小名浜定時定点/雇用促進住宅訪問/「初めて聞いてもらった」

火曜日朝は小名浜での定時定点。きょうも地域と地域職場の後援会、医療生協の後援会から「旗持ち」に出てきてくれるみなさん。

なにより、出勤されるみなさんばかりか、ご高齢ご夫妻が手を振っていってくれる姿には心から励まされる思いです。

午前中は、滋賀県からボランティアで来ていただいているみなさんといっしょに、雇用促進住宅に入居(避難)されているかたがたを訪問しました。

なかには、「震災後、訪問してもらったうえに、話を聞いてもらうのは初めて」という家族。親子で仕事を失い、障害者の妻、認知症の母をかかえ、今後の暮らしの展望が見えないことが最大の悩みです。

ここを出なければならなくなれば、津波に飲まれた地元にもどれるかもわからないのに家を探さなければならない、母親の医療や介護の費用も考えなければならない、介護そのものをどうするかも考えなければならない、そのためには失った仕事をこれからどうするかを考えなければならない、こんなことがあと2年で出ていかなければならない私の立場だ、というわけです。

「こうした愚痴を聞いてもらっただけでもありがたい、こうした声を活かす政治にしてほしい」と、ほんとうに、ほんとうに、切実です。「これまでの政治は、こんな声など聞く気もなかったと思う」と。

あるお宅であれこれ話をしていたら、私の妻のお母さんの弟のお連れ合いのお姉さんだったり。

「入居者以外は原則立入禁止でしょ」という話から始まった若いお母さんは、原発事故問題で話がとどまらなくなり、「自民党にはあいそをつかしていたし、民主党にもまったく期待はしていなかった。原発が今どうなっているかの政府情報は信用できる状況にない。こうして話を聞く共産党はもっとがんぱってほしい」と。

滋賀からのボランティアのみなさんは、彼女が住む地域の草刈をきのうしていたこともあり、感謝の言葉もかけられ、こうして歩いて心を通わせることの大切さを感じ入っています。

 

震度4~3/定時定点/滋賀からボランティア/久之浜・薄磯・豊間

未明の3時51分ごろ、市内では震度4~3の地震。5~6秒は続きました。

月曜日朝は自宅近くともう一か所での2か所の定時定点。

【滋賀県からのボランティアの皆さん】

きょうからは、滋賀県からのボランティアのみなさんがいわき入りしており、仮設住宅などでの要望聞き取りに先立ち、私が津波の直撃を受けた久之浜・薄磯・豊間地域を案内しました。

【薄磯南街から北・中街】

久之浜ではいわき市久之浜大久支所長にお会いし、被災後の調査・捜索からわかったことなどを含めて状況を詳しく聞くことができました。

【薄磯北街・県道】

久之浜港では、原発事故の影響で漁に出られない老若の漁民のみなさん。怒りの声を発しながら、軽トラックでガレキ撤去作業に出かけました。

【市立豊間保育所・海裏側】

薄磯・豊間でも重機によるガレキ撤去作業が続けられています。

【豊間・歯科医院】

これらの地域は、居住地域をどこにするかなど、まちづくりはこれからです。放射能汚染を避けるため、県外へ避難されているかたも少なくなく、たいへんな作業になります。

悩み・なんでも相談会/仕事と生計の見込み/仕上げ直前の震災


浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター)による第3回悩み・なんでも相談会がありました。

首都圏の弁護士たちも駆けつけてくれ、弁護士は13人。悩みを聞く地元の相談員やボランティアは39人。



家と店舗を津波で流され、この4か月間、自分のことで精一杯で、相談する気持ちにもなれなかった、というかたもみえました。震災前までいっしょだった3世代家族は、いわき市内と県内郡山市と東京都足立区にバラバラ。流された自宅のローン支払いを15年間続け、今は猶予してもらっているが、残高1000万円。これからの仕事や生計の見込みも立たない、という相談でした。

いわき市のとなりの広野町からいわき市内の仮設住宅住まいのご夫妻は、建築関係の自営業で、3月12・13日で仕上げる仕事の前日にあの日を迎え、仕入れていたオーダー品やそれまでの仕事に対する出費や報酬がなくなってしまったことの相談でした。

昼食後の相談の合間に、弁護士のみなさんは、この大震災・原発震災にあたっての弁護活動について、予定外の「緊急対策会議」。私たちも「傍聴人」として参加しましたが、原発事故によるあらゆる被害の全面補償を求めることを基本としたその真剣な議論に、引き込まれてしまいました。

 

放射線測定/生活空間の動向/行政機関の役割

16日の原発・放射能学習会の際に、「わが家の放射線量を測ってほしい」と何人かから要望を受けていました。

地元の2人の党員とたずねて歩きました。ご近所の「赤旗」読者宅やお知り合い宅にも寄りました。

玄関先地上1mでも地表でも0.25~0.3マイクロシーベルト毎時で、上も下も変わらないかと思えば、茂みでは0.5前後だったり、雨水溝の真上で0.9を超えたり。

この間、測定して歩いた市内では、相対的に高めの数字が出た印象があります。風のせいなのか、数値がめまぐるしく動くこともありましたが。

先日(21日付け)の「福島民友」紙の連載記事「3.11から」では、福島市内の高校生たちが、放射線量分布マップを作成する作業のことや、線量計を個人で購入して自宅周辺で測る県民が増えていることが掲載されていました。

「簡易型線量計ではその精度や感度に限界があることを念頭において数値を受け止めることが必要」とは、千田浩一さん(東北大学大学院医学系研究科教授・放射線技術学)のコメント。

「簡易型線量計でも、2地点間を測りどちらが高いかを比べたり、継続的に測定して放射線の増減を測ったりなど、生活空間の放射線量の動向を知る役割は十分に果たせる」とのこと。ただ、多くの県民が簡易型線量計で測定するようになり、不安を増幅する逆効果も否定できない状況があり、「精度の高い機器を保有する行政機関の役割が高まっている」ことは、そのとおりだと思います。

 

 

震災後2度目の政党助成金/聞く耳持たず

大震災後、共産党を除く各党は、復興財源を食いつぶして2度目の政党助成金を計80億円受け取りました(20日)。

受け取ったのは4月と同じ、民主、自民、公明、みんな、社民、国民新、たちあがれ、新党日本、新党改革の9党。ほんとうに、被災者の生活再建支援、被災地の復旧・復興に真剣なのか、根本的疑問です。

4月に受け取ったときに「復興財源へ回せ」と、訪問して歩いた先でも聞きましたし、新聞投書欄にも相次ぎました。地方議会でもこの制度を撤廃し、被災者救援にあてることを求める意見書も採択されたりもしました。

こうした声に聞く耳を持たない姿勢を変えようとしないのが、共産党以外の政党です。地震・津波にともなう原発震災対策を取ることを求める声に聞く耳を持たなかった電力会社・政府の姿勢とどこが違うのでしょうか。同じです。

問題は、年間320億円もの税金が、共産党を除く政党に、年4回にわたってばらまく制度があることを知らない人が少なくないことです。1995年からこの制度は始まりました。

各新聞は、淡々と、“総務省は、政党交付金を各党に配布した、と発表した”と報じる程度。淡々としている場合ではないのに。

きょうもそういう怒りをもちながら、朝は金曜日定例の定時定点を神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで実施、かつての職場の生協病院に寄り、家で新聞の切抜きと処分をし、夕刻は、県議選へむけた会議。

生活相談/県合同庁舎/財界代弁/4連動地震

親族間の悩ましい生活相談を受けました。「お嫁さん」である彼女からすれば、息子さんの権利の有無以前に、「ほんとうのことを知りたい」というわけです。

県のいわき合同庁舎に寄り、いわき市民がいだいている放射能汚染への不安に適切に応える対応を市と連携して進めてもらえるよう、伝えました。

きょうもまた、今月に入ってからの新聞をひっくり返し、原発や地震の記事を中心にチェック。

20日の「朝日新聞」には、電力系労組を統括する「電力総連」の顧問を務め、関西電力出身の民主党・藤原正司参院議員のインタビュー記事がありました。

「原発がなくなれば、電気料金は月2千~3千円上がる」「原発は欠かせない」「原子力に変わるエネルギーはない」、ストレステストを原発再稼動の前提とすることには「ノーだ」。

いやはや、財界の代弁者そのもので、自民党政治に回帰したい意欲満々と言うほかありません。民主・自民の「二大政党」では政治がまったく変わらないことを証言してくれています。

それよりも深刻に受け止めたのは、「4連動地震の可能性」を東大地震研究所の古村孝志教授が指摘していること(「しんぶん赤旗」7月4日付)。

東海地震、東南海地震、南海地震が3連動した1707年の宝永地震の震源域の沖、南海トラフという海溝に沿った海底下を震源域にした1605年の慶長地震が同時におきる4連動地震も可能性として考える必要がある、という話。

しかも、高知大学の岡村眞教授らが発見した、高知県土佐市の蟹ヶ池にある2000年前に海から運ばれた厚さ50cmの堆積物は、4連動地震による津波の痕跡の可能性がある、とのこと。

政治と行政は、こうしたことにこそ目を向けるべきです。

警報発令中の晴れ間/開始直後の雨

夕べは強い雨で、きょうも大雨洪水警報発令中のいわき市。

けさは時折晴れ間も顔をのぞかせ、風もなく、穏やかな日より。

内郷・好間地域のいっせい行動にはいつものようにみなさんが集まりました。

ポスター張り出し、チラシまき、宣伝隊の3隊に分かれ、「雨が降り出したらもどろう」と意思統一し、10時過ぎには行動開始。そしたら時折小雨が振り出し、街頭から話していたら、終わるころには強い雨模様となってしまいました。

もどってからは、「これからの共産党をどうするか」の議論。先日の中央委員会の様子のDVDも視聴しながら、かなりの盛り上がり。

長年、自民党の選挙の手伝いを続けていたかたが共産党に入り、支部会議にも毎回参加し、「こうしていつでも勉強し、政治のことを話し合い、党員を増やそう、なんて自民党では聞いたことがなかった」と紹介された話が、私にはいちばん印象的でした。

 

 

未明の地震/帰国したなでしこ/住まい連/公営住宅

けさも未明の3時40分を前後して、3度も震度3の地震。震源は市内内陸部地下10kmとのこと。あれ以来、断続的にエネルギーを放出している様子です。

午前中に帰国したなでしこジャパンの選手・監督たちの話題でテレビはもちきりでした。

本人たちの「ナマの声」を聞くことで、なにかまた元気を与えられる思いでした。

「国民の住まいを守る全国連絡会」(住まい連)のみなさんが、いわき市内の被災地視察に見えました。

新建築家技術者集団、NPO法人建築ネットワーク、建設政策研究所、受注連建設事業協同組合のかたがたも同行され、短時間でしたが、有意義な意見交換ができました。

公営住宅の大切さが強調されましたが、こうした事態に見舞われないと気づかない、というか縮小しようとしてきた行政・市政はほんとうにきびしく問われなければなりません。

からだのなかの放射能

『これでわかる からだのなかの放射能』(安斎育郎著、合同出版)を読みました。

1979年の初版本の改訂新版です。その年の春には、スリーマイル島原発事故がありましたが、それが原因で日本の食品の放射能汚染が問題になったり、私たちのからだのなかの放射能が心配されたりの状況ではありませんでした。

その後、86年にはチェルノブイリ原発事故で輸入食品の放射能汚染が大問題になり、そして足元の福島原発事故により、原発由来のからだのなかの放射能に言及することは不可欠な事態になり、この本の刊行となりました。

福島原発の核燃料の中に封じ込められていたはずの放射性物質が、大なり小なり、私たちの体の中に侵入してくることは避けられないと思われます。

今や、いやおうなく、身を守るために放射能について基本的な知識を身につけておかないとならない時代に暮らさざるをえなくなったわけです。

本書は、からだのなかにひそむ放射性物質を糸口に、そうした知識を平易に語ってくれ、「放射能リテラシー」を身につけるには格好の本だと思います。

1979年刊の初版本。

 

元気百倍/青空無料市/講演会/放射線量情報

ともかく、なでしこジャパンのおかげで、元気百倍の一日でした。

午前中は、きのうもたずねた仮設住宅で、浜通り復興共同センターによる「青空無料市」。各地から寄せられた支援物資を仮設住宅に住むみなさんに持っていっていただきました。

10時開店で、9時半ぐらいから品物並びを始めましたが、9時過ぎから行列でした。そんなわけで、品物はいっきになくなりますす。

午後は、私が住む地元で「原発・放射能問題講演会」。主催は党郷ヶ丘・中央台支部です。高橋あき子市議と私がお話させていただきました。

お子さん連れで来てくれた若いお父さんや、 初めて来てくれたかたが、行政や政治への率直な要望や意見を言ってくれました。

ともかく強い要望は、放射線量の情報です。学校や幼稚園や保育園などの測定器を行政が活用し、それぞれの地域の住民にその地域の情報を知らせるしくみをつくってほしい、ということです。

校長先生や園長の裁量の問題でないでしょう、市政のトップは市民に何を知らせなくてはならないのか、しっかり把握して迅速に行動してほしい。ほんとうに切実です。