放射能からママと子どもを守る

『放射能からママと子どもを守る本』(野口邦和著、法研)を読みました。

大半が見開き2ページでイラストつき。しかもそのイラストは、見てすぐできる安心対策の解説図。

国民の心を不安に駆り立てた「安全」宣言の見方から始まり、暮らしのなかで気をつけること、子どもの通園・通学・外出時に気をつけること、食べものや飲みもので気をつけること、赤ちゃんや妊娠中のママが気をつけること、そして放射線の基礎知識、最後は「すぐに役立つ放射能対策 Q&A」、巻末には「放射性物質を減らす調理法」もまたイラストで解説。

野口さんは、原発の「安全神話」とは無縁で、原子力行政にもきびしい批判を加え続けてきた、放射線防護学の第一人者。

三保恵一・二本松市長は、「科学者として倫理・良心に基づくアドバイスはいつも実際的です」と、この本を推奨しています。

原発を終わらせる

『原発を終わらせる』(石橋克彦編、岩波新書)を読みました。

編著者の石橋さんを含め、14人の執筆人。「安全神話」に取りつかれていた原発事故以前は、歯牙にもかれられなかったんだろうと私自身も感じます。

原子炉圧力容器や原子炉格納容器の設計にたずさわった技術者、金属材料学や原子力工学の研究者、技術史や都市計画、地方財政や環境経済・自然エネルギーの専門家などが、簡潔に語ってくれています。

新たな「安全神話」を再生産し、原発を続けようとする原子力村の思考がいかに時代遅れで危険きわまりないか、今だからこそ、私たちは肝に銘じるときだと思います。

原子力については、原発の廃炉が決まったとしても、その処理・処分や使用済み核燃料の処理・処分もあれば、これらを完全に社会から隔離する技術は開発しなければならないでしょうし、それを進める権限をもった独立した規制機関も必要でしょうし、そのための人材養成も必要です。

単純に「ハイ、サヨナラ」といかないのは難しいところです。

からだのなかの放射能

『これでわかる からだのなかの放射能』(安斎育郎著、合同出版)を読みました。

1979年の初版本の改訂新版です。その年の春には、スリーマイル島原発事故がありましたが、それが原因で日本の食品の放射能汚染が問題になったり、私たちのからだのなかの放射能が心配されたりの状況ではありませんでした。

その後、86年にはチェルノブイリ原発事故で輸入食品の放射能汚染が大問題になり、そして足元の福島原発事故により、原発由来のからだのなかの放射能に言及することは不可欠な事態になり、この本の刊行となりました。

福島原発の核燃料の中に封じ込められていたはずの放射性物質が、大なり小なり、私たちの体の中に侵入してくることは避けられないと思われます。

今や、いやおうなく、身を守るために放射能について基本的な知識を身につけておかないとならない時代に暮らさざるをえなくなったわけです。

本書は、からだのなかにひそむ放射性物質を糸口に、そうした知識を平易に語ってくれ、「放射能リテラシー」を身につけるには格好の本だと思います。

1979年刊の初版本。

 

原発と地域

『原発になお地域の未来を託せるか』(清水修二著、自治体研究社)を読みました。

きのうの「原発ゼロ緊急行動」の会場で購入しました。

「原発で地域を発展させよう、それしかない、と考えている人に、この稀有な体験の意味するものを伝えたいとの思い」で書かれました。

著者は福島に住むようになって31年。いまは福島大学副学長をつとめています。経済学・財政学の立場から、これまでもおもに電源三法制度を論じながら、原子力問題について発言し続けてきました。

今回の原発事故による「一瞬の局面転回で、生むことも、生きることも、死ぬこともままならい地域」がつくられてしまいました。

「地域とは、人が生まれ、行き、死ぬ場所」です。「原子力による地域の発展」の背景にあるのは、「国内に貧困な地域が存在」することです。でなければ、原子力施設は造れないのです。原発問題が地域問題であり、社会科学の問題の理由であり、沖縄の基地問題と非常によく似た構造がここにあるのです。

原発のウソ

『原発のウソ』(小出裕章著、扶桑社新書)を読みました。6月1日発行で、私の手元にあるのは6月25日の第四刷。

著者は1949年生まれで、原子力に夢を持ち、研究に足を踏み入れた人でした。が、原子力を学び、その危険性を知り、京都大学原子炉助教を務めつつ、原発の危険性を40年にわたって訴えています。

こうした専門家の真摯な訴えが無視続けられた結果が今の事態を招いたわけです。

日本に、第二次世界大戦後、今の電力会社ができて60年、原子力発電を始めてから45年です。さらにさかのぼれば、明治維新から143年、産業革命から200年、アメリカ合衆国建国から235年。

原子力発電所から、放射性物質が付着してしまった使用済みペーパータオルやら作業着などの「低レベル放射性廃棄物」が05年段階で70万本のドラム缶分たまりました。今後300年間お守りしなければなりません。

「高レベル放射性物質」に至っては100万年管理しなければなりません。

いったい誰が責任をもてるのでしょうか。

「原発をなくして電力はどうするの?」みたいな、財界を代弁する話はもうやめにしましょう。

福島原発の真実

『福島原発の真実』(佐藤栄佐久著、平凡社新書)を読みました。

「東電というよりも経産省、そして日本の統治機構そのものが抱える問題が、今回の事故の縦糸であり、また横糸でもある」と言い、「『必要だから、正しい。安全だ』という日本社会の至るところにある嘘と欺瞞は、こうしてメルトダウンしたのだ」という実感が、本書全体を貫いています。

福島県知事現職時、「(19)89年の福島第二原発のポンプ部品脱落事故をきっかけに…福島県は、専門の部署を強化し、自ら情報収集、分析できる力を身につけてきた。02年の点検結果、改竄・トラブル隠し発覚の際には間違いのない調査能力、分析力を発揮するまでになった」とは著者の自負であり、事実だと思います。

現在の佐藤雄平知事になってから、09年7月に4年ぶりに再会された福島県エネルギー政策検討会は、「県職員が県民の立場に立って自ら問題意識を持ち、考えようという意識は影を潜め、政府の原発政策を追認する会合に変容していた」。

02年の不正事件発覚時には、「原発の経済的利益を追いがちな県議会も、県と共闘するようにな」り、「本県においてはプルサーマル計画は実施しないこと」とする意見書まで採択したのに、現知事がプルサーマルに同意するや、「この意見書採択は『なかったこと』にしてしまった。議会という権威と、県民を守るとりでの役割を、自らかなぐり捨てた」と断罪しています。

著者が言う「県議会」の姿勢には、もちろん、共産党県議団はくみしていません。

科学史年表/楽しく軽やか

『科学史年表[増補版]』(小山慶太著、中公新書)を読みました。

大震災直前に発行された増補版です。

私が生まれた年(1959年)、ソ連のルナ3号が初めて月の裏側撮影に成功、2年後にはガガーリンが乗ったボストーク1号が有人宇宙旅行に成功、66年には2月にソ連のルナ9号、6月にはアメリカのサーベイヤー1号が相次いで月に軟着陸、私が10歳になった直後には、宇宙船アポロ11号に乗ったアームストロングとオルドリンの2人が人類として初めて月に立ちました。

昨年は、03年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」が、トラブルの連続を乗り越え、総飛行距離60億キロメートルの旅を終え、小惑星イトカワの岩石サンプルをカプセルに詰めて地球に帰りました。

ワクワクしてしまいます。

ともかく本書は、物理学と天文学の事項が多くはありますが、人間が、自然を解明する方法やその成果の受容の仕方など、自然に対峙する姿勢、認識の仕方がある程度鮮明に、本質的な変貌を遂げた17世紀からこれまでの400年あまりの旅を、楽しく軽やかな気分で味わえます。

原発事故と放射線/NHK記者・解説委員

『福島第一原発事故と放射線』(NHK出版新書)を読みました。

著者の3人は、事故以来、連日、NHKの画面に登場し続けた解説委員と記者です。

冒頭の「ドキュメント48時間」は、文字通りの「緊迫の放送センター」で、当時は私も、朝と夜はずっとテレビ漬けでしたから、緊張感がよみがえってしまいました。

情報過疎のなか、公共の電波に乗せる言葉をどう発するか、あのときの表情は切羽詰った気持ちが裏にあったんだなぁ、苦労しただろうなぁと思います。

視聴者からさまざまな疑問や質問も寄せられたと思います。放射線の健康への影響や、原発事故にかかわるそうした疑問にも、記者としてていねいに答えてくれています。

03年には民主党が原子力発電を「過渡的エネルギー」と位置づけていたのに、いつのまにやら自民党以上に原発を推進する方向に転換した点もきびしく指摘しています。

今後の国としてのエネルギー政策について、国民的な議論を具体的にできるような提言もしています。

きょうも雨で断念/「原発・正力・CIA」/党支部勉強会

夕べから午前中までの雨で、きょうも朝の定時定点と午前中、予定していた街宣は断念。

『原発・正力・CIA』(有馬哲夫著、新潮新書)を読みました。3年前の発刊で、たぶん、昨年買って、途中のままでした。最初からまた読みました。著者は、「日本の電力消費量が下がることはまずないのだから、これからも正力の導入した原発に対する依存は強まると見るべき」と書いている早稲田大学教授です。

先日、たまたま出会った県議は、元自民党で、現民主党ですが、ほぼ同じことを言っていました。この著者は原発事故後、考えは変わったのか変わらないのか、興味があるところです。

本書は原発の是非を語るものではありません。「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書は従来の説を覆す多くの事実が記されていて、こうした事実を中心に、日本の原子力発電導入にまつわる連鎖を詳細にたどることによって、戦後史の知られざる一面を照らし出すことを目的にしています。

午後は居住党支部会議に参加し、原発と放射能問題の勉強会をしました。

ある町内会では、町内各地の環境放射線測定結果を全戸配布したそうです。ほかの町内でこうしたことはないようなので、やはり行政の責任として実施させなければなりません。その数値の意味が住民にわかるように説明もちゃんとすべきです。

東電は30km圏内の補償しかしないので、私たちが言ってもムダみたい、と学校の先生が言っていた、の話も出されました。

これまた困ったものです。原発事故被害に「線引き」などありえないので、原発事故によって「自主避難」したり、避難した家族のもとに行くための費用はすべて補償対象です。自給自足の家庭菜園の野菜を廃棄せざるを得なかったことも補償対象にすべきです。「全面補償・賠償」とはそういうことです。あたりまえのことだと私は思うのですが、けっきょくこれも、世論と運動で実現させなければなりません。

みなさん、ひとごとにしないでください。

原発事故報道/福島から怒りの告発

 

『これでいいのか 福島原発事故報道』(丸山重威編著、あけび書房)を読みました。

丸山氏が指摘していますが、「『日本のメディアは政府、東電に支配されているのではないか』という指摘を覆す材料が紹介されないのは、非常に残念なこと」「ジャーナリズムは…権威に対抗して問題を掘り起こし、告発し、読者や視聴者に警鐘を鳴らす役割を持つものである。その原点が、いまもなお問われている」という点につきると思います。

いまテレビで流されている「公共広告機構」(AC)の「がんばろう日本」の仕掛け人や「原子力安全キャンペーン」の系譜(三枝和仁氏)も興味深いです。

塩谷喜雄氏は「2006年に共産党の吉井英勝議員が国会で、福島第一原発も含めて、津波の引き波によって原発の機器冷却が停止し、炉心溶融の可能性のあることを指摘していたことも、新聞やテレビはろくに伝えていない。事故後に、ネット上ではほぼ常識になっていることが、新聞テレビではなかったこととして処理されている」ことなど、報道と広報が限りなく「原子力ムラ」と同化してきた実態を告発しています。

本書の冒頭は、報道からは無視されてきたと言っていい住民運動から、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員で原発の安全性を求める福島県連絡会副代表でもある、浜通り医療生協理事長の伊東達也さんが、福島から怒りの告発をしています。