商店街の再生

『商店街はなぜ滅びるのか』(新雅史[あらた・まさふみ]著、光文社新書)を読みました。

県庁から家に帰る途中のラジオだったと思いますが、この本を絶賛する話を聞き、手にしたしだいです。

著者はまだ30代で、実家は酒屋、社会学を10年以上学んでいますが、「将来どのような社会になるのかまるで想像できない」、「経済的な理由もあるが…社会全体の先行きが見えないという理由」で「いまだに結婚もできていない」という境遇で「大学の非常勤講師で何とか糊口をしのいでいる」人です(「あとがき」)。

現存する商店街の多くは20世紀になって人為的に創られ、その繁栄と衰退を著者なりに解明してくれています。

そして商店街の再生のために、「地域で暮らす人々の生活をささえ、かつ地域社会のつながりを保証するために存在する」「規制」を強化すべし、と提起します。

生きのびるための科学

『生きのびるための科学』(池内了[さとる]著、晶文社)を読みました。

買って読み始めてまもなく、後ろのほうをペラペラしていたら、200ページ以降に100ページ台のページが入ってしまっている乱丁に気づき、、晶文社のホームページをみたら、「乱丁が発生しました」とお知らせがありました。さっそくとりかえてもらいました。

それはともかく、本書は、著者が新聞や雑誌、NHKのラジオ深夜便などで書いたり話したりした科学評論をまとめた4冊目の本だそうです。

しかも本書は、昨年の3・11を前後し、現代文明の脆弱さと異様さ、文明の転換期の視点、今回の人災と天災をより広い文脈でとらえる見方、科学者の社会的責任に加え、現代科学では不確実な知識しかない微量放射線の人体への影響の問題などにどう対応するかの糸口を見つけようとした著者自身の心の推移です。

55の文章のうち、30は原発震災前ですが、震災後の科学のありようを考えるうえでもきわめて示唆的です。私は池内評論のファンだからかもしれませんが。

原発と憲法9条

『原発と憲法9条』(小出裕章著、遊絲社)を読みました。

昨年7月に、滋賀県大津市での講演タイトル「原爆・原発と憲法9条」から本書のタイトルがとられていると思います。

端的に言うと、小出さんが、憲法9条についてどう語っているかを知るために読みました。

「他の解釈の余地もないほどに明確ではないでしょうか。軍隊なんて持たない、戦争はもう一切しない」。明快です。

「Nuclear Development」は、イランがするときは「核開発」、日本がするときは「原子力開発」、こうして「日本が原子力をやるのはいいことだ」と思わされていないか、とも指摘。

核兵器について、日本政府の公式見解が「核兵器だって持っていい」とはっきり言っていることを外務省文書や国会答弁で示してくれています。

この講演のほかに、原発震災後1か月の4月と、7か月半後の10月のインタビュー。

「原子力の問題というのは…憲法9条の理念や、『私たちがどうやって生きていく』『どうやってこの国を作っていくか』という、非常に根本的な問題ともリンクしている」との言葉が大事だと思います。

丸山重威さん/ジャーナリズムの仕事/斎藤茂男さん

憲法記念日にいわきでご講演いただいた丸山重威(しげたけ)さんから2冊の冊子(著作)をいただきました。

今年定年退職された関東学院大学での最終講義「マスコミュニケーションとジャーナリズム」(関東学院法学第21巻第4号、抜刷)と、日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」のコラム「視角」に2001年から2010年までの掲載分をまとめたもの。

最終講義で、南三陸町の有線放送アナウンスを担当し、津波にのまれた遠藤未希さんの「逃げてください」と叫んだ仕事について、「いまの危機を伝え、人々の行動の指針とするために働いたという意味で立派なジャーナリズムの仕事だった」との言葉が重いです。

また、「憲法を考えるのではなく、憲法で考える」ことの大切さを言い続けた姿勢を自らのものにしたいと思います。

5月3日の講演後にお話をしたときに、丸山さんが共同通信社出身ということで、私が「斎藤茂男さんといっしょだったこともあるんですか?」と聞いたことが、どうも印象に残ったようなのです。「私の師匠みたいな人です」とおっしゃっていましたが、そんなご縁で冊子を送っていただきました。

斎藤茂男さんのルポルタージュは大好きだったので、わが家の本棚の一角は「斎藤茂男ミニ文庫」です。

原発事故の被害と補償

『原発事故の被害と補償』(大島堅一・除本理史著、大月書店)を読みました。

「社会的費用」論、「環境コスト」論を理論的バックグラウンドにしつつ、大学院時代に同じゼミに所属していた2人による、昨年11月半ばまでの情報にもとづく、原発事故補償をめぐる「中間報告」です。

政府による「事故収束」宣言や、避難対象区域再編などの動きの前までですが、本書ではそれを前提に、被害の全体像(第1章)、従来の公害問題との共通性と異質性に着目した社会経済的側面の被害構造(第2章)、経済的被害を諸類型を整理したうえでの被害額の大きさ(第3章)、被害を引き起こした関係主体の責任に基づく補償財源(第4章)を論じます。

ともかく、福島原発事故による全面補償、エネルギー政策の転換を願い、「人間の復興」をめざす被害補償のあり方を示してくれています。

総批判「社会保障と税の一体改革」

『法と民主主義』4月号の特集「総批判『社会保障と税の一体改革』」を読みました。

おととい、憲法記念日の講演会会場で購入しました。当日講演された丸山重威さんが「特集にあたって」を書いています。

経済、財政、税制、年金、保育、医療保障、介護保障、「貧困・格差」対策、共通番号制度のそれぞれの分野の専門家12人が徹底批判です。

私には、「一体改革」推進の構図が、原発の「安全神話」浸透の構図と何も変わらなく見えます。

権力と大手マスコミが「一体」となって国民を騙し続けるこの構図を国民レベルで打開したいと強く思います。

騙された責任

『騙されたあなたにも責任がある』(小出裕章著、幻冬舎)を読みました。

「『騙されたのだから、責任はない』ということにしてしまえば、また同じように騙されてしまいます。それでは意味がありません。ですから、二度と騙されないために『騙された人には、騙された責任がある』と考えて欲しい」(まえがき)が本書のタイトルの根拠だと思います。

「なぜ東電と政府は平気でウソをつくのか」「さらなる放射能拡散の危機は続く」「汚染列島で生きていく覚悟」が本書の中身であって、「騙された責任をとれ」とは言っていないのですが、いま、ほんとうにこのことが日本国憲法のもとでの主権者に問われているのだと私は思います。

福祉国家と公務

『福祉国家型地方自治と公務労働』(二宮厚美・田中章史著、大月書店)を読みました。

これは、すべての公務員に読んでもらって、「公務」への誇りと、公務員へのわけのわからないバッシングを公務員自身によってはね返すカテにして欲しい、と素直に思いました。

たとえば数日前、いわき市内でも、新聞折込の広告に混じって、「消費税増税の前に、行政改革をせよ!」の見出しのチラシが入りました。いつどこでどんな人たちが立ち上げたのかは知りませんが、「福島維新の会」の名前が使われています。

曰く、「地方・国の公務員の数を半減し給与を五〇%削減し、国会議員の定数を半分にして、文書通信交通滞在費と政党助成金を全廃すべきである」。

経費の全廃はいいとして、公務員削減が平気で主張される世の中になってしまいました。原発震災で、公務員が圧倒的に少なく、県議会では、自民党、県民連合も、「職員をふやせ」と言っているにもかかわらず、です。

「官製ワーキングプアの増大は公務労働の労働者的地位にたいする挑戦状」であり、「『公務労働の市場労動化』は、公務労働の公共性と専門性とに同時に襲いかかるものにほかならない」。

とにかく、高級官僚と、地域住民に寄り添って専門的業務を担って地域に貢献する公務員をいっしょくたにし、物言わぬ公務員のしくみをいいことに、バッシングするありようは異様です。

地方の論理/「地方が地方であるまま」/持ち上げすぎ?

『地方の論理』(佐藤栄佐久・開沼博著、青土社)を読みました。

栄佐久さんは、私が県議1期目のときに、5期目の県知事を務め、その途中、06年9月でしたが、県発注のダム工事をめぐる「汚職問題」で辞職し、その後逮捕され、09年10月には東京高裁で「収賄額ゼロ」で有罪という判決を受け、最高裁に上告中です。

人生の20年も先輩の栄佐久前知事とは、憲法認識、県が進める行財政改革、教育基本法改定問題、義務教育国庫負担金の問題などで、本会議場で再質問・再々質問と議論しましたが、やはり原発・プルサーマル問題が印象に残っています。

とくに04年2月議会での総括審査会で、プルサーマル計画は白紙撤回したからその後はいっさい考えていない、と2度答弁されたことは強烈でした。私は「今後どんな考えで対応するのか」と聞いたので、なんだか答えてもらえなかったように思ったものです。

開沼さんは私の高校の24年も後輩で、まだ大学院博士課程在籍中の社会学者です。

本書で言う「地方」が、メディアや政府サイドから言われる「地域主義」「地方分権」「地方の時代」の「地方」とはずいぶん違う意味で使われています。

簡潔にいうと、「地方が地方であるままで生きていける論理」ということです。

たいへんに共感を覚えるのですが、それにしても、取材し、学ぶ対象とすることもあるかもしれませんが、栄佐久前知事を持ち上げすぎの感もないではありません。

セシウムの人体影響

『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響 チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ』(ユーリ=I=バンダジェフスキー著、久保田護訳、合同出版)を読みました。

肥田さんの『内部被曝』でも紹介されている研究成果です。

1990年から10年間にわたる、剖検を含む医学的調査、動物実験により著者は、体内のセシウム137による被曝は低線量でも危険、との結論に達しました。

本書では、体内の臓器に蓄積した放射性セシウムの量と組織の病変の関係について、心血管系、腎臓、肝臓、免疫系、造血系、女性の生殖系、妊娠の進展と胎児の成長、神経系、視覚器官のそれぞれを検証しています。

この結論は、当時のベラルーシ政府の見解に反しており、1999年に著者は別件逮捕され、投獄されたんだそうです。

低線量・長期被曝の人体影響について、こうした成果を無視してきた人びとを含め、ちゃんと議論し、認識を深め、被災者を真に救う医学の発展を望みます。