日本に自生するアジサイのなかで、ツボミが球状になる「玉アジサイ」の変異種で、1948年に伊豆大島で中井猛之進博士が発見し、命名したアジサイだそうです。
ヨウラクは「瓔珞」で、インドの貴族が珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具のことで、仏像の頭や首や胸などの装飾にもなっているそうです。
咲いた花の様子がそんな感じなのでしょうか。
お盆には球状のツボミが、市議選投票日前日にはこんな感じ。
この日に合わせてバンザイしてくれているみたい。
候補者が選挙運動で宣伝カーから音が出せるのも今夜の8時まででした。
私の政治運動で音が出せるのは7時まで。午前中は10時前から四倉地域の7か所、候補者が昼休みの時間は候補者カーで候補者の地元の5か所、午後は私が住む住宅街の隣りの住宅街7か所、夕刻はいわき駅周辺の市街地7か所、合計26か所の街頭から訴えました。
話し始めたら家から出て手を振ってくれる人、イスを持ち出して座って最後まで聞いて拍手してくれる人、夕刻には「いま一杯飲んでいたら声が聞こえたので聞きに来ました」と握手してくれる人、「原発も消費税も言ってくれるのは共産党だけだ」と駆け寄ってくれる人。
7時50分に事務所にもどった高橋あき子さんとともに、最後の訴えをしました。
選挙そのものはあしたの投票箱がしまるまでです。最後までがんばりましょう!
けさも、高橋あき子市議候補と後援会員のみなさんと「おはよう宣伝」。
午前中は、石田洋一大熊町議の運転で、四倉(よつら)地域の7か所の街頭から訴えました。
昨年の震災時、全壊で近くの家を提供されていたかたと再会することができました。
また、この地域では、地元の医療生協組織が健康体操や班会などが活発で、私もしばしば顔を出していたので、そんな関係のかたがたが出てきてくれました。
津波の直撃を受け、がれき処理に全国の共産党の人たちがボランティアで入ってくれたこともあり、話し終えたら「ここのがれきを処理してくれたのは共産党の人たちなんです」と、ペットボトルの差し入れをしてくれるかたもいらっしゃいました。
午後は、私が住む住宅街の隣りの中央台飯野地域の12か所の街頭から。
散歩しているかたが、話している私に握手を求めてくれたり、話し終えて宣伝カーを走り出させたら、家の中から両手を振って送り出してくれるかた。
たいへん静かな住宅街だったので、おおいに力づけられました。
朝8時前、高橋あき子さん、後援会員のみなさんとともに、出勤されるみなさんに手を振ってのごあいさつ。
午前中は、若葉台、自由ヶ丘、明治団地の3つの住宅街7か所の街頭から訴えました。
話し始めると、家から出てきて聞いてくれる人、終えると拍手したり手を振ってくれる人、家の中から手を振ってくれる人。
無表情な感じでずっと近くで聞いていた人が、話し終えると「がんばれ!」と声を出して、すっと立ち去る場面もありました。
午後の打ち合わせ後、夕刻は平市街地のスーパー前にしぼって4か所で訴え。
駐車場で立ち止まって聞いてくれる人、駐車場を出入りする車の中からの声援。
市議選終盤に向かい、関心が高まってきています。
25日から始まる予定の9月定例県議会へ向け、県議団として知事申し入れをしました。
県総合計画の見直し、「原発ゼロ」の福島からの発信、くらしと生業の再建を土台にした復興、被災者支援、除染の促進、医療・福祉、教育、再生可能エネルギー、オスプレイ配備・低空飛行訓練反対、の9つの大項目で、51点にわたって申し入れました。
知事は、「復興へ向けて参考にさせていただく」と応じましたが、時間も限られていて、なかなか「対話」が成り立たず、もどかしい思いです。
午後からは、県議会の海外行政調査報告書の編集委員会がありました。調査を受け、県行政への提言を盛り込んだ最終報告書のための会議です。
現時点で寄せられている提言案を整理したものについて協議しつつ、視察団17人全員からの提言案がまだ集まっておらず、あらためて10日までに書き送ってもらい、13日にまた編集委員会を開催し、今月中の作成へ向けて作業することにしました。
8時から市役所前できょうの高橋あき子第一声予定で、私は「場所取り」のために7時には家を出発。
市議選では、市役所前の朝はしばしば他陣営とかち合うのですが、きょうはほかの候補は来ていませんでした。
午前中、私の宣伝カーで、平市街地10か所の街頭から訴え。お店や建物の中から出てきて聞いてくれる人、買い物か散歩の途中らしき人が最後まで聞いて拍手、それぞれの場所で宣伝カーに「がんばって」と声をかけてくださる人。
車で通りかかった自民党県議も私の姿を見て、手を振って行ってくれました。
午後は、みぞぐち民子さんの内郷地域のみなさんと三和地域へ行き、合戸、渡戸、中寺、下市萱の4か所の街頭から訴えました。
ドライブインを経営しているかたが最後まで聞いてくれ、「いい話をしてくれた」と握手。
夕刻にはあき子地域の津波被災者が入居する住宅前へ行き、いっしょに訴えました。住宅のベランダから手を振ってくれる人、散歩されているからの声援におおいに励まされました。
朝9時の高橋あき子事務所での打ち合わせ後、自宅にもどり、地元の後援会員とあさっての高橋あき子演説会のお誘いをして歩きました。あしたが市議選の告示です。
「一部損壊住宅への支援を言ってくれているのは共産党だけ」、「お向かいの人を誘って演説会に行ってみます」、「演説会は行くつもりでした。あき子さんがいない市議会は考えられない」、「仕事の関係で別の候補者の運動員をしているが、票はあき子さんに入れることにしている」、「室内には別の人のポスターだけど、私は間違いなくあき子さん」などなど、市議選ならではのすさまじさも感じます。
午後は、今回の市議選では私にとって最初で最後かもしれない内郷行動。みぞぐち民子さんの地域です。7か所の街頭から訴えました。
ある商店前では、話し終えると、お店の人とお客さんたちから大きな拍手。感激してしまいます。
津波で家を流された人たちが入居している住宅では、ベランダに出て聞いてくれる人たち。地元の人たちも「こんな光景は初めて」と。
昨年の県議選では、内郷行動の時には必ず話していたスーパー前できょう最後の街宣。通っていくドライバーのみなさんからのクラクション、手を振っての声援、声をかけていってくれるかた。
みなさんから元気をいただき、ほんとうによかったです。
夜9時頃、自宅に「共産党ですか」と電話。携帯電話で「共産党」を検索して、出てきた番号を押したら私の自宅だったそうな。
「とにかく共産党に話を聞いてもらいたくて電話した。愚痴ばかり聞かせて申し訳ないが、共産党にがんばってほしくて電話した」と。
愚痴を聞くのも共産党の仕事です。ぜんぜん気にせず、どんどん愚痴を聞かせてください。