丑/高橋衆院議員・山下参院議員/副市長、避難者と懇談/学習会

丑の刻(午前1時)、市内の震度5弱~3の地震でまたまた起こされました。

高橋ちづ子衆院議員、山下よしき参院議員がいわき入り。

午前中はいわき市災害対策本部で副市長と懇談し、四倉(よつくら)高校の避難所で避難者の慰問をしました。

副市長が、「従来の枠組みにとらわれない支援策を国が示すべき」「最前線で住民と接する自治体職員が信頼され、一貫性のある、場当たり的でない方針を国は迅速に出してほしい」と言うのは、国に対する自治体の率直な意見と同時に、きびしい批判でもあります。

避難所では、長期にわたって避難生活を続けざるを得ない四倉の地元の避難者が、3月11日の津波に流されて九死に一生を得た体験や、つらい避難生活を切々と語ってくれました。「国でも市でも、議員はこの事態を前に、超党派で真剣にあたってほしい」というのはあたりまえの声だと思います。

午後は平(たいら)の平窪(ひらくぼ)地域で、医療生協の支部準備会が主催した「原発と放射能問題」の学習会がありました。原発事故で明らかになった未熟な原発技術と危険性、原発から撤退すべきこと、そして放射線とその人体影響について私から話をさせていただきました。

野菜や魚などの放射線汚染の問題、X線・ガンマ線だけではなくα線・β線・中性子線の放射線の影響があるのかないのかなども知らされていないなかでの不安、きめ細かな放射線測定の体制と情報提供など、やはりさまざまな疑問や行政への要望が出されました。

もっともっとこうした機会が必要です。

四倉・久之浜へ/30kmの線引き/青のり米粉

あしたは、平地域の医療生協組織主催の学習会で話す予定があり、その資料準備をしました。

その後は四倉(よつくら)、久之浜(ひさのはま)地域を訪問。お隣りの茨城県つくば市に避難され、その避難先で前茨城県議の山中たい子さんとお知り合いになったかたがたです。

原発事故によって避難したわけですが、「30kmの線引き」によってなんの補償もないかたがたです。そのうえ、自営の職場が津波で流され、仕事を失い、原発事故の影響でその仕事の見込みもない無収入なのに、なんの補償もないかたも。

ともかく私たちが生きているこの時代の「未曾有」の震災と原発震災で、こうした被災者を助けます、と国家として決断して、生活していける展望を示さなければなりません。

こういうときに、消費税増税だとか、TPPだとか、大企業支援ばかりの施策にきっぱりとした態度をとれない政治ではなんとも心もとない。

政策の違いもなく、足の引っ張り合いの国会政党構図をつくった責任は誰がとるんですか?   と愚痴もこぼしたくなります。

高校同級生のお店で食べた「青のり入り米粉ラーメン」は掛け値なしの絶品です、私の舌には。

放射線の人体影響と国家責任/JAいわき市に義捐金

放射線の人体影響について、党支部や後援会や医療生協が主催する学習会で、参加者のみなさんといっしょに学ぶ機会もふえています。

私もあれこれ本を読んで四苦八苦しています。低い被ばくでも低いなりの確率で人体影響が起こりうることは、専門家のおおかたの合意ではあるらしいですが、あくまでも「確率」です。

原発事故によって、自然放射線以上の被ばくをしていることは間違いない環境にあって、「いまとこれからの影響はあるのかないのか、とくに子どもたちの影響は具体的にどうなのか」という疑問に対する明快な回答を参加者は求めています。

私が答えるべくもないのですが、とにかく、安全神話を前提に原発推進政策を強行し、放射線の人体影響や対応の説明を完璧にを怠ってきた国家責任にぶちあたるのです。

地区党として、党中央委員会に寄せられた震災募金からきょうはJAいわき市に義捐金をお渡しし、懇談しました。

原発事故の収束、原発事故がもたらした被害の全面補償、放射線汚染のきめ細かな調査とデータ公表、損害を受けた農家が将来に具体的展望が持てる支援策、農業を基幹産業と国も県も言っている文字通りの施策の具体化など、ほんとうに当然の要望です。

JAいわき中部へ義捐金/5日第2回相談会/5人の弁護士も

党中央に寄せられた震災募金から、JAいわき中部へ党地区委員会として義捐金をお渡ししました。菅野宗長党地区委員長、宮川県議、4人の市議団で届けました。

組合長は5日前の通常総代会で選出されたばかりの佐藤久男さん。専務理事さんの2人で受け取っていただきました。原発事故被害・震災被害などをめぐって小一時間の懇談となりました。

原発事故にともなう損害の全面賠償はもちろんですが、津波で全部流されたり、海水をかぶった農機具になんの補償もないことには、当事者の農家から、支援の強い要望が出されている、とのこと。これまた切実です。

今度の日曜日、6月5日には、浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター)による2回目の「悩み・なんでも相談会」があります。

会場は市内内郷御厩(みまや)町3-101の「いわき教育会館」です。時間は午前10時から午後5時。

今回は、弁護士が東京から駆けつけてくれ、地元も含めて5人の弁護士も相談に応じます。原発、生活・営業・雇用・農業・漁業など、「なんでも相談」ですので、今回の震災・原発事故にかかわって困ってしまっているかたはどなたでもおこしください。相談内容はもちろん、厳守です。

小名浜で定時定点/原発・放射能学習会/支部会議

けさは小名浜で「定時定点」の街頭からの訴え。医療生協の党職員後援会の3人が「旗持ち・手振り」に出てきてくれました。異様に寒いなかでしたが、通学する高校生たちの元気なあいさつ、通勤するドライバーのみなさんからのクラクションや手を振っての声援が暖かいのです。

午前中、私も理事をつとめている浜通り医療生協の「まちづくり委員会」が主催した学習会がありました。「ついに起こった原発災害 放射能の正体は? その影響は?」がテーマ。小さなお子さん連れの若いお母さんも少なからず参加されていました。講師は理事長の伊東達也さん。

伊東さんは、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員として、3・11以降、全国を講演行脚です。いろいろな会場で、いろいろな不安や疑問を聞き続けているだけに、そうした気持ちに応えようとする話です。

「スーパーに並んでいる食材は汚染されていないのか?」「4歳の子どもの将来の子どもに影響は出ないのか?」「仮にお孫さんが保育園に通っているとしたら、伊東さんはどういう対応をするか?」「不妊の影響がでると聞いたが、どうなのか?」「子どもたちが通う学校や幼稚園・保育園での対応は?」などなど、いつでもどこでも質問は切実です。

閉会のあいさつで私は、こうした事態を招いた原発事故が、県議会でも国会でも市民団体や共産党議員の指摘を無視し続けた結果であることを率直に告発し、福島原発の廃炉を始め、原発に頼るエネルギー政策からの転換、そして健康と暮らし・福祉のまちづくりを医療生協としてもみなさんといっしょに進める決意を述べました。

午後は私が住む居住党支部会議に参加しました。党支部として、原発・放射能問題で勉強することと、住民のみなさんにも呼びかけて学習会を開催することを確認しました。

月曜の定時定点/署名/小名浜港1号埠頭

月曜日朝は2か所で定時定点。高校時代の恩師、同級生、医療生協関係者などから手を振っての声援、ご近所から出勤されるかたがたからの声援、すっかりおなじみのすぐ前の職場のかたからの声援に励まされました。

「福島県に原発はいりません!」署名を全市的に進めているのですが、わが家にお手紙つきで郵送されてきました。隣りの住宅地なので、さっそくたずねました。

「若いころはずっと社会党を支持していた。1994年の村山内閣で完全に裏切られ、その後は選挙は棄権していた。この原発の事態を目の当たりにして、共産党しかないと思った」とのこと。

先日、小名浜機船底曳網漁協をたずねたときに、小名浜港1号埠頭が「メチャメチャ」と聞き、見る機会がなかったので気になっていました。1号埠頭というと、私は「いわき・ら・ら・ミュウ」がある埠頭としか認識していませんでした。

その埠頭の道路をはさんだら・ら・ミュウの向かいが漁港です。

一刻も早い復旧がほんとうに必要だと思います。岸壁には、「いつでも出航したい」とエンジン音を鳴らす漁船。原発事故のために出られないのです。

市へ第二次の義捐金/災害対策から復興へ

党中央に寄せれらた震災募金から、いわき市に対して第二次の義捐金300万円を党地区委員会としてお渡ししました。

なにより、募金していただいている全国のみなさんに心から感謝します。

応対してくれたのは伊東正晃副市長。

副市長からは、2万件を超えているり災証明申請に対して、全国の自治体職員からの支援も受けながら、り災調査や証明発行に全力をあげて被災した市民に応えようとしている努力、家を失った被災者への一時提供住宅のあっせんの現況、ガレキ処分が国による放射線影響基準が示されないまま「待った」をかけられていて、国に強く働きかけている実情など、震災対策の実情の報告がありました。

あわせて、市として、「災害対策」から「復興」へ、その復興も、とりわけ甚大な被害を受けた地元住民の要望をしっかりと受けて進めなければならない、との話もありました。

党県書記長の町田さん、菅野党地区委員長、4人の党市議団、宮川県議、そして私が参加しました。

放射能汚染/被爆者と私たち

『放射能汚染の基礎知識。』(朝長万左男[ともなが・まさお]著、マガジンハウス)を読みました。「売り」は「45分でわかる!」のブックレット仕立てです。

著者は日本赤十字社長崎原爆病院院長。

特に今、放射線の被ばくレベルと人体への影響が私たちの高い関心事ですが、この面でのデータが、広島・長崎の生存被爆者約20万人の、今日に至るまでの66年間にわたる健康への影響の研究から得られていることがわかります。

放射線によって細胞死の量がどの程度になるか、放射線によって傷ついた遺伝子の修復ミスで発ガンにいたる細胞がどの程度生じるか、放射線の人体への影響はこの2つにつきる、とのこと。

その影響の強さは、被ばくした放射線の量によるし、同じ放射線量でも、一度に浴びるか、複数回に分けて浴びるかによっても異なります。

こうしたことが、いま問題になっている放射線量とは3桁も4桁も違うレベルの放射線を浴び、これを乗り越え、生き抜いてきた被爆者によって私たちが与えられているわけです。

ともかく、「私たち一人ひとりが、正しい知識を持ち、科学的に理解し、考え、適切に、冷静に行動する」ためのひとつの材料になる本です。

原発事故・放射能学習会/政治の責任/そば

平の神谷(かべや)地域の党支部が主催した「原発事故・放射能学習会」に渡辺ひろゆき市議と参加しました。

党支部としては、今回をこのテーマの第一回と位置づけ、今後も継続して開催したい、とのこと。

「水道水が汚染された場合を考えて毎日、水の備蓄をしている。行政の対応はどうなっているのか?」、「日々発表される環境放射線量値は信頼していいのか? それよりこの広いいわき市で、1か所だけの数字を言われても安心できない。もっと細かな各地域での測定をすべきではないか」、「放射線量測定器を市民が手軽に手に入れられるようにすべきではないか」、「家庭菜園で毎年野菜を作っている。今年も種をすでに植えたが、食べられるんだろうか?」、「県知事がテレビで言っている事はもっともに聞こえるが、電力会社と仲がいいから知事になったと言う人が多い。プルサーマルのこともあったが、どうなのか」と、いまほんとうに、原発問題と放射能問題で、話をする機会を文字通り無数にもつことは、政治の責任です。

きょうは休暇日だった妻と、ちょっと早めの昼食を近くのおそば屋さんで。なんだか久しぶりでした。

食卓の放射能汚染/政治的審判

『家族で語る 食卓の放射能汚染[増補改訂版]』(安斎育郎著、同時代社)を読みました。

もともとこの本は、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後、輸入食品の放射能汚染が問題化していたときに書かれたもので、福島原発事故を受けて増補改訂として緊急出版されました。

今回の原発事故の現状を執筆時点で見据えつつ、放射能とはなんなのか、放射線の人体への影響はどうなのか、かなり詳細に、かつ、安斎さんらしくわかりやすく解説し、そのうえで食品の放射能汚染にどう対処するかを語ってくれています。

「放射線や放射能について基本的な知識を身につけ、その危険性について理解を深めるとともに、無用な恐怖感をもたないように学習すること」の姿勢は、こういう事態に遭遇してしまった以上、誰にでも求められると思います。

原発事故はぜったいないという「安全神話」にいまだにしばられ、こうした知識を身につける必要はない、としてきた歴代政府と民主党政権の罪の深さが、よくわかると思います。大人も子どもも、こうした知識を学ぶ機会を得られなかったのは、すぐれて政治の責任です。そのことを政治的にはっきりと審判を下すべきときだと私は思います。