内郷・好間行動/「飼っていた牛は殺さざるをえなかった」

内郷(うちごう)・好間(よしま)地域のいっせい行動に参加しました。

きょうは、私が育った高坂地域で、「原発ゼロ・原発事故全面補償」を求める行動です。街頭宣伝隊と署名隊に分かれての行動。

署名隊は、一戸一戸をたずね、話を聞きながら署名をお願いしました。

私は6か所の街頭から訴え。

事故原発現場で、苛酷な労働環境のもとで事故収束のために働く作業員へのみなさんに敬意を表しつつ、作業員の健康管理を東電経営陣が責任をしっかりともつことを含め、一刻も早い事故収束を訴えました。

同時に、原発の運転で生み出される核分裂生成物質=死の灰を完全に安全に原子炉内に閉じ込めておく技術には至っていないこと、核燃料や使用済み核燃料を冷やすための水を、なにがあっても止めない技術には至っていないこと、そもそも、使用済みの核燃料を最終的に処分する技術を人類は手にしていないこと、そういう未完成で危険な本質を持つ技術を地震・津波国日本に立地することは危険の上に危険を重ねることであること、にもかかわらず、民主党を含め、「原発はぜったい安全」という「安全神話」にしばられ、福島原発事故の検証もまったくないのに、「安全宣言」をする民主党政権の無責任さを告発。

原発依存から脱し、世界全体では原発発電能力よりも、自然エネルギー発電能力が上回ったように、エネルギー政策の抜本転換を訴えました。

楢葉町から避難してきた、というご夫妻はそろって出てきてくれ、「飼っていた3頭の牛は殺さざるをえなかった。帰っても、農業を続けられるかはまったくわからない」と切実に訴えられました。

 

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