危機のなかの教育

『危機のなかの教育』(佐貫浩著、新日本出版社)を読みました。

130212危機の教育

就職氷河期、フリーター、非正規雇用、青年の引きこもり、ワーキングプア、青年のホームレス化、孤独死、無縁社会、貧困ビジネス、就活、年越し派遣村、派遣切り…

現代日本社会をおおうこの現実と深くつながった学校教育の現実をトータルに、客観的に把握できれば、日本の教育がおかれている極限的といっていい矛盾と危機が見えてくるに違いありません。

が、競争に囚われた日本社会は、その危機を危機としてとらえることができないまま、矛盾のなかを突き進もうとしているかのようです。

その事態を明らかにし、その転換によって、日本社会と教育の再生の望みが見えてきます。

そしてまた、3・11後の教育改革への一つの問題提起の書でもあります。

災害と子どものこころ/深く、広く、複雑化する大人の精神的被害

130212災害と子ども

『災害と子どものこころ』(清水將之編著、集英社新書)を読みました。

あの3・11が子どもたちの心に与えた影響についてずっと気になっています。本書では、1995年の阪神・淡路大震災時から子どもたちに寄り添う活動を続けている児童精神科医3人と、作家の柳田邦夫さんが執筆されています。

「泣いたり、怒ったり、イライラしたりする大人たちを間近に見る。認知症を進行させてしまった老人、アルコールに依存し始める大人など、普段の生活では出会わないような人たちを目撃する。さらに、警察官や安否確認などでやってくる見知らぬ人々が激しく往来する。このような場所で子どもたちが安心・安全を実感することは、とても難しい」。

私も震災直後の避難所で、そんな場面を目の当たりにし、自分が子どもの年齢だったら、この場面をどんな思いで見たんだろうか、と思ったのです。そして、こういう体験をして大人になったら、その時の体験・記憶が自分の人生にどんな負荷を与えることになるんだろうか、と思ったのです。

こういう災害時に、子どものこころを支えるために、大人たちは何を考え、どう行動すべきなのか、何ができるのか、ほんとうに私も悩みました。だけれども、その場の大人たちへの対応と、時間に流されてしまった気がして、今もまた悩み続けています。

原発事故の精神的被害は、時が経つにつれ、深く、広く、複雑化すると、客観的に思います。

社会保障の再生へ/財界主導の「自助、共助」

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『社会保障再生への改革提言』(日野秀逸監修・著、労働運動総合研究所編、新日本出版社)を読みました。

社会保障を総合的生活保障ととらえ、その充実は、大震災からの再建・復興はもとより、日本の労働者と国民全体に関わる、日本社会の憲法的再建・復興のために必要な、緊急の課題としての提言です。

日本においても社会保障は、国の責任を当然のこととしてスタートした事実があります。他方、社会保障を「自助、共助」にすり替える財界などの攻撃が執拗に繰り返され、今日の「社会保障と税の一体改革」もまた財界が主導している事実も明らかにされます。

また、財界による「新型経営」は、「雇用破壊」と「賃金破壊」が進め、失業者が増えるだけでなく、ワーキングプアを大量につくりだし、それが生活保護費を増大させ、社会保障給付費押し上げの一大要因でもあります。

社会保障政策立脚の大原則は、「平和的生存権」「幸福追求権」の具体化であり、運用面では「能力に応じて負担し、必要に応じて給付を受ける」ことが具現化されなければなりません。

必要な財源は、大企業の内部留保を社会に還元することを軸にした道を提案しています。

原発事故の理科・社会

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『原発事故の理科・社会』(安斎育郎著、新日本出版社)を読みました。

昨年9月に発刊されたブックレットで、1時間もせずに読み切れ、しかも実にわかりやすいです。

著者は1962年、日本に原発が一つもなかった時に、東大工学部原子力工学科の第一期生になった人です。

卒業してから3年後ぐらいから日本の原子力政策に疑問を持ち始め、地域住民とともに悩み、研究者としての社会的役割を考えるようになった、とのこと。

それから40年来の原発政策批判を通じて、日本の政治・経済の病根の根深さを感じ、福島原発問題を「理科」の側面だけでなく、「社会科」の側面からも徹底的に検討すべきだと確信したうえでの本書です。

放射線の健康へのリスクをどうすれば小さくすることができるか、「理科」の側面から実践的に考えながら、なぜ日本でこうした「安全性軽視で、経済開発優先主義的な」原発政策が進められてきたのかを考え、主権者として、国のエネルギー政策をしっかり見定めたい、との思いが込められた本です。

シビアアクシデント/軽水炉の特徴

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『シビアアクシデントの驚異』(舘野淳著、東洋書店)を読みました。

著者は1959年に日本原子力研究所研究員となり、のちに労組委員長もつとめました。1997年から07年までは中央大学教授、2000年には『廃炉時代が始まった』(朝日新聞社)を上梓されていました。

日本の原子炉の主流は「軽水炉」です。原子力分野の研究者・技術者は以前から軽水炉は熱の制御こそが問題であることを知っており、「軽水炉の最大の弱点は熱のコントロール機能が極めて脆弱な点」にあります。

そして軽水炉の技術的な特徴が、原発の備えている固有の安全性や、安全装置の範囲内では収拾できないシビアアクシデントが起きることです。

シビアアクシデント時代が到来していることは間違いなく、本書では、そのシビアアクシデント問題がなぜこれまで見過ごされてきたか、あるいは隠蔽されてきたのか、開発の歴史と技術の両面から追求しています。

福島原発事故の経過についても、4つの事故調査報告書(政府事故調、国会事故調、民間事故調、東電事故調)から再現し、シビアアクシデントにまったく無防備だったことも立証しています。

割に合わない原発

130129割あわない原発

『原発はやっぱり割に合わない』(大島堅一著、東洋経済新報社)を読みました。

著者が一昨年に著した『原発のコスト』(岩波新書)は、昨年の総選挙まっただ中、第12回大仏次郎論壇賞の受賞が決まりました。

本書でも、原子力が、火力や水力などの既存電源と比べて非常に優遇され、国家財政から技術開発費用、立地対策費用などに多額の資金が使われていることを示してくれます。

福島原発事故の巨額な事故費用がこれに加わり、まして使用済核燃料の再処理をするようなことがあれば、そのための費用もふくらみ、原発のコストは上がる一方です。

しかも原発事故は、金銭換算できない被害をもたらし、私を含め、長期間にわたって被害者を苦しめ続けます。

まったくもって割が合いません。

電気料金の中に核燃料サイクルのための費用徴収システムが国民には見えないように組み込まれている金銭的仕組みを含め、原発への資金重点配分システムをなくし、再生可能エネルギーのために転用させなければなりません。

科学の限界/等身大の科学

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『科学の限界』(池内了著、ちくま新書)を読みました。

1996年、J・ホーガンは、科学研究が認識論的限界・物理的限界・経済的限界に差し掛かっていて、これらの限界を科学は克服できないのではないかと問いかけ、「科学の終焉」を論じました。

本書ではより広い文脈から科学の限界を検証したい、として、①人間が生み出すものとしての限界、②社会が生み出すものとしての限界、③科学に内在する限界、④社会とのせめぎ合いにおける限界、の4つを考察します。

そのうえであるべき科学の姿を提示するのが本書の圧巻です。それは複雑系の科学と結びついて最先端科学となる可能性があるとともに、博物学の復権にも寄与する科学です。

「文化としての科学」「人間を大切にする科学」、そしてサイズも費用も身の丈に合っており、誰でもが参加できる「等身大の科学」の提唱です。

渡辺治の政治学入門

『渡辺治の政治学入門』(新日本出版社)を読みました。

全日本教職員組合(全教)が発行する雑誌『クレスコ』に、2010年7月号から2012年9月号まで22回にわたった連載に加え、連載時に字数の関係で削った部分の復元と、執筆時点後の「現在からのやや長めの補足」も書き加えられています。

現在進行中の政治過程を扱っていて、臨場感あふれるその分析は、頭の中を整理するうえでものすごく参考になります。

「新自由主義時代の第一期は、1990年の冷戦終焉から2007年9月の安倍政権崩壊まで」、「第二期は、2007年9月の福田政権から、2012年野田政権の半ばまで」、「第三期は…(20)12年6月の三党合意を境にして始まった、後期新自由主義時代」と、最終回の補足で解明しています。

政治を見る確かな目と、今の事態を国民多数の力で打開する方向を見定めるための格好の書だと思います。

山中伸弥・益川敏英対談

『「大発見」の思考法』(山中伸弥・益川敏英著、文春新書)を読みました。

お二人の対談ですが、2年前の2010年のことで、山中教授はノーベル賞の有力候補と騒がれていた時期の対談です。

2006年8月25日、山中教授が世界トップレベルの学術誌『Cell(セル)』に、「マウスの皮膚細胞に四個の遺伝子を導入してiPS細胞を作った」という内容の論文を発表し、2012年度ノーベル医学生理学賞を受賞しました。

かたや益川さんは、「小林・益川理論」を1973年に発表し、その理論がほぼ30年後に証明され、08年ノーベル物理学賞を受賞。

その2人の対談は痛快です。人々の知的好奇心を刺激し、夢とロマンを与えること、人類の文化に立派に貢献することの基礎科学のありようを、政治としてもしっかり位置づけるべきです。

「なぜ一番でなければならないんですか?」みたいな馬鹿げた質問をして基礎を切り捨てる政治家は不要です。

低線量汚染

『低線量汚染地域からの報告』(馬場朝子・山内太郎著、NHK出版)を読みました。

NHK「ETV特集」緊急出版! と銘打たれています。

2008年には、チェルノブイリ原発事故後の除染作業者の白血病と白内障、それに小児甲状腺がんだけを原発事故の放射線の影響と認める報告書が、「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR;アンスケア)から公表されました。

一方、昨年4月、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ3国の政府関係者、IAEA(国際原子力機関)などの国連の諸機関、G8、EUの首脳が集まって、原発事故から25年が経ち、事故収束へ向けて話し合う「キエフ国際科学会議」が開かれ、「チェルノブイリ事故から25年 未来のための安全」と題した「ウクライナ政府報告書」が発表されました。

この政府報告書では、体中のありとあらゆる組織の病気が記され、これらの病気が原因で被災地の人々の健康は事故直後と比べ、著しく悪化していることが指摘されました。

限定的な影響しか認めない国際機関、数え切れないほどの多くの疾患を認めるウクライナ政府。

本書では、チェルノブイリ原発から南西に140km離れたジトーミル州コロステン市を中心に、医療関係者、政府関係者、住民を取材し、テレビ報道されたその実態が文字にまとめられています。

原発事故は、被災者という立場からすべての人が脱することができたときに終わるのです。

そのことを日本政府はシカと心してほしいと思います。