時間とは/生き生きと生きていくこと

『時間とは何か』(池内了著、ヨシタケシンスケ絵、講談社)を読みました。

まぁ、この2か月間、あんまり短すぎるように感じていたところ、私がファンの宇宙物理学者が「時間」について書いている本を、行きつけの本屋さんできょう、目にしてしまいました。初版は3年前。

物理学者ですから、話の大半は私たちが実際に体験する「物理時間」のことですが、最終章(8章)で、ちゃんと「心理時間」に触れてくれています。

いつも同じ速さで時間が流れているはずなのに、時間の感覚が短くなったような気分に追い立てられていることを、エンデという人が「モモ」という作品のなかで、「時間どろぼう」と呼んだそうです。

時間と競争するかのように忙しさに追われていることをテーマにしたことがうかがわれますが、どうも、アレコレ他のことを考えないため空白の時間が多くなるほど時間は短くなるようです。

流れる時間のなかに、どれくらいの思いが詰まっているか、によって時間が引き延ばされているように感じるようです。

子どもの時間はさまざまなものが詰まっていて、次つぎとなすべきことがあるので時間が長く感じられ、年をとると時間の空白が多くなってスカスカになっているので時間が短く感じるのかもしれない、とのこと。「何にでも興味があり、いろんなことにチャレンジすると老人の時計も速く回るようになり、若さが保たれることになりそうです」。

まぁいずれにせよ、時間は止めることはできず、それだけに「私たちは、時間を大事にして、いつも生き生きと生きていくことが大事」、というのが結論。

福島原発事故

『福島原発事故』(安斎育郎著、かもがわ出版)を読みました。副題は「どうする 日本の原発政策」です。

著者の安斎さんは、4月17日にいわき市にも来られた放射線防護学の専門家です。「東日本大震災・原発震災緊急報告会」で「放射能 そこが知りたい」のテーマで講演もしていただいたかたです。

1962(昭和37)年に、この日本で原子力政策を進めるために必要とされる技術者を養成する機関として創設された、東京大学工学部原子力工学科の第一期生です。

それ以来50年にわたり、とくに東大医学部助手時代に、尾行・差別・ネグレクト・威嚇・懐柔といったさまざまなアカデミックハラスメントにさらされながら、原発政策批判にとりくんできました。

3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、1923年の関東大震災の約45倍、1995年の阪神・淡路大震災の約350倍のエネルギーです。

この地震の揺れと津波に加えて、大量の放射線放出を招いた福島第一原発の事故が重なり、地球上で、人類が初めて体験する災害となりました。

「無力感に打ちひしがれることなく、一人一人が自分にできることを実践すること―これがいま一番大事」、「悔やんでも元へ戻らないことは悔やまず、事態打開の再出発のために力を尽くす…ゆとりがある人は資金を、元気な人は労力を、知恵のある人はアイデアを、言葉のある人はメッセージを、それぞれ出し合ってよりよく生きられる状況を切り開」くことを願い、全編書き下ろしです。

放射能や放射線、原発の基本についても、心を砕いて書かれています。

復旧・復興へ/井上・大門参院議員/住み続けられる地域

井上さとし・大門みきし両参院議員がいわき入りし、津波被災地域の復旧・復興へ向けた視察をしました。

小名浜漁港、小名浜地域、永崎、江名、平豊間・薄磯とまわりました。

漁港では漁民としばし。「日本は漁業の国。漁民は魚をとって生活を成り立たせる。しかしいまは原発事故の影響で漁の見込みはない。だけど2日に一回ぐらいはエンジンをかけに来るんだ。メヒカリ、タコ、イカをおもにとっているが、早く生活を取りもどさせてほしい」と。

豊間・薄磯ではそれぞれの「災害対策本部」で地域のみなさんと。「復興に時間はかかるが、地元の声をしっかりと活かしたい。豊間・薄磯・沼ノ内の地域が一体となって計画を提案している。なにより、現在の観光資源や漁業・水産加工業を再生し、住み続けられる地域づくりに力を貸してほしい」と。

「壊滅」と言っていいまちを前に、地元のみなさんがこうして復興計画を話し合う姿には、勇気づけられる思いです。

中小企業を営むかたがたからも、実情や要望もうかがいました。

また薄磯地域では、党の呼びかけで、ガレキ片付けなどのボランティアに全国から来られていました。

「かけはし」5月号/20分、30分/業者の苦しみ

通信「かけはし」5月号をご近所240軒ほどに配布しました。

「『安全神話』の大罪」をテーマにしました。表紙の写真の前列に並ぶのは、左から大熊町・石田洋一町議、浪江町・馬場積(つもる)町議、広野町・畑中ひろこ町議。

大熊町は全町が警戒区域、浪江町は警戒区域と計画的避難区域、広野町は緊急時避難準備区域で、党議員のみなさんは避難先でそれぞれの町民のみなさんに寄り添い、要望を聞き、励ましあう暮らしを強いられています。

配布していると、「原発事故は共産党の言うとおりだった。何年も前から国会で今回の事態を警告していたことを最近知った」と。またあるかたは、「日本海側の子どもの家に避難していた。いったい誰が原発は安全だと言い続けたの。小さい子どもたちが外で遊べるように早くしてほしい」と。立ち話ですが、あっという間の20分、30分です。

運送業者をたずねました。3月11日以降の仕事の激減で、十何年かぶりに年度決算が赤字になり、原発がある地域の仕事はまったくなくなったし、地震・津波で事業再開の見込みがないお客さんも少なくない、そのうえ原発事故によって「いわき」を避ける事態もあり、今年度も先がまったく見えない、と、その苦境を語りました。

別の事業所でも、「10人程度の従業員だが、それぞれ家族があり、守らないとならない。個人的にお金を貸すにも続かない。原発事故がなければこんなことにならなかった。仕事がないことがいちばんつらい。何とか助けてほしい」と、悲痛な訴えです。

原発事故がなければありえなかったことが、中小業者を苦しめています。全面補償は絶対的に必要です。

岩間・小浜・サンマリーナ/復興の進め方/まちづくり

【サンマリーナ】

大震災日以来、約1230平方kmの面積があるいわき市の南部に行く機会がなく、きょう、初めて足を踏み入れました。

【岩間】

【岩間】

【岩間】

岩間町、小浜(おばま)町、泉町下川のいわきサンマリーナの様子を見ました。

あれから2か月がたとうとしていますが、片づけがなかなか進まないようです。

【小浜】

【小浜】

【小浜】

久之浜、四倉、薄磯、豊間、江名、永崎、小名浜、小浜、岩間と、いわきの海岸地域のまちを住み続けられる「まち」としてどう復興するか、その地域に住む人たちを中心にその復興をどう進めるか、ほんとうに大きな課題です。

政治や行政が、住民の意向に沿ってまちづくりをサポートする本来の姿を取りもどせるかどうかもまた課題です。

住み続けられる地域、安心の医療と介護と福祉と教育、防災のまち、地域単位で家庭が自給自足できる自然エネルギーの活用などがこれからのまちづくりのキーワードのように思います。政治と行政は、これをしっかりと支えればいいのです。

法要/ここにも原発の影響/地震被害

【元三大師像・大高寺】

伯母の1周忌の法要がありました。

3月下旬に予定していましたが、大震災により、メーデーのきょうになりました。いろいろなところに影響を与えます。

【大高寺・〔いわき百景〕より】

お寺はいわきで唯一の天台宗の寺院・大高寺(だいこうじ)。

ここにも原発事故による影響があります。

境内には元三大師(がんさんだいし)の像。

お墓へ行くと、ここの墓地でも大地震の被害。向こうに見えるのは呉羽総合病院。

ともかく、いとこ夫婦や家族が一堂に会する機会となりました。どうしても話題は震災被害と原発事故とこれらに対処するはずの政治。とくにこの地域の直下は4月11・12日の震源域でもあり、たいへんです。

玉本京都市議/民医連/地区復興計画

【永崎・大平川橋】

玉本なるみ京都市議がいわき入りし、津波被災地の実情を見、避難所やご自宅の被災者を見舞いました。

玉本さんとは、大学時代に民青同盟や党の活動をともにした仲。私が全日本民医連事務局に勤めていたころ、京都の民医連事業所で保健師として働いていて、全国交流会で顔をあわせていた仲でもあります。

小名浜生協病院では、全日本民医連の応援を受けた組合員訪問やボランティア活動の最終日で、かつて事務局でいっしょに働いていた仲間3人とも再会できました。

【薄磯南街】


玉本さんとは津波被害が大きかった薄磯・豊間・永崎地域に入りました。

【豊間中学校】

豊間地区では、「子孫が住み続けられるための復興計画を徹底して考えている」と、区長さんたちから話を聞くこともできました。

避難所から自宅にもどっていた高齢者は、「戦争中の空襲の様子もはっきりおぼえているが、津波はもっと怖かった」と、その恐怖を語っていました。

避難所では、家を流されたかたがたが、「市を通してあしたから住むアパートが見つかったが、いまこうしていっしょの隣近所のみんなとはバラバラになってしまう」と。

この訪問には、ボランティアでいわき入りしていた「女性のひろば」編集部の兼本由美さん、「しんぶん赤旗」論説委員の竹腰将弘さんも同行してくれました。

生協ニュース/原発・放射能学習会/花見山/同級生

午前中、震災特集2㌻立ての「浜通り医療生協ニュース」2011年春号(203号)を配布しました。組合員が住むそれぞれの地域でご近所に配布しています。このネットワークを実質的なつながりにしていくことが、私たちの課題だと自覚しています。

途中出会ったかたは、「だんなの浪江(なみえ)の実家は津波で流されたが行くこともできない。家族は散り散りで避難してバラバラになってしまっている。双葉町の親族も、一時帰宅した家の中は地震で棚から何から倒れており、1人で行っても片づけられるはずもなく、手に持てる貴重品だけを持ち出しただけ、と言っていた」と、切々と語ってくれました。

午後は、内郷高野(うちごう・こうや)地域で「なぜ、原発事故が起きたの? 放射能は大丈夫?」の学習会に伊東達也さんと参加。

「いまからジャガイモを植えていいだろうか」「ここで育った豆を子どもに食べさせてもいいだろうか」「フトンを干したいが大丈夫か」「洗濯物は外に干せるのか」「話に出てきた放射線量の数字は大人のことだと思うが、子どもにとってはどうなのか」「原発にかわるエネルギーはあるのか」と、疑問は根本的です。

この近くには高野花見山があるんです。ちょっと寄ったのですが、少なくとも1時間は歩きたいです。

帰りに、中学同級生宅に立ち寄りました。親子で在宅していたお宅では、大地震の日、原発事故後の4日間の避難生活、その間の出来事、それぞれの知り合いから聞いた悲劇や出来事など、ほんとうに尽きませんでした。

もう一人の同級生はスーパー勤めで、地震翌日から市内各地の開店店舗をまわって仕事を続けていたそうです。

市長申し入れ/商工会議所・森林組合・磐林協/原発の深刻さ

「未曾有の大震災と原発災害において市民の安全安心の確保のための要望」を、党としていわき市長宛てにしました。

原発事故への対応、雇用の確保、被災住宅などへの支援、避難所の衛生、一時提供住宅など、19項目の要望です。

副市長が対応してくれましたが、別件の対応をしていた市長も冒頭と最後にじっくりと話をしてくれました。

その後、いわき商工会議所、いわき市森林組合、磐城林業協同組合をたずねて懇談。

商工会議所では、震災後、廃業や会員脱退増加、原発事故による出荷受け入れ「拒否」、ホテル・旅館など観光客の激減などの深刻な影響の実態が語られました。商業だけでなく、市民生活全般にわたって、「オールいわき」で「声を出す」ためにも、連絡会議立ち上げを市や市議会に要請したい、と。

森林組合・磐林協では、地震によって通れなくなってしまっている林道、補助事業の予算がストップしてしまっているために仕事が成り立たず、原発事故により職場である山にも入れない実態が語られました。

原発事故によるあらゆる被害の全面補償は聞けば聞くほどほんとうに切実です。

内郷・好間行動/励まされる声援

内郷(うちごう)・好間(よしま)地域の党後援会いっせい行動日でした。

今週29日には、内郷高野(こうや)地域で原発事故・放射能についての学習会があり、そのお知らせ・チラシまき、避難所になっている内郷コミュニティセンターへの炊き出し、そして好間地域での震災見舞い宣伝隊に分かれて行動しました。

私は好間地域で9か所の街頭から。

こうして宣伝カーで話していると、「声を出して歩いてくれるのは共産党だけだね。大事なことだよ」と声をかけてくれるかた、「話を聞かせてもらったよ。こういうことを言えない人を議会には送り出したくないね」と言ってくれるかた、話しているまん前に座って聞いてくれ、終えると「がんばってよ~!」と声をかけてくれるかた。

道路沿いでは手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、また、事業所から手を振って送り出してくれたり。

みんなが被災されているなか、ほんとうに励まされる声援です。

話しているのは、お見舞いとお悔やみ、人災の原発事故では風評被害を含め、東電と国による全面的な補償を超党派で実現させるべきこと、これからのまちづくりは、原発に頼らず自然エネルギーを活用する政策への転換、防災と福祉を柱にすることが今回の震災が示した教訓であること、こうした新しいまちづくりをごいっしょに進めるため、がんばりましょう! ということです。