「看護崩壊」/生存権に関わる看護師不足

『看護崩壊』(小林美希著、アスキー新書)を読みました。

かなりの力作だと思います。

看護の労働現場の問題が、単に医療への影響ばかりでなく、日本の労働者全体に関わる重要で深刻な問題であることを提起しています。

その過酷な労働実態と、悪化がすすむ労働環境を生み出した構造問題を現場取材からえぐり出し、経営上や制度の不備がどこにあるかを示してくれています。

なにより、「看護師不足の問題こそ、憲法の第25条で保障される、健康で文化的な最低限度の生活を営む『生存権』を脅かしている」という認識、「自分の地域の病院が危機的状況でも、職員は忙しすぎて目を向けられず、住民も実態を知らないままいれば、医療は崩壊の一途をたどる」という認識は、医療従事者はもちろん、住民、行政にたずさわる人、議員が共有しないとならない、と私は強く思います。

原発と温暖化対策

『原発と日本の未来』(吉岡斉著、岩波ブックレット)を読みました。副題は「原子力は温暖化対策の切り札か」。

著者は「原子力発電に対し『無条件反対』の立場」はとりませんが、「新増設禁止の法制化を主張していない点において…脱原発論者ではないが、原子力発電の弱点と生存能力に対する評価においては、実質的に脱原発論者に近い」と、自らの立場を明らかにしています。

そのうえで、「停滞する世界の原子力」、「難航する日本の原子力」、「日本の原子力政策の不条理」を実証的に記述してくれています。

「地球温暖化対策として原発拡大は有効だという主張」に対しては、原子力発電拡大と温室効果ガス排出削減との間の逆相関関係を見れば、「原子力発電拡大という行為は、地球温暖化防止対策としては歴史的に失敗」という「経験的事実を重くみるべきだ」との主張は説得的です。

エネルギーを生み出す際の温室効果ガス排出量が少ないなどの一方で、事故による放射線・放射能の環境への大量放出の危険を内包し、各種の放射性廃棄物を生み出すわけで、これら正負の環境特性に見合う支援・罰則措置を政府は講ずるべきだし、これまで税金で負担してきた一連の支援(立地支援、研究開発支援、安全規制コスト支援、損害賠償支援等)のコストは本来全て、事業者が負担することが、「自由で公正な社会の当然のルール」だと主張されています。

本多勝一さん

『本多勝一の戦争論』(新日本出版社)を読みました。

本多さんも80歳になるそうですが、マスコミ・ジャーナリズムの役割についてなにを語ってくれているだろうか、との思いです。

「ただの『マスコミ』(情報産業)であって、ジャーナリズムではない」という言葉は、少なくとも私にとってはずしりと響きます。イラク戦争が「国連を無視したブッシュ政権の明白な一方的侵略に、はっきりと『侵略』という単語を使っているテレビも日刊紙もない…使っている日刊紙は政党機関紙とはいえ『赤旗』だけとは、情けない」と評しての結論です。

「活字に頼る新聞は記者の『眼力』と『筆力』がますます重要になってくる」のに、「ますます必要なときに、ますます少なくなってはいないだろうか」。私はそんな気がします。

著者が尊敬する共同通信OBの新井直之氏は「いま伝えなければならないことを、いま伝え、いま言わなければならないことを、いま言う」とジャーナリズムを定義していたそうです。

本多さんは、それはなにかと言えば、「何らかの意味で人類の未来なり人類の幸せに通ずること」だと言います。

戦争は「止められます! それにはジャーナリストの活躍こそが有効だと言いたい」というメッセージを多くのマスコミ関係者が知っていただけたら、と強く思います。

科学の目

『「科学の目」で見る日本と世界』(不破哲三著、新日本出版社)を読みました。

昨年の2つの講演の記録です。ひとつは10月30日、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が、バンドン会議とこの組織の55周年記念集会で講演「世界史のなかで21世紀を考える」、もうひとつが11月7日、「赤旗まつり」での講演「『科学の目』で日本の政治史を読む」。

とくに日本の政治史を「科学の目」で読むにあたって、「社会の発展や国民の生活を抑え込んでいる害悪の根源、その根っこがどこにあるのか、それをまずつかむ必要」があること、そして政治のいちばんの中身が「害悪を取り除こうとしてる勢力と、その害悪に固執してもっと悪くしようとして頑張っている勢力とのあいだの争い」であることの指摘は重要だと思います。

こうした「目」で、アメリカの占領と戦後日本の始まり、日本の政治が元気だった70年代、共産党排除と「オール与党」体制をつくりあげる支配勢力の総反攻の80年代、「非自民」政権の失敗と共産党躍進の90年代、そしてまた支配勢力の新たな総反攻が「二大政党」を看板にして始まった21世紀初頭を見定めます。

国民が自民党政治を経験し、そしてその政治を変えることを期待された民主党政治を経験したことは、今後の日本の政治にとって非常に意味があり、「時間はかかっても、未来に向かう国民の探求は、必ず、社会をゆがめ生活を押さえつけている害悪に立ち向かう方向に発展する」と、その確信が語られます。

いのちの起源/最遠の銀河

『いのちの起源への旅137億年』(前田利夫著、新日本出版社)を読みました。

著者は「しんぶん赤旗」の科学部記者を20年近くにわたってつとめたかた。

記者の仕事を通じ、「人類の起源」「生命の起源」「宇宙の起源」に興味を引かれ、こり3つの起源を宇宙の歴史の大きな流れでとらえ、現代科学の到達点を紹介したい、との思いで書かれたのが本書。

両親の子どもとして生まれた現在の「あなた」の話から始まって、時間の流れをさかのぼり、宇宙の始まりにたどり着く叙述です。

ちなみに、地球から最遠の銀河は、2010年10月21日号『ネイチャー』に発表された131億光年のかなた、と本書で紹介されていますが、きょうのニュースによると、米航空宇宙局(NASA)が約132億光年先にある銀河をハッブル宇宙望遠鏡を使って発見した、とのこと。

高齢者医療

『長寿を喜べる高齢者医療制度を!』(寺越博之著、日本医療福祉生協連合会「虹のブックレット」No.95)を読みました。

厚生労働大臣主宰の「高齢者医療制度改革会議」が昨年8月20日にとりまとめた「高齢者のための新たな医療制度等について」(中間とりまとめ)に基づいて、その内容と問題点を明らかにするのが本書の目的です。

「改革会議」は昨年12月20日に「最終とりまとめ」を公表していますが、基本は「中間とりまとめ」となんら変わりません。

民主党が09年の総選挙で「廃止」を公約し、政権交代後も「年齢でもって差別する信じられない制度」(鳩山前首相)と言っていた後期高齢者医療制度はいまだに続いています。国民との約束を守れないことがほんとうに信じられない政権です。

その「信じられない制度」は医療費を削減する目的で自公政権時代につくられたわけですが、その手段とされたのが「医療給付と負担のリンク化」。要するに「高齢者の医療費がふくらんだら、高齢者自身が負担せよ。負担がいやなら医療にかかるのは我慢せよ」というしくみです。

「社会保障は負担能力に応じて負担し、必要に応じて給付するもの」という国自身が言っていることを否定し、憲法25条が国に命じる「社会保障の向上と増進」に真っ向から反するしくみです。

ところが民主党政権は、後期高齢者医療制度の最大のこの問題点を「一定の利点」と評価して、「新しい制度」の骨格にすえる姿勢です。

しかもこれをテコに、保険税(料)の大幅アップ、市町村独自の減免制度が後退させられかねない「国民健康保険の広域化」へ進めようというねらいです。

政治理念を持たない民主党政権は、政局が危ういどころでなく、国民生活を自民党時代以上に危うくする可能性大です。

「地域主権改革」

『検証・地域主権改革と地方財政』(平岡和久・森裕之著、自治体研究社)を読みました。

私がまず懸念するのは「主権」のありか。岡田知弘さん(京大教授)が指摘していたのは、「『地域主権』と述べる際の『主権』のありかは、憲法上の主権者である国民・住民ではなく、あくまでも300程度に集約化された『基礎的自治体』なのです」(『道州制で日本の未来はひらけるのか(増補版)』(自治体研究社、2010年2月刊)。

「平成の大合併」で基礎的自治体である市町村は3232(1998年10月1日)から1817(2006年10月1日)に43.8%減ったわけですが、民主党はこれをさらに300程度まで減らすことが目標です。「基礎的自治体」といいながら、住民から自治体がますます遠ざかる「市町村合併」が前提なんでしょう。

「主権」の主体がそういう広域自治体で、住民ではないようなのです。

本書では、「地域主権改革」が、小泉構造改革時代の「『三位一体改革』と同じく、財政再建のための道具としての役割を担わされる可能性がきわめて高くなった」と評しています。

そのうえで、地方財政改革の内容は、地域に根ざした安全・安心な暮らしをつくりだす社会構造の改革のための方向を示してくれています。

医療・福祉政策のゆくえ

『医療・福祉政策のゆくえを読む』(伊藤周平著、新日本出版社)を読みました。

「生活困窮者や失業世帯、高齢者世帯などを必要な支援からますます遠ざける」「医療・福祉の介護保険化は、現在、急増している」という認識、そして「ここまで介護保険の限界が明らかになっている現在、政党や社会保障運動の側からも、介護保険法廃止とそれに代わる新法制定の立法運動を立ち上げる時期…当面は…難しいとしても、将来的に、それを見こして、高齢者も対象にすることを前提とした障害者総合福祉法を構想していくべきである」という提言は傾聴に値すると思っています。

民主党の政策をめぐり、「明確な政策理念・ビジョンが欠如しており、政策間の不整合が著しい」、「議員の多くは、社会保障についての専門知識がなく、内容よりもパフォーマンスを重視する傾向が目立っている」、「現金給付により所得保障さえすれば、あとは、個々人が医療・福祉サービスを商品として買えばよいという市場型の医療・福祉制度と容易に結びつきやすい」と特徴づけています。

社会保障の財源問題にもふれながら、望ましい医療・福祉制度のあり方を展望するうえで、たいへん興味深く読みました。

「強制連行」された朝鮮人

『炭鉱に「強制連行」された朝鮮人』(龍田光司著、いわき革新懇ブックレット3)を読みました。副題は「いわきから韓国を訪ねる」。

いわき市はかつて、出炭量が402万トン(1952年)を記録するほど石炭で栄えた地です。この産業を支えた鉱夫の中に、戦時中は2万人を超える朝鮮人がいました。戦時労働動員=「強制連行」された人びとです。

「設備の不完全な職場に昼夜なく酷使し、ついに惜しむべき青春を若死にさせた」(市内の性源[しょうげん]寺の「朝鮮人労務犠牲者の碑」)若者を含め、その犠牲者は少なくとも298人にのぼり、帰国した生存者たちのなかには今も後遺症に苦しむ人がいます。

いわき市は、「戦争の時代に、多くの朝鮮人の悲哀をもとに、『栄えた』炭鉱の町」(あとがき)と言えるかもしれません。

著者たちは、サークル「平和を語る集い」で25年前から「平和のための戦争展」を企画し続け、5年前からアジア諸国への日本の「加害責任」を考えるようになった、とのこと。

聞き取り調査は、韓国での生存者や遺族に及び、すでに韓国訪問は5回を数えています。

「韓国・朝鮮」をはじめとするアジアの人びととの交流と連帯をの輪を広げるにはなにが必要か、深く考えさせられます。

頒価500円。ブックレットのお問い合わせは、くらしと平和を守るいわき革新懇話会(いわき革新懇℡0246-23-0488伊東)まで。

認知症

『認知症30ヵ条』(認知症予防財団編、岩波ブックレット)を読みました。

認知症予防の10ヵ条、認知症介護の10ヵ条、認知症介護家族の接し方の10ヵ条の30ヵ条です。

認知症は誰でもがなりうる病気です。現在は約160万人の患者が、20年後には約300万人になると推定されていますし、今もご家族が苦労されている現実を私も見ています。

本書の30ヵ条すべてを「五七五形式」で覚えやすくまとめてくれています。

「歩こうよ 手足動かし 脳刺激」、「身だしなみ 忘れぬ気配り 張り生まれ」、「寝たきりや 孤独にしない 気づかいを」といった具合です。