仕事始め/市職員/市民ホール

仕事始めのきょう、いわき市議団の4人と市役所本庁舎、教育委員会・選挙管理委員会・農業委員会がある東分庁舎、文化センター内の中央公民館をまわり、職員のみなさんにごあいさつしました。

職員のなかには、中学時代や高校時代の同期・先輩も少なくなく、なにげに目と目を合わせたりして。

かえって、朝の定時定点時に顔をあわせていたかたがたが、政治中立的に声をかけてくださり、たいへんにありがたいです。

【4月13日 市民ロビー】

本庁舎1階の市民課前の市民ホールは、昨年4月の市内震源の大きな余震で陥没したのでした。

耐震補強されたホールには、多くの市民がおとずれていました。

原発のコスト

『原発のコスト』(大島堅一著、岩波新書)を読みました。

原発事故は、福島県に限らず、農林水産業を含め、たいへんなマイナスをもたらしました。事故による補償も、損害賠償を含め、進み始めています。事故にかかわらず、原発推進のための国家財政投入、使用済核燃料の処理・処分に当然にコストがかかります。

「原発のコスト」と言った場合、「発電コスト」には限らないわけです。

「あとがき」が印象的です。「すべての科学は批判的であるべきですが、こと原子力政策については、社会科学の領域でも批判的に研究している専門家は極端に少なく、時として孤独な作業を強いられます」。

人類との共存そのものが問われる原発は、こうして、批判を排除して推進されてきたのです。

少なくとも本書で指摘されていることは、市民常識にしたいものだとつくづく私は思います。

正月街宣2日目/がらりと変わる

正月街宣2日目。

午前中は高橋あき子市議と、午後は渡辺ひろゆき市議とそれぞれの地域で実施しました。

宣伝カーに、散歩しながら手を振ってくれる人、「がんばれよ~!」と声をかけてくれる人、街宣場所で車から手を振ってくれる人、信号待ちで窓を開けて話を聞いて拍手してくれる人、声をかけて行ってくれる人。

大きな期待を感じると同時に、政治状況ががらりと変わっていることをつくづく感じます。

信号待ちの茶髪の若者は、「原発事故終息宣言はとんでもない、事故を小さく見せようとする意図がありありだ」、の話の瞬間に、こちらを向くでもなく、大きな拍手をしてくれていました。

正月街宣初日

お正月2日目は、毎年恒例の正月街宣です。

いわき駅前で4人の市議、2人の県議が勢ぞろい。

駅前の「ラトブ」は初売り前に太鼓演奏でお客さんを迎えていました。演奏後に、全員でごあいさつしました。

その後、四倉、久ノ浜、内郷高坂、常磐湯長谷(じょうばん・ゆながや)、小名浜君ヶ塚、勿来中岡とまわり、それぞれの地域の市議とともに訴えました。

それにしても、宣伝カーとすれ違う車からも、そして宣伝場所でも、多くのみなさんからの声援。運転してくれている党地区副委員長の吉田英策さん、宮川さんと「選挙期間中みたいだね」と思わず同じ感想。ほんとうにみなさん、ありがとうございます。

初日の出/新年会/庭のたくましさ

帰省していた息子と娘が、それぞれ友人たちと初日の出を見に行っていました。

息子は平の海岸沿いの新舞子浜公園近辺、娘は平の山側の赤井嶽。

雲の切れ目から日の出が見えた、と感激していました。

元日は、わが家と妻の姉家族と実家の両親との恒例の新年会。もう20年を越したでしょうか。

今回はウチの息子も高3以来、数年ぶり。その代わりいとこの救急救命士は仕事。総勢10人。

なんと! いい気分で庭の様子を撮りながら点検していたら、デジカメデータを誤って全削除!

庭の生き生きした植物群にたくましさを見ました。

今年もどうぞ、よろしくお願いします!

忘れられない3月11日/主権者

 

この9か月半、あの3月11日を忘れるわけにはいかない毎日でした。

会う人、会う人、あの日、そして原発事故にみまわれて避難した日々、子どもたちの未来を迷わざるを得ない日々をお互いに語り続けました。

思い出すのは、3月12日、砂と瓦礫の道路上で足をふらつかせて病院に連れて行ってほしい、と言っていた人に出会わなかったら、あの人はどうなってしまったんだろうか、とか、避難所で4~5人のおばあさんたちが「生き残ったオレたちががんばらないでどうする!」とにこやかに語る姿やら、とか。

あの日から1週間後に、「誰も来てくれない、飲まず食わずだ」とお二人から電話もありました。

私たち共産党に対する期待が大きいことは強く感じますが、共通しているのは、行政への不信なのです。

行政を支えるのは私たち住民・主権者であり、私たち自身の問題として、真剣に考えさせられる大震災の年だったと私は強く思っています。

報告ハガキ/組合員/前向きに

ハガキによる「活動報告」をつくりました。

原発震災を風化させず、笑顔と希望の年に!

午後、医療生協職員後援会員と、小名浜地域を中心に、今年お世話になったかたがたをたずねました。

4月下旬、全日本民医連や東京民医連、福島民医連や医学生が支援に入ってくれた際、組合員の安否訪問でたずねたお宅では、「被災後に最初に来てくれたのが生協だった。ほんとうにうれしかった」と感謝され、なおかつ県議としての期待の声もかけられました。

冷蔵・冷凍庫が津波の直撃を受け、廃業せざるを得なかったお店も。

それでもみなさん、新しい年へ向け、新たな気持ちで前へ進むしかない、なにより、子どもたちが住み続けられるふるさとにもどしたい、と前向き姿勢に勇気づけられます。

内部被曝/職場/江名地域

今年1月下旬、東京電力福島第一原発の作業を終え、ホールボディカウンター測定で異常なく、その後はいわき市内で仕事さがしをしながら暮らし、今月になってやっと県外での原発作業が見つかって、ホールボディカウンター測定をしたら、原発内で作業はできない内部被曝量と言われた、というかたと出会いました。

詳細な経過は聞いていませんが、重大です。

お昼を前後して、私のかつての職場である病院内の各職場を回りました。患者さんたちから、県議へのいろんな期待の声が寄せられている、とのこと。うれしいです。きょうは栄養課のみなさんと厨房前で。

その後、江名地域の後援会員と今年お世話になったかたがたをたずね、ごあいさつして回りました。

楽寿会/藍綬褒章/県議選も話題に

私も役員を務めている社会福祉法人・楽寿会の今年最後の役員会がありました。

きょうの議題は、東日本大震災にかかる補正予算と工事についてです。

特別養護老人ホームの楽寿荘を始め、法人の施設は、太平洋と仁井田川にほとんど接する場所にありますが、ちょっとした高台のために、真横をしぶきを上げて流れていった津波の直撃はまぬかれたものの、地震による被害は大きなものでした。

敷地に生じた段差、亀裂、地盤沈下、液状化などによる建物やその内部、設備の被害、車が流されるなどの被害です。

国庫補助や義捐金や保険金などでなんとかカバーできそうです。

その後は懇親会。秋に藍綬褒章を受章された園部キヨ子さんも評議員として参加されており、木村守和理事長から花束贈呈。

県議選結果やこれからの県政も話題となりました。

県議会最終日/正反対の反対討論/特別委/申し入れ

県議選後、最初の県議会もきょうが最終日。

私たちは、県人事委員会が勧告した公務員などの給与引き下げを受けた条例案や、県の事業で市町村に負担を求める議案の5件に反対しました。

「行革」の名による公務員減らしや公務員バッシングにより、住民に寄り添う行政としての震災対応ができていないことは人災というほかありません。まして、民間給与が公務員給与を参考にされる現実のもと、給与引き下げの悪循環と地域経済のいっそうの冷え込みを助長するものでしかありません。

ところが、ふくしま未来ネットワークは、公務員給与はもっと引き下げろ、という議案反対討論でした。

したがって採択では、まったくさかさまな立場から反対でした。

そしてきょうは、「子育て・健康・医療対策」と「産業振興・雇用・県土再生対策」の2つの調査特別委員会の設置も議決されました。

議決後、本会議はいったん休憩に入り、それぞれの特別委員会を開催。私は「子育て・健康・医療対策特別委員会」の委員となり、理事に選任されました。

本会議閉会後、県議団として、「ふくしまっ子体験活動応援事業の予算拡充を求める申し入れ」を知事・教育長あてにしました。

この事業による活動を計画していた学校関係者から、予算がないために補助が受けられない、という事態が生じている事実が寄せられていたからです。