寅さん/山田監督

「映画で心休めませんか」の言葉に誘われました。

第1部が寅さんシリーズ第15作の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」。1975年8月封切り作品で、あれこれあった末に、雨の降る柴又駅へ寅が迎えに行き、リリー(浅丘ルリ子)と相合い傘で帰るシーンが「シリーズ屈指の名場面」。

私はたぶん、高校卒業後の21作目からは欠かさず観ていたシリーズ映画で、なにかやっぱり、あのドンチャン騒ぎに懐かしさをおぼえます。

映画のあとは、いわき市内の津波被災地を視察してきた山田洋次監督のトーク。「寅さん映画を作りつづけて」といったテーマでしたが、「観客のものになっている作品」だけに、科学技術がどんどん進歩する世の中で、進歩しようともしない寅をスクリーンにどう映し出すかは、山田さんの楽しみでもあったように思います。

会場のすぐ向かいが、高校同期の開業医。上映前によって、3・11からの様子を聞きました。

神谷6号線/緑化委員会/原発事故学習会/丸源水産

金曜日の朝は、平(たいら)神谷(かべや)地域の国道6号線沿いでの定時定点を先週から再開。

原発事故の影響で県議選が不透明ななか、水・木の定時定点再開を、体力・気力の持続性と調整中です。

午前中、小名浜生協病院へ行くと、周辺緑化委員会のみなさんが花壇に草花の植え込みと、草刈の作業をしてくれていました。この病院の建設責任者をしていた当時、敷地内の花壇などの整備は、病院オープン後を見越して生協内部で知恵を出し合って進めよう、と議論していたことを思い出してしまいます。

午後は、せいきょうクリニックの待合室で、午後の受付開始前の時間を使い、生協役職員や組合員を対象にした「福島原発事故から私たちは何を学ぶのか」の学習会の「Part2」。

今回は私から、3月11日の大地震・大津波後の原発事故を振り返りつつ、原発事故が空間的・時間的・社会的に限定しようのない深刻なものであること、いまの原発技術が、どんな事態が起こっても、「死の灰」を閉じ込めておくことはできないし、水を供給し続けることもできず、まったくの未完成で危険であること、原発に依存することから脱し、自然エネルギーの本格的導入のために、国民的な討論と合意が必要で、その合意によって、国家としてのエネルギー政策の転換を実現しよう、という話をしました。

本屋さんに寄ると、縄文干しの丸源水産食品の佐藤勝彦さんにばったり。中之作漁港の冷蔵庫・倉庫が津波の直撃を受けたうえに、原発事故により先行きもまったくの不透明。

漁業者・仲買人・加工業・販売が一体で「漁業」が産業として成り立っており、そうした視点での補償のしくみ、復興支援が不可欠だ、と話されていました。

佐藤さんは、瀬戸山玄(ふかし)さんが書かれた『丹精で繁盛』(ちくま新書、07年12月刊)のトップバッターで紹介されているかたです。

滋賀県のみなさんと訪問/終わらない話/政治の根本をかえる

午前中、滋賀県からのボランティアのみなさんと、私が住む郷ヶ丘3丁目を訪問し、震災被害の実情や要望を聞いて歩きました。

「話したいことはやまほどある」、「要望を言い出したらきりがない」というわけで、じっくりとお話を聞かせていただきました。

放射線測定はもっときめ細かく行政の責任でしてほしい、園庭や校庭で遊ぶ子どもたちの姿を見て、ほんとうに大丈夫なのかと思ってしまう、こういう事態のもとで、国政での内輪もめを含めた足の引っ張り合いはなんなのか、言っていることは違わない者同士の二大政党にはあきれる、あんなことをしている暇があったらここに来てほしい、原発建屋爆発後の避難生活のことなど、ほんとうにみなさん、話し出すと終わりません。

いわきの新鮮な海産物を「売り」にしていた魚介物販売のかたは、「漁業関係でも、販売の自分たちはなんの補償もない。形のうえでは休業にしているが、今も先も仕事のめどはなく、まったく真っ暗だ」と。

漁業、仲買、加工、販売がいったいとして「漁業」であり、山下よしき参院議員がいわきでの視察をもとに国会質問したことも紹介しましたが、こうした実態と声を通しましょう、と話してきました。

「共産党はこうして滋賀県から来て話を聞いてくれるのに、ほかの党や行政の姿勢が見えないのは残念」とおっしゃるかたも。

行政の関係では水道局やり災証明や避難所の支援など、全国から支援があったことを話しますが、こういう事態のときに、それぞれの生活に日が当たらない行政は、根本的に見直すべきです。

午後はまた、「原発ゼロ・全面補償」署名を返送していただいたかたを訪問。

息子さんが東電下請け企業(東電協力会社)で長年仕事をしていたのですが、小さいお子さんを持つお嫁さんの意向で、近く、沖縄に移住する、とのこと。「身近で仕事をしていただけに、親にははっきり言わないけど、その危険を承知しているんじゃないか」と言うのです。

「原発は安全だ、としか聞かされていなかっただけに、放射能がどう危険かも知らせてもらえないし、専門家という人たちも言うことがバラバラ。いったいなにを信用したらいいの」と。

私としては、と言うか、共産党として、こうした声をしっかり聞き、「原発」「放射能」のことについても真剣にいっしょに考え、こんなことにした政治を根本的に変える気概をもって、歩かないとならないと思います。健康を害さないように。

滋賀・奈良のボランティア/いっせい行動/原発事故現場作業員

滋賀県と奈良県からのボランティアのみなさんが、きょうも住宅地の訪問と聴き取り行動に出発です。

私は内郷(うちごう)・好間(よしま)地域のいっせい行動へ。20人のみなさんが、炊き出し隊と「原発ゼロ」署名・街宣隊にわかれ、行動開始。

4人の街宣隊は、4か所の街頭から。団地内では、ベランダに出てくるかた、窓を網戸にして聞いてくれる様子のかた、宣伝カーの前を「がんばってくださいね」と声をかけていってくださるかた。

家族が東京電力社員で、「そんな話はやめろ!」と飛び出てくる人もいました。

私は、社員を責める話をしているわけではありません。

社員や協力社員が事故収束のためにあの事故現場で必死に働いていることには敬意をもっており、作業員の被ばく線量の厳重管理をはじめ、健康の保持は東電経営陣の責務です。

そのことにも触れなければ、と思いました。

午後は、エレベーターのない市営住宅の5階に住んでいるかたが、医師から「階段歩行困難」のコメントつきの診断書を受けており、1~2階に引っ越したい、という要望を受け、市の担当部署に同行しました。

その後、「原発ゼロ」署名を私の自宅に返送していただいたかた宅をたずねました。「10年ほど前から新聞記事を切り抜いているが、危ないと私ですら思っていたんだ」、「テレビのコマーシャルを見ているかぎり、原発がなければ日本の電力源がなくなる、と思い込まされていた。自然エネルギーの発電量が原発の発電量よりも多いのが世界の現実。共産党にがんばってほしい」などなどと、いま、エネルギー源を国民としてどう判断するか、対話がたいへん重要なときだと感じます。

定時定点の感激/奈良ボランティアのみなさんと訪問活動/「共産党だけ」と

火曜日朝は小名浜での定時定点。

歩道を自転車で通りかかったかたが、自転車を降り、「いつもご苦労様です。ぜひがんばってくださいね」と。「旗持ち」をしてくれている後援会員に声をかけてくれたのですが、いたく感激です。

きのうの夕刻、奈良県からボランティアに来てくれたみなさんと、私の地元の郷ヶ丘地域を訪問し、要望を聞きました。

「こんなことをしているのは共産党しかない」という声が象徴的ですが、ともかく、みなさんは、3月11日からのしばらくの断水とガソリンスタンドやスーパーやコンビニの休業のなかで、原発事故後、自宅から避難するわけにはいかなかったかたがたのたいへんな状況は、私も同じ境遇でしたが、あれから3か月がたった時点で、お知り合いなどと話を交わしたこともあり、政治家や政治に対する爆発寸前のお話など、「聞く」ことがはなはだ重要です。

ほんとうに、共産党しか、こういう切実な声を聞いて歩くことをしていないのは、情けなく感じます。はっきり言って、「マスコミに乗って選ばれる政治家」が圧倒的多数になってしまった政治の貧困をみる思いです。

政治家を「政治」で判断せず、「マスコミに出た」「二大政党とマスコミが言っている」「共産党はマスコミに登場しない」という、およそ自分の暮らしとか憲法とかの政治と無縁の世界を政治に持ち込んだ責任は誰がとるのでしょう?

政治や行政は税金で行なわれ、住民の暮らしを支えるはずの仕事です。その政治を住民があきらめたら、税金はいよいよ住民の暮らしのために使われなくなります。企業献金と政党助成金で運営している政党のために使われ続けることになります。

なんとかしましょうよ、みなさん! 企業献金にも政党助成金にも無縁なのは、共産党しかないんです。日本政治の現実です。

地震による液状化で自宅が全壊したかたに支援物資も届けました。

勉強会の仕込み/誰もが判断できるように

月曜日朝は、2か所で定時定点の街宣。

きょうは、これからの勉強会の仕込みの作業をしました。

福島原発事故が明らかにしたことを中心に、原発撤退と自然エネルギーの本格的導入に、国家として進むべきことを考える材料です。

妻が平日の休暇日で、久しぶりに私の高校同級のラーメン屋さんで昼食。

食べ物を提供する仕事だけに、水道水や食材の放射能汚染はどの程度なのか、不安を語っていました。

そうした情報が的確に提供されて、ダメなものはダメ、安心なものは安心、と誰もが判断できるようにならないのか、と。

当然の話です。

原発の40倍の資源量/「資源大国」日本/再開要請?

日本の原発54基の総発電能力は4885万キロワットだそうです。

今年4月に公表された、環境省が昨年委託した「再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査」の報告書によると、太陽光発電(非住宅系)・風力発電・中小水力発電・地熱発電だけで、実際のエネルギーとなりうる資源量は20億キロワットを超えるとされています。(導入ポテンシャルだけ抜き出して私が作表しました)

原発54基分の40倍以上です。

これに、ドイツが力を入れているバイオマス、また「波力発電」「潮力発電」「海洋温度差発電」など、「海洋大国」日本にふさわしい海洋エネルギーの活用などを考えれば、なにやら日本は資源大国にもなりえます。

昨年は、世界全体で見ると、自然エネルギーのクリーン御三家(風力、太陽光、バイオマス)の総発電量が、原子力による総発電量を追い越したんだそうです。

日本では、国や電力会社や御用学者がメディアを通してたれながす情報に「洗脳」され、原子力以外に選択肢がないかのように思わされていなかったでしょうか。

どうも日本はとり残されています。原発に依存し続けてきた日本の政治の遅れに原因があると言わざるをえません。

日本は、国家として、自然エネルギーの大きな可能性に挑戦するときです。

産業界の言いなりで、原発「安全神話」からちっとも抜け出せない海江田万里経産相の停止原発再開要請は、情けないほど論外です。

けさはペロと近くの神社に散歩です。

憲法街宣再開/今までにない雰囲気/きのうは金曜定時定点再開

震災前までは、毎月第三土曜日の午前中に実施していた憲法街宣を再開しました。

これは「日本国憲法を守るいわき市共同センター」の呼びかけで、市内各地の「九条の会」がいっせいに実施していて、小名浜では「浜通り医療生協九条の会」が主体です。弁士は私がしています。

いつものスーパー前ですが、駐車場から出て夫妻で車の中から手を振っていってくれるかたがた、歩道を歩いて手を振っていってくれるかたがた、店舗から出て車にもどらずに聞いてくれるかたがた、店舗に入る前に手を振っていってくれるかたがた。

今までにない雰囲気です。

私も今までになく熱が入り、原発をゼロにする期限を決めた計画が必要なこと、そのための国家としてのエネルギー政策の転換、原発事故による全面補償の実現、復興のための新たなまちづくりの指針が憲法25条と9条にあること、なおかつ、復興は被災地住民の意思と合意を前提にすべきこと、財源は大企業がため込んだ内部留保を活用するために大企業にこそ増税をする政治決断が必要なことなど、かなりじっくりと、40分ばかり。

午後は、震災で1か月の遅れとなった医療生協総代会へ向けた議案を審議する理事会に参加しました。7月30日の総代会開催のため、7月9日にもう一度、理事会があります。

きのうの金曜日は、これまた震災後、できていなかった平(たいら)の神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで、朝の定時定点街宣を再開しました。

原発・放射能学習会/切実・深刻質問/高坂の温泉噴出し

四倉(よつくら)地域で原発・放射能学習会がありました。医療生協支部の主催。

話したのは理事長の伊東達也さんと理事の私。

私からは、福島原発事故から明らかになったことは、原発技術がまったくの未完成で危険なこと、にもかかわらず地震・津波大国に原発をつくり続けたことの危険、民主党政権にかわっても最低14基の増設計画をつくろうとした「安全神話」の危険、それらの危険は国会でも県議会でも、共産党がずっと指摘し続けていたこと、事故は明らかな人災であって、全面賠償の実現が当然であること、原発から脱し、自然エネルギーに政策転換が急務であること、ドイツやスイスやイタリアなどヨーロッパでは国家として、国民としてそうした選択を明確にしていること、など、15分。

伊東さんが、放射能汚染問題を中心に、福島原発地域を再生可能エネルギーの研究・教育・施設、放射線汚染研究の中心地に変えていくこと、広島の原爆ドームと同じような「世界遺産」として残すとりくみで、地域社会の復興を進めていこう、と、40分あまりの話。

幼稚園児や小学生のお母さんたちから、「地表の放射線測定値が0.6μ㏜。表土の入れ替えは必要か」、「県産の牛乳を飲ませ続けて大丈夫か」、あるいは「土壌の放射性物質を取り除くのにひまわりや菜の花が有効だと聞いたがどうなのか」、「4月に福島市で4歳の孫が2時間、学校の校庭で遊んだ。また、生まれたばかりの孫が3月14日以降に福島市の井戸水で産湯につかった。それぞれ影響があるんじゃないか」などなど、切実で深刻な質問が寄せられました。

まったくあたりまえの疑問で、「大丈夫です」と断定できる状況ではないことが、何よりの問題です。なにせ、事故前の自然放射線量より多いことは間違いなく、確率的影響は高まっているのです。「しっかりと防除し、気をつけて暮らす」かどうかの問題になってしまっているのです。

内郷(うちごう)高坂町、というのは私が育った地域でもありますが、ここでも4月11日の余震(誘発地震)で、温泉が噴き出した、とのこと。

現場を見てきました。

きのうの「朝日新聞」福島版によれば、断層が隆起し、圧力がかかった地下水が地表に押し出されて温泉が沸いた、というのが専門家の分析ですが、いつ収まるかは予測が難しく、調査を続ける、とのことです。

「介護手すりははずして県に返せ」と避難者に/原発をなくそう集会

「福島に原発はいらない」署名を返送していただいたかたのお宅に寄り、浜通り医療生協の居宅介護支援事業所で市外から避難されているかたの相談の様子を聞きました(別記)。

会津にいったん避難された90歳のBさんは、原発事故前は介護の必要もなく暮らしていましたが、会津へ行ってから調子をくずされ、介護認定申請をしたら要介護1の認定。

入院もし、その後のことを考えたときに、親族が避難もしていて、実家により近いいわきへ第二次避難。運良く県営住宅に入り、介護保険の利用料も免除で、手すりを設置することにしましたが、県からは「避難を終えて退去する時は手すりははずして現状復帰してください」と言われた、とのこと。手すり撤去費用は自分で払え、というわけです。避難させられている人にさせることでしょうか? 無慈悲きわまりありません。少なくとも撤去費用は県が建て替えて東電に請求するのが筋ではないですか? あ然とします。

夕刻には「原発をなくそう いわき市民集会」に参加。約800人の市民がつどいました。

集会後はデモ行進。沿道に出て手を振る人、家の中から手を振る人、お店の前に並んで手を振る人、デモの様子を写真に撮る高校生、歩道橋の上でずらっと並んで手を振る高校生など、かつてない雰囲気の行進でした。