震度4/大地動乱/歓迎・暑気払い

散髪に行くと、話題は未明の揺れ。

「また揺れましたねぇ、もう5か月というのに、長かったですもんねぇ」。

午前3時22分ごろ、薄磯海岸の東約20km沖の深さ約50kmが震源のようです。マグニチュードは6で、いわき市内は震度4。当然に起こされました。

3月11日以降、いわき市内だけでも、というか私が大きく揺らされた実感だけでも、3月23日、4月11・12日、5月6日、6月18日の2回、7月8日、7月31日、そしてきょう8月12日。ともかく東日本全体が「大地動乱の時代」なんでしょう。

地球のこの動乱のサイクルが、あと60年早かったら、日本に原発など1基も建てられなかっただろうに… アメリカから濃縮ウランと原子炉の提供を受け、アメリカのエネルギー政策に従属する形で、原発増設の道を突き進んだ時期は、地震活動静穏期に重なってしまっていたのです。

夕刻からは、浜通り医療生協の新入職員歓迎会と暑気払い。大震災があったために、歓迎会が遅れてしまい、暑気払いと合体です。

とにかく、私が病院事務長を務めていた時代とは様変わりの余興です。復興へむけた意気込みもムンムンです。

街宣と放射線測定/原発事故の全面補償を

平(たいら)の平窪(ひらくぼ)地域で、街宣と放射線測定をしました。

街宣は農村地域3か所と国道399号線沿いの3か所の計6か所。

「簡易放射線測定器をもってうかがっています。自宅の放射線量をいっしょに測りますから声をかけてください」と言いながら、「原発から撤退し、自然エネルギーの本格的導入への転換」を訴えました。

15分ぐらいの話ですが、冒頭は、事故原発現場で働く作業員への敬意と、こうした作業員の健康管理に東京電力が責任をもって事故収束へ向かってほしいこと。

ジュースの差し入れがあったり、通りかかる車からの声援があったり、ほんとうにありがたく思います。

なにより、わが家の放射線量を測ってほしいと言うかたがたが、「3月12日の原発事故以後、避難もせず、窓はずっと締め切り、外にもできるかぎり出ないで暮らしていた。ここはいったいどうなっているのか」、「孫3人がいっしょに暮らしている。去年まではこの庭で、プールを出して水遊びしていたが、今年は一度も遊んでいない。孫たちへの影響が心配でならない」、「庭の野菜を毎年食べている。今年は控えているが、そうしなくちゃいけないのか」と、ほんとうに深刻です。

この平窪地域は、0.2μ㏜毎時を超えるところはなく、みなさんが「来てもらってよかった」「こうして測定してもらって安心した」「市役所が責任をもって測ってほしいが、できないなら自治会単位に測定器を持てるようにしてほしい」 との声。

人類未曾有の原発震災を目の当たりにし、東電と国の責任を果たさせるばかりでなく、そのための自治体の姿勢と責任も問われます。いわき市自身が原発被災したのですから、原発事故による被害の全面的補償を求める立場に立たなければなりません。

暑いきょうは、ペロも台所の片隅で、こういうかっこう。

二つの憲法

『二つの憲法』(井上ひさし著、岩波ブックレット)を読みました。

井上さんは昨年亡くなった作家です。2004年6月10日にスタートした「九条の会」の呼びかけ人でもありました。

この本は、井上さんが、1999年8月に行なった講座がもとになっています。「日米防衛協力のための指針」を円滑運用するための周辺事態法など、この「指針」関連法が成立させられた直後でした。

「イギリス名誉革命(1688年)直後の権利章典(1689年)から始まって、アメリカ独立宣言(1776年)やアメリカ合衆国憲法(1788年)を経て、フランス人権宣言(1789年)に至る百年間に形成された憲法という『宝物』のような容器に、今世紀の人類が血を流し多大の犠牲を払いながら創り上げた、国際連盟(1920年)や不戦条約(1928年)などに見られる、人間には平和を求める権利があるのだという思想が、新しい憲法に盛り込まれることになりました」(55㌻)。

この過程で、大日本帝国憲法(1889[明治22]年発布)があり、「新しい憲法」=日本国憲法があるのです。

井上さんの感性で、日本国憲法の生い立ちを明確にしようとした試みです。

小名浜の朝/地区労・全港湾申入/全港湾定期大会

火曜日朝は小名浜での定時定点。ここはもともと私の職場だった病院が今の場所に引っ越す前にあった場所であり、自宅から宣伝カーを運転して20分ぐらいで到着です。

「旗持ち」に出てきてくれる医療生協職員後援会員も、小名浜の職場後援会員も、市内各地から車でこの場に寄ってくれます。

午前中は、小名浜地区労(小名浜地区労働組合協議会)と全港湾小名浜支部(全日本港湾労働組合東北地方小名浜支部)連名による、いわき市長への「エネルギー政策の転換と環境対策に関する申入れ」に同行しました。

党の伊藤ひろゆき市議団長、鈴木弘之市議(創世会所属、社民党)もいっしょでした。

脱原発政策を明確にすること、放射線測定・汚染マップの作成・公表、健康管理体制の拡充と18歳以下の被ばく線量測定、原発事故による被害の全面補償と市による立替払いを申入れました。

副市長が対応しましたが、補償の建て替えに関しては、市としても東電と国に対して広く補償をすることを求めており、立替えは技術的に難しい、と。

原発事故による被害の補償は当然のことであり、市自身がその対応のために要する支出も補償対象であって、その立場を明確にして、市民の命と健康と暮らしを守るために、市民の立場で東電・国に求めるべきことは求めることが大切だと思います。

夕刻には全港湾小名浜支部の第43回定期大会があり、党を代表してごあいさつしました。

月曜定例/小名浜・鹿島訪問/民商総会

月曜日朝は定例の定時定点の街頭2か所から。それぞれの場所に地元の後援会員が待っていてくれる姿には、ほんとうに励まされ、元気づけられます。宣伝カーの運転には高橋あき子市議がわが家までやってきてくれます。

きょうは午前・午後と小名浜地域で訪問活動。

午前中は、「中原」という地域で、地上1mも庭の地表面も0.14~0.16μ㏜毎時は市内でもずいぶん低いです。

お孫さんといっしょに暮らすおばあさんから「命の恩人だ」と言われ、庭で野菜を栽培しているお宅では「これまでも食べてはいたけど、安心した」と言われたり。

原発事故については、「事故はない、安全だ、と言っていた議員が、事故後、原発は許せない、裏切られた、などと言っていること自体が許せない」と怒りをぶつける人も。まったくそのとおり。

午後は鹿島町で、後援会員の地域でのお知り合い・「しんぶん赤旗」読者を訪問しました。友人がオーストラリアへ移住したという人もいれば、原発から出る低レベル放射性物質の焼却炉製造に従事している人。「共産党以外はけっきょく信頼できない。政治に関心をもたない有権者の責任もある。でも、今回ばかりは自分の責任で政治の未来を考える」とおっしゃるかた。

夕刻は、いわき民商の定期総会でごあいさつ。原発事故による被害に「線引き」などを許さず、全面補償を実現させることとともに、原発から撤退し、自然エネルギーの本格的導入を通し、新たな産業と雇用の創出、安全で安心に営業し、仕事ができる社会環境をいっしょに作り出したいとお話しました。

 

盆踊り

夕刻には、私が住む地域で「第31回郷ヶ丘新盆供養盆踊り大会」がありました。

主催の自治会連合会からの「お知らせ」にも、「郷ヶ丘も日常を取り戻すにはまだ時間はかかります」とあります。

しかし、「諸事情を乗り越え」、「少しでも明るい明日へ向け」、この盆踊りを実現したご苦労が伝わってくる文章でした。

始まりと終わりは「郷ヶ丘じゃんがら会」によるじゃんがら踊り。

会場には、県議の青木稔(自民)ご夫妻も見えていました。青木さんは、私が磐城高校に入学したとき、甲子園出場を果たした野球部監督でした。

締めはやはり恒例の花火大会とお楽しみ抽選会。

一等の番号が発表されると人の波がいっきに出口へ向かうのは、どこもいっしょでしょうか。

顕彰のつどい/年内選挙

日本共産党に入党して、50年、30年の党員を顕彰するつどいがありました。

1922(大正11)年にこの日本に共産党が生まれて89年ですが、50年前の1961(昭和36)年は私が生まれて2年目。

顕彰されたおひとりに、私が中学生当時、隣りのクラスを担任していたかたもいらっしゃいました。

1961年は、年表をひも解くと、前年6月には現行安保条約が自然成立させられ、この年3月には「安保改定阻止国民会議」が「安保反対・平和と民主主義をまもる国民会議」として再発足し、8月には松川事件差戻し審で仙台高裁が全員無罪判決を下していました。

福島県内で青春時代を過ごしたかたも少なくなく、松川事件に触れて、当時を振り返る話には、その時代を感じます。

と同時に、そのとき、時代を動かす人びとのなかに、必ず日本共産党員の姿があることを、いまさらながら思い知らされるのです。

やはり、住みよい社会づくりのために、日本共産党はなくてはなりません。

この顕彰とあわせてきょうは、久保田仁党県委員長による学習講演もありました。延期されている選挙が、国会での法改定により、年内に行なわれることが確実です。

平七夕

「祈り、そして復興への願いを込めて」をテーマに、きょうから3日間、平(たいら)七夕まつりです。

今年で92回目で、私も小学生、中学生のころは友だちどうしでよくくり出しました。

地震での被害が残る建物、沈下した地盤などもまだ目立ちます。

建物を建て直すために更地にした土地にもテントが立ち並びました。

街中を彩る七夕飾りは120本を超えているそうです。

短冊に願いごとを書き、笹に飾りつけるコーナーもありました。

放射能からママと子どもを守る

『放射能からママと子どもを守る本』(野口邦和著、法研)を読みました。

大半が見開き2ページでイラストつき。しかもそのイラストは、見てすぐできる安心対策の解説図。

国民の心を不安に駆り立てた「安全」宣言の見方から始まり、暮らしのなかで気をつけること、子どもの通園・通学・外出時に気をつけること、食べものや飲みもので気をつけること、赤ちゃんや妊娠中のママが気をつけること、そして放射線の基礎知識、最後は「すぐに役立つ放射能対策 Q&A」、巻末には「放射性物質を減らす調理法」もまたイラストで解説。

野口さんは、原発の「安全神話」とは無縁で、原子力行政にもきびしい批判を加え続けてきた、放射線防護学の第一人者。

三保恵一・二本松市長は、「科学者として倫理・良心に基づくアドバイスはいつも実際的です」と、この本を推奨しています。

雨と晴れ/訪問/神戸市議団と懇談

金曜日朝は、平・神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで定時定点の街頭から。

家を出発する7時過ぎぐらいから雨がやや強めに降り始めましたが、ともかく決行。終える8時にはすっかり晴れ上がりました。

午前中は、医療生協党後援会員と小名浜地域をまわりました。家の中に招き入れられ、この間の身の回りで起こった出来事などを含め、じっくりと話を聞く機会となりました。

なかに「県議選は終わってしまったと思ってたよ」というかた。ご自分のことや身近なことに追われるばかりだった、話ができてよかった、と。

夕刻には、ボランティア活動でいわき入りしている党神戸市議団と懇談。16年前の阪神・淡路大震災時の様子や救援・相談活動、復興へ向けた課題やフクシマを含めた今後に生かす教訓などについて、意見交換することができました。