復興へのみちすじ

『大震災 復興へのみちすじ』(池上洋通・中村八郎・NPO法人 多摩住民自治研究所著、自治体研究社)を読みました。

5月19・20日に多摩住民自治研究所が緊急企画した「議員の学校」での集中講座の5つの講義から2つの講義をベースに、大幅に資料と論説を加え、なおかつ、池上さんが4月13・14日と被災地を調査したルポを冒頭に、「急ぎ足」で出版されました。

災害を未然に防ぐ対策をおろそかにし、応急対策を中心に進めてきた防災政策の致命的欠陥が東日本大震災で明らかになりました。安全性を基本にすえた土地利用計画や、地域防災計画の抜本的な見直しは不可欠です。

また、市町村合併や自治体リストラが今回の被害を甚大にした原因であることも明確になりました。その検証のうえに、地方自治体のあり方も根本的に問われます。

 

内部被曝の真実

『内部被曝の真実』(児玉龍彦著、幻冬舎新書)を読みました。

7月27日の衆院厚生労働委員会で、参考人として意見表明し、「国会は一体、何をやっているのですか!」と活を入れたのが著者です。

あのときに国会に緊急提案したのは、国策として食品、土壌、水を測定すること、子どもたちの被曝を減少させるために新法を制定すること、国策として汚染土壌を除染する技術に民間の力を結集すること、除染に莫大な負担を国策として負うことを確認し、世界最高水準で除染を行なう準備を即刻開始すること、の4つでした。

そして本書の最後でも、最新の技術を駆使した食品検査、すべての自治体で住宅の汚染を測定する課を作ること、住民自らが緊急的に除染するときに内部被曝を防ぐ注意事項、行政による長期的な除染を住民同意のもとで行なうこと、の4つを提言しています。

こうした提起の根底には、今回の原発事故の本質が、広島原爆20個分以上の膨大な放射性物質が飛散した事実があります。

国は、勝手な線引きをすることなく、国策として推進した原発の事故である以上、国策としてこの被害をなくす対策を講じるべきなのです。

 

「原子力ムラ」/後悔も言い訳もない活動

『「原子力ムラ」を超えて』(飯田哲也・佐藤栄佐久・河野太郎著、NHKブックス)を読みました。

著者の一人、飯田さんによれば、この本の構想は10年前から担当編集者と議論していたそうです。

飯田さんは、京大工学部原子力工学科・同大学院・東大先端研博士課程を経て、原子力産業の一端である神戸製鋼所、そこから電力中央研究所に出向派遣で、学生時代を含めれば、10年にわたって原子力のアカデミズムと産業界の現場と電力会社の裏舞台と国の裏舞台を経験した人です。

生まれた年が私と同じなので、同時期に私は同じキャンパス内をウロウロしていました。そんなことはともかく、閉鎖的で、ほぼ全員が顔見知りの狭い世間でしかない「原子力ムラ」の生態・実態がよくわかると思います。

このムラは、「科学技術庁(現・文部科学省)・動燃」の官に閉じたムラと、「通産(経産)省・電力会社」の半官半民のムラの2つで構成され、経産省のなかには、市場原理主義を信望する東大法学部出身者を中心とするスーパーキャリア系グループ、東大電気工学科・現職工学科、京大電子・電気工学科や原子核工学科などを出た技術家キャリアグループの2つのグループがあるようです。

2009年の政権交代後、民主党が原子力輸出や原発14基新増設へ暴走する経過では、電力総連や電機連合を基盤とする民主党のエネルギー族という「岩盤」がむき出しになり、そこに自制を脱ぎ捨てた経産省の原子力官僚が悪のりしたさまも。

大手マスコミも、こうしたムラ=原発利益共同体の一員である(だった?)ことは間違いない事実で、私たちはこうした実情を知る機会がありませんでした。

ともかく、「将来世代に対して、後悔も言い訳もない活動をしていくほかない」(飯田さん)覚悟が私には必要だと受け止めました。

被爆者と原発

『被爆者医療から見た原発事故』(郷地秀夫著、かもがわ出版)を読みました。

著者はこれまで30数年間、約2000人の被爆者の健康管理にかかわってきた医師です。

7年前に原爆症認定集団訴訟にかかわるまでは、目の前の被爆者に起こっている健康障害を原爆放射線によるものとはかんがえておらず、病気のほとんどの原因を原爆放射線とは関係ない、と言い続けていたんだそうです。

その当時のご自分が、原子力エネルギーの利用を推進する人びとの偏った知識のみを信じ、「放射線障害は軽微で、原子力は有用だ」という考えに、気づかないうちに洗脳されてしまっていた、というのです。

原発事故後、日本の国民が、真実を知らされない中、不安にさらされ、国に選ばれたその道の権威といわれる人びとに頼らざるを得ない状況は、かつての自分と同じだ、と。

本書は、報道される原発事故情報の何がどう足りないか、どう真実と違うのかを明らかにしたい思いと、多くの国民が「被爆国」という概念を、もう一度、明晰に認識しなおす機会を提供したい願いで書かれました。

原発・放射能データ

『原発・放射能図解データ』(野口邦和監修・プロジェクトF文、大月書店)を読みました。

プロジェクトFというのは、この本を出版するために結成された女性4人の環境問題ライターの集団です。

原発と核エネルギー、原発とコスト、原発と地震、世界と日本の原発、核のゴミ、放射能と半減期、放射線と人体、自然放射線、電力と自然エネルギー、原発と人間社会の10のテーマで、120の図やデータが簡潔な文章とともに紹介されています。

学習会の資料に、授業の教材に、そのまま使える最新データです。

「まえがき」も「あとがき」もなく、「私たち一人ひとりが、複雑で深刻な問題群と正面から向き合い、そのことを通じて将来のエネルギーのありようを決めていく。事実を見つめ、考え、話し合い、選択していくしかない」。その手がかりにしてほしいと収集したデータです。

 

日本の領土紛争

『これならわかる 日本の領土紛争』(松竹伸幸著、大月書店)を読みました。

韓国との「竹島」、中国との「東シナ海ガス田」と「尖閣諸島」、ロシアとの「北方領土」を取り上げています。

なにが「わかる」かといって、領土紛争がなぜ解決しないのか、関係国で意見が食い違うのはなぜか、その難しさが「わかる」というわけです。「国際法と現実政治から学ぶ」のサブタイトルは、その主旨です。

たしかに領土問題をめぐっては、ある国際法を持ち出せば自国の領土だ、といえても、別の国際法から見れば相手国の領土だ、ともいえそうだったり、同じ国際法でもいろいろな解釈が可能だったり、けっきょくは国際法ではなく政治力の問題だったり…

とはいえ著者は、本書で展開している作業抜きには領土問題の解決に向かうことはない、の確信に基づいて執筆しています。

生ききる

『生ききる。』(瀬戸内寂聴・梅原猛著、角川oneテーマ21)を読みました。

86歳の梅原さんが、89歳の寂聴さんのご自宅を訪れて、4回にわたってじっくり語り合った対談です。

テーマは、東日本大震災と人災である原発事故から、日本の歴史や文化を考察し、これからの日本人の生き方、自然の恩恵に感謝する文明の創造です。

「私たちは死を前にしている。他に恐ろしいものはない。それで言うべきことははっきり言い、すべきことはさりげなく笑ってしよう」が対談の締め。

合わせて175歳の2人が、大震災という難局を乗り越え、希望を見出すために、迫力すら感じる、勇気が染み出てくるような本です。

電力は足りる

『原発がなくても電力は足りる!』(飯田哲也監修、宝島社)を読みました。

原発の「安全神話」が完全崩壊したと思ったら、今度は「原発がなければ電力不足で日本はダメになる」とばかりに「電力不足キャンペーン」が始まりました。

「安全神話」によって、電源は原発しかないかのように刷り込まれてきた心には、このキャンペーンはたいへんに親和的です。「安全神話」と「電力不足キャンペーン」は表裏一体です。

本書では、「節電要請&電力使用制限」「原発がないと電気料金が月1000円上がる」「原発ゼロで企業が海外逃亡する」「原発は最も安い発電方式」「自然エネルギーは高コスト」の5つのウソを検証しています。

そして、原発に依存し続けると、日本のエネルギー需給はむしろ危機に瀕することを示します。

大地動乱/首都圏を襲う明快な根拠

『大地動乱の時代』(石橋克彦著、岩波新書)を読みました。

この本は、1995年の阪神・淡路大震災の5か月ほど前に発行されました。

その時点で、「十~二十年のうちに、大地の運動の自然な成り行きとして、日本の心臓部を小田原、東海、首都圏直下の大地震が相次いで襲う可能性が高い」と指摘しています。

首都圏についての話でもあり、大げさだと批判もされたようですが、翌年には神戸で現実のものとなりました。

その後著者は、1997年に雑誌『科学』(岩波書店)10月号で、地震によって原発の大事故と大量の放射能放出が生じ、震災と放射能災害が複合・増幅しあう破局的災害を「原発震災」として提唱しました。

本書では大地動乱と原発事故に直接触れてはいませんが、ともかく、幕末に始まった大地震活動期が関東大震災をもって終わり、その後の地震活動静穏期に日本の首都圏は大地震に一度も試されないまま、野放図に肥大・複雑化して、本質的に地震に弱い体質になってしまったことを指摘します。

そして再び大地動乱の時代を首都圏が迎えることは確実である明快な根拠を、地震学者の良心が警告しているのです。

二つの憲法

『二つの憲法』(井上ひさし著、岩波ブックレット)を読みました。

井上さんは昨年亡くなった作家です。2004年6月10日にスタートした「九条の会」の呼びかけ人でもありました。

この本は、井上さんが、1999年8月に行なった講座がもとになっています。「日米防衛協力のための指針」を円滑運用するための周辺事態法など、この「指針」関連法が成立させられた直後でした。

「イギリス名誉革命(1688年)直後の権利章典(1689年)から始まって、アメリカ独立宣言(1776年)やアメリカ合衆国憲法(1788年)を経て、フランス人権宣言(1789年)に至る百年間に形成された憲法という『宝物』のような容器に、今世紀の人類が血を流し多大の犠牲を払いながら創り上げた、国際連盟(1920年)や不戦条約(1928年)などに見られる、人間には平和を求める権利があるのだという思想が、新しい憲法に盛り込まれることになりました」(55㌻)。

この過程で、大日本帝国憲法(1889[明治22]年発布)があり、「新しい憲法」=日本国憲法があるのです。

井上さんの感性で、日本国憲法の生い立ちを明確にしようとした試みです。