酪農家訪問/後手後手の国・県

おもに原乳を生産している市内の酪農家をたずねました。

地区党の菅野委員長、宮川さん、高橋・伊藤市議といっしょでした。

原発事故後、3月12日から4月17日までは事故の影響で出荷ができず、18日以降は出荷は再開しています。牛に食べさせる干草も、自家製から購入品に変えざるを得ません。

県や政府の後手後手のに対応に、将来だけでなく当面の暮らしの不安も強く、また、放射線測定も地点を増やし、実態を正確に把握した対応が必要だ、と。当然のことだと思います。

ご本人は放射能汚染実態情報をインターネットからも日々収集し、「データ重視で堅実な対応をするつもり。それだけに、行政は、われわれ酪農家だけでなく、国民が安心できる放射線測定体制を整備して迅速に公表することが最低限のこと。国や県がどうしたらいいかわからない、みたいな姿勢では、安心できないし先も見えない」と。

全面補償の方向も不透明なら、原発事故後の放射線管理体制も不透明では、ほんとうに困ります。

「放射能」理由に事業所閉鎖のアパレル会社

4月にアパレル関連の事業所閉鎖・解雇を言い渡されたという50代前半の女性から話を聞きました。パートとはいえ、午前9時から午後5時までの勤務、社会保険も厚生年金も会社を通しての加入でした。

3月11日の大震災と12日の福島第一原発1号機建屋爆発後、自宅待機を指示され、4月上旬には解雇通告。「取引会社に放射線を浴びたものをお出しするわけにはいかないので、事業所を閉鎖する」、というのです。

ちょっと前までは、現場上司の「来年からは時給も上がると思う」という言葉を信じ、あと10年はここで働き続けようと思っていました。

この会社の本社は東京で、全国に営業拠点を持ち、生産・物流拠点もいわき市を含めて各地にあり、海外にもあります。今年2月期の売上高は687億円。株式の90.3%を伊藤忠商事が持っています。

解雇通告があったときの本社役員の話の冒頭は「あと1年ぐらいでいわき工場は閉鎖するつもりだった」という話。

5月に入ってからの失業保険説明会後、今後の話を聞くと、「原発事故が落ち着けば、もどってくるかもしれない」と。

「1年後に閉鎖」の話もはなはだ怪しい。

いわき市内では、こんな実態が広がっているように感じています。「お客の声」を口実に事業所を閉鎖して解雇する会社も問題ですが、原発事故さえなければない話です。

こうした家族の「損害」の全面補償・賠償はあたりまえです。

尽きない彼女の話を聞いてから、ご近所240軒ほどにチラシを配布。原発事故を「人災」と認め、早急に全面補償を求める党県委員会の見解が表面、この2か月間の私の活動を写真を中心に知らせるのが裏面です。

悩ましい相談/コメ/「原発はいりません」署名/小名浜埠頭/全建総連

医療生協職員が受けていた相談にのってほしい、といわれていたお宅をたずねました。今回の大震災とはまったく関係がなく、倒産してしまっている会社が造成した住宅団地がすぐ目の前の高台にあり、そこからそのお宅の私有地であるのり面に水がもれ出してきて困っている、と。市役所も区長からの要望で承知はしていたものの、まったくもって悩ましい相談です。

そのお向かいが隣組の組長さんで、例年なら終わっている田植えの準備中でした。「植えても育ったコメが食べられるのか心配だ」と。原発事故の影響です。

いわき市原発の安全性を求める会として、浜通り医療生協労組の代表とともに、小名浜地区労働組合協議会議長あてに「もう原発は福島県にいりません」署名への協力をお願いをしました。原発事故収束のために国内外の英知を結集すること、福島原発は廃炉にして自然エネルギー活用への抜本転換をはかること、原発事故に伴う全面的補償・賠償を求める内容です。

その後、港湾労働者が小名浜港7号埠頭を案内してくれました。震災直後に見てはいたのですが、この被災状況にまったく気づきませんでした。「元の姿」を知らないと、こういうもんかと気づかされました。

午後は宮川さん、党地区委員長と全建総連・いわきウイング建設組合をたずねて組合長と懇談。

たまたま組合長が住む地域で、地震で橋と道路に段差が生じ、子どもたちの通学路でもあり、車で通るのも危ない、と話題に。さっそく現地を見て、支所に伝えました。

サルベージ船/75歳の一人暮らし女性/少数無視

小名浜地域を回っていたら、漁港には見たこともない巨大なサルベージ船(?)が作業中でした。

医療生協に相談があった、というお宅をうかがいました。3月30日に私もうかがった組合員でしたが、4月の大きな余震でかなりの被害があったらしいのです。

外見はさほどでもありませんが、見ると、家の中のふすまが動かなくなり、サッシも動かなくなり、そのために雨戸も開けられなくなり、屋内の壁ははがれ落ち、あちこちにひび割れ。75歳で一人暮らしの女性ですから、「今度また大きな余震がきたら、私はこの家ともども死んでしまう」という訴えです。

10年ほど前に婦警さんが来てもらって以降は、行政の関係者が来てくれたことはない、という話だったので、地域包括支援センターに案内し、家の罹災証明申請にごいっしょしました。

ご本人もおっしゃっていますが、買い物も片道45分もかけてスーパーへ出かけ、支所はそこよりも遠く、ラジオを聞いて手続きすればいいことは知っていても、行けない高齢者はいっぱいいるのに、いったい、こうした被災時にどうしたらいいの? と。

「自己責任」のひと言で済ませていたのがこれまでの多数の政治家ではないのですか?

こうした「下々」の生活弱者をしっかりと支援する「下々」の公務員は必要なのに、「公務員は仕事をしない」とか「公務員は税金のムダ使いだ」とばかりに、官僚公務員と下々公務員をいっしょくたにして、下々公務員減らしを進めてきたのがこれまでの多数の政治家です。

暮らしの隅ずみにまで政治が関わっていて、その政治に対する少数意見が無視され続けた結果がこういう事態を招いたと思わざるを得ないのです。

ペロの散髪帰り。

災害対策会議/要望は切迫/模擬患者

地元の党地区委員会の災害対策本部会議がありました。

党の常任委員と市議・県議・候補者がメンバーです。被災されたみなさんからのさまざまな切実な要望が寄せられています。

「市からあっせんされた一時住宅が、子どもの通学や、職場への通勤ができない地域で断らざるを得ない世帯が少なくない」「津波でまちごと壊滅した地域では、復興計画を立てて県と市に要望しているが、復興には4~5年かかり、一時住宅に住める保障が2年では短すぎる」「漁港のガレキ撤去作業や、海水・海藻・多種の魚介類の放射能検査が必要」「営業が不可能な観光業施設の水光熱費の補償」「学校や保育所・幼稚園に降り積もった放射性物質の除去」「首都圏に本社がある会社がいわきでの製造から撤退することを決めて解雇されている」「津波被害を受けた店舗に対する解体などの保障がまったくない」などなど、切迫した要望はまさに切実です。

私が理事をつとめている浜通り医療生協の新入職員オリエンテーションにきょうも参加。患者さんや介護事業利用者と事業所職員との対応でのトラブル事例のワークショップ、それに、模擬患者による接遇学習会でした。

模擬患者さんは、胸部レントゲン写真を撮り、その場でレントゲン技士に、バリウムを飲む胃透視検査と胃カメラを飲む検査のこと、放射線を使うレントゲン検査での放射線影響やいまの環境放射線影響はどうなのか、といった疑問を投げかける、といった設定です。

こうしたやりとりはいま、医療現場だけに限らないことをつくづく感じました。

底なしの不安/「にわか原発学者」/風向き

放射能汚染についての不安は底なしで広がっているのでは? と思ってしまいます。

県立いわき公園へペロを散歩に連れて行った帰り、震災後、会っていなかった中学ブラバン同志宅をたずねました。建築関係の彼氏は3月12日以来、ほぼ休みなしで出勤だそう。 そのお連れ合いが、「近所では原発避難で子どもを転校させたお宅がけっこうある。お隣りも九州へ転校した」とのこと。また「原発労働者の白血病の労災認定基準が年間5ミリシーベルトだとネットで知った。それで子どもの被ばく限度が年間20ミリって、どうしたら納得できるの?」などなどと、「このところ、友だちも含めてにわか原発学者のようにこういう話ばかり」と。

また別の知り合い宅へ行くと、「原発事故の収束が見えずに毎日が不安。これからの季節は原発地域からいわき方面への風向きになるはず」と、顔をあわせるなりの話です。「この近くの小学校では30人が転校したそうだし、小児科クリニックはいつもの半分らしい」とのこと。

 ともかく私としては、聞いて歩いて、合理的・理性的判断のためになにが必要か、いっしょになって悩むほかにありません。

放射能学習会/「安全神話」政治家に断罪を

4月17日に続き、安斎育郎さんを招き、「原発事故・放射能学習会」をしました。安斎さんは、専門分化している放射線防護学の中でも「線量評価」が専門で、大手マスコミを含め、いま全国で引っ張りだこのようです。

きょうも福島入りすることを機会に、急きょの企画でした。主催は私が代表をしている「いわき市原発の安全性を求める会」。

前回講演会から半月あまり、原発事故発生から2か月たとうとする時点でのきょうです。現実に降り積もっている放射性物質からどう身を守ったらいいか、をメインにお話いただきました。

放射線源を取り除くこと、外部被ばくを減らすための遮へい・距離・時間のこと、内部被ばくの経口・吸引・経皮のルートを断ち切ること、などノウハウ中心の話で、政府が数値をあれこれ言う前に、こうしたことをいち早く国民に伝えるべきだ、と強調されました。

いずれにしても私たちは、自然界からも宇宙線からのものを含め放射線を浴びており、たとえば、避けた食材・調理のつもりが、現実にはより多くの放射線を体内に取り込む食材・調理だったということもありうるわけです。

理性的・合理的・科学的に実態を知ったうえで対応することが大切です。こんな基本は必要ない、とされてきた「安全神話」は、まったくもって恐るべきことです。これを政治家の圧倒的多数が振りまいてきた責任を、有権者は断罪すべきです。私のきわめて強い主観的願望です。

新入職員/社会保障・平和/振り付けではありません

かつて病院事務長をし、組織部長もつとめた浜通り医療生協の新入職員オリエンテーションで、「社会保障と平和と私たちの仕事」をテーマに話をしました。

大震災であらわになった日本の社会保障制度のしくみのぜい弱性、これが実は「小泉構造改革」にかなりの責任があること、「政権交代」はその転換を民主党自身が熱く語っていたはずなのに、約束は守られないまま大震災に襲われたこと、憲法が示す社会保障の方向は明確で、たとえば「福島民友」の3日前の社説が「憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行」すべきことを訴えたこと、1953年に結成された民医連が、当初からこのことを主張するだけでなく実践していること、浜通り医療生協と事業所の職員がまさにその当事者で、新入職員のみなさんが、現場の仕事を支えるとともに、こうした心をもって仕事にあたってほしい、と、熱くなりすぎるぐらいに語ってしまいました。

振り付け教室をしているわけではけっしてありません。

余震/田人町黒田の断層

4月11・12日の大きな余震後も、毎日のように揺れがありましたが、午前2時4分の余震は市内の震度が3~5弱と、また大きな揺れでした。文字通りの丑三つ時でしたが、十数秒は続いたと思います。「4」はあったような感じで、当然に起こされました。

気象庁発表の震源位置によれば、平四ッ波(たいら・よつなみ)にある石森山の約800mほど北、わが家から約8.5kmほど北の地下約10kmのようです。

ともかく今回の3・11大地震以来、いつまで、そしてどこを震源として地震が起こるのか、この地域ばかりでなく、少なくとも日本列島東側ではどこでも揺れているので、まさに地震活動期と言うほかありません。

4月11・12日と続いた市内内陸部地震で露出した断層が田人町黒田地域にあることは聞いていて、気が気でありませんでした。

きょうやっと、現地に足を踏み入れました。まぁともかく、びっくりです。

田んぼの中を亀裂が走り、家の敷地を亀裂が走り、2本の別な断層が同じ地域でずれて姿を現したようです。2mほどの段差を生じて通行止めの道路もあります。

新年度/オリ準備/地方紙と全国紙の社説

職場も学校も、新年度が始まっています。

浜通り医療生協でも、4月1日には新入職員辞令交付がありましたが、震災対応で現場を守ることが最優先の期間でしたので、オリエンテーションは今月に入ってからでした。

民医連事業所の「たましい」と言っていい社会保障制度拡充と平和の確立について、私もあした話すことになっていました。新卒採用者だけでなく、昨年度中の中途採用者のみなさんもいっしょに学びます。

こういう状況で、引き受けていたことをきのう、スケジュールを確認してハタと思い出し、急いで準備です。

資料を準備していると、地元紙の「福島民友」の憲法記念日5月3日付社説の「『国難』へその理念を今こそ」が目に入りました。

「未曾有の『国難』だからこそ、国は憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行していくことを求められている」というのです。

全国紙が「今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる」などと、客観性を装うようで、自らの基準を主体的に持とうとする姿勢が伝わらない社説とは大違いです。

草の根で、憲法の心を根づかせる地道な活動が国づくりを支えることをつくづく感じます。「憲法は難しい」と、自分の暮らしが憲法に直結していることを感じていない大人が多数であることが現実です。これでは政治は子どもたちのためにつながりません。

写真はペロとの散歩と、先日の井上・大門参院議員、宮川さんとの視察の様子。