なでしこJAPAN/セミにカミキリにハト

きょうばかりはサッカー女子ワールドカップを観戦しました。朝4時起きです。

だいたい、私自身は野球で育った人間で、サッカーは中学校と高校の体育授業でする競技程度でした。

それが息子や娘が小学生のころから始め、娘にいたっては、県立富岡高校女子サッカー部で3年間し続けたこともあり、そのうえこのサッカー部が、原発事故で自分の学校では練習できない事態です。

ちょっと無関心でいるわけにはいきませんでした。

まさか、日課のテレビ体操直前に結果が出るとは思いも寄りませんでしたが、頭のてっぺんから足の先まで、しびれました。なでしこJAPAN、万歳!

ふと、きのうは、野口さんの講演会帰りにセミの声と姿を見、家の庭にはカミキリムシ。

数日前は、ご近所の庭に山鳩。

こういう時期のこういうひと時は、いいもんです。

 

「罹災者の入居ではない」/仮設住宅訪問/野口邦和さん

けさ早く相談に見えたかた。家屋が大規模半壊の罹災証明を受けていました。

これを前提に、お子さんの通園のこともあって家を探し、たまたま市営住宅の入居が決まったと思ったら、「この入居は罹災証明とは関係ありません」と言われ、愕然とした、と。

家を失い、家族の暮らしのために、必死で当面の家を探していたのに、「今回の入居は罹災者としてではありません」と市役所から言われショックだ、ということです。

手続き上の行き違いとはいえ、今のような事態に、窓口で被災者の立場に立った対応は、行政側の最低限の仕事ではないか、と思わざるをえません。

午前中、兵庫から来ていただいているボランティアのみなさんと、仮設住宅を訪問し、被災の状況や今の暮らしでの要望などを聞きました。

なにより切実なのは、家をなくし、職場をなくした現役世代のかたがたです。収入がないことをわかってもらっていると思ったら、水光熱費も食費ももちろん「自己責任」の世界です。

当事者ばかりでなく、年金でぎりぎりの生活だ、という高齢者からもそうした声が聞かれました。

一人暮らしの高齢者からは、「息子が何日かに一回は来てくれるが、あの地震の日以来、手足がむくんだりした自分の体調が心配。毎朝散歩するようにしているが、いつどうなることやら。自宅は広野町で、家は無事なのに、原発事故で帰るめどもない」と。

午後は日本大学専任講師で放射線防護学が専門の野口邦和さんの講演「放射能と健康リスク」。主催はいわき母親連絡会。

私がはなはだ印象に残ったのが、講演後の1時間に及ぶ質疑応答。そのなかでおひとりが、「きょうで3人目の講演を聞いた。これまでの2人は、‘逃げろ、逃げろ’というばかりの印象。お金もなく、逃げる先もない人たちにまったく無責任と感じた。きょうは言葉も選び、‘逃げろ’という話もわずかだった」と。

こういう局面での「専門家」の話も、ほんとうに受けとめ方が難しいと感じます。

私自身は、自分で準備した勉強会での資料を後押ししてもらった思いで、たいへん有意義でした。

 

学習会/原発を支えるしくみ/放射能と人体影響

平の草野地域の党支部・後援会主催で放射能・原発問題の学習会があり、渡辺ひろゆき市議と参加しました。

最初に市議が、「原発労働の重層的構造」として、原発現場で働く下請け作業員から直接聞いた話などを中心に報告。彼は近く、日本弁護士連合会が開く原発と貧困といったテーマのシンポジウムでも話す予定です。

原発が、人類の知恵の粋を集めた高度技術の頂点であるかのように私たちは刷り込まれていますが、現実は、こうした労働実態、九電のやらせメールに象徴される体質、大手マスコミまで取り込んでお金の力で「原発安全神話」を振りまく体質、「原発利益共同体」の存在が、かろうじて支えていたのでした。前近代的なしくみというほかない、と私は感じます。

私からは、福島原発が明らかにした、現在の原発技術と人類の共存は不可能な事実、そして放射能と人体影響について考える材料を提供する話をしました。

参加されたみなさんからは、「いわきの漁協が操業を自粛しているが、魚は大好き。海の汚染が心配」、「3歳の子どもにはどういう注意が必要だろうか」、「各学校が持っている放射線測定器による測定値を、住民に知らせるしくみをつくれないだろうか」、「これまで家庭菜園の野菜を食べていた。こうした家庭の野菜の放射線量を測定できるしくみを行政としてつくってほしい」などなど、さまざまな要望が出されました。

午後は、今月30日の医療生協総代会で、理事会として原発問題にかかわる特別決議を考えているのですが、原案をつらつら。短い文章で、総代のみなさんの意志を端的に示したいのです。

 

朝から全部着替え/街宣/測定しなければわからない放射線量

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで定時定点の街宣。

朝から暑いなか、出勤されるみなさんからの声援に励まされます。

話すのは20分程度ですが、家を出て家にもどるまで約1時間。家の中に入るともう汗がどっと流れ出します。もちろん全部着替え。

午前中は、私が住む住宅街のとなりの住宅街の党支部のみなさんと、5か所の街頭から訴えました。通り沿いでは、すべての車から声援をしていただくような雰囲気で、なおかつ、住宅街の中でも出てきて聞いていただくかた、庭仕事をしながら聞いていただくかたなど、宣伝カーに乗った3人がびっくりするほどの声援でした。

午後は同じ党支部のお2人のご近所を、放射線簡易測定器を持って訪問。

最初はこの地域の「くぼ地」といっていい地域ですが、玄関先の地上1mの放射線量は0.2μ㏜毎時を超えるところはほとんどありませんでした。ただし、庭の地表5cmや芝生表面では0.4を超えたりします。

それでもみなさんからは、「こうして実際の測定値がわかると、精神的に落ち着ける」という声。

次に高台の地域を歩くと、0.2を下回るところはほとんどありません。0.25前後。ところが2つほど通りをはさみ、公園近くのかどのお宅に来ると0.19。

ともかく、こまごまと測定しない限り、放射線量がどうなっているかは、わからないのが現実です。

 

義捐金届けと懇談

党中央に全国から寄せられた義捐金を商工団体にお届けしました。地区党としては第三次の届けとなります。党の原発撤退提言といっしょに届け、懇談もしました。

宮川さんと菅野地区党委員長、渡辺ひろゆき市議と私が参加。

いわき商工会議所、いわき市社会福祉センターに事務所を置いている広野町・楢葉町・富岡町・川内村(商工会南双葉広域連携協議会)、四倉町商工会、久之浜町商工会とまわりました。写真はいわき商工会議所で。

「銀行から融資返済の業務計画を求められるが、原発事故の収束がない限り、計画など立てようがない」の声に象徴されるように、原発事故の収束を求める願いはまさに切実です。

「国の原発事故現地対策本部をいわきにおいて、事故収束に向けた真剣な姿勢を示すべきだ。原発事故の影響をまともに受けている業者や人びとの心を理解した対応を迅速にしてほし」「いわき市や浜通りを自然エネルギー開発・普及の拠点にするぐらいの展望を早く持ちたい」などなど、どこでも有意義な懇談となりました。

けさ早く、ペロの散髪もお願いしていました。今週はじめの姿と散髪後。

党支部・後援会で放射線測定/学習講演/「朝日」が原発ゼロ

私が育った内郷・高坂地域の党支部・後援会のみなさんと放射線測定をして歩きました。

小さな公園に行くと、すぐ前の家のかたが出てきました。「子どもたちがいつも遊んでいて気になり、草刈をした。市に放射線測定器の貸し出しを問い合わせたら、していなかった。行政の仕事のはずなのに。こうして測定してくれるとありがたい」と。

「すぐ近くにももっと広い公園があって、小さい子たちのサッカーの遊び場になっている。そこもぜひ計っていってほしい」と要望されました。

民家を改築したデイサービス施設にも寄りました。「庭の隅と、庭の小さい畑と、雨どいを計ってほしい」と。

梨畑農家にも寄りました。梨はこれから育つので、「これからどうなるかが問題。それにしてもとんでもないことになった」と。農協を通して行政による土壌検査が近くあるそうです。

こうして歩いていると、近接した地点でも値は違い、公園ではすぐそばの雑木林では値が高くなったりします。吹く風の具合によっても上がったり下がったり。こうした実情と数値の意味を行政の責任として伝えるべきだと思うのです。

夕刻には、浜通り医療生協の介護福祉部総会で、「新エネルギーについて考える」と題した「学習講演」を30分ほど。

準備した資料に加え、きょうの「朝日新聞」が「原発ゼロ社会」と「自然エネルギー政策」を提言しており、使わせていただきました。

小名浜定時/年金者組合であいさつ/玄葉インタビュー/消費税増税

火曜日朝は小名浜での定時定点。

今月5日に放射線量簡易測定器を手にし、朝出かけるときから腰につけています。

ここは、かつて小名浜生協病院があった小名浜岡小名字沖の通称・鹿島(かしま)街道沿いですが、0.18μ㏜毎時で、わが家の屋内とかわりません。

それはともかく、通勤されるみなさん、お子さんを学校へ送るお父さん、朝早くからお出かけの高齢者などからの声援に励まされています。

年金者組合いわき支部の定期大会があり、地区党を代表してごあいさつしました。

被災者・被災地の迅速な支援策を具体化しない一方で、してはならない原発再稼動や消費税増税だけは熱心に進めようとする民主党政権の姿を告発。

きょうの「朝日新聞」には、民主党政調会長の玄葉光一郎氏のインタビュー記事が掲載され、消費税増税で民主党内が合意してよかった、よかった、と語っていることも紹介しました。

「自民党も、消費税を10%まで引き上げる…二大政党が大きな方向で一致した」「今回、消費税率の引き上げを言ったことと、消費税率の維持を掲げた09年の衆院選マニフェストとは矛盾しない」「社会保障を効率化する」「消費税率の引き上げはすでに決まったこと」と、言いたい放題。

私は、福島県民の恥さらしと言わざるをえません。心から、ほんとうに情けない。

 

心が支えられる定時定点/井上参院議員のパネル

また月曜日がやってきました。

いつものように、私の地元の郷ヶ丘、そしてすぐ隣の中山の2か所で定時定点の街頭から訴えました。

それぞれの近所から後援会員が「旗持ち」に出てきてくれ、ほんとうに力づけられます。

出勤されるみなさんからの支援もまた、ほんとうに心を支えられます。ありがとうございます。

人類が今の原発技術とは共存し得ないこと、自然エネルギーの本格的導入へ向け、根本的政策転換が必要なことを訴えています。

6月19日のこの日誌で紹介した表と同じことを、今月7日に、井上さとし参院議員が予算委員会でパネルにして政府に迫っていました。私がつくった表よりはるかにわかりやすいです。

そういうことはどうでもよく、どちらも、6月13日に党の志位委員長が記者会見して発表した提言がおおもとです。

近く、自然エネルギーこそ今後の未来を切り拓く、といったテーマで話す機会があり、また勉強中です。

 

住宅敷地内で放射線測定/「復興の光」も収入なし

津波の直撃を受け、家を流された薄磯(うすいそ)や豊間(とよま)地域から入居されている家族もある住宅をたずねました。

もともとここに住んでいるかたから先月電話があり、また、実家が薄磯で、親族がこの住宅に入居できた、というかたからこの日誌にコメントを寄せていただいていました。

子どもたちがこの敷地にある公園内で遊んでいるが、放射線量を測定しているわけではなく、ほんとうに大丈夫なのか、確認するすべはないだろうか、ということでした。

電話をいただいていたかたに連絡を入れたうえ、いっしょに測定してみました。

住宅入口の地上1mでセンサーを前面にすると0.18μ㏜毎時、入ってすぐのゴミ置き場前にある小さな側溝で下向きで計ると0.17。砂場の地上10cmで下向きで計ると0.19。滑り台やブランコの地上10cmで計ると0.19~0.24。

公園周辺の敷地内の草むらを計って歩くと、0.3~0.55の間。震災前後で草刈したところもあればしていないところもあるのですが、いずれにせよ、子どもたちが遊ぶことはないであろう草むらの値がちょっと高いようです。

ともかく、このように、近接した場所でも値が違い、まして、機器によっても値がさまざまらしいので、きめ細かく、継続的に測定してその地域の住民のみなさんに知らせることは行政の責任です。

その後、ちょっとした縁があって割烹料理屋さんをたずねました。大震災翌日の3月12日に私が撮った写真に看板が写っていたのです。

やはり原発事故の影響は深刻です。地震と津波による被害は修繕し、同業者や観光業者が再開できないなか、ウチが営業を再開していいものか、と悩みながら、「復興のひとすじの光にでもなれば」と営業再開。

しかし現実はきびしい。ほとんど収入はなし。きょうもお客さんは数人。従業員を解雇せず、暮らしを守らなければと、休業補償に独自に上乗せしているが、いつまでもつかが心配。

原発事故の影響は、原発からの距離や放射線量によらないのだから、その被害は全面的に補償してほしい、と。ほんとうに切実であり、あたりまえなのです。

 

「かけはし」配布/汗でずぶぬれ/理事会

「かけはし」と、党の提言「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を 国民的討論と合意をよびかけます」と、今月18日に予定している地元での学習会案内チラシをセットに、ご近所240軒ほどに配布しました。

暑くならないうちに、と思って、「おひさま」をみてから配り始めたのですが、30軒ほど歩いたところでもう汗だく。たいへんな暑さでした。

上半身裸で外にいたかたとしばしの立ち話。年金暮らしで、つつましい生活をしながら、趣味の集まりもあり、「このところ、共産党が話題になる」とのこと。しかも「共産党がいちばん頼れる」みたいは話らしく、うれしく聞きました。

聞いている間、背中にはずっと汗が流れ続ける体感。

こうしたなか、1時間半の配布活動はなかなかなもんです。いえにもどると全身ずぶぬれ。全部着替えです。

午後は、浜通り医療生協理事会に出席。今月30日の総代会提案の議案を最終的に確認しました。

「東日本大震災活動記録」も当日、配布されます。市内の被災状況や、医療生協としての支援活動の写真記録、当時のニュースなどを含め、写真満載の70ページに及ぶ資料です。