改善要望/地盤沈下と海岸線/白鳥/理事会

匿名の手紙で、改善してほしい道路箇所がある、とのことで行ってみました。

北上する国道6号線から、右側に県道245号線に折れる場所です。相談を寄せてくれるかたは切実だと思いますが、ただちには分かりません。

より具体的にお教えいただけると幸いです。

すぐそばに大久(おおひさ)川河口。ずっと海側だった海岸線が、3・11の地盤沈下によって、橋の下にまで「のぼって」います。

家にもどる途中、平高久(たいら・たかく)地域の滑津(なめつ)川近くの田んぼでは白鳥たちが食事中でした。

午後は浜通り医療生協の理事会に参加。医療福祉生協の全国会議で震災後の活動を報告した様子の再現もありました。

「子どもチーム」/一般質問最終日

午前中、ふくしま復興共同センター(東日本大震災・原発事故被害の救援・復興をめざす福島県共同センター)の「子どもチーム」と懇談・意見交換しました。

この間、「子どもチーム」は、福島市や県、復興庁や中央省庁などとの交渉や申し入れなど、なによりも子どもたち自身が発している声を親としてそのまま伝えています。

外で遊ぶ子どもたちのテレビでの映像を見て、「放射能の影響はないの?」みたいなひとことを、どう受け止めたらいいのでしょうか?

午後は本会議で一般質問の最終日。自民、民主・県民連合、自民、未来ネット、公明党の5人。

民主・県民連合からは、「県議会唯一の社会民主党議員」と断っての質問でした。なぜ民主党と会派を組むのか、私にはさっぱり分かりません。

私が質問に立ったおとといは、自民、民主・県民連合、自民、私、公明の順でした。

高校卒業式/出身職場

議会は「議事都合」による休会ですが、県立高校卒業証書授与式なのです。

私は、自宅からすぐ近くのいわき光洋高校の卒業式に、議長の祝辞をたずさえて参加しました。

この高校は、2004年にこの地に新築移転したのですが、校門を出てからの通学路に街灯がなくて不安だ、と地元の自治会と保護者から相談があり、当時の校長先生に話を聞き、市や県に設置を求めた経緯がありました。

冒頭、そうしたことに触れ、議長祝辞を代読しました。

議会会期中にはなかなか寄れない出身職場の小名浜生協病院にも顔を出しました。

県が原産協会から退会

きのうの私の質問で、福島県は日本原子力産業協会(原産協会)を昨年10月に退会していたと答弁しました。1960(昭和35)年から51年にわたる会員でした。

原産協会は、その前身が原子力産業会議といって、1956(昭和31)年に、日本の主要企業と基幹産業をほぼ総結集して原発推進のためにつくられた組織です。

創立50周年の2006年に「自ら戦略的に行動する団体」になる、として名称変更していました。

『原発にしがみつく人びとの群れ』(小松公生著、新日本出版社)を読み、たぶん2月上旬だったと思いますが、原産協会のホームページを見て、「1月25日現在」の会員名簿を見ると、「福島県」がしっかりと入っていたのです。

そこで質問することにしました。

そして、2月20日になってからの週だったと思いますが、同じ「1月25日現在」の会員名簿から福島県が消えていました。

とはいえ、ひとつの区切りとして質問に残し、答弁を求めたのでした。

きょうもまだ「1月25日現在」の会員名簿が原産協会のホームページに掲載されています。かなりずさんな組織管理なんだと思います。

一般質問に登壇/「人災」と言わない知事

今回の質問の前の質問は、07年3月の総括審査会で、当時の場所は本会議場ではありませんでした。

この議場での質問は、06年12月以来の5年3か月ぶりかと思います。さすがに多少緊張しました。

私の質問前に休憩が入り、傍聴に来ていただいたみなさんに5人そろってごあいさつしました。

質問は県の原発事故対応と、健診・医療・介護など県としての社会保障にとりくむ姿勢を中心にただしました。

驚いたのは、佐藤雄平知事が、原発事故を「人災」とはなんとしても言おうとしない姿勢です。再質問・再々質問に対しても、原発事故が人災かどうかについて、自らの言葉で語ろうとしないのでは、東電に全面賠償させる構えが本気なのか、疑問を感じます。

傍聴に来られたかたは、「再々質問の答弁のときに、議場がざわついていたのは、みんなもおかしいと思ったからじゃないのか」と感想を語っていました。

最終確認/一般質問/議場の揺れ

あしたには私が質問する予定ですが、きょうもまた、「質問要旨」の最終確認作業が続きました。

原稿を最終的に仕上げるのもなかなか大変です。

午後は一般質問に自民2人、民主・県民連合2人、ふくしま未来ネットワークから1人の5人が立ちました。一般質問は持ち時間が20分。

時間が限られるだけに、質問者の特徴が出る印象です。

本会議中の午後2時20分ごろ、地震がありました。震度2程度だったようですが、広い空間の議場が揺れるとやはりちょっとびっくり。

質問要旨/追加代表質問/あべさん

自宅から県庁控室に着くや、「質問とり」開始。すでにひとまわりしているので、質問要旨の確認がおもです。

午後は、県議会開会直前に発表された2月補正予算案を受け、交渉会派による追加代表質問でした。2月議会では毎回行なわれる質問です。

自民、民主・県民連合、ふくしま未来ネットワーク、日本共産党の4人が30分の質問をしました。

共産党はあべ裕美子さん。再質問・再々質問をしたのはきょうもあべさんだけ。

きょうは休憩中、議場前で斎藤勝利副議長と。

本会議後、傍聴に来られたみなさんに県議団としてごあいさつしました。

「蘇生」して害悪をふりまく小選挙区制

94年1月21日に参院で「政治改革」法案が否決後、当時の非自民=連立与党=小選挙区推進派は法案の「生き返り」を企て、1月27日に両院協議会を開催したものの決裂。

衆議院で可決した法案が参議院で否決され、両院協議会も決裂した以上、法案は廃案にするのが議会制民主主義の原則です。

ところが1月28日、当時の土井たか子衆院議長が動き、「トップ会談による蘇生」の道筋がつけられました。

マスメディアが細川首相と河野自民党総裁とのトップ会談をけしかけていたのです。密室談合後、法案は強行されました。

そして小選挙区制が導入されて18年。直近の2回を見ても、05年総選挙では自民党が47.8%の得票で73%の議席、死票は有効投票数の48.5%3300万票、09年の政権交代選挙では、民主党が47.4%の得票で73.7%の議席、死票は同じく46.3%約3270万票。

当時のトップ会談に立ち会った森喜朗元首相が「政治の劣化の要因は…根本的には小選挙区制に原因がある」(「自由民主」2011年11月22日付)と言い、渡部恒三民主党最高顧問が「小選挙区制は間違いだった」(2月23日、超党派の「衆院選挙制度の抜本改革をめざす議員連盟(略称=中選挙区制議連)」での代表世話人あいさつ)と言うのが小選挙区制度です。

この制度によって、国民のために働いているのかもわからず、民意を通そうとしているのかもわからない議員を生み出している問題を、議員の数の問題にすり替え、議員自身が「身を切る」などということも大問題です。

「身を切る」と言う以上、議席は特権であり、自らのものなのだ、という考えが横たわっています。

しかし議席は、国民から負託されたものです。議員の数を減らすことは、「身を切る」のではなく、国民の代表の数を切ることです。

多くの政治家が国民のために働いていないからといって定数削減すれば、さらに民意を反映しない悪循環をつくりだします。きのうの日刊「しんぶん赤旗」で、大東文化大学の井口秀作教授がインタビューに答えてくれています。

きょう付け「しんぶん赤旗」は、小選挙区導入に旗を振り、害悪がはっきりしているのにいまだ無反省の大手メディアの実態を報じています。

 

国民救援会/菊池紘さん/政治活動の自由

日本国民救援会いわき支部の第32回定期大会がありました。

昨年の大震災後の予定ができなかったので、2年ぶりの大会となりました。

国民の政治活動、表現・言論の自由をめぐり、民主党による衆議院比例定数削減提案や、橋下大阪市長による公務員「思想調査」など、重大な問題が平気で行なわれる時代状況のなか、あらためて、憲法の読み直し、活かす努力が私たちの仕事ではないか、とごあいさつしました。

大会後は、東京・城北法律事務所の菊池紘弁護士の記念講演。菊池さんは、昨年、創立90周年を迎えた自由法曹団の前団長です。

講演は、公務員の政治活動の自由をめぐり、「最高裁で猿払事件判決を変更し、違憲無罪判決を」がテーマ。

08年10月に国連人権規約委員会が、日本政府に対し、「政治活動を行った者や公務員が、政府を批判する内容のビラを個人の郵便受けに配布したことにより、住居侵入罪あるいは国家公務員法で逮捕されれ、起訴される報告に懸念を抱く…表現の自由や公的な活動に参加する権利を不合理に制限している法律を撤回するべきである」と勧告している中身です。

国際常識からかけ離れた日本の政治的自由の実態が今の政治を生み出しているように思えてなりません。

みなさんは、自分が望む暮らしを実現するための政治的自由を行使できていますか?

質問とり/質問要旨/意見書案

 

来週29日の私の質問についての「質問とり」が、朝9時過ぎから断続的にありました。

きのうまでにひと通り終わっていましたが、要するに「質問要旨」の確認や、聞き方の表現の調整です。

「表現の調整」はなかなかやっかいで、なぜそうしてほしいのか聞いていると、「なるほどなぁ」と思ったりしますが、まぁ、一県民として率直に聞いていることにそのまんま応えてほしい、というほかにありません。

議案とする国への意見書案を議事課へ提出しなければならない日でもあり、私が党県議団の責任者なので、他会派の賛同者から議案提出者として署名してもらうなどのこともあり、忘れるわけにもいきません。

写真は3日前の2枚。