笠井質問/“やらせ”メール/再稼動見直し

衆院予算委員会での笠井亮(かさい・あきら)議員の質問は圧巻でした。

きのうは見られなかったので、きょう、ネットで録画を見ました。

ひとつは、九電“やらせ”メール。「しんぶん赤旗」日刊紙が7月2日付ですでに報じていました。佐賀県玄海町の九州電力玄海原発2、3号機の運転再開へむけ、国が主催した県民への「説明番組」で、九電が関係会社の社員らに運転再開を支持する文言のメールを番組に投稿するよう組織していた件です。

九電社長自身が夕べ記者会見し、その事実を認めました。

もうひとつは、玄海原発再稼動の見直しに追い込んだ追及です。

政府自身が6月7日、国際原子力機関(IAEA)に、福島原発事故について、それまでにわかった事実に基づいて暫定的な「報告書」を提出しています。そこには28項目の「教訓」が述べられていますが、これに基づく対策すら終わっていません。

ところが海江田経産大臣は、6月18日、定期点検などで停止中の全国の原発の安全性が確認されたとして地元自治体に再稼動を要請し、29日には佐賀県を訪れ、玄海原発は安心だ、と、また「安全神話」を振りまいたわけです。

笠井議員の追及に菅首相は、「国民的に納得できるルールをまず明確にしていく努力が必要」「ストレステストを含めて、すべての原発について、共通のルールでチェックできるような形を検討」と答弁。

笠井さんが「一方でルールをつくるといって、一方で再稼動を要請したままになっている。再稼動要請はやめるべきだ」と迫り、けさの各紙・各テレビ報道となりました。

 

内郷・好間行動/「飼っていた牛は殺さざるをえなかった」

内郷(うちごう)・好間(よしま)地域のいっせい行動に参加しました。

きょうは、私が育った高坂地域で、「原発ゼロ・原発事故全面補償」を求める行動です。街頭宣伝隊と署名隊に分かれての行動。

署名隊は、一戸一戸をたずね、話を聞きながら署名をお願いしました。

私は6か所の街頭から訴え。

事故原発現場で、苛酷な労働環境のもとで事故収束のために働く作業員へのみなさんに敬意を表しつつ、作業員の健康管理を東電経営陣が責任をしっかりともつことを含め、一刻も早い事故収束を訴えました。

同時に、原発の運転で生み出される核分裂生成物質=死の灰を完全に安全に原子炉内に閉じ込めておく技術には至っていないこと、核燃料や使用済み核燃料を冷やすための水を、なにがあっても止めない技術には至っていないこと、そもそも、使用済みの核燃料を最終的に処分する技術を人類は手にしていないこと、そういう未完成で危険な本質を持つ技術を地震・津波国日本に立地することは危険の上に危険を重ねることであること、にもかかわらず、民主党を含め、「原発はぜったい安全」という「安全神話」にしばられ、福島原発事故の検証もまったくないのに、「安全宣言」をする民主党政権の無責任さを告発。

原発依存から脱し、世界全体では原発発電能力よりも、自然エネルギー発電能力が上回ったように、エネルギー政策の抜本転換を訴えました。

楢葉町から避難してきた、というご夫妻はそろって出てきてくれ、「飼っていた3頭の牛は殺さざるをえなかった。帰っても、農業を続けられるかはまったくわからない」と切実に訴えられました。

 

小名浜定点/村上勝美彫刻展/訪問

火曜日朝は小名浜での定時定点。

地域と職場の後援会員のみなさんが朝早くから「旗持ち」に出てきてくれました。

原発震災後、出勤されるみなさんからの声援は、まなざしも含め、ずいぶん違います。暖かいです。

旗持ちの合間に、「カメラマン」がいっぱい写真を撮ってくれました。

午前中、ギャラリーでもありコンサートホールでもある「エリコーナ」での「村上勝美彫刻展」を鑑賞。

エリコーナでの個展は大震災後、初めてです。「『人間の欲望には限りがない』と言った人がいるがこれだけ世界人口が増えてしまった今『21世紀はそれぞれが自分の欲望をコントロールできる人間になることが求められている時代』だと私は言いたい」と、強く語る彫刻家です。

今月17日(日)まで、10時半から午後6時まで行なわれています(月曜日休館)。

午後は、「原発ゼロ」署名を返送していただいたお宅を訪問。きょうも大歓迎され、ほんとうにありがたく思います。

返送された1通に、「原発の代替策はありますか?」と大書しただけで、チラシまで送り返したかたもありました。

2か所の定点/原発再稼動と消費税増税

月曜日朝は2か所での定時定点。

国会会期を延長しながら、「空転」続き。しかも、早急に国の責任でしなければならない被災者救援・復興支援をしないどころか、しちゃいけないことを民主党政権はどんどん進めています。

ひとつは原発再稼動。万が一の時には政府が責任を持つから、などと経産大臣は佐賀県に行って玄海原発の再稼動を要請しましたが、福島原発事故収束でもなんの責任も果たせていないのです。

どこに「安全宣言」できる根拠があるのでしょうか?

もうひとつは消費税を2010年代半ばまでには10%にする、と決めたこと。しかも口実は「社会保障の充実」。

その社会保障改革の中身は自民党政治のまったくの延長政治。

たとえば医療・介護でみると、2025年に162万人と見込まれる入院患者のうち、33万人は介護施設や在宅に移し、161万人と見込まれる介護施設入所者は131万人に減らす。2025年というのは、「団塊の世代」がすべて75歳以上になる年です。

とにかく「在宅」へ移します。なんとなれば、介護保険の在宅サービスは、限度額以上の費用は全額利用者負担になるから、給付費が全体として減らせる、というわけです。

そして、医師が行なう医療行為を看護師に、看護師が行なう医療行為を介護職員にさせて医療費を抑え、介護職員が行なう仕事をボランティアにさせて介護費も抑え込む。

自民党・公明党が、「医療から介護へ」「施設から在宅へ」の掛け声で医療・介護難民をつくり出した政治をいっそう強化するのが民主党政権です。

これが「大連立」の話が消えない最大の根拠です。民主も自民も、政策に何も違いがないのですから。

こういうことを街頭から告発しました。

原発ゼロ緊急行動

東京都内の明治公園で、「原発ゼロをめざす7・2緊急行動」がありました。全国から約2万人がつどいました。

午後1時からのメイン集会前にも、公園内に設置された各ブースでは、運動の交流や物産展も行なわれていました、

集会では党の志位和夫委員長が来賓あいさつ。

そしてステージには、福島県内の農家のみなさん、女性団体のみなさん、病院職員はじめ、浜岡原発の廃炉を求める静岡のみなさん、伊方(いかた)原発がある愛媛の大学生が次つぎと登場し、原発事故直後の様子、被害の実情、それぞれの運動を報告しました。

集会後は、新宿コースと代々木公園コースに分かれてパレード。

沿道から手を振る人や「がんばって~」と声を出してくれる人が多いこと。こんなに多いのは、都内を歩いて初めての体験かも。

神谷定点/新聞処分/鴨長明/京都が危ない?

金曜日朝は、国道6号線沿いの神谷(かべや)地域で定時定点。

きのう、一日歩き通しだったことが原因でもないのですが、私の頭から抜けてしまっていました。日課のテレビ体操を終え、朝食を済まし、パジャマ姿のまま歯磨きをしていたら、7時20分に迎えに来てもらったおかげで気づきました。

現地でも、地元のかたが出てきてくれていて、よかった!

一日、4月からの新聞の切抜きと処分にあてました。

被災者をはじめとした庶民に負担を押しつけようとする「税と社会保障の一体改革」といい、その具体化で、社会保障を削る「社会保障改革案」といい、被災者抜きの「復興基本法」といい、停止原発再開といい、財界と同化した民主党政権の姿にあきれつつ、国民的課題はほんとうに山積みです。

それはともかく、4月15日付の「しんぶん赤旗」では、大木聖子(さとこ)東大地震研究所助教が、今回の地震の余震について、「数年先まで考える必要があります。スマトラ島沖地震(M9.0)を例に考えると、2004年の発生から5年半たった10年5月にM7.2の地震が起きています」とコメントしています。

これで思い出してしまったのが、鴨長明が「方丈記」に書いていた1185年の地震で、3か月は余震が続いたらしいのですが、そればかりではないのです。

京都では、その地震以降、1317年、1596年、1662年、1830年の地震で大きな災害を受けており、統計的にみれば、京都は160年に1回ぐらいの割合で、大震災に遭遇している、ということ。

今年は1830年から181年目であり、「現在の日本で、もし内陸直下の大地震が起きたならば、最も危険な都市は京都ではないか」と、『地震と噴火の日本史』(伊藤和明著、岩波新書、2002年)に書かれていたことを思い出したのです。

平和行進・小名浜/放射線量測定

きのういわき入りした国民平和大行進はきょうは小名浜。

小名浜では、歴史的に、小名浜生協病院の職員を中心に、浜通り医療生協の各職場、組合員が参加して行進しています。

とにかく今年は、すれ違って行く車からも、沿道の店舗のみなさんからも、きょうはたまたまなのか、午前中に学校を終えたらしき高校生たちからも、「がんばれ~」と言う声、ガッツポーズをするドライバー、思いっきり手を振るなどなどの声援が、たいへん目立ちました。

午後は、ある住宅街で放射線量の測定をしながら歩きました。この地域の党員が、「近所の友だちが放射線量を心配していて、ぜひ知りたい」と聞いていたのでした。

党地区委員会で購入した簡易測定器を持って歩きました。

0.19~0.25μ㏜毎時の測定値でしたが、いちばん西側の林近辺や草地の土手では0.29~0.44μ㏜毎時の値。

こうして、同じ住宅地内でも値はさまざまです。私は、回覧板を回す範囲に、行政の責任で測定器を配り(購入費は当然、東電に請求すべき筋合いの話です)、そこに住む住民のみなさんに知らせるべきだと思います。

平和大行進/「全面補償の実現を」/感動の訪問

2011年原水爆禁止国民平和大行進がいわき入りし、市と市議会に要請をしました。

5月8日に北海道・礼文島を出発した通し行進者で、横浜市在住の竹田昭彦さん、福島県原水爆禁止日本協議会代表理事の斎藤勝弥・福島大学名誉教授も同席。

いわき市が、非核平和都市宣言にふさわしい市政を発展させるための要請で、平和行進ペナントへの記入と募金への協力とあわせ、毎年行なっている行動です。

議長要請では、議長から「ご指名」で発言させていただきましたが、いわき市民すべてが原発震災の被災者であり、「線引き」することなく、東電や国にあらゆる被害の全面補償を実現されるために、被災市民の立場を貫いてほしい、と強く要望しました。

県教育庁いわき事務所やその近所の地震被害を受けた商店をたずねてから、午後は「原発ゼロ」署名を返送いただいたみなさんを訪問しました。

老後はいわき市に住むことに決めて大熊町から引っ越してきた、というかたは、「共産党の石田洋一町議のニュースはいつも読んでいた。私の気持ちを代弁していて、みんながそう思っているんじゃないかと思うことばかり。こうした声が広がらないことをおかしく感じていた」と。

幼稚園児をもつ若いお母さんは、「被災後にこうして動いてくれるのは共産党の人しかいないんですよ。私の親も、共産党、というと引くみたいなんですが、どうして? 放射能の問題なんかも、話を聞けてよかったです。私は応援します」と。感動。

けさは、NHKの番組「あさイチ」に安斎育郎さんと斎藤紀さんが出演されていて、「気になる! 内部被ばく」がテーマ。最後まで見ることができず、ちょっと残念。

放射能と雨降り/医療費負担相談

けさの6時過ぎぐらいは雨が降ったりやんだりで、小名浜での7時50分からの定時定点の実施は微妙な情勢。

小雨の7時前に「どうしようか?」と電話があり、20分後に晴れ間が出た時点で「きょうは決行しましょう」と決断。放射能汚染がおさまらないなか、雨降りの日はなかなかたいへんです。

原発事故がなければ、多少の雨ならば、傘をさしたりカッパを着たりして、暴風雨でないかぎり、あまり迷うことはないのです。

終えてから家にもどるとちょうど電話がありました。「75歳を越した母親が手術で入院した。住民税非課税なのに、請求された医療費が高すぎるんじゃないか」と。

ヨーロッパの国々のように、窓口負担が原則無料ではないので、日本はほんとうに困った医療費負担制度です。

75歳以上の人たちを「後期高齢者」と、生きることの尊厳を傷つける制度のもと、入院のひと月の負担上限は一般の人で4万4400円。

住民税非課税世帯ではこれが2万4600円で、年金収入が80万円未満だと1万5000円です。

憲法25条が、国民の税金は福祉最優先に使う「福祉目的税」だといっているにもかかわらず、憲法に基づく政治哲学を持たない政権が続いているために、「医療も商売」になってしまっています。医療「保険」とは名ばかりです。だから、こういう複雑怪奇な自己負担を強いるしくみを作るのです。

ともかく私にとっては、震災や原発事故によることではない相談が寄せられることで、なにか、日常がもどってくる感じです。

わが家の庭の植物です。

介護・医療相談/家族に寄り添う立場と制度

夕べ、党地区委員会に介護・医療相談の電話があり、私に連絡がありました。

浜通り医療生協の居宅介護支援事業所職員にも同行してもらって、たずねました。

寝たきりのお母さんを息子さんが1人で介護しています。息子さんはもともと首都圏の医療機関で技術者として働いていた医療関係者でした。

要介護5で、ケアマネジャーも、医師も、訪問看護も、訪問介護もかかわっているのですが、こうした関係のなかで、ものすごい悩みや葛藤をもっていたのでした。

医療や介護の現場では、こうした場面はいつでもあるのですが、ただ、当事者のかたにすれば、「ウチの家族だけ」の話です。医療関係者でも、こういう場面で「いったい誰に頼ればいいのか」という思いに迫られることを知る機会となりました。

医師や看護師に対するいろんな思いを語ってくれたのですが、家族のそうした思いに寄り添った医療・介護とはなんなのか、きびしく問い詰められた思いです。

「患者・利用者の立場に立つ」というのは、あらゆる医療現場・介護現場の建前であることは間違いないのですが、これを実践できるのかどうか、実践できる制度的なしくみなのかどうか、こうした場面に出会うたびにいつも思い、政治が家族のこうした思いを活かそうとしていない「怒り」をもつのです。