「背景に思いをはせた怒り」/「今度ばかりは」

浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター)による、第4回悩み・なんでも相談会に先立ち、「原発事故による補償問題について」広田次男弁護士の講演がありました。

加害者と被害者がはっきりしているにもかかわらず、加害者の補償負担軽減の動きばかりが目立つなか、「原発の背景にも思いをはせた怒り」をもった被害者の声の組織こそ解決の方向、という話には説得力を感じました。

午後は小名浜の職場後援会員と訪問。震災前にもたずねていたお宅ばかりなのですが、「今度ばかりは何でかんでがんばってほしい」「原発のない社会をこれからの世代に残さないとならない」の声は、この7か月間の共通した願いであることをつくづく痛感します。

震災直後に寄ったお宅では、顔をあわせるなり、「あのたいへんなときに来てくれたのはあんただけだった。是が非でもがんばってほしい」と、強く訴えられ、なおかつ励まされました。

いとこ宅/12か所の街頭から/全面賠償は切実

午前中、高橋あき子市議と私のいとこ宅や高校同級生宅などを訪問。いとこには、いわき市での県議2議席実現へ、全面的バックアップをお願いしました。

すぐ近くの神社では馬2頭もいっしょにお祭りでした。

午後は草野地域を担当する党地区役員とかなり広範に12か所の街頭からの訴えと、訪問と、放射線測定と、「しんぶん赤旗」購読の勧め。

ある場所で話していたら、「はせべさんでしょ? あちこちで放射線測定をして歩いていたことを聞いてたんです」と出てきてくれるご夫妻。びっくりです。

稲の刈り取り作業をしていたかたは、話し終えると手を振ってくれて拍手。ごあいさつに行くと、「共産党にがんばってほしい。全面賠償の話はそのとおり。このコメだって、売れなかったら生活できないんだ」と切実な訴え。

スーパー前では駐車場内であちこちで聞いてくれるかた、クラクションを鳴らして駐車場を出て行くかた。

訪問先でも、「共産党だけでしょうよ、原発問題を言ってくれていたのは。ぜひがんばってほしい」と。

10・15街頭演説会/訪問

今月15日には、市田忠義党書記局長と街頭演説会にのぞみます。場所は平月見町のいわきサティ・スーパー一二三屋交差点の近くです。午後4時からの予定ですす。

午前中、この近所を地域党支部のかたと高橋あき子市議と案内にまわりました。地元の党支部のかたと顔見知りも多く、お互いの近況をかわす場面も多々。

ある歯科医では、「民主も自民もあてにならないことがわかった。共産党だけが変えてくれる」と、おおいなる期待の声。

午後は平窪地域で、3組のかたがたがそれぞれの分担地域をリレー訪問。震災前にもごあいさつしたかたがたなのですが、「原発事故でガラッと状況は変わったね。原発のない世の中をこれからの世代に残す選挙にしたい」と、口々に語られました。

平窪地域で党後援会長をしてくれている佐藤寿一(としかず)さんは、ちょうど庭の手入れ中。庭先でのしばしの懇談となりました。

 

怒りの東京行動/かけ声とはほど遠い政府/誠意がない東電

ふくしま復興共同センター(東日本大震災・原発事故被害の救援・復興めざす福島県共同センター)による「なくせ! 原発、返せ! 美しい福島 10・7怒りの東京行動(政府・東電交渉)」に参加しました。

政府に対しては、福島県民、とりわけ子どもたちを放射能被害から守ること、原発事故で発生したあらゆる被害・損害を全面賠償すること、福島原発はすべて廃炉にし、原発からの撤退と自然エネルギーへの転換をすすめることを緊急要求しました。

政府側からは、環境省、文科省、経産省、内閣府のそれぞれの担当若手官僚が応対。被害にあった福島県民の立場に立つ政府の姿勢が求められますが、「福島の復興なくして日本の復興なし」のかけ声とはほど遠いと言うほかありません。

除染にせよ、賠償にせよ、原発事故がなかったならばありえないのに、「線引き」が前提なのです。

東電本社前の集会では私もあいさつ。6年前の県議会で、地震・津波と原発事故が重なり、放射性物質がまき散らされる破局的災害はぜったいにさけるべき、と訴えたことを紹介し、こうした指摘を無視した結果が今回の事故であり、人災以外の何ものでもなく、全面賠償の実施を求めました。

東電交渉でもこのことを指摘したところ、「指摘があったことは検討したと聞いている」と、ほとんどひとごと。検討して具体的対応は取らなかったのだから人災と認めよ、と迫っても、「調査中」と言うのです。

事故を起こしたことを謝罪し、加害者であることを認め、言葉もていねいなのですが、その態度に誠意は感じられないのです。

3年で半減する放射線量/「原発なくせ」を世界に

7月17日に、放射線防護学が専門の野口邦和さん(日本大学専任講師)がいわきで講演したときにも話されていましたが、福島の放射線量は3年で半減します。

だから大丈夫、ということでなく、土壌の汚染状況をきめ細かく把握するための汚染マップの作成、それに基づく除染作業、食品の監視、水質や大気中のモニタリングなど、できるだけの対策を国策として実施されることが重要です。

ここで言いたいことは、「半減まで30年」というのは誤解、ということです。野口さんが、3日付の「しんぶん赤旗」に寄稿しています。

セシウム137の半減期が30年なので、大地の放射線量は30年たたないと半分に減らない、と思い込み、絶望に近い感情を抱く福島県民が多いことを知り、「赤旗」に寄稿されました。

今後、土壌に残って問題となる放射性物質はセシウム137と134です。137の半減期は約30年ですが、134の半減期は約2年です。これら2つの物質が流失した量はほぼ同じ(チェルノブイリの場合はこれが2対1と、半減期の長い137が多かったそうです)。

一方、放射線量をみると、事故直後の137と134に起因する大地の全放射線量の約27%が137、約73%が134です。時間経過にともなって、相対的に半減期の短い134の放射線量は減少し、3年後には137と逆転します。

こうしてこの2つの物質に起因する大地の放射線量は、1年後に79%、2年後に63%、3年後には52%にほぼ半減します。10年後には24%と4分の1に減り、「30年たたないと半分に減らない」というのは大いなる誤解です。

だからここ5~6年、外部被曝と内部被曝を可能な限り低くする努力をすれば、未来は必ず開けるし、そのために政府は、もっと迅速に、もっとていねいに、福島県民に説明せよ、と提言されています。

きょうは党地区委員会の活動者会議で「原発なくせ! の声を世界へ発信する県議選にしよう!」と訴え、決意表明しました。

月曜定時/民商へ義援金/サポートセンター/訪問


月曜日朝は、自宅に近い2か所での定時定点の街頭から。手を振って言ってくれる人が多く、いつも励まされます。

いわき民主商工会に党中央からの義援金を地区委員長、高橋あき子市議と届けました。

午前中、いわき自立生活センター敷地内の中央台暮らしサポートセンターをたずねました。モンゴル遊牧民の移動式住居「パオ」のような建物が3基あり、その「パオ広場」では、近くの仮設住宅で暮らすみなさんの暮らしを支えるために、さまざまなイベントを連日開催しています。

東京電力に対する賠償・補償相談、健康や医療に関する相談も多く、こうした専門家とのネットワークを広げたいし、いわき市外からの入居者が多い仮設住宅の人たちの暮らしを支えるには県による支援は不可欠、との話は切実です。

午後は私の中学・高校の同級だった医師・歯科医師・獣医師・建設会社や恩師、医療生協でお付き合いのあった事業所などをたずねました。

建設会社では、3月12日の朝7時に「屋根瓦が壊れた」と電話があってから、ひっきりなしの電話で、同級生の社長はきのう、初めて1日の休みが取れたそうです。

ある医師は、3月12日から連日、津波犠牲者の検死の仕事。0歳児から高齢者まで、ほんとうにやりきれない思いの毎日でした。

さまざまな業種のかたから話を聞けることは貴重ですが、この震災はほんとうに深刻です。

獣医師には「お客さん」が多く、本人には会えなかったのですが、受付で、「月曜日の朝は出勤時にいつも街頭での姿を見ています。応援します」と。びっくりしました。

学習会/政治の姿勢を変えさせる/原発をなくす世の中

浜通り医療生協の地域の班主催の学習会で講師をつとめました。

医療生協理事、いわき市原発の安全性を求める会代表として話をさせていただきました。

学習会の案内チラシは「放射能汚染! これからのわたしたちのくらしは? 安全は?」というタイトル。

原発事故が明らかにした、まったくの未完成で危険な原発技術と人類の生存が共存しえないこと、いまの日本の発電能力の10倍の再生可能エネルギーを活用する政策こそ実現させるべきこと、放射線の人体影響を考える材料提供の話を45分ばかり私から。

参加した医療生協組合員から、県営公園や市の公園の公表されている放射線量、これらの件で行政側と話をした報告や、区長さんから行政区の除染について市から説明を受けた内容の報告もありました。

除染後の処分法が明確にされていないことなど、不安が募る実情が参加者のみなさんから出されましたが、こうした声をしっかりと行政へ届け、行政と政治の姿勢を変えさせることの重要性が語られたことは、たいへんによかったと思います。

終えるや私はただちに平平窪(ひらくぼ)の党員宅へ飛び、隣組やご近所のお知り合い宅を案内してもらってごあいさつ。

初めてお会いするかたから「こうしたことは疎いんですが、今回は応援させてください」と言われたり、「原発でこんな思いをこれからの人たちにさせないために、原発をなくす世の中にしましょうよ」と言われたり。ありがたく、また、まったくそのとおり。

「共産党の指摘が無視された結果」/情報過多と過疎

きょうも医療生協でお世話になっているみなさんを午前、午後とたずねました。

午前中は小名浜生協病院がある岡小名地域のみなさん。引っ越す前の病院がすぐ前にあった地域でもあります。

その当時からお世話になっているかたがたばかりということもありますが、とりわけ原発事故では、「けっきょくは共産党の指摘が無視された結果」「共産党が言っていたことをもっと広めたい」と、熱い激励が続き、励まされるばかりです。

午後は下神白(しもかじろ)地域。高台のあるお宅では、「テレビを見ていると、原発事故のことではっきりしているのは共産党だけ。私にもわかる」というかた。

神白川河畔の家はほとんどが津波の被害にあいました。「解体撤去」と張り紙がある家も少なくありません。

あるお宅では、「政権交代前に民主党に投票した。いまの民主党は自民党政治をそれまで以上に進める姿勢が自分にもわかる。民主にも自民にも投票できない。共産党はマスコミが知らせてくれないが、原発がなければ電力は不足する、ということと、共産党はなんとなく悪い、と思わされていることと、なんだかいっしょな気がしてきた」と。

情報過多の時代にあって、政治的情報過疎が、今の政治的現実を作り出していることを、見据えなければなりません。民主主義の土壌を作る途上であることをつくづく感じます。

6方向/切実な目/つまはじき/政治家を選ぶ基準

金曜日朝は国道6号線沿いの平神谷(かべや)地域の定時定点の街頭から。旧道の入口でもあり、3方向×2から出勤されるみなさん。それぞれから声援があり、目配りもなかなかたいへんです。

きょうは一日、医療生協でお世話になっているかたがたを訪問しました。

午前中は、小名浜大原地域の党後援会員のみなさん。震災前にもたずねていたみなさんです。「この原発事故で、共産党が指摘していたことが現実のものとなってしまった。近く仲間の集まりがあるから言っておきたい」、「私の知り合いみんなに声をかけるからね」、「けっきょく、あんたが言ったとおりになった。原発はもういらない」と、ほんとうに目つきが切実なのです。

午後は私が住む住宅街の医療生協組合員のお宅を地元の党支部のかたと訪問。ここでもまた、共産党への期待の声は大きいです。「共産党だけがはっきりしているのに、なぜつまはじきにされるの?」という疑問を、有権者全体のレベルで解明して共有できれば、庶民の暮らし最優先の政治に変えることができることは間違いありません。

「共産党という党名」がどうのの問題でなく、「生活第一」の政治をちゃんとするかどうかを基準に、政治家を真剣に選ぶ時代にやっと入った、と私は感じています。

血縁・地縁・職縁でなく、一人一人の主権者としての判断で政治家を選ぶあたりまえの民主主義の土壌づくりに入っていることを実感しています。

 

危ない? 声援/「話に来てほしい」/質の低下/激励

水曜日朝はJR常磐線北側の北目地域での定時定点。平方面から来た車から、ハンドルを握りながら助手席側に身を乗り出して手を振ってくれる女性。危ないんでは? と心配しつつ、感激です。

きょうは内郷(うちごう)・好間(よしま)地域でのいっせい行動。午前中は内郷宮町で、街宣・署名・放射線測定をしました。

団地前で話し終えたら、3階と4階の住民から拍手と手を振っての声援。またそのすぐ近くでは、「そこの集会所で話に来てほしい」と要望。ぜひ来ます、と約束してきました。

また別の場所では、「自民も民主もダメなことはみんなわかった。共産党だけが政権にかかわわらずにこんな政治になったこともわかった。さて、どうするか、だが、共産党にはがんばってもらうしかない」と。

午後は好間地域の党員宅を借りて、原発・放射能問題の勉強会に伊東達也さんと参加しました。

放射能の健康影響もさることながら、民主・自民の足の引っ張り合いにしか見えない国会の様子、その二大政党の政治家の質の低下にはあきれかえる、と90歳を越した参加者の指摘。

夕刻には内郷の金坂地域でお世話になっているかたがた、知り合い宅を訪問しました。午前中に配布していたチラシを読んでくれていたかたがたから、「読みましたよ。原発問題でちゃんと言ってくれていたのは共産党。がんばってもらいたい」と、異口同音に激励され、ありがたいです。