日本の領土紛争

『これならわかる 日本の領土紛争』(松竹伸幸著、大月書店)を読みました。

韓国との「竹島」、中国との「東シナ海ガス田」と「尖閣諸島」、ロシアとの「北方領土」を取り上げています。

なにが「わかる」かといって、領土紛争がなぜ解決しないのか、関係国で意見が食い違うのはなぜか、その難しさが「わかる」というわけです。「国際法と現実政治から学ぶ」のサブタイトルは、その主旨です。

たしかに領土問題をめぐっては、ある国際法を持ち出せば自国の領土だ、といえても、別の国際法から見れば相手国の領土だ、ともいえそうだったり、同じ国際法でもいろいろな解釈が可能だったり、けっきょくは国際法ではなく政治力の問題だったり…

とはいえ著者は、本書で展開している作業抜きには領土問題の解決に向かうことはない、の確信に基づいて執筆しています。

小名浜の定時定点/平北部のみなさんと/心温まる街宣

火曜日朝は小名浜での定時定点。地域の後援会ご夫妻と、医療生協後援会からこの場によってくれて「旗持ち」してもらい、いつもいつもほんとうに感謝です。

話し終えて帰ろうとしたら、散歩していたかたがにこやかに手を振って送り出してくれました。朝からほんとうに感謝のスタートです。

きょうは党の平北部支部のみなさんと行動。支部のみなさんは、放射線簡易測定器と「原発いらない」署名を持ち、ご近所を訪問しながら対話。

うち1人は私の宣伝カーを運転してくれ、辻つじの5か所の街頭から訴えました。

たまたま、自民党から県議選に新たに立候補予定のお宅のご近所では、「今度こそ、ぜったいに頼みますよ。熱中症にならないようにね」と、いっしょに行動していた人数分の冷たいお茶の差し入れをいただきました。

またすぐ近所でも、「お騒がせしました」とごあいさつに行くと、「お騒がせなんてとんでもない、庭で話は聞かせてもらいました。ぜひがんばって」と。

ある公園近くでは、話し始めると、少なくとも5~6軒の家から出てきてくれる姿。びっくりです。なかには、かつて消防団の幹部をされていたかたも。

また別の場所でも、アパートから小さい子を連れて出てきてくれた若いお母さん。最後まで聞いてくれ、手を振ってくれました。終えてから走って行ったのですが、どの部屋かはわからず、話ができず残念!

暖かいふれあいというか出会いというか、ともかく心温まる街宣行動でした。

 

 

定時定点2か所/社長さん/「共産党が変えて」

月曜日朝は高橋あき子市議がわが家まで宣伝カーの運転に来てくれ、2か所での定時定点。

自宅近くでは、犬の散歩でこの時間、この場所を通るかたが、いつも激励の声をかけてくれます。ありがとうございます。赤信号で止まっていたドライバーが、青信号になると手を振ってくれる姿も。

もう1か所では、いつも手を振っていってくれるドライバーが少なくないのですが、先週、ハッと気づいたのが、高校同期会でいつも会う社長さん。やっぱりそうじゃないですか、きょうも手を振っていってくれました。

神谷(かべや)の党支部のみなさんと、片寄(かたよせ)という地域を、「原発いらない」署名などで訪問して歩きました。

宣伝カーで行ったので、街頭からも訴えました。話し終えると、すぐ隣りの家から「ぜひがんばってよ。原発なんかは、私も最初から危ないと思っていたんだ、誰も言わなかったが、言えなかったんだと思う。こういういい加減な政治を共産党が変えてほしい」と。

こうした声が間違いなく、広がっていることを感じます。

まぁ、偶然ですが、このお宅のすぐ隣りが私の高校時代のブラバン部活の後輩宅です。

その後たずねたお宅も、大震災後は初めてなのですが、それまではたびたびたずねていたこともあり、熱烈な激励にはほんとうに励まされました。

 

野田内閣の異常/「政権選択」仕掛けの崩壊

野田佳彦首相の行動は異様です。

2年前、自公政権は審判によって退場させられ、民主党は自公政治を変えることを使命に政権についたのでした。

野田首相の行動は、組閣前に自公両党と党首会談をし、民主党が国民に約束した政策を廃止・見直す「3党合意」を遵守し、消費税増税の協議実行などを約束したことでした。

もうひとつ、組閣前におまいりしたのが財界。

自公と一体化し、財界直結の野田内閣の姿勢は異常です。

財界による仕掛けと、大手マスメディアにより、「二大政党」「政権選択」の名のもと、民主、自民は中身のない「偽りの対立」を演出してきた2年間ですが、その仕掛けも崩壊です。

小集会/「いい景色が見られるのに」/炊事場から孫の部屋から

突然、大雨になったかと思うと、すぐに晴れ間が出て暑い日差しになったり、そんなことが繰り返すはなはだ不安定な天候でした。

私が住む地元の住宅街で、震災後、2度目の小集会がありました。高橋あき子市議と、「放射能・原発と市民のくらし」をテーマにお話しました。

「共産党が原発問題で指摘し続けていたことを無視した政治の責任は大きい」、「子どもたちの学校生活について、保護者の自己責任にするようなことがないようにしてほしい」、「地域の除汚活動について、その回収まで行政が責任をもってほしい」などなど、どこでもほんとうに、原発・放射線問題では話題がつきません。

この集まりを前後して、「しんぶん赤旗」日曜版を配達している党員の案内で、読者宅を訪問し、放射線量を測ったり、震災後の話を聞いて歩きました。

すぐ裏が山で、庭の向こうにも山が見えるお宅では、庭先の放射線量が0.33μ㏜毎時。毎日報道される県合同庁舎前の値が0.17程度なので、「やっぱり高い」と不安いっぱいです。「茶の間からこんないい景色が見られる場所に家を建ててよかった、と思っていたのに、原発事故で避難はする、心配なくらしを強いられる、ほんとうにとんでもないことになった」と。

夕刻にたずねた2世帯住まいのお宅では、門から入った庭先、庭木の下、芝の上、子どもと孫が出入りする玄関、炊事場、風呂場、孫が寝るベッドの部屋、茶の間などを案内され、測って歩きました。家の中は0.11~0.13、庭も0.16~0.22で、「測ってもらってひとまず安心した」と。

こうして歩けば歩くほど、事故対応の国家としての無策には腹立たしい思いです。

 

大雨警報/大震災後の街宣と対話/消防団へ義援金

金曜朝は平神谷(かべや)の国道6号線沿いでの定時定点。大雨警報発令中ですが、そんな様子でもなく、決行。話している間、2~3分、雨に降られましたが、なんということもありませんでした。

きのうの報道にあったように、県議選投票日が11月20日となれば、もう3か月もありません。

選挙ともなれば、有権者との関係でどれだけの活動をしてきたかを把握してこれからの活動に活かすのが私たち政党組織の常識です。が、大震災後、私個人もなかなかそういうわけにはいきませんでした。

そこで、私もせっかくこうして日々の活動を全世界に公表している以上、振り返ってみました。

街頭からの訴えは3月はさすがにする機会をつくりませんでしたが、4月から8月末までは、5か月で153回でした。直接訴えたり話をかわした人数は延べで4000人強。去年の4月からだと2万人を超えます。

ともかく、選挙は結果ですから、みなさんのあたりまえの声を活かす政治・行政を実現するために、これからまたがんばります。お力をお貸しください。

きょうは地区党として、党中央委員会からの義援金をいわき市消防団に届けました。

団長と3人の副団長、いわき市消防本部の幹部職員が応対してくれ、震災後の消防団の活動や市内の被害状況、原発事故収束を含めた今後のまちづくりや海岸地域の防災について、率直な意見交換をすることができました。

取材に来た記者が私の高校ブラバンの後輩で、今年も母校は東北代表の3校の中に入り、つい、得意になって党のみなさんに紹介しました。

 

関東大震災と「防災の日」/定時定点全日再開

88年前のきょう、午前11時58分31.6秒、マグニチュード7.9の関東大震災が発生しました。神奈川県西部の地底で岩盤の大破壊が始まり、巨大な亀裂となって湘南地方と相模湾の地下に拡大し、さらに房総半島までの大地を切り裂きました。1703年元禄関東地震以来220年間たまり続けた南関東全域のひずみエネルギーが一挙に放出されました(石橋克彦著『大地動乱の時代』岩波新書、1994年、68㌻)。

黒船に開国を迫られた幕末の動乱期と同時期に始まった関東・東海地方の「大地動乱の時代」は、この関東大震災でいったんおさまりました。そして首都圏の「大地の平和の時代」(地震活動静穏期)が今まで続いてきました。

自然の営みの自然な成り行きとして、地震活動期に入っているなかで、「防災の日」を迎えました。

9月に入ったきょうから、朝の定時定点の街頭からの宣伝を平日の全日で再開することにしました。5月中旬から月・火、6月中旬から金も再開していました。

けさの各紙が「福島県選管が11月20日の県議選投票方針」と報じたこともあり、なにやらそんな雰囲気も感じた街宣でした。

きょうは、今週土曜日の勉強会の準備と、今月号の「かけはし」原稿を執筆です。

 

高い電気料金と原発コスト

日本の電気料金は「総括原価計算」で決まります。発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を含む原価の上に、電力会社の利潤を一定の比率で上乗せして料金が設定されます。

つまり、コストを大きくすれば、会社の利潤も大きくなるしくみです。

電力会社はある時期のある時間内に生じる電力消費のピーク時を超える供給設備を抱えています。この過剰な設備の分も電気料金に組み込まれています。

しかも、電気を大量消費する特別高圧の需要家は安く、電圧を何度も下げて送られてコスト高の一般家庭は高く設定されています。

この高い電気料金と原発を受け入れさせる手段が「原発は安い」という宣伝でした。

すなわち、政府が公表した2004年の最新の発電コスト試算は、水力が㌔㍗時あたり11・9円、石油火力10・7円、石炭火力6・2円、液化天然ガス5・7円に対し、原子力は5・3円で最も安い、というわけです。

これがまったくの虚構であることを明らかにしたのが大島堅一立命館大学教授です。

すなわち、国の試算では、①01年以降、原発の稼働率が80%を超えることはないのに、40年間80%の稼働率と仮定しており、②国家財政からの技術開発費、立地対策費の投入をまったく考慮せず、③18・8兆円と見積もっているバックエンド費用(使用済み核燃料と放射性廃棄物の後始末)も、再処理工場は稼動の見込みもなければ、MOX使用済み燃料の再処理や処分費用がまったく含まれておらず、甘い想定です。

大島教授が、財政コストも考慮し、国民が支払った原発の実際のコストを1970~2007年度で試算したら、原発は最も高いのです。そのうえ今回の事故で、原発コストははるかに巨額であることが明らかです。

表はいずれも大島教授が作成したものです。

好間行動/街宣・訪問/期待がない首相

内郷・好間(よしま)いっせい行動で、きょうは好間地域に入りました。

まずは午前10時半から、国道49号線沿いのスーパー前で街宣。49号線を平方面へ向かう車から手を振っていただく姿が目立ちます。ありがとうございます。

その後私は、好間地域の党員と夕刻までお知り合いを訪問。その幅広いつながりに、私はびっくりです。

「民主党が日本を変えてくれると思っていた。もちろん、民主党に投票していた。まったく間違っていた。これからは共産党に投票することにした」というかた。

「自給自足の庭の畑の作物は全部あきらめた。なんの価値もない土地から固定資産税だけは取られるのは納得できない」と訴えるかた。

ここで生まれ育ち、社会的な役割を担うかたも少なくなく、自民党の市議や県議を公然と支援してきたかたがたも、「こんな事態になったからは、原発問題でずっとその危険を指摘し続けていた共産党にがんばってもらうしかないと思っている」、「わざわざ来てもらってありがたい。今度ばかりは応援したい」と、いっしょに行った党員が驚くほどの励ましの言葉。

新たな首相が決まった直後とは思えない、民主党へのあきれかえった声が圧倒的なのも、歴史的出来事のように思えてなりません。新しい首相にがんばってほしい、という期待がまずないのです。

 

 

街宣場所でのいろんな出会い

朝は小名浜での定時定点。

実は先週土曜から、おなかの調子が万全でなく、けさも家で2度、この定点近くの医療生協施設にも飛び込まざるをえないハプニングもありました。

きょうは午前と夕刻と、小名浜地域での街宣。それぞれの場所でいろんな出会いがありました。

話し始めると、手を振って家から出てきてくれる人。話している間は家のなかで、話し終えるとまた出てきてくれて手を振ってくれました。ごあいさつに行くと、「誰も言ってくれないことがある。各家屋で最初に放射性物質が降ってきたのは屋根だ。すべての家屋の屋根の除汚を行政の責任ですべきだ」と。これは大事な指摘ではないでしょうか。

ある場所では、宣伝カーの上で話している最中に、旗持ちをしてくれていた後援会員に車で近づいてきた若者が冷たい飲み物の差し入れ。びっくりでした。

また別な場所で聞いてくれていたかたにごあいさつすると、「職場の人の関係で創価学会に入り、その職場をやめることになって創価学会もやめたら、ストーカー行為から嫌がらせからインターネット上での中傷から、今も続いている。どういうことなのか」と。全国各地でそんな事例があることは話には聞いていましたが、直接訴えられたのは初めてでした。

夕刻もまたそれぞれの場所で声をかけられました。「加工工場を津波で流されて仕事を失ったり、風評で仕事を失った人がまわりにいっぱいいる。行政に届けられた義援金は、そういう人にこそ届けるべきではないのか」と切々な訴え。

まったくそのとおりで、庶民増税のための「大連立」以前の問題で、すべての党派が一致して実施できることなのです。