金曜日朝は、国道6号線沿いの神谷(かべや)地域で定時定点。
きのう、一日歩き通しだったことが原因でもないのですが、私の頭から抜けてしまっていました。日課のテレビ体操を終え、朝食を済まし、パジャマ姿のまま歯磨きをしていたら、7時20分に迎えに来てもらったおかげで気づきました。
現地でも、地元のかたが出てきてくれていて、よかった!
一日、4月からの新聞の切抜きと処分にあてました。
被災者をはじめとした庶民に負担を押しつけようとする「税と社会保障の一体改革」といい、その具体化で、社会保障を削る「社会保障改革案」といい、被災者抜きの「復興基本法」といい、停止原発再開といい、財界と同化した民主党政権の姿にあきれつつ、国民的課題はほんとうに山積みです。
それはともかく、4月15日付の「しんぶん赤旗」では、大木聖子(さとこ)東大地震研究所助教が、今回の地震の余震について、「数年先まで考える必要があります。スマトラ島沖地震(M9.0)を例に考えると、2004年の発生から5年半たった10年5月にM7.2の地震が起きています」とコメントしています。
これで思い出してしまったのが、鴨長明が「方丈記」に書いていた1185年の地震で、3か月は余震が続いたらしいのですが、そればかりではないのです。
京都では、その地震以降、1317年、1596年、1662年、1830年の地震で大きな災害を受けており、統計的にみれば、京都は160年に1回ぐらいの割合で、大震災に遭遇している、ということ。
今年は1830年から181年目であり、「現在の日本で、もし内陸直下の大地震が起きたならば、最も危険な都市は京都ではないか」と、『地震と噴火の日本史』(伊藤和明著、岩波新書、2002年)に書かれていたことを思い出したのです。