カールスルーエ市/ゴミをエネルギーへ/ブライトナウ村

ドイツ訪問の目的は、再生可能エネルギー普及に国・自治体・住民がそれぞれ主体的にどうかかわっているかを調査することです。

最初にたずねたのは、カールスルーエ市内の「ゴミの丘」を「エネルギーの丘」に変えた現場。

ドイツ在住16年で、ジャーナリストの松田雅央(まさひろ)さんが案内してくれました。

簡単に言ってしまうと、ゴミ埋立地の上に風力発電施設を作り、埋立地の斜面は太陽光発電に活用し、ゴミから発生するメタンガスの熱も活用する、というものです。

カールスルーエ市では、風力発電の8割が市民の出資で、市民一人ひとりがエネルギー事業者という発想です。

その後、人口が2000人ほどのブライトナウ村へ行き、ジョセフ村長の案内で村内を回り、水力発電業者のカイザーさんの話を聞いたり、村長自身が力を入れるバイオマスの現場を歩きました。

いまこの村は、電力需要の170%がバイオだそうです。住民参加型がカギのようです。

来年がどうなっているか、ぜひ見に来てほしい、と訴えられました。

原発事故作業者/移動日/ドイツへ

きょうからは、2班に分かれ、私たち9人はB班で、ドイツへ向かいます。

出発前、A班がチェルノブイリ原発直後の作業労働者の話を宿泊しているホテルを会場に聞いていたので、私も短時間、参加しました。

その後は、ホテルからバスでミンスク空港へ行き、空路、ドイツのフランクフルト空港へ行き、バスでマンハイムのホテルに到着したのが午後6時前でした。

ドイツでのバス添乗員は神戸出身のBECK AYUMI(ベック・アユミ)さん。

ドイツに住んで20年、ツアーガイドの仕事で、立て板に水を流すごとき話に聞き入ってしまいました。

国家非常事態省/情報センター/小児がんセンター/臨時代理大使

ベラルーシ国内で、ゴメリからミンスクへまたきのうのうちに移動。約6時間弱。

午前中にベラルーシ国家非常事態省、ロシア・ベラルーシ情報センター、午後に小児がんセンターをおとずれました。

非常事態省は、すべての省庁を統括する機関で、旧ソ連時代の内務省内にその前身組織があり、91年の独立時に省として独立したようです。

ともかくベラルーシの場合、州政府、日本の市町村のようなものがあっても、国家の政府を頂点にすべてタテでつながっていて、地方自治という考えはないので、なかなか理解が難しいです。

情報センターは、きのうたずねた放射線学研究所の支所のような位置づけで、事故後の経験・蓄積を集積し、住民だけでなく国に対しても正しく客観的な情報を提供し、なにより、原発事故の記憶をなくさないことを強調していました。

200ベッドを持つ小児がんセンターは、正確には小児腫瘍学・血液学センターというそうですが、原発事故が原因の疾病の実態は、またまだこれからのように感じます。

夕刻には、三森重弘ベラルーシ臨時代理大使との懇談をかねた夕食会でした。

ゴメリ州保健局/放射線学研究所/情報提供

きのうのうちにウクライナのキエフからベラルーシのゴメリに移動。バスで約4時間です。

きょうはゴメリ州保健局と放射線学研究所をたずねました。

保健局は住民の健康維持のため、事故後、1年半から2年の間に台帳を整備し、健康診断にあたっているとのこと。

子どもの受診率は100%、大人も99%の受診率。国家が健康診断の実施者として責任をもつしくみは、日本が行政が責任をもたずに保険者まかせであることの根本的違いがあります。

あえてそのしくみに触れずに福島県の健診受診率やがん検診受診率の話を私からすると、「住民自身の健康意識の向上が必要なことと、当初はベラルーシでも医療者自らが住民を訪問することから始めた」とのこと。

放射線学研究所では、畜産・林業・農業での被害を最小限に抑えることを眼目に研究活動を展開している、とのこと。

とくに情報提供の重要性を、採算性・経済的側面から語る姿勢が印象に残ります。

情報に関しては、「専門家の養成」、「住民に対する放射線の客観的で正確な知識提供の場の創出」、「子どもたちの教育」をしっかりと位置づけているようです。

放射線医学研究所/チェルノブイリ博物館

ウクライナのキエフ市内はきょうで3日目。

放射線医学研究所とチェルノブイリ博物館をたずねました。

放射線医学研究所では、あらかじめこちらから届けていた質問に、循環器やがん、脳・心理的影響、小児医療、人口動態、国際関係の各専門家が回答を用意していてくれ、めいっぱいの時間でした。

6問に答えるだけで1時間半なので、質問の準備と質疑応答の時間の確保は課題です。

チェルノブイリ博物館は「ウクライナ国立」なのですが、事故時のからのさまざまな資料が展示されていて、職員から説明を受けました。原発に依存し続ける国の姿勢が私にはなかなか理解できません。

博物館内で、チェルノブイリ原発事故時に作業にたずさわった作業員=リクビダートルの2人とも懇談しました。

レーニン像/プリピャチ村/チェルノブイリ原発/埋設施設

朝、宿泊したホテルから出て散歩していると、すぐ近くにレーニン像。ソ連崩壊時、レーニン像を壊す場面しか見ていなかったので、ちょっとびっくり。

きょうは、チェルノブイリ原発稼動時に、原発労働者が住んでいたプリピャチ市、それに事故を起こしたチェルノブイリ原発4号炉のまん前にあるパビリオンをたずねました。

途中、原発事故で「消滅」した162の村々の名前が掲げられた「希望の小路」、事故当初に作業にたずさわった消防士たちの碑「世界の人々のために」にも立ち寄りました。

当初、予定にはなかった中低レベル廃棄物埋設施設も見学。300年の埋設予定でしたが、説明してくれた職員は、「最終処分場と理解している」と語っていました。

時差/大使訪問・懇談/市民団体

未明1時に羽田空港を出発。

ドイツのフランクフルト空港を経由して、ウクライナ・キエフのボリスポリ空港に午後1時過ぎ着。

フランクフルトには午前6時過ぎに着いたことになっていますが、羽田からの飛行時間は約12時間。日本なら午後1時過ぎになっていますが、日本との時差がマイナス7時間、キエフはマイナス6時間。

ボリスポリ空港からただちにキエフ市内の在ウクライナ大使館の坂田東一大使を表敬訪問。

大使からは、ウクライナ国内から、子どもたちをはじめ、日本を激励する絵画や声が届けられていることが紹介されました。

また、キエフ市内には、チェルノブイリ原発事故によって移住した人たちのデスニアスキー地区があり、4月にはチェルノブイリとフクシマの連帯のためのイベントに招待されたこと、さらに、事故直後に政府主導でつくられた移住民の人工の街・スラブーチッチ市から、福島と交流したい意志が伝えられているとのこと。

ウクライナではこれからも原発に依存するエネルギー政策が進められますが、これをめくる質疑も続きました。

その後、宿泊ホテルに移動し、市民団体のウクライナ全国環境センターの1981年生まれのドミトロ・フマーテさんと懇談。

政府に対する市民としての声を聞かせていただきました。

「かけはし」「あしたの風」配布/チェルノブイリへ

きのうは一日雨で、配れなかった通信「かけはし」と「あしたの風」をご近所250軒ほどに早朝、配りました。

「ずいぶん早いけど、朝ごはんは食べたの?」と声をかけてくれるかた。これからです。

これから東京へ向かい、羽田空港で深夜集合、あす未明出発で福島県議会としての行政調査に出かけます。

あす9日は、在ウクライナ日本大使館、ウクライナ国立環境センター(市民団体)との意見交換。

10日は、チェルノブイリ原発作業員居住地だったプリピャチ村、チェルノブイリ原発。

11日は、キエフにある放射線医学研究所、チェルノブイリ博物館、それに原発事故作業員との意見交換。

12日は、ベラルーシのゴメリ州保健局、ゴメリ医科大学、ゴメリ放射線生物研究所。

13日は、ベラルーシの国家非常事態省、ロシア・ベラルーシ情報センター、在ベラルーシ臨時大使との懇談。

14日からは、フィンランド班とドイツ班に分かれ、私はドイツ。一日移動。

15日は、カールスルーエ市のゴミ埋立地の風力発電、バイオエネルギーの村・ブライトナウ村。

16日はフライブルグ市、バーデン=ヴェルテンベルグ州政府、フランクフルト総領事との懇談。

17日に帰国の途、18日に羽田着。

帰るまで、更新はお休みです。

議会のまとめ会議/再稼働意見書記事


【子育て・健康・医療対策特別委の知事申入れ[きのう]】

きょうは一日、県議団会議で、きのう終わった議会の「まとめ」を討議しました。

議会ごとに冊子をつくり、また、「県政報告」として、チラシにする文章やレイアウトなどを検討しています。


      【子育て・健康・医療対策特別委員会議長報告[きのう]】

3日に私が所属する企画環境常任委員会で全員一致で可決され、きのうの本会議でも全会一致で可決された「原子力発電所の再稼働について住民の安全・安心を最優先に対応することを求める意見書」は、都道府県議会では初めての意思表示であり、マスコミからも注目されたようです。

この意見書には、再稼働について「反対」とか「撤回」の言葉はありません。私たちが「撤回」の意志を明確にした意見書案を提案後、「被災県として意志を示さないわけにはいかない」(自民)、「なんとか全会一致のものにしたい」(民主)という話から、所管する委員会の委員長・副委員長、民主党の政調会長を巻き込んで調整が始まったのです。

意見書のタイトルから「住民の安全・安心最優先」の見出しをつける新聞が多いなか、「毎日新聞」は、「県議会が再稼働反対」の見出しをつけました。

「福島第1原発事故はいまだに収束しておらず、16万人を超える県民が住み慣れた故郷を追われ、将来の見えない不安な生活を送っている事実から目を背けてはならない」、「防潮堤、免震重要棟、フィルター付きベント設備などが未整備で、事故が起こった場合の放射能被害予測や住民避難計画も立てられていない」と引用、さらに「事故原因の究明や原子力安全規制体制が確立されていないことにも言及した」と、紹介しています。

これはTPP反対意見所書採択の場面。共産党の5人と、民主・県民連合所属の社民・民主の2人が起立賛成。起立少数で否決された瞬間です。TPP参加反対の自民党は、9月定例会にTPP参加反対の意見書をあらためて提出する方針、と報じる新聞がありました。わけがわかりません。

議会最終日/討論/特別委知事申入れ/海外調査/団会議

6月県議会最終日を迎えました。

本会議前に、「福島県沿岸部水産業復興議員協議会」の設立の呼びかけがあり、県の浜通り地域選出の15人の超党派議員で設立されました。私が理事の1人になることも承認されました。

午後1時から本会議。各常任委員会委員長報告後、ふくしま未来ネットワークと私の2人が討論しました。

未来ネットは、参院福島選挙区議員定数削減に反対する意見書に反対と、尖閣諸島の領有警備を自衛隊が平時からできるようにすることを含めた法整備を求める意見書に賛成する討論でした。

私は、国会議員定数削減は民意を削ることでしかないこと、尖閣諸島についてはその領有の歴史上、国際法上の正当性を理をつくし、堂々と主張する外交努力こそ重要なことであることを主張、未来ネットとはまったくさかさまでした。ほかに、ダメなものはダメ、いいものはいい、という立場から、知事提出議案の1件に反対し、採択・可決すべき請願や意見書に関して討論しました。全文を党県議団ホームページに掲載しますので、ぜひご参照ください。

それにしても、消費税増税反対意見書やTPP参加反対意見書を否決する県議会とは、いったい、大震災・原発事故被災県として、どういうことなのでしょう。

本会議後、他会派の議員から「あの討論を聞いて賛成起立しそうになった」とか、県執行部から「あの討論演説はありがとうございました」とかと声をかけられ、少しホッとします。

その後、子育て・健康・医療対策特別委員会としての「中間報告」を議長・副議長に報告し、知事申し入れをしました。

さらにその後、県議海外行政調査にかかる最後の打ち合わせ。きょうは第1回目に続き、清水修二・福島大学教授から事前研修を受けました。

控室にもどってからは、今議会のまとめをする県議団会議をしました。