フランス

『失業しても幸せでいられる国』(都留民子著、日本機関誌出版センター)を読みました。副題は「フランスが教えてくれること」。

デンマーク、スウェーデンと「旅」したら、たまたま目にして読みました。

「1週間の労働時間は35時間/パン屋さんは土日月はお休み/定年後は働きません/失業者もバカンスに行きます/出生率向上は子育てが無料だからです…」

著者は毎年フランスに滞在し、普段着のフランスの人々と暮らしながらフランスの社会保障制度を研究し、日本の大学で社会保障論を担当しています。

「フランスと日本は産業構造は似ているかもしれないけれど、社会モデルは正反対」のようです。

お国柄の違いはそれぞれの国の歴史と伝統に裏づけられるので、いかんともしがたい面があるでしょうが、政治と民主主義制度の面ではどこの国からでも学べます。

スウェーデン

『スウェーデンの税金は本当に高いのか』(竹﨑孜著、あけび書房)を読みました。05年8月刊。先日、デンマークの本を読んだので、わが家の本棚に眠らされてしまっていた本書を思い出したしだい。

国民全体の税金負担は、国の税収全体に占める税金と社会保険料の合計によって計算できるとされているようなのですが、見落とされるのが、家庭の自己防衛の手段に相当する教育費、民間保険料、医療費、貯蓄などの「固定家計費用」。

本書の27㌻に日本とスウェーデンの家計内容の概要図が示されていますが、スウェーデンでは社会保険料が企業側によって全額支払われ、家計は税金さえ支払えば、社会保険費と固定家計費はまったく不要で、その結果、日本の家計のほうが消費力や生活力で劣ってしまっています。

民間企業には社会保障税と法人税が課せられます。社会保障税は雇用主税が正式名称で、事業所すべてに全額負担を義務づけ、労働者による負担部分はありません。

この社会保障税が制度化された根拠は、企業の人材育成や教育にかかる費用のすべてに税金が投じられているので、社会が育成した人材のコストを支払う責任は企業にある、という考えです。

さらに、企業活動を可能にしているのは、企業が社会のインフラストラクチャー―道路、エネルギー、通信、住宅、街づくりなどの地域社会の基本的構造―を利用できるからであり、これらはすべて公費で築かれているので、社会コストは企業経費に含められるべき、との考えです。

なによりこうした社会システムが、国政選挙の投票率が80%を下回ることがない、国民の意思の固さと政治への信頼に裏づけられているようです。

デンマーク

『消費税25%で世界一幸せな国 デンマークの暮らし』(ケンジ・ステファン・スズキ著、角川SSC新書)を読みました。

面積は日本の九州程度で人口は兵庫県ぐらいでありながら、企業をはじめとする経済活動が世界レベルの国・デンマーク。

消費税は食品を含めてすべて25%の税率でありながら、食材は税込みでも日本より安いぐらい。食料自給率は100%超。

1985年には原発からの撤退を表明し、09年のエネルギー自給率は124%。

医療費は、たとえ億単位の治療費がかかっても無料、教育費は大学も無料のうえ、18歳以上の学生には生活費の支給があり、育児支援や障害者支援制度も充実しており、税金を「高い」とは感じていないのが大半のデンマーク人の感覚だそう。

国政選挙で投票率は85%を下回ったことはなく、高校以降の学校に進むのに入学試験はなく、学歴社会や受験競争はなく、「いい学校に入りたい」という感覚はなく、学校は仕事に必要なことを学び、覚える場。

こうした社会制度やシステムにこそ「高負担・高福祉」の特徴がある、というのがデンマークに長く住んでいるものの実感、と著者は言っています。

子ども・子育て新システム

『よくわかる 子ども・子育て新システム』)(中山徹著、かもがわブックレット)を読みました。

民主党政権のもと、昨年12月8日に閣議決定された「明日の安心と成長のための緊急経済対策」に基づき、幼保一体化を含む子育て支援の検討を始め、今年3月11日には「子ども・子育て新システム検討会議」が初会合を開きました。

6月25日には「子ども・子育て新システムの基本制度案要綱」が決定されましたが、驚くべきことに、まともな議論を幅広くすることもなく、来年の通常国会に法案を提出する予定だというのです。

その中身は、保育を児童福祉法から切り離し、幼稚園を学校教育法から切り離し、公的な保育園・幼稚園は消滅させ、「子ども園」に一本化してサービス業に変える、ということです。

「はじめはいいと思って選んだが、実際は良くなかった」「保育料負担を減らすためには、この程度の子ども園しか選べなかった」「仕事が忙しく、子ども園選びに十分な時間がかけられなかった」「申込者が多く、選に漏れてしまった」「途中で子ども園がつぶれてしまった」といった問題はすべて、消費者である保護者の自己責任になります。市町村の責任はなくなりますから。

こんな中身の法案が、まともな国民的議論をすることなく、「検討会議」設置から1年程度で来年の通常国会に提出しようとするのが民主党政権です。

自民党政権以上に官僚主導で国民無視の政権といわなければなりません。

国保広域化

『国保広域化でいのちは守れない』(寺内順子他編著、かもがわ出版)を読みました。

民主党政権のもと、自民党時代とぜんぜん変わらない政策が国民健康保険制度でも進められようとしています。

「国保財政の強化」「スケールメリット」を名目に、市町村国保をよせ集め、都道府県単位に集約する「国保の広域化」です。

国民健康保険は、「各地域のニーズや特性に即した事業運営が行われることが望まれ」「住民に最も身近な地方公共団体である市町村」が最適である(『逐条紹介国民健康保険法』)として、1948年には市町村公営が原則とされました。

戦前の“相互扶助の制度”から、戦後は“憲法に基づき、国民の医療を受ける権利を保障する制度”に根本的に変わり、国民の3割(2900万人)にのぼった無保険者が解消され、日本は国民皆保険の国になったのでした。

この創設の原点を民主党政権がまた投げ捨てようとしています。「スケールメリット」と言っていることの中身は、人件費の削減とシステム改修費用の節約で、国保会計上ではなく、一般会計上での話です。

「広域化」によって市町村の業務は加入受付と徴収業務だけになり、住民が役所の窓口で相談してもなにひとつ救済できなくなります。後期高齢者医療制度といっしょです。

しかも、市町村が実施している一般会計からの法定外繰り入れをなくし、市町村条例で実施している保険料減免制度はほとんど廃止されることは間違いありません。

こういうことを住民に知らせないまま進めようとする民主党政権は百害あって一利なし、と断ぜざるを得ません。

無縁社会

『無縁社会』(NHK「無縁社会プロジェクト」取材班編著、文藝春秋)を読みました。

テレビ放映もされたこの取材は、50歳で派遣の仕事を失い、路上生活をしていたある“ひとりぼっち”の男性の出会いから始まりました。

これを機に、「引き取り手のいない遺体」の急増で対応に追われているという自治体を二か月半余りをかけて調査した結果、年間3万2千人という数字。年間自殺者数に匹敵する数字。

しかも取材を進めていくと、そのほとんどが、身元が判明している家族がいるのに、引き取られないケースだということもわかってきました。

そのうえ、行き倒れや身寄りがない人びとが、大学病院に「献体」として提供されるケースもふえている、とのこと。生前に登録する「篤志体」とはもちろん別で、3万2千人には含まれない「無縁死」です。

「単身化」、「未婚化」、「少子化」といった家族のあり方の変容が「無縁社会」の拡大を推し進めている現実があります。

本書には、「この流れは止められない」と問題提起するだけであきらめるのでなく、無縁社会になることを防ぐ、弱きものへのいたわりを忘れない「日本人の心」を取り戻す可能性をも模索する姿勢が示されます。

生物多様性

『〈生物多様性〉入門』(鷲谷いづみ著、岩波ブックレッ)を読みました。

読んで得した、というか、読まないと損したかも、みたいに思える本でした。今年は国連が定めた国際生物多様性年で、COP10(Conference of the Parties=第10回生物多様性条約締約国会議)が日本で開催されました。

生物多様性というのは、要するに「生命にあらわれているあらゆる多様性」のことで、「生物種の多様性」「同じ種のなかでの個性の多様性」「生態系の多様性」を含み、1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた地球サミットで「生物多様性条約」が採択されて以降、健全な生態系を維持し、持続可能な社会を築くキーワードとして使われてきました。

生物多様性の本質と現状・保全の方策を、保全生態学の第一人者が、わかりやすく解説した入門書の決定版、と「オビ」に書かれているとおりのコンパクトな本ですす。

原発抜きの温暖化対策

『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』(吉井英勝著、新日本出版社)を読みました。

著者が小学生のころ、京都市立勧業会館でアメリカの「原子力平和利用展」が開かれ、原子力平和利用に夢を持ち、京都大学工学部原子核工学科に学び、技術屋としてコンビナートなどの災害や環境問題ととりくみ、堺市議3期、大阪府議1期、参院議員1期を経て、現在衆院議員7期目を務めています。

技術者として仕事をしていたころから環境、原発、再生可能エネルギー、防災のテーマにとりくみ、議員になってからは産業や地域経済の問題意識が加わり、そして自治体財政や住民福祉の基盤の安定の課題が重要な部分を占めるようになり、そのすべてが相互に結びついている、というのが本書を貫く大テーマです。

とりわけ第3章の「原発依存は危なすぎる」は、国会の場を通じて明らかにされる原発行政の「安全神話」や原発推進のしくみを浮き彫りにする圧巻の章だと思います。

だまし世

『だまし世を生きる知恵』(安斎育郎著、新日本出版社)を読みました。

身近な詐欺事件から国家の安全保障のレベルの詐欺まで、「だまし」の範囲はきわめて広い。

「あとがき」で紹介されているニュージーランド在住のロバート・グリーンさんは、もともとイギリスの海軍将校で、核戦略に関わっていた司令官。今は反核・平和活動家。

彼が最近出版した本で、「核抑止力論」を、「ありもしない話を信用させて人を騙す国家による信用詐欺に他ならない」と言っているそうです。

本書を読めば、「言われたことを鵜呑みにするのでなく、事実に即して徹底的に点検し、権威や評判に流されずにしっかりと判断する」ためにも、最小限度の科学的素養(ミニマム・サイエンス・リテラシー)と最小限感受性をはぐくむ大切さがよくわかると思います。

日米安保

『日米安保Q&A』(「世界」編集部編、岩波ブックレット)を読みました。

沖縄に基地を存続させている根拠になっている日米安保条約。

95年の米海兵隊員による少女暴行事件は、日米両政府による普天間基地の全面返還表明(96年)を導き出し、以来、15年間にわたって混迷を続けています。

新しい日米関係の再構築のための火を、普天間問題がつけたわけです。

その沖縄は、日米安保条約が結ばれた1951年に日本から切り離され、60年改定のときにも、70年の自動延長のときにも国会に代表を送れず、いま安保の最大の犠牲を負わされています。

そして、他国が米軍を撤退させたり、条件をつけたりしていても、日本だけはアメリカの「臣下」のような姿勢を続け、これを民主党政権も「日米同盟の深化」と言っています。ほとんど「思考停止」状態です。

「安保」そのものを知り、考えるために、沖縄タイムス、琉球新報、共同通信、東京新聞の論説委員などが基本的なことに答えてくれています。