水害/県と市に働きかけ/ガントリークレーン/流用是認なの?

台風や大雨時には水害に見舞われる、という相談があり、渡辺ひろゆき市議といっしょにお話をうかがいました。

行政との関係でもいろいろいきさつがあった地域ではありますが、世代も変わっており、なおかつ水害に悩まされ続けている住民もいらっしゃいました。

県と市に働きかけつつ、住民のみなさんと解決の方向を探りたいと思います。

午後は、小名浜港大剣(おおつるぎ)ふ頭で、ガントリークレーンの安全祈願祭と共用開始式に参加しました。

全長94m、高さ56m、クレーンの起伏時には高さが82mだそうです。これまでは1時間あたり20~23のコンテナ取扱量が40になるとのこと。

昨年の3月の大震災に加え、4月の大余震での被害を受け、災害復旧事業できょうの供用に至りました。

この大剣埠頭は既存ふ頭ですから、こうした既存ふ頭の設備や道路や照明の整備にしっかりととりくんでほしいと思います。

ところが県知事やいわき市長のあいさつでは、税金の無駄遣いの象徴と言っていいこの沖合の人工島整備に期待する言葉。例の流用を是認する立場なのかと思わざるを得ません。

こうした旧来型政治とお金の使い方をほんとうにやめさせて、住民の暮らし本位の政治にみなさん、いっしょに変えましょうよ。

衆院選/二つの害悪政治から脱する政治へ

野田首相が衆院を解散し、12月4日公示、16日投開票の選挙日程をきめた、とのこと。

12月4日は県議会開会日で、16日の週の20日が閉会予定。まさに県議会まっただ中の総選挙になるようです。

自民党化した民主党にも、もちろん自民党にも、これからの政治をまかせるわけにはいきません。その政治の枠内でしかない「第三極」の中身は、かつての自民党政治の右翼的逆流でしかないと私は思っています。三極でもなんでもないのです。

財界言いなり、アメリカ従順のこれまでの政治が今の事態を招いています。この「二つの害悪政治」から脱し、文字通りの国民本位の政治にしなければなりません。3年前に政権交代に託した国民の願いをほんとうに活かす政治を共産党に託してほしいと、心から訴えます。

申入れ準備と質問準備と

きのうに引き続き、県議団としてあさっての知事申入れの準備をしました。

インジケーターを見ると、私が一番目の「出勤」議員のようです。

おのおのでいったん書き上げた文章を合体させ、点検していると、抜けていたり重なったりする項目が発見され、抜けたところをまた書き足す、といった作業です。

これを、来年度予算編成へ向けた第一次申入れと、12月議会へ向けた申入れとの2つの文書について作業しました。

並行して、県議団としての12月議会代表質問についても検討。震災前の県行政の検証と、震災後の広域自治体としての県行政の姿を照らすことはどうしても必要です。

私は今晩家にもどるので、知事申し入れのあすの仕上げはお願いして帰ることになりました。

おとといの「大いも煮会」の写真が送られてきました。

団会議/県内自主避難/二本松病院

今週15日には、12月議会へ向け、来年度予算編成も含めた知事申し入れがあり、その準備の団会議でした。

昨年の県議選から1年たつことを、このことで思い出すに至りました。

どんなことを求め提案するかをおのおの出し合い、大項目を整理し、分担して執筆作業開始です。

夕刻近くには、「福島県に県内自主避難の権利を求める会」のお二人がみえました。まだ限定的とはいえ、県内自主避難者への家賃補助策などを県が決めたこともあり、6月議会で全会一致で請願が採択されたことについて、全会派にあいさつをしてまわられました。

また、「社会保険二本松病院を守る会」のお二人も、4か月間で7000筆を超える署名を集め、その現物を県の担当部署に示し、後日、国に届けるそうです。

大いも煮会/芝山公園/原発ゼロアピール/切り替え

浜通り医療生協の第5回大いも煮会がありました。私が組織部長を務めていた時期に始めた企画で、年ねん規模が広がり、なによりです。今回は260人ほどの参加。

会場は芝山自然公園。芝山頂上あたりは、いわき市・古殿町・平田村の境界のようです。

紅葉のながめもなかなかでした。

毎回、ハイキングコースを2つぐらい設定し、加えて会場での「ごろ寝コース」。

昼食は、生協の地域4支部が「サンマ鍋」「ラーメン鍋」「カレー鍋」「トン汁+キムチチゲ」を準備。

満足このうえない味と量です。

きょうは、「今すぐ原発ゼロへ 11・11全国いっせい行動連帯企画」とも銘打っており、アピール「原発のない社会へ直ちに踏み出しましょう!」を参加者一同で確認しました。

ちょうど閉会時に雨がポツポツ。

家にもどってからは、1980年代初頭からの医療費抑制策や行革の名による自治体リストラと県政に頭を切り替え。

通信配布/ナデナデ/原発震災被災県からの発信

夕べは3日ぶりにいわきにもどり、けさは宮川さんと私の通信「かけはし」と私の通信「あしたの風」をセットにしてご近所260軒ほどにペロといっしょに配りました。所要時間約1時間半。けっこうな運動量です。

あるお宅では「写真ではいつも見ていたペロちゃん。初めて会えたねぇ」とナデナデしてくれるかた。

またあるかたは、「代行タクシー運転手が仕事がなくて、原発に仕事に行っていると聞いている。事故原発収束のために働く人が今後は不可欠だから、そうした人たちを守ってほしい」と。

まったくそのとおりです。

来年度の県予算や施策へ向け、12月議会での県議団としての質問について検討です。

防災、ユニバーサルデザイン、医療・介護とあれこれ考えますが、なにより重要なのは、原発震災被災県として、なにを発信するか、です。

政調会/来年度へ/準備本格化

12月議会へ向け、執行部の補正要望など予定する議案、この間の施策の進捗状況などを聞く政調会がありました。

保健福祉部、生活環境部・原子力損害対策担当理事、総務部、企画調整部・避難地域復興局、商工労働部・観光交流局、農林水産部、土木部、企業局、教育庁から説明を受けました。

補正額は調整中で、各種基金積み立てや年間所要見込額による減額など、あれこれデコボコはありますが、400億円程度のようです。

12月議会は、提案される議案だけでなく、来年度へ向けた執行部のとりくみも問うことになります。

きょうの政調会を受け、党県議団として質問の準備も本格化します。

議会日程は12月4日開会で20日閉会予定の日程案も示されました。

農業委員大会/「第三極」/虹

第57回福島県下農業委員大会があり、党県議団5人そろって参加しました。

4つの大会スローガンの一つは「農業者の力を結集し、TPP参加を阻止しよう!」。

国会議員を代表して祝辞を述べた2人は新党改革と自民党の議員。そろって「TPPはぜったい反対」と強調していました。斎藤健治県議会議長も県議会を代表してTPP反対を表明しました。

議事に入っての質疑では、「政府がだらしない。だから、原発は小異だという石原前都知事や、TPP参加を言う橋下大阪市長のような人物が出てくる。第三極などと言えない」といった発言もありました。

最後はみなさんといっしょにガンバロウ三唱。

会場へ来る前、山を囲むように見事な虹。

午後は控室にもどり、団会議。

自助・共助と防災/行政の役割/大震災の教訓

先日、社会保障と税の一体改革の「社会保障制度改革推進法」が、「自助」「共助」を明文化し、本人、家族の責任を基本に社会保障制度を改革するとんでもない法律であることに触れました。

県の「東日本大震災に関する福島県の初動対応について」の文書を見ていたら、最後の「まとめ」の中に、「地域において、実践的な防災活動の定期的な実施など、自助・共助の防災意識醸成の推進」と出てきました。

中央防災会議の専門調査会が2002年に自助・共助の推進を「防災協働社会の実現」に位置づけ、08年の「防災基本計画」修正で、「行政による公助はもとより、個々人の自覚に根ざした自助、身近な地域コミュニティー等による共助が必要」と規定するに至ったのです。

高齢化によるひとり暮らし・高齢夫妻暮らし、医療・介護の崩壊、人口の流出・移動、生活形態が様ざまな人・世帯が住む集合住宅の進出、などなど、自助・共助が成り立ちがたい無計画なまちづくりを進めた国・行政の責任はどこに行ったのでしょう。

市民側からではなく、行政側から「自助・共助・公助」が防災対策の理念として強調するには何かねらいがあるに違いありません。

自治体のほうは、職員の削減、臨時や嘱託職員による埋め合わせ、合併によるサービス範囲の拡大、そして消防事務、災害対応事務、防犯事務、さらには「国民保護」事務など社会的危機事態への対応事務など、防災部門の事務は増大し複雑化しています。こうして自治体の事務能力は疲弊し、低下しているのではないでしょうか。

この流れをそのままに、民主党は「地域主権」をさけびます。

自治体には、災害から地域と市民の生命、身体及び財産を保護する責任(災害対策基本法)を果たすこと、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割(地方自治法)発揮のために、その施策を充実させることこそ、大震災の教訓のはずです。

小名浜定時/「交流サロン」/復興の最大の障害

きのうに続き、小名浜での定時定点も久しぶりでした。「お久しぶりね」というように手を振っていってくださるかたも少なからず、ちょっと恐縮です。

きのう、県相双保健福祉事務所いわき出張所をたずねた際、いわき市内の借り上げ住宅で避難生活をされている双葉郡町村の「交流サロン」を、小名浜のショッピングセンターのリスポで町村ごとに毎月開催することを聞きました。

きょうがその日だったのでさっそくたずねました。きょうは富岡町民の交流の場でした。

雨模様でもあり、町民は2人でしたが、なんと、富岡町内で300mも離れていないご近所で、昨年の事故以来の再会でした。

お一人は事故後、ご親族の職場勤務地の関係で奈良市、水戸市と避難し、もうお一人は今の小名浜に落ち着いたのが6か所目の避難地だそうです。

そのお二人がこの場で再開したことに、私は感動を含めたものすごい複雑な感情をもったわけですが、お二人は「やぁ、やぁ、久しぶりだね」みたいにお互いの居住地や連絡先をなにげに交換していました。

このショッピングセンターは、昨年の4月1日に津波被災現場の写真を持ってたずねていて、そのときにじっくり話を聞かせていただいたお店にも寄りました。

実を言うと、そのときに写真を持ち歩いていたことを私はおぼえておらず、「あのときにこの近くが津波でたいへんな被害だったことを見せてもらった写真で知ったんですよ」と聞かされ、またあのときを思い出してしまいます。

津波被災で家を失った住民が多いだけに、家を新たに建てる保障もないので、不況は深刻だ、と強い訴えです。

「個人の財産の形成になる」などといって、住宅、商店、工場、医療機関などの復旧を支援しないという古い「原則」に固執していることが、復興の最大の障害になっている、という日本政治の根本問題がまるっきり共有できるのです。