地域のネットワーク/避難所/生き残った私たち

車椅子生活のだんなさんと2人暮らしのお連れ合いからきのう、電話がありました。

地震の日からずっと自宅から出られず、食料も水ももうなくなる、という訴え。

私は、隣組の班長さん、自治会連合会の会長さん、そのかたが住む自治会長さん宅に寄ってからそのお宅をうかがい、介護保険のケアマネジャーの緊急連絡先にも連絡し、相談しました。

自治会長さんがそのお宅の状況を承知していたこともあり、なんとか対応することができました。いろいろな家庭事情があるにせよ、介護事業所を含めた地域のネットワークの重要さを知らされました。

と同時に、行政がこうした非常事態時に住民から離れてしまっている現実は、これまでの自民・公明政治がつくり出したものと告発せざるを得ません。

午後は市内の避難所になっている3か所を高橋あき子市議とたずねました。

車が飲み込まれて流される津波から必死で逃げたかた、だんなさんが津波にのまれて亡くなられて遺体が見つかったんだ、というかた、90歳の私が助かったのに、と涙を流すかた、もう、ほんとうに、話を聞くだけでやりきれない思いですが、「生き残った私たちが亡くなった人たちの分までがんばらないでどうする」という言葉には、ほんとうに心の底から励まされます。

いわき市の被害の実情は、伝えても伝えても伝えきれないのが実態だと思います。

【豊間・坂本整形前】

【薄磯】

【薄磯北ノ作市営住宅前】

【久ノ浜町田ノ網】

【沼の内】

【永崎のクリニック・薬局】

いわきは安全/平街中の被害/涙が出る

党地区委員会として、原発事故とその現況、とりわけ放射線量に関する正確な知識と情報に基づき、市民が冷静に対応するように伝えてほしい旨、市災害対策本部と地元紙に要請しました。

きのう、小名浜生協病院では、被爆医療の専門家である斎藤紀[おさむ]・福島医療生協わたり病院医師が、現状ではいわき市内の放射線量では人体被害がごくごく少なく、安心して、地震、津波被害の復興に全力をあげてほしい、と話されました。

放射線防護学が専門の野口邦和氏によれば、福島市で観測された20マイクロシーベルトの10倍高くなるようなら、行政の指示がなくても一時的な避難を考える必要があるが、20マイクロシーベルト毎時の状況が長く続かず数日で収まるのであれば、避難することはないでしょう、とのこと。福島市では夕刻には10を切っていますし、いわき市は1を切っています。

こうしたことをふまえたきょうの要請でした。

避難先で疲弊したり、「いつ落ち着けるのかわからない」と困惑するより、いわき市内にとどまることがいちばん安全なのです。いま避難しなければならない状況でなく、復興にこそ全力をあげるべきときです。

【平二町目・角忠】

【平二町目・ナカノ洋品店】

【平三町目東急イン前歩道】

要請後、平の街中などの様子を見て歩きました。古い建物の倒壊・ひび割れなどや、道路・歩道の被害があります。平二町目の老舗の本屋さん「角忠(かどちゅう)」が跡形もなくくずれ、いまは瓦礫もなくなった姿は残念です。

【平五町目】

【平紺屋町】

【内郷小島町一丁目・二丁目交差点】

小名浜へ行き、市災害対策本部に渡した資料をもって支所に寄り、それから医療生協組合員宅をたずねて歩きました。親族が津波で亡くなられたかたもいらっしゃいます。

国策として原発政策を進めたこと、、医療、とりわけ医療機関と薬局を強制的に「分離」し、民営化を推し進めたこと、その政治と政治家の責任など、必然的な話題です。

きのうもきょうも、「お宅はまだ水が出ない地域。ウチは出始めたからこれまでためておいた水を持ってきな」といってくれるかた、「これはウチの手作りだ」と冷凍漬物を冷凍庫から取り出してくれるかた、涙が出るほどうれしいです。ありがとうございます。

市内では、きのうまでに水道復旧地域は3割ぐらいになったようです。

「市内状況がわからない」/自転車/放射線/漁港の被害など/薬不足

あの日から1週間。

この間、医療生協でお世話になっているかたがたの様子をうかがって歩いていますが、きのう、きょうと小名浜の生協総代さんなど組合員宅をたずねています。

すでに自宅から避難されているかたも少なくありませんが、ご自宅にとどまっているみなさんからは、なんと言うか、大歓迎を受けます。

「いわき市内の状況がさっぱりわからない」という高齢者に、その場でラジオの「FMいわき」(76.2MHz)をつけると、「これを知りたかったんだ」というかたが3人いらっしゃいました。

自転車屋さんは、「修理や、中古を売れるようにする作業で労働量が3倍になった」と。

みなさんから例外なく聞かれたり、話題になるのは放射線の影響。親族の電力会社社員から「報道と実際はぜんぜん違うよ」と聞かされていたご夫妻も。

いま発表されている数値から、健康被害がないことだけははっきりしていることを伝えるだけでも安心されます。問題は、今後待ち受けているありうる事態とその対処法がまったく伝えられていないことです。

【「小名浜漁協冷蔵庫」前】

【小名浜漁港】

【小名浜漁港】

そうこうしながらきょうは、県道小名浜港線の船引場から小名浜漁港に寄り、三崎公園入口までの被害の様子を見ました。

【小名浜下神白綱取】

【トンネルに小船】

【小名浜船引場】

【小名浜・天地閣・ホテル三崎入口】

【マルト御厩店】

午後には、いわき市立総合磐城共立病院をたずね、とくに「薬が足りない」という実情についてお話をうかがいました。病院前の民間調剤薬局は「5時間待ち」という状態でした。

「原発があるからこんな事態を招いたんだ」と、怒る患者さん。

市内の薬問屋さんの配送は徐々に動き出しているようです。

津波が貫通した施設/支援食料・物資/放射線測定

水道の復旧が始まりつつありますが、いまだ市内全域で断水です。

妻の叔父宅の井戸水が飲料用にも使える、とのこと。日ごろ行き来しているのに、こういう事態のときに初めて知るわけです。実家にも行って、トイレ用の水ももらってきました。実家では、魚介類卸をしている義兄から冷凍食材も。

【新舞子ハイツヘルスプール】

【新舞子ハイツ前道路】

実家の近くには、津波が直撃した海岸沿いにいわき新舞子ハイツや、長春館病院や老人保健施設のシーサイドパインビレッジがあります。

【長春館病院】

これらの施設の1階は、津波が「貫通」です。老健施設の裏の田んぼには、流された送迎車がまだそのままです。

【老健・シーサイドパインビレッジ裏の田】

【老健・シーサイドパインビレッジ】

小名浜生協病院へ行くと、福島県農民連や全日本民医連からの支援食料・物資が届けられています。きょうは日本療養病床協会からいわき市内の療養ベッドを持つ病院に支援物資が届けられました。

【病院・救援物資搬送】

【救援物資】

放射線技師がポータブルの電離箱式放射線測定装置で放射線を測定しています。通常は0.02~0.05マイクロシーベルトですが、きょうの午前11時は2.1マイクロシーベルト。通常値からは40~100倍というのが事実。

【放射線測定】

一方でいま、テレビ・ラジオで強調されているのは、「胃のエックス線検査一回の撮影で600マイクロシーベルトであり、観測されている値がただちに健康に影響は与えない」という事実。

問題はだから、政府が、最悪の事態が起こった場合の対処方針を持って伝えたうえで、正確な事実を公表する、という姿勢が見えないことだと思います。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」みたいな発表は、不安を広げるばかりです。

ガソリン6時間待ち/小名浜港1号・2号埠頭

事情がよくわからないのですが、「きょうはあそこのガソリンスタンドで給油している」と聞いたので、とにもかくにも並びました。

大地震後、給油している数少ないスタンド前は必ず大行列で、それを見て給油しているスタンドを知るのでした。

きょうはたまたま並ぶ前に情報を得たので並んだのですが、けっきょく6時間待ち。あきらめかけたときにタンクローリー車が入る姿を見かけ、ラッキーというほかありません。おかげで、雑誌『経済』(新日本出版社)4月号の特集「安全・安心の社会基盤整備へ」の諸論考、「地域主権改革」批判の2人の専門家へのインタビュー、来年度国家予算案に関する論文を車中で読むことができました。

【いわき・ら・ら・ミュウ】

小名浜港の1号埠頭(いわき・ら・ら・ミュウ)・2号埠頭(アクアマリンふくしま)に寄ってみました。

【一号埠頭】

ここは津波直撃を受け、当日のテレビ放映や翌日の新聞でも写真報道されていました。1号埠頭には「なぜこんなものが陸上に?」と思わざるを得ないような船が打ち上げられ、ら・ら・ミュウの中の店舗は無残です。

片付けようにも片付けようのない現場に来ていたお店のかたは、「復興がいつになるやら、数年はかかりそうだ」とおっしゃっています。

【アクアマリンバス昇降口】

アクアマリン前のバス昇降場や駐車場、入口前の高速バス利用者専用駐車場、近接の福島臨海鉄道、1号・2号埠頭の間の倉庫前のコンテナ散乱や流された車など、津波被害はほんとうに甚大です。

【小名浜・高速バス利用者パーキング】

【小名浜・倉庫】

配達中止/井戸水をトイレ用に/被災予防/安全神話

【永崎・大平川橋決壊】

【江名・江の浦】

けさの一般紙2紙の折り込みチラシは新聞店による配達中止のお知らせ。

社員・配達員の被災・避難、原発災害による健康被害防止、ガソリン枯渇が理由です。いますべての事業所、住民がこうした事態に直面しています。

近くの小学校に、津波で家を流された医療生協職員家族が避難してきている、と聞き、見舞いに行きました。私も2日前にまったく家がなくなっている現場をシカと目に焼きつけていた職員です。

いっしょに仕事をしていた人であり、家族全員がぶじで、ほんとうによかった!

妻の実家に寄り、畑用の井戸水をもらってきました。トイレ用です。とにかく水道復旧の見込みがなく、そのうえ原発震災で外に出ることは控えなければなりませんから、もうたいへんです。

【小名浜四倉線・沼の内】

それにしてもいわき市に住んでいる以上、少なくとも被災を軽減・予防する知恵を活かすためにも、今回の災害を後世に残さねば、という気持ちが先走るので、海岸沿いの平沼ノ内・豊間、江名・永崎と見てまわりました。

【波打つ小名浜四倉線・沼の内】

【平豊間兎渡路】

国際競争力だとか自己責任だとか、こうした事態のもとで言っていられますか? 住民の福祉こそ政治と行政の最優先の課題だ、ということこそはっきりしているのではないですか?

原発震災では、事業者から「事象はありましたが心配ありません」「安全です」「健全性は保たれています」と聞かされるばかり。政府も「事業者から問題ないと報告を受けています」。

何があっても安全だ、という「安全神話」が崩壊している事態に至っても、住民の福祉よりも神話に縛られているというほかないと思います。

大地震の日から5日間、水がないために風呂にも入れず、頭も洗えず、節水の極限です。

放射能から身を守るには

原子炉から放射能が放出されてしまったら、私たち自身が自分で身を守らなければならなくなります。とくに子どもと妊婦(胎児)を放射線被ばくから最優先に保護しなければなりません。年齢が低くなればなるほど放射線被ばくの影響が大きくなるからです。

被ばくを軽減するための一般的な注意

放射能雲は、ガス状のものと1000分の1ミリ程度の超微粒子で成り立っています。超微粒子は触れるものすべてに付着するので、呼吸で吸い込んだ場合はすべて肺に残ると考えなければなりません。したがって、自分の住居が放射能雲の通路に当たると考えられる場合は、緊急避難が必要な場合も、そうでない場合も、次の措置が肝要です。

①窓を閉め、すき間を目張りして家屋を気密にする。ビルなどの空調は止める。日本様式の家屋は気密性が悪いので、その場合はできるだけ気密のよい家屋に避難させてもらう。

②市役所が保管しているヨウ素剤を指示に従って服用する。

③放射能雲に巻き込まれている間とその後しばらくは、屋内でも何枚も重ねた濡れタオルをマスクにして、直接空気を吸わないようにする。また、できるだけ家屋の奥、つまり外部とひとつでも多くの壁で隔てられているような場所がよい。2階よりも1階、1階よりも地下室があればもっとよい。窓のそばに長くいるのは禁物である。

④ありとあらゆる容器に飲料水をためる。風呂桶を洗って水で満タンにする。すべてにフタをきちんとする。これらは当座の飲料水である。保存食をできるだけ確保する。

⑤放射能雲に巻き込まれている間は外出を控える。もしどうしても外出する必要が生じたときは、帰宅後、衣服を着替え、脱いだものは屋外に廃棄する。

⑥放射能雲が到着したあとは、井戸水はもちろん水道水も飲まないほうがよい。

⑦雨や雪が降っている場合は特別な注意が必要である。浮遊している放射能超微粒子は雨や雪に付きやすく、雨粒や雪には上空から地上までの広い範囲の放射能が濃縮されているからである。雪が積もった場合は、それがとけるまで放射能はそのままの状態で固定されているが、雨の場合も雪の場合も、降らない場合にくらべて数十倍も地面汚染が強いと考えておかなければならない。衣服についた雪は払うこと、水たまりには近づかないことなどの注意が必要である。

津波情報/避難場所/錯綜/久之浜/現時点

【薄磯・堤防決壊】

【豊間塩場の墓地】

【豊間保育所】

2日前に路上から小名浜生協病院に案内したかたの自宅を見舞いました。

点滴で体調は回復してよかったのですが、ちょうどこの時間、余震もあり、津波の危険もあるという情報で、市内のお子さんのお宅へ身を寄せるつもり、とのこと。海から200mちょっとの距離のお宅ですが、大地震当日は床下までの浸水だったそうです。

ともかく、津波情報で高台への避難を消防が広報していたので、避難場所の小学校へ寄ると、テレビでは、福島第一原発3号機の建屋爆発の様子の映像。

そして地元地域のみなさんが自家用車や徒歩で次つぎと高台のこの小学校に避難されてきました。

その後、日用品の買い物をしようとホームセンターに行くと、「原発で臨界爆発があったので店を閉めます」と。

津波情報源は、消防庁だったり、警察だったり、自衛隊だったりのようですが、気象庁はその観測事実はない、と言うし、原発情報も水素爆発が臨界爆発になってしまったり、非常時のもとでの情報錯綜を目の当たりにしました。

【久ノ浜第一幼稚園】

【久ノ浜南町】

午後はいわき市北部の久之浜地域、四倉北部の被災状況を見てまわりました。久之浜地域は、原発の状況から、市が住民に自主避難を促していることもあり、津波被害がもっとも大きかった地域に入ることはできませんでしたが、海岸近くなだけに甚大です。

【四倉・蟹洗温泉】

家を流されてしまったかたがたの住居、食料はもとより、水道復旧の見込みがないなかでの水の確保や、車がなければ移動できなくなってしまっているのにガソリンがないことは全市民に関わり、原発震災では市外からの避難者も多くあり、そのうえ正確な情報が避難者・市民が共有できていない現実、なにか手助けしたいと思っているかたがたが何をしたらいいのかわからない状況が現時点です。

【小名浜一小避難】

断水/豊間と薄磯は壊滅/堤防決壊/教訓

【薄磯】

【薄磯・塩屋崎灯台】

大地震直後からいわき市全域で断水です。復旧時期はいまのところ不明。

介護施設責任者の妻が給水のための時間をとれるはずもなく、当然、私がわが家の水確保担当者で、きのう・きょうと給水場所に並んだものの、なくなってしまったのでした。

きょうの夕刻はいわき市水道局前で1時間ばかり待ち、やっと数日分の確保。なおかつ、水を確保しやすい条件にあった友人がゆずってくれ、大助かりです。

トイレ用には近くの川に往復して確保しました。

【豊間・堤防決壊】

高橋市議と海岸に近い平の豊間(とよま)・薄磯(うすいそ)地域に入りました。

絶句です。壊滅、全滅です。

【豊間・塩場】

積み増しした堤防が決壊した現場では、地元のかたが「強く要望して積み増ししてもらったが、なぜ最初からちゃんとしてもらえなかったのか。行政は住民の立場に立ってほしい」と訴えられました。

【豊間・塩場】

ともかく、津波の想像を超える力にはあ然なのですが、政治と行政はこの教訓を真剣に受け止めなければなりません。

実家のぶじ/四倉/目の前を津波/「病院に行きたい」

【仁井田川畔】

早朝、海岸から数百メートルしかないところに住む、妻の実家や親族宅へ。 あの津波の様子を報道でみて、連絡もできず、気が気でなく、避難所の中学校に身を寄せているだろうと思いつつ、それぞれの自宅の様子を見に行くと、みんながそれぞれの自宅でぶじでした。 海岸にいちばん近い家では、前の道の10メートル先まで海水が届いた様子。ともかく、距離的にも近いのに、連絡がとれない不安は解消。 小名浜生協病院へ寄り、みなさんのぶじと病院機能の維持確認。

【四倉6号線沿い】

四倉へ行くと、商店街メイン道路まで津波が押し寄せた様子。道路の東側が海側ですが、西側の商店店内も水浸しでした。四倉支所前もモノが押し流されてきた様子。 さらに海側の国道6号線は、津波が運んだ砂がかぶり、国道沿いの家には津波に流された車。

【四倉 道の駅】

役員を務めている社会福祉法人の特別養護老人ホーム・楽寿荘は難を逃れました。海岸は数十メートル先なので心配でしたが、ちょっとした高台でよかったです。 津波の波しぶきが目の前で跳ね上がる恐怖を施設長が語ってくれました。

【小名川ポンプ場近く】

再度、小名浜へ行くと、津波に襲われたようすがありあり。 足をふらつかせているだんなさんの手を引く高齢ご夫妻とばったり。「病院に連れて行ってほしい」と。さっそく生協病院に案内しました。