定時定点の感激/奈良ボランティアのみなさんと訪問活動/「共産党だけ」と

火曜日朝は小名浜での定時定点。

歩道を自転車で通りかかったかたが、自転車を降り、「いつもご苦労様です。ぜひがんばってくださいね」と。「旗持ち」をしてくれている後援会員に声をかけてくれたのですが、いたく感激です。

きのうの夕刻、奈良県からボランティアに来てくれたみなさんと、私の地元の郷ヶ丘地域を訪問し、要望を聞きました。

「こんなことをしているのは共産党しかない」という声が象徴的ですが、ともかく、みなさんは、3月11日からのしばらくの断水とガソリンスタンドやスーパーやコンビニの休業のなかで、原発事故後、自宅から避難するわけにはいかなかったかたがたのたいへんな状況は、私も同じ境遇でしたが、あれから3か月がたった時点で、お知り合いなどと話を交わしたこともあり、政治家や政治に対する爆発寸前のお話など、「聞く」ことがはなはだ重要です。

ほんとうに、共産党しか、こういう切実な声を聞いて歩くことをしていないのは、情けなく感じます。はっきり言って、「マスコミに乗って選ばれる政治家」が圧倒的多数になってしまった政治の貧困をみる思いです。

政治家を「政治」で判断せず、「マスコミに出た」「二大政党とマスコミが言っている」「共産党はマスコミに登場しない」という、およそ自分の暮らしとか憲法とかの政治と無縁の世界を政治に持ち込んだ責任は誰がとるのでしょう?

政治や行政は税金で行なわれ、住民の暮らしを支えるはずの仕事です。その政治を住民があきらめたら、税金はいよいよ住民の暮らしのために使われなくなります。企業献金と政党助成金で運営している政党のために使われ続けることになります。

なんとかしましょうよ、みなさん! 企業献金にも政党助成金にも無縁なのは、共産党しかないんです。日本政治の現実です。

地震による液状化で自宅が全壊したかたに支援物資も届けました。

勉強会の仕込み/誰もが判断できるように

月曜日朝は、2か所で定時定点の街宣。

きょうは、これからの勉強会の仕込みの作業をしました。

福島原発事故が明らかにしたことを中心に、原発撤退と自然エネルギーの本格的導入に、国家として進むべきことを考える材料です。

妻が平日の休暇日で、久しぶりに私の高校同級のラーメン屋さんで昼食。

食べ物を提供する仕事だけに、水道水や食材の放射能汚染はどの程度なのか、不安を語っていました。

そうした情報が的確に提供されて、ダメなものはダメ、安心なものは安心、と誰もが判断できるようにならないのか、と。

当然の話です。

原発の40倍の資源量/「資源大国」日本/再開要請?

日本の原発54基の総発電能力は4885万キロワットだそうです。

今年4月に公表された、環境省が昨年委託した「再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査」の報告書によると、太陽光発電(非住宅系)・風力発電・中小水力発電・地熱発電だけで、実際のエネルギーとなりうる資源量は20億キロワットを超えるとされています。(導入ポテンシャルだけ抜き出して私が作表しました)

原発54基分の40倍以上です。

これに、ドイツが力を入れているバイオマス、また「波力発電」「潮力発電」「海洋温度差発電」など、「海洋大国」日本にふさわしい海洋エネルギーの活用などを考えれば、なにやら日本は資源大国にもなりえます。

昨年は、世界全体で見ると、自然エネルギーのクリーン御三家(風力、太陽光、バイオマス)の総発電量が、原子力による総発電量を追い越したんだそうです。

日本では、国や電力会社や御用学者がメディアを通してたれながす情報に「洗脳」され、原子力以外に選択肢がないかのように思わされていなかったでしょうか。

どうも日本はとり残されています。原発に依存し続けてきた日本の政治の遅れに原因があると言わざるをえません。

日本は、国家として、自然エネルギーの大きな可能性に挑戦するときです。

産業界の言いなりで、原発「安全神話」からちっとも抜け出せない海江田万里経産相の停止原発再開要請は、情けないほど論外です。

けさはペロと近くの神社に散歩です。

憲法街宣再開/今までにない雰囲気/きのうは金曜定時定点再開

震災前までは、毎月第三土曜日の午前中に実施していた憲法街宣を再開しました。

これは「日本国憲法を守るいわき市共同センター」の呼びかけで、市内各地の「九条の会」がいっせいに実施していて、小名浜では「浜通り医療生協九条の会」が主体です。弁士は私がしています。

いつものスーパー前ですが、駐車場から出て夫妻で車の中から手を振っていってくれるかたがた、歩道を歩いて手を振っていってくれるかたがた、店舗から出て車にもどらずに聞いてくれるかたがた、店舗に入る前に手を振っていってくれるかたがた。

今までにない雰囲気です。

私も今までになく熱が入り、原発をゼロにする期限を決めた計画が必要なこと、そのための国家としてのエネルギー政策の転換、原発事故による全面補償の実現、復興のための新たなまちづくりの指針が憲法25条と9条にあること、なおかつ、復興は被災地住民の意思と合意を前提にすべきこと、財源は大企業がため込んだ内部留保を活用するために大企業にこそ増税をする政治決断が必要なことなど、かなりじっくりと、40分ばかり。

午後は、震災で1か月の遅れとなった医療生協総代会へ向けた議案を審議する理事会に参加しました。7月30日の総代会開催のため、7月9日にもう一度、理事会があります。

きのうの金曜日は、これまた震災後、できていなかった平(たいら)の神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで、朝の定時定点街宣を再開しました。

科学史年表/楽しく軽やか

『科学史年表[増補版]』(小山慶太著、中公新書)を読みました。

大震災直前に発行された増補版です。

私が生まれた年(1959年)、ソ連のルナ3号が初めて月の裏側撮影に成功、2年後にはガガーリンが乗ったボストーク1号が有人宇宙旅行に成功、66年には2月にソ連のルナ9号、6月にはアメリカのサーベイヤー1号が相次いで月に軟着陸、私が10歳になった直後には、宇宙船アポロ11号に乗ったアームストロングとオルドリンの2人が人類として初めて月に立ちました。

昨年は、03年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」が、トラブルの連続を乗り越え、総飛行距離60億キロメートルの旅を終え、小惑星イトカワの岩石サンプルをカプセルに詰めて地球に帰りました。

ワクワクしてしまいます。

ともかく本書は、物理学と天文学の事項が多くはありますが、人間が、自然を解明する方法やその成果の受容の仕方など、自然に対峙する姿勢、認識の仕方がある程度鮮明に、本質的な変貌を遂げた17世紀からこれまでの400年あまりの旅を、楽しく軽やかな気分で味わえます。

原発事故と放射線/NHK記者・解説委員

『福島第一原発事故と放射線』(NHK出版新書)を読みました。

著者の3人は、事故以来、連日、NHKの画面に登場し続けた解説委員と記者です。

冒頭の「ドキュメント48時間」は、文字通りの「緊迫の放送センター」で、当時は私も、朝と夜はずっとテレビ漬けでしたから、緊張感がよみがえってしまいました。

情報過疎のなか、公共の電波に乗せる言葉をどう発するか、あのときの表情は切羽詰った気持ちが裏にあったんだなぁ、苦労しただろうなぁと思います。

視聴者からさまざまな疑問や質問も寄せられたと思います。放射線の健康への影響や、原発事故にかかわるそうした疑問にも、記者としてていねいに答えてくれています。

03年には民主党が原子力発電を「過渡的エネルギー」と位置づけていたのに、いつのまにやら自民党以上に原発を推進する方向に転換した点もきびしく指摘しています。

今後の国としてのエネルギー政策について、国民的な議論を具体的にできるような提言もしています。

放射線の人体影響を考える材料として

勉強会で、参加者といっしょに、「放射能と人体影響」について考えるための材料として書いた資料です。これ以上、字数をふやせませんが、加除訂正を加えていきたいとは思っています。ご意見・ご批判を!

①  これまで、放射性物質が原発から漏れ出す事故は「ぜったいない」という「安全神話」のもとで原発がつくられ続けてきたので、私たち住民が原発・放射能・放射線障害・放射線防護について知る機会はありませんでした。

②  「放射線」を出す物質を「放射性物質」といい、放射性物質が放射線を出す性質を「放射能」といいます。

③  放射線のなにが問題かといって、原子から電子をはじき飛ばし、原子と原子の結びつきを不都合にしてDNAを切断し、その量が多いと細胞を死に至らしめることです(→急性障害・確定的影響)。あるいは細胞が突然変異を起こし、その蓄積が障害を引き起こすことです(→晩発性障害・確率的影響)

④  細胞の放射線感受性は、細胞が未分化なものほど、細胞分裂が盛んなものほど、細胞の一生のうち分裂期間が長いものほど高くなります。子どもが大人よりも放射線感受性が高い理由です。胎児がもっとも問題になります。

⑤  幸いなことに、生体には、切断されたDNAや細胞を元通りにする修復機能が備わっています。

 

⑥  もともと自然界から受けている放射線量は、日本人一人当たりの平均は年間1.5㍉㏜(1500μ㏜)で、これは外部被ばくと内部被ばくの合計です。世界では年間2.4㍉㏜です。

⑦  放射線を浴びることによる障害は、被ばく線量が大きいときにすぐに現われる急性障害、被ばく線量は小さくてもあとになって現われる晩発性障害があります。また、被ばく線量がある値を超えると必ず発生する確定的影響と、被ばく線量に比例して発生の確率が増加する確率的影響があります。

⑧  確定的影響として、1シーベルト(㏜、1000㍉㏜)で吐き気や嘔吐などの急性障害発生、4㏜(4000㍉㏜)で50%の人が死亡、7㏜(7000㍉㏜)で99%が死亡します。0.1㏜(100㍉㏜)以下では、人間についての直接的証拠はまだ十分ではありませんが、ガンや遺伝的影響は、低いレベルでも起こりうると考えられています。

⑨  放射線と人体へのこうした影響のもっとも貴重なデータは広島・長崎の原爆被爆者の調査資料です。今も、生存者についての健康への影響調査は続いています。

⑩  被爆者がたたかってきた放射線量はシーベルト(㏜)・ミリシーベルト(m㏜) の単位です。いま問題になっているのはマイクロシーベルト(μ㏜)の単位です。1㏜は1000㍉㏜、1㍉㏜は1000μ㏜です。桁(けた)が3桁ずつ違います。100万μ㏜が1㏜。

⑪  現在発表されている各地の放射線量は、「もともと自然界から受けている放射線量+原発から飛散した放射性物質が出す放射線量」の、体の外部から受ける一時間あたりの値です。

⑫  原発事故以前のいわき市内では、自然からの放射線量の平均は0.05μ㏜毎時です。

⑬  いま、仮に、屋外で観測された放射線量が0.5μ㏜毎時だとします(通常の10倍)。この数字の意味は、観測されたその場所に1時間、ずっといれば0.5μ㏜の放射線を浴びる(外部被ばく)ということです。これと同じだけの内部被ばく(口や鼻、皮膚の傷口、食物や水から体内に入った放射性物質による)をその1時間のうちに受けたとすれば、0.5+0.5=1μ㏜の被ばくとなります。

⑭  ⑬のときに、1日中ずっとその屋外にいれば1μ㏜×24時間=24μ㏜、1か月ずっといれば24×30日=720μ㏜=0.72㍉㏜を浴びることになります。

⑮  低レベルの放射線被ばくの影響ははっきりしていません。専門家の多くは、低い被ばく領域でも低いなりの確率で影響が起こりうる、と考えています。その目安は「100㍉㏜浴びると、ガンによる死亡の確率が0.5%ほど上昇する」という割合です。

⑯  ⑭の場合だと、0.5%×(0.72÷100)=0.00036%上昇する可能性があるとされます。また24時間365日、1μ㏜を浴び続けたとすると、1μ㏜×24時間×365日=8.76㍉㏜となり、0.5%×(8.76÷100)=0.0438%上昇する可能性があるとされます。

⑰  いわき市の統計では、悪性腫瘍による死亡者数は05年1026人(全死亡者数に対して28.3%)、06年1066人(29.4%)、07年1058人(28.2%)、08年1051人(26.7%)。

⑱  実際にはいま、いわき市内の観測値は0.2~0.3μ㏜毎時です。「注意して過ごす」、それとも「移住する」、どちらを選択しますか?

⑲  放射線は、自然からだろうと人工のものからだろうと、受けないにこしたことはありません。「放射性物質からできるだけ遠くに離れる」「放射線をできるだけさえぎる」「放射線にさらされている時間を短縮する」のが外部被ばくに対する防護3原則、「口と鼻からの吸入を防ぐ」「皮膚の傷口からの侵入を防ぐ」「放射能に汚染された飲食物をできるだけ摂取しない」のが内部被ばくに対する防護の原則です。

⑳  食品の暫定規制値は、汚染された食品を1日1㎏毎日食べても健康に害を及ぼさない(将来、ガンになる確率が200万分の1高くなる)量に設定されています。これを超えた食品を出荷停止にしているのは、内部被ばくによる健康被害を減らすためです。

原発・放射能学習会/切実・深刻質問/高坂の温泉噴出し

四倉(よつくら)地域で原発・放射能学習会がありました。医療生協支部の主催。

話したのは理事長の伊東達也さんと理事の私。

私からは、福島原発事故から明らかになったことは、原発技術がまったくの未完成で危険なこと、にもかかわらず地震・津波大国に原発をつくり続けたことの危険、民主党政権にかわっても最低14基の増設計画をつくろうとした「安全神話」の危険、それらの危険は国会でも県議会でも、共産党がずっと指摘し続けていたこと、事故は明らかな人災であって、全面賠償の実現が当然であること、原発から脱し、自然エネルギーに政策転換が急務であること、ドイツやスイスやイタリアなどヨーロッパでは国家として、国民としてそうした選択を明確にしていること、など、15分。

伊東さんが、放射能汚染問題を中心に、福島原発地域を再生可能エネルギーの研究・教育・施設、放射線汚染研究の中心地に変えていくこと、広島の原爆ドームと同じような「世界遺産」として残すとりくみで、地域社会の復興を進めていこう、と、40分あまりの話。

幼稚園児や小学生のお母さんたちから、「地表の放射線測定値が0.6μ㏜。表土の入れ替えは必要か」、「県産の牛乳を飲ませ続けて大丈夫か」、あるいは「土壌の放射性物質を取り除くのにひまわりや菜の花が有効だと聞いたがどうなのか」、「4月に福島市で4歳の孫が2時間、学校の校庭で遊んだ。また、生まれたばかりの孫が3月14日以降に福島市の井戸水で産湯につかった。それぞれ影響があるんじゃないか」などなど、切実で深刻な質問が寄せられました。

まったくあたりまえの疑問で、「大丈夫です」と断定できる状況ではないことが、何よりの問題です。なにせ、事故前の自然放射線量より多いことは間違いなく、確率的影響は高まっているのです。「しっかりと防除し、気をつけて暮らす」かどうかの問題になってしまっているのです。

内郷(うちごう)高坂町、というのは私が育った地域でもありますが、ここでも4月11日の余震(誘発地震)で、温泉が噴き出した、とのこと。

現場を見てきました。

きのうの「朝日新聞」福島版によれば、断層が隆起し、圧力がかかった地下水が地表に押し出されて温泉が沸いた、というのが専門家の分析ですが、いつ収まるかは予測が難しく、調査を続ける、とのことです。

「介護手すりははずして県に返せ」と避難者に/原発をなくそう集会

「福島に原発はいらない」署名を返送していただいたかたのお宅に寄り、浜通り医療生協の居宅介護支援事業所で市外から避難されているかたの相談の様子を聞きました(別記)。

会津にいったん避難された90歳のBさんは、原発事故前は介護の必要もなく暮らしていましたが、会津へ行ってから調子をくずされ、介護認定申請をしたら要介護1の認定。

入院もし、その後のことを考えたときに、親族が避難もしていて、実家により近いいわきへ第二次避難。運良く県営住宅に入り、介護保険の利用料も免除で、手すりを設置することにしましたが、県からは「避難を終えて退去する時は手すりははずして現状復帰してください」と言われた、とのこと。手すり撤去費用は自分で払え、というわけです。避難させられている人にさせることでしょうか? 無慈悲きわまりありません。少なくとも撤去費用は県が建て替えて東電に請求するのが筋ではないですか? あ然とします。

夕刻には「原発をなくそう いわき市民集会」に参加。約800人の市民がつどいました。

集会後はデモ行進。沿道に出て手を振る人、家の中から手を振る人、お店の前に並んで手を振る人、デモの様子を写真に撮る高校生、歩道橋の上でずらっと並んで手を振る高校生など、かつてない雰囲気の行進でした。

 

迅速な介護を妨げる介護保険/サービス抑制改定

いわき市には、警戒区域内から避難してきているかたが多くいます。

原発事故前は、浪江町で元気に一人暮らしをされていたAさん。いわき市内に住む娘さんの家に避難してから閉じこもりがちになり、認知症の症状も出始めました。

娘さんから相談を受けた居宅介護支援事業所のケアマネジャーがさっそくたずね、介護認定の代行申請をしました。

申請先は浪江町長で、申請書も市町村でそれぞれですが、ともかくいわき市長宛ての用紙を町長宛てに書き換え、二本松市の浪江町の役場に送らなければなりません。

浪江町では、町民の避難先の市町村に、介護認定のための訪問調査と一時判定の手続きを委託しているようです。いわき市では市職員が訪問調査をし、いわき市の介護認定審査会で一次認定をします。

認定結果は、いわき市から二本松市の浪江町へ送られます。そして浪江町役場からいわき市内の本人に通知され、代行した事業者が結果を知るのはそれからです。

文章でこう書くと、簡単に見えますが、実際には、「訪問調査になかなか来てくれない」、「浪江町としてはいわき市に委託している」、「あす行きます」、「認定結果は浪江に送ったのでいわきではわからない」などなどのやりとりが何度もあったようです。

これが楢葉町からのかただと、会津三里町の楢葉町役場と本人の間に楢葉町いわき出張所が入ります。

避難を指示された要介護者は介護サービスをもっとも迅速に必要とすることは自明です。介護保険制度がこの当たり前のことを妨げています。

「要介護」でなく「要支援」の認定であれば、代行した事業所から今度は包括支援センターにまわさなければなりません。

ケアプランやサービス提供は民間まかせ、サービス提供から撤退した市町村は人減らしを進めたうえに保険者としての責任を推しつけられ、いちばん困るのは要介護者、という構図がこの震災で浮かび上がっています。

そんなときに、参院厚生労働委員会では14日、軽度認定者のサービスを市町村判断で安上がりサービスに置き換えることなどで、介護サービスのいっそうの抑制を可能にする介護保険改定案を、民主、自民、公明、みんなの賛成多数で通してしまいました。

写真はわが家の庭の様子。