きょうは一日ドツボの日。
3食ともほとんど口には入りませんでした。横になりっぱなし。
夕刻には娘が仕事の都合で寄ってくれたようですが、上の空。
夜半にはまた全身ずぶぬれ状態で目を覚まし、ナースコールでシーツ交換、着替え。おしっこもベッドサイドで出来るようにきのうからしてもらっています。
要するに、きのう、きょうは、初回治療6~7日後の状態が、治療翌日・翌々日にやってきた、という感じ。きょうも体温は38~39度。
あぁ、しんど………
きょうは一日ドツボの日。
3食ともほとんど口には入りませんでした。横になりっぱなし。
夕刻には娘が仕事の都合で寄ってくれたようですが、上の空。
夜半にはまた全身ずぶぬれ状態で目を覚まし、ナースコールでシーツ交換、着替え。おしっこもベッドサイドで出来るようにきのうからしてもらっています。
要するに、きのう、きょうは、初回治療6~7日後の状態が、治療翌日・翌々日にやってきた、という感じ。きょうも体温は38~39度。
あぁ、しんど………
朝起きて朝食後、9時過ぎぐらいにちょっとした便意が始まったのがきょうの出来事の兆候だったかもしれません。
小一時間の間に4度、トイレへ行き、1度目はいくら力んでも出ず、2度目、3度目にそれなりの(量の)便。4度目も催し、これはもうほとんど液体。
これでおなかも落ち着いて、「スターウォーズ Ⅱ」視聴。次がどうなるか、ドキドキする終わり方でした。と、問題はその後。いっきに体調がよろしくなくなり、急な寒気と震えでナースコール。毛布を追加。39度5分越え。
その後はひたすら横になったまま。夜半に目が覚め、パジャマもシーツもびしょ濡れ状態。またコールで替えてもらい、暗闇の世界へ…
悪性リンパ腫再発時のサルベージ(救援)療法の一つで、ほぼ3週間おきに6回実施予定のDeVIC(デヴィック)療法の2回目の3日目最終日も無事終了しました。メニューは2日目のきのうとまったくいっしょ。手首近くの右手甲側にさしてあった点滴針が抜けかかって浮き上がっていて、同じ場所でさし直せたのでよかったです。カプセル制吐剤を朝食後にほかの入院定期処方剤と服薬し、点滴開始は午前10時35分。最初は制吐剤、次に2種類の化学物質(初日だけが3種類)、最後にまた制吐剤。終了は午後5時5分。きょうはその間、今度は弟から借りたDVD「のだめカンタービレ 最終楽章 前・後編」、ならびに「スターウォーズ」の「Ⅴ」までのうちの「Ⅰ」をそれぞれ視聴。まぁ、それぞれ引き込まれました。
まっ、いずれにせよ、治療まではいいのであって、問題は初回の6~7日後に発生したようなどうしようもない副作用症状がまた出るのかどうかです。
きのうからけさにかけ、テレビ・新聞などメディアが、天皇がすでに6年前、76歳の時の2010年7月22日夜の「参与会議」で退位の意向を示していた、と報じていました。以下、「朝日新聞」のきょう付け12版2面から。「このままでは天皇の務めを果たせなくなる。その前に、私は譲位すべきと思っている」。
「80歳までは務めを果たしたいが、その後は譲位を望みます」。
その2年前、08年には天皇は精神的なストレスが原因とされる胃や十二指腸の炎症が確認されるなど、体調は万全でなかったとのこと。宮内庁は翌09年に初めて本格的な公務見直し策を公表していました。
その09年は即位20年を迎え、11月6日の記者会見では「将来の皇室の在り方については,皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います」と語っていました。
なお、「朝日」記事にはありませんが、09年は4月8日に「天皇皇后両陛下御結婚50年に際して」の記者会見もしていて、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と語っています。
この発言などは、「日本会議」や安倍晋三など自民党を乗っ取った右翼はまったく無視しています。3か月ほど前にブログで触れました。
DeVIC療法2回目の2日目も無事終了。
カプセル仕様の制吐剤は入院定期処方薬の朝食後薬とともに服薬。点滴は午前10時45分、例によって制吐剤から。
その後、2種類の化学療法剤2時間ずつ。最後にまた制吐剤。終了時間午後5時15分。予定では午後4時15分でしたが1時間遅れ。
原因は明白。点滴針を右手の甲にさしてあって、手首を上側に持ち上げる格好をとると、点滴の流れが遅れたり止まったりしてしまうのです。
きょうは点滴中、家に届いていた『日本の科学者』11月号を読んでいて、最初のうちはマーカーを左手に持って必要なところに線を引いていたところ、調子に乗ってくると、線を引こうが引くまいが、右手にマーカーを持ち替えて手首を上へ向けた格好で読み続けてしまうのでした。
けさの病棟ベランダから見た東西南北。東は新病院建設中。手前は現病院の建物。西の空には月。画面左下は私の母校・いわき市立高坂(たかさか)小学校。 南はすぐ手前に色づく林。北には水石山、手前はいわき市の総合保健福祉センター。
主治医が、自宅外泊中の37度台の微熱続き、きのう病院へ戻ってからの38度台、けさも早朝(5・6時)は36度台なのですが、9時になると37.0度ということもあり、このまま予定通り治療というわけにはいかないので、血液検査の結果を見て判断したい、と11時過ぎに採血。
簡潔に結果を言うと、様子見せず、治療は実施、と。
さて、おもに造血器腫瘍が再発した場合の治療を、救援療法(サルベージ療法)と言い、私がこの病院で受けているのはそのうちの一種のDeVIC療法という名の療法だそうです。
3日間点滴が続き、3週間おいて6回実施します。今回は2回目。例によって、開始前にはカプセル仕様の制吐剤の服用。点滴の最初と最後も制吐剤です。化学療法「本体」は3種類。うち、3番目の「カルボプラチン」は初日のみ。
当初開始予定時間から4時間遅れたので、終了も消灯時間をはるかに越えましたが、無事終えました。
けっきょく、外泊3日目も、よくこれほど寝られるな、と思うほど、居心地のいい自宅でほとんど寝ていました。
実はきょうは浜通り医療生協の健康まつりが、小名浜・三崎公園を会場に青天のもと開催されている日で、体調がよければ様子を見に出かけようかとも当初は思っていましたが、残念!
時どき目覚める時に体温を測ると、朝の6時には36.6度でしたが、午前11時半、ならびに午後3時は37.9度。
3時過ぎには病院へ戻りました。午後6時には38.2度。
あしたから2度目の治療予定ですが、どのように判断されるやら…
ともかく割り切って、今回の自宅外泊は「寝る時間」。
新築前の現在の病院の6人大部屋よりは、はるかにゆっくりできるのが自宅。午前4時36.4度はいいとして、午前11時37.4度、午後4時半37.7度、午後8時半37.7度と、若干の微熱続きなので、おとなしくしておくのがいちばんです。
それはそうと夕べ、久しぶりに湯ぶねにつかり、シャワーで頭を洗いました。というのも、10月4日以来、抗生剤の点滴を続けていたので、腕には点滴針とチューブを「装着」していて、清拭タオルで間に合わせていたのでした。
で、髪の毛がほとんどなくなってしまいました。昼食には、妻が職場を通し、熊本支援で購入した「熊本ラーメン」。
自宅へ戻りました!
妻がこの時間、どうしても時間が取れないことがわかっていて、東京に住む娘が休みを取って迎えに来てくれたのは幸運でした。
前に入院した時からそうですが、次の点滴治療の直前に、外泊が可能かどうか、血液検査結果によって医師が判断します。したがって、こちらとしても、医師の話を聞き、あらかじめの日程をにらんで家族に相談しておくのでした。
一方で不運にも、家に戻る直前に体温を測ると、37.8度。午前中には、担当看護師から、38度を超えた場合の解熱鎮痛剤をあずけられ、「服薬のうえすぐに病院へ戻ってください」と念押しされていたのでした。
20日間以上も自宅をあけた以上、家に戻らない選択はないのですが、けっきょく、家に戻ってからはずっと寝ていました。