岩見隆夫さん/「不破講義の一読を」/トイレなきマンション

きのうは不破哲三さんの「原発災害講義」も参考に、学習会用にと思ってレジュメなど資料もつくりました。

きょうの「毎日新聞」では、岩見隆夫さんが「近聞遠見」でこの「不破講義」を「トイレなきマンション」と題して紹介していました。

「原子力への理解を深めるためにも、不破講義の一読をおすすめしたい」というわけです。その講義は「しんぶん赤旗」5月14日付に3ページにわたって掲載されています。

岩見さんは不破さんを「二十数年間、原発災害という同じテーマで質問し続けた唯一の政治家」と紹介し、この話が「日本の原発について歴史的、体系的に振り返り、なにしろわかりやすい」と評しています。

不破さんが最初に質問したのは1976年ですが、それ以来ずっと「政府側の反応はすべて〈安全神話〉に浸りきったもの」で、岩見さんは不破さんが「政府側がほとんど何も知らないことに驚いた。それから35年たっても、原発の後始末の面では何の手も打たれていない。だから、原発は〈トイレなきマンション〉と言われてきたのだ」と語っていることも紹介しています。

きょうは党の全県活動者会議があり、久保田県委員長が最初の報告でこの記事を紹介していました。

窓際で日向ぼっこする、ウチのペロ。

原発推進から撤退へ

17日に志位和夫委員長が菅直人首相あてに提出した「復興への希望がもてる施策、原発からの撤退をもとめる―大震災・原発災害にあたっての提言(第2次)」と、10日の不破哲三さんによる「古典教室」での講義を参考に、学習会用レジュメを作ってみました。

原発推進から撤退へ

一 福島原発事故で明らかになったこと

Ⅰ いまの原発技術が本質的に未完成で危険であること

①   軽水炉の構造上の本質的欠陥

核反応が止まっても、ウランから生まれた核分裂生成物が出し続ける崩壊熱を冷やし続けるために、水を供給し続けなければならない。ところが今回、地震と津波の影響で電源が全部失われて水が止まってしまった。

原子力発電の根本的・本質的欠陥

原子炉内に生まれる大量の“死の灰”を原子炉内部にぜったいかつ安全に閉じ込める技術を人間はまだ手に入れていない。

使った核燃料の始末ができない

原子炉から取り出した“死の灰”である「使用済み核燃料」を始末するシステムを人間はいまだ開発できないでいる。日本は使用済み核燃料を、使えるプルトニウムと残りカスに分ける「再処理」路線を強行しようとしている。

さらに危険な残りカス=高レベル放射性物質

放射能が半分に減るまでに、何千年、何万年もかかる高レベル放射性物質をどこでどう始末するかも、人間は答えをもっていない。

Ⅱ 世界有数の地震・津波国に集中立地することの危険

日本列島のどこにも、大地震と大津波の危険性のない「安全な土地」と呼べる場所は存在しない。大地震・大津波にみまわれる危険性がないと断言できる原発はひとつもない。

Ⅲ 「安全神話」の大罪

いまの原発技術が本質的に未完成で危険という認識ももたず、その原発を地震・津波国で大増設することの危険性の認識ももたず、どんな技術にも「絶対安全」は存在せず事故の可能性は排除できないという認識ももたず、「安全神話」にどっぷりつかってきたために、対策をもたなかった。現在の事態を招いたのは歴代政府、電力会社の大罪。

Ⅳ 原発事故は明らかな人災であること

「安全神話」を追及し、最悪事態を何度も警告した共産党や市民団体の声を無視し続けた結果に起こった事故であり、明らかな人災。「自然の驚異」「想定外」の言葉は責任逃れ。

国会では、監視体制の問題 (76年1月、99年11月)、使用済み核燃料の危険性・処理不能の問題(76年1月、99年5月)、「安全神話」の問題 (80年2月)、震源域への立地の問題 (81年2月)、冷却水喪失の危険の問題 (06年3月)でも、国と電力会社は聞く耳を持たなかった。

とくに冷却水喪失の危険は、「原発の安全性を求める福島県連絡会」の指摘に基づき05年2月に私が福島県議会で明らかにし、「連絡会」が同年5月には文書で「福島原発の抜本的対策」を東電に求め、07年7月には党県委員会・県議団・「連絡会」連名で「冷却材喪失による過酷事故に至る危険」を指摘し、「福島原発の耐震安全性の総点検」を東電に求めていた。

すべて無視された。

人災と認め、風評被害を含めて被害への全面賠償をさせなければならない。

二 原発推進から撤退への転換のとき

Ⅰ 原発からの撤退の戦略的決断

原発からの撤退を政治的に決断し、原発をゼロにする期限を決めたプログラムを政府の責任でつくること。そのさい、

・    福島第一・第二原発は廃炉にする

・    原発の新増設は中止する

・    浜岡原発は廃炉とする

・    老朽化した原発の運転は中止する

・    住民合意のない原発の運転は中止する

・    放射性廃棄物の再処理施設を閉鎖する

・    プルサーマルから撤退する

・    自然エネルギーの開発・普及・促進、低エネルギー社会への移行のために知恵と力をそそぐ

Ⅱ 安全優先の原子力管理体制の確立

原発の運転停止後も、廃炉までには20年かかるといわれ、その過程で放射能が外部に流出しない最大限の努力が不可欠である。また、未確立の使用済み核燃料の処理技術を確立し、処理作業が完全に終了するまで、きわめて長い期間、核廃棄物を環境から厳重に隔離し、監視し続けなければならない。

原発ゼロにいたる期間のすべての段階を、厳重な安全優先の管理と規制の体制のもとで進めるためにも、強力な権限と体制をもった原子力管理体制の確立は緊急につくりあげなければならない。

以上

原発事故緊急対策マニュアル/人災/科学と社会

『原発事故緊急対策マニュアル』(日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会編、合同出版)を読みました。

もともとこの本は、22年前の1989年6月に出版された本の新版です。チェルノブイリ事故の3年後でした。

旧版は、「国民に原子力発電に伴う危険を正確に知らせず、しかも、万一の事故の場合の対策を示さないことは許されない」として書かれましたが、その「万一の事故」を目の当たりにしての新版です。

旧版が出版された89年正月には、福島第二原発3号機で深刻な事故が起こっていました。原子炉のアクセルとブレーキに当たる重要な装置である「再循環ポンプ」が大破損していたのです。警報がなっているのに、約1週間後の定期点検予定日まで運転を引き延ばそうとしていたと推測されています。

再循環ポンプや配管が破損した場合、冷却材喪失事故を起こす危険があるわけですが、「そうした事故は起こらない」とする安全神話が現場に浸透していたというほかありません。

そうしたときに発刊された旧版の警告はけっきょく生かされませんでした。どこからどう見ても今回の事故は人災にほかなりません。

この新版は、「原発由来の放射能というまったく無用な人為的被ばくから市民の命と健康を守るために少しでも役立つとともに、科学と社会の関わり方、とりわけ科学者の社会的責任に関して新しい議論の契機にもなることも願って」書かれました。

ボランティア/塩屋崎灯台と美空ひばり/全面賠償

きのうからあしたまでの3日間、兵庫県と群馬県の党のみなさんが、水害にあった家の泥かき、床下の海砂の撤去、家の前のガレキの分別や撤去などのボランティアに来てくれています。

出かける前の芦屋のみなさんと。

きょうは豊間地区に入りましたが、2か月以上たっても、片づけがなかなか進まないのが現状です。

塩屋崎灯台近くの「永遠の美空ひばり像」は、あの大津波のあとでも、前に立つとちゃんと歌声が流れ出します。

平市街地の食品卸問屋さんに寄ると、「4月の売上は昨年の7割台、今月はゴールデンウィークはぜんぜんダメで、現時点で6割台。完全な赤字で従業員の雇用もむずかしい。原発事故がなければこんなことにはならない。補償の対象ではないのか」と。

「原発事故がなかった場合の収入と、現実の収入との差をすべて賠償するのが筋で、そのことを声に出すことがいま大事なこと」と伝えました。

この「全面賠償」の原則を国は明確にすべきです。

小名浜「定時定点」/現実の政治/藤の花

火曜日朝の定時定点は小名浜。医療生協職員後援会、地域居住後援会、地域職場後援会からそれぞれ「旗持ち」と「手振り」に出てきてくれ、ありがたいばかりです。

元気にあいさつしていってくれる高校生、散歩しながら耳を傾けるかた、クラクションを鳴らしたり手を振っていってくれる通勤のドライバーのみなさん、ごぶさたしておりました。

小名浜地域で、医療生協の組合員宅をたずねました。職員後援会員から「あのお宅をぜひたずねてほしい」と言われていたのでした。

行くと、私が小名浜生協病院に来た当初から、外来では顔をあわせるたびにひとことごあいさつは交わしていたかたでした。お名前も住所も存じあげなかったのに、こうしてご自宅でお会いできるとは…

原発の問題でも医療の問題でも、共産党の言うことを現実の政治に活かしてほしい、とおおいなる励ましを受けました。

あちこち歩いていると、市内のどこの山やまでも藤の花が満開です。生協病院の道路をはさんだのり面にも。

そこにのぼって花の間から病院建物をのぞきました。

「定時定点」再開/同級生/住宅リフォーム/散髪

きょうから、月・火と朝の「定時定点」を再開し、6月からは震災前にもどそうと思います。

月曜朝は自宅近くの街道沿いと、そこからさほど離れていないバイパス道路の出入り口。それぞれ近所の後援会員も出てきてくれて「旗持ち」と手振り。これだけでもなにか、日常を取りもどせる思いです。

近所の家から出てきてくれる人、車の中から笑顔で手を振ってくれるドライバーや高校生、それにきょうは偶然にも、それぞれの場所を高校同級生が出勤で通りかかって声援を送ってくれました。ありがとう!

4日前に医療生協を通して相談を受けたかた宅を「報告」のためにたずねました。91歳の女性で、ちょっと高台の家の玄関へ行くにも多少難儀を感じておられるようなので、市の事業である高齢者などのための住宅リフォーム制度を紹介もしました。介護認定を受けていないので、認定手続きをしてから介護保険制度を使う手もありますが、金額的にはリフォーム事業がいいと思います。ともかく、両方の話をしてきました。ちょっと混乱したかな、と心配です。

散髪もしてすっきり。若い店員が、ハサミをカチカチさせながら、最初から最後まで、3月11日からきょうまでの話をしてくれました。

復興財源/復興国債/大企業の社会的責任

大震災の復興財源をめぐって、庶民にだけ負担を求める消費税増税しかないかのような議論もあります。腹立たしいことこのうえない議論です。

この件では4日前(11日)の衆院財務委員会で党の佐々木憲昭議員が取り上げました。

資本金10億円以上の大企業の「利益剰余金」と「資本剰余金」の内部留保の合計は2010年12月末で約231兆円にふくれあがり、現預金と有価証券は約52・5兆円です。大企業の多くは、内部留保を現預金だけでなく、株や債券で運用しています。

佐々木氏は、大企業の現預金と有価証券の1割を使って復興国債を引き受けてもらうだけでも5兆円を超える財源が生まれることを指摘。なおかつ、大企業の内部留保にみられる資金力を震災復興のために生かすのは大企業の社会的責任だ、と提起しました。

至極当然だと思います。

それから、共産党以外の政党が国民にそ知らぬ顔をして受け取っている政党助成金は即刻、復興のために返上すべきです。

震災後の国会でこうしたことを言い続けているのは共産党だけですが、原発震災を指摘し続けていたのも共産党だけだったことを見たときに、民主党政権ではけっきょく政治は変わらない、という姿を見せつけられているだけのようです。

酪農家訪問/後手後手の国・県

おもに原乳を生産している市内の酪農家をたずねました。

地区党の菅野委員長、宮川さん、高橋・伊藤市議といっしょでした。

原発事故後、3月12日から4月17日までは事故の影響で出荷ができず、18日以降は出荷は再開しています。牛に食べさせる干草も、自家製から購入品に変えざるを得ません。

県や政府の後手後手のに対応に、将来だけでなく当面の暮らしの不安も強く、また、放射線測定も地点を増やし、実態を正確に把握した対応が必要だ、と。当然のことだと思います。

ご本人は放射能汚染実態情報をインターネットからも日々収集し、「データ重視で堅実な対応をするつもり。それだけに、行政は、われわれ酪農家だけでなく、国民が安心できる放射線測定体制を整備して迅速に公表することが最低限のこと。国や県がどうしたらいいかわからない、みたいな姿勢では、安心できないし先も見えない」と。

全面補償の方向も不透明なら、原発事故後の放射線管理体制も不透明では、ほんとうに困ります。

時代の証言/ペンネーム/演説

『不破哲三 時代の証言』(中央公論新社)を読みました。

「読売新聞」2010年11月1日~12月11日に連載されたインタビュー記事をもとに、新しい回想や論及も含めて、日本の政治史の現在と将来を考える材料の記録としてまとめられました。

中身はともかく、「不破哲三」のペンネームですが、1953年当時に住んでいた家の近くで、争議があったペンキ屋さんの「不破建設」と、勤めていた職場の鉄鋼労連の「鉄」をもじってつけたんだそうです。共産党の機関誌『前衛』1953年9月号掲載の論文かぎりのつもりが、1956年2月のソ連共産党大会でフルシチョフがスターリン批判をし、これを契機に世界的に革命論をめぐる活発な議論の関わりで、この「不破」名を使い続けることにしたとか。

1969年12月に国政選挙初出馬の際、一般の人の前で世間に通じる話をするのは、それまで論文や政策の解説で党内で話すのとはまるで勝手が違い、演説で通用する「太い論理」をめざすようになった、というのは、私が言うのもなんですが、ものすごくわかる気がします。

「放射能」理由に事業所閉鎖のアパレル会社

4月にアパレル関連の事業所閉鎖・解雇を言い渡されたという50代前半の女性から話を聞きました。パートとはいえ、午前9時から午後5時までの勤務、社会保険も厚生年金も会社を通しての加入でした。

3月11日の大震災と12日の福島第一原発1号機建屋爆発後、自宅待機を指示され、4月上旬には解雇通告。「取引会社に放射線を浴びたものをお出しするわけにはいかないので、事業所を閉鎖する」、というのです。

ちょっと前までは、現場上司の「来年からは時給も上がると思う」という言葉を信じ、あと10年はここで働き続けようと思っていました。

この会社の本社は東京で、全国に営業拠点を持ち、生産・物流拠点もいわき市を含めて各地にあり、海外にもあります。今年2月期の売上高は687億円。株式の90.3%を伊藤忠商事が持っています。

解雇通告があったときの本社役員の話の冒頭は「あと1年ぐらいでいわき工場は閉鎖するつもりだった」という話。

5月に入ってからの失業保険説明会後、今後の話を聞くと、「原発事故が落ち着けば、もどってくるかもしれない」と。

「1年後に閉鎖」の話もはなはだ怪しい。

いわき市内では、こんな実態が広がっているように感じています。「お客の声」を口実に事業所を閉鎖して解雇する会社も問題ですが、原発事故さえなければない話です。

こうした家族の「損害」の全面補償・賠償はあたりまえです。

尽きない彼女の話を聞いてから、ご近所240軒ほどにチラシを配布。原発事故を「人災」と認め、早急に全面補償を求める党県委員会の見解が表面、この2か月間の私の活動を写真を中心に知らせるのが裏面です。