車椅子生活のだんなさんと2人暮らしのお連れ合いからきのう、電話がありました。
地震の日からずっと自宅から出られず、食料も水ももうなくなる、という訴え。
私は、隣組の班長さん、自治会連合会の会長さん、そのかたが住む自治会長さん宅に寄ってからそのお宅をうかがい、介護保険のケアマネジャーの緊急連絡先にも連絡し、相談しました。
自治会長さんがそのお宅の状況を承知していたこともあり、なんとか対応することができました。いろいろな家庭事情があるにせよ、介護事業所を含めた地域のネットワークの重要さを知らされました。
と同時に、行政がこうした非常事態時に住民から離れてしまっている現実は、これまでの自民・公明政治がつくり出したものと告発せざるを得ません。
午後は市内の避難所になっている3か所を高橋あき子市議とたずねました。
車が飲み込まれて流される津波から必死で逃げたかた、だんなさんが津波にのまれて亡くなられて遺体が見つかったんだ、というかた、90歳の私が助かったのに、と涙を流すかた、もう、ほんとうに、話を聞くだけでやりきれない思いですが、「生き残った私たちが亡くなった人たちの分までがんばらないでどうする」という言葉には、ほんとうに心の底から励まされます。
いわき市の被害の実情は、伝えても伝えても伝えきれないのが実態だと思います。
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