いポリタンクは、高校の恩師宅をたずねた際、「ウチは水道が復旧したから、この水を持ってけ」とあずけられたもの。12日前のことです。あしたにでも返そうと思います。水はほんとうに大事です。

避難所をたずねていたら、高久(たかく)小学校で、地元に住むいわき市農業委員会会長とばったり。「数日前に、災害対策本部前で宮川さん(県議)と高橋さん(市議)とばったり会ったんだ」。「原発事故に関わる農業の補償ははやくはっきりさせてほしい。それにしても原発事故は共産党の言うとおりの事態になったと思っている。立場はいろいろあるが、がんばってもらいたい」と。

小名浜地域の医療生協関係者や事業所をたずねました。いろいろ教訓めいた話がいっぱいです。

孫の友だちの東電社員が、建屋爆発直後に、「2~3日後には最悪の事態の可能性がある」と言っていて、家族で市外・県外へ転々と避難されたかた、お連れ合いの弟の東電社員が「いわきからは避難したほうがいい」と言われ、避難所生活から親子で県外へ避難したというかた。

東電社内のどういう情報かは定かでありませんが、いわき市住民に伝わる全国情報とはかなりのかい離があったと言うほかありません。

また、小名浜の海岸に近いところにお住まいのかたは、「地震後に、広報車がまわっていたが、何を言っていたかわからず、家の水が出なくなったので、断水情報かと思っていたら、隣りの人が会社から帰ってきて、津波が来るから避難しよう、と言われ、初めて津波が来ることを知った」と言うかた。

ほんとうに危機一髪というほかありません。

こうした現実をしっかりと受け止め、市民に寄り添う行政とはなんなのか、人減らしを進めればいいのか、しかと考えるべきです。

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