【2015.11.21 朝食】
きょうの病院食は別掲。
食事「復活」初日が夕食で、自宅での「外泊」もはさみましたが、早や6日目。
【2015.11.21 昼食】
これまではすべて完食しています。
全体として私の舌になじむ薄味です。
【2015.11.21 夕食】
食事を前にすると、胃袋に「かき込む」ような食べ方を習慣としていただけに、これもこれを機に、根本的に改めようとは思っています。
きょう、あすと3度目の治療です。
前2回には2日目に実施したモノクローナル抗体療法を先にしました。
今後のために必要な幹細胞を採取する日程からさかのぼって、あした(21日)に3種類の化学療法と副腎皮質ホルモンを組み合わせる療法(回りくどい言い方)をすることを決めたことから、前回までとは順序がかわったようです。
【2015.11.20 朝食】
そんなこともあり、きのうから、前回まではなかった、飲み薬として2日分の抗ヒスタミン剤・解熱鎮痛剤の処方がありました。
点滴にかける時間も、前回までは1時間ごとの点滴量を25ml、50ml、100ml…としていたのを、今回は50ml、100ml、200mlとし、1時間ごとに血圧・体温チェックは同じようにしましたが、4時間20分ほどで終了です。前2回は6時間弱。
【2015.11.20 昼食】
ともかく、1回目の治療後には、数日後に数日間、発熱・疲労感・倦怠感にひどく悩まされたこともありましたが、2回目の治療からきょうまでにはそういうこともなく過ごせました。
【2015.11.20 夕食】
食事も始まったことだし、以後も極端な副作用なく過ごせることを願いたいと思います。
スクワットは少しはさまになってきていると思います。
【2015.11.19 朝食】
この治療に使う薬のなかには、腸の動きを弱めることで便秘の副作用もあるようで、私も先週、そんな様子が続き、消化器運動改善と整腸の薬を処方してもらっていました。
【2015.11.19 昼食】
先週まではまだ絶食で、点滴剤による栄養だけでしたが、処方された翌日の晩から、ちょっとした努力もして、なんとか「出て」いました。
今週月曜夕食から病院食を食べ始め、翌日火曜朝、水曜外泊の自宅での朝、そしてきょうはけさに加えて夕食後も。食事の効果(?)はここにも出ている、といった感じです。
【2015.11.19 夕食】
夕食はアンケート用紙付きでした。
院内散歩がてら、1階の売店へ行くと、雑誌で目に入ったのが、「週刊朝日」の「日本共産党大研究」、「週刊東洋経済」の「『ゼロ目標』の空しい響き 介護離職」、それに「ニュートン ノーベル賞緊急特集号」の「ノーベル物理学賞 梶田隆章博士」「ノーベル医学・生理学賞 大村智博士」。つい購入しました。
きょうは飲食店のマスターをしている高校同級生がお連れ合いと見舞いに来てくれました。ブログを始めたころからお互いに点検(?)し続けている仲で、きょうもブログを見て来てくれました。ありがとうございます。
入院・治療生活が始まって2度目の外泊でしたが、天候も思わしくなく、平日で一人でもあり、今回も自宅のなかでペロと過ごしました。
ひとつは、日刊3紙始め各種機関紙などの「古紙」処分作業は私のためにとってあるかのようで、新聞によって11月分だけ残すとか、これは10・11月分は残すとかしながら古紙専用の3袋に処分作業。
もうひとつは、これは余計な仕事になってしまいましたが、病室にも持ち込んでいるこのパソコンの動きが悪く、白い「矢印」が動かないとか、水色の、「お待ちください」の丸印がいつまでたってもそのままとかで、イライラしながらよくわからないままいじるので、時間ばかりがたつ格闘です。
いいのか悪いのか、6日ほど前の状態に「復元」する措置をしてみたら、ずいぶんと速度が速くなりました。
昼食は、何か月も遠ざかっていた自宅での念願のラーメンづくり。乾燥麺でありながら生の麺本来の自然な食感と味わいが楽しめると宣伝されているインスタントラーメンで、家に残っているニンジン、ホウレンソウ、ハクサイ、ミズナ、キャベツ、ネギ、そしてワカメは「増えるワカメ」、カツオの削り節をぶち込み、野菜ラーメン。卵はけさ食べたのでパス。
いやぁ~、おいしかった!
病室へは午後5時に帰る予定でしたが、車の運転をお願いしている妻の仕事の関係で、1時間早くもどりました。
ペロの姿は今月に入って娘が帰省したある晴れた日の近所の公園で。
11月前半にベッド上で読んだ本の記録で、「積ん読」ならぬ「ベッ読」です。私の記録なので勘弁してください。積ん読になりかけていた本も含みます。お勧め本を掲載するわけではありません。
『異常気象と地球温暖化』(鬼頭昭雄著、岩波書店)。カバー裏の「IPCC報告書の執筆者が、異常気象と温暖化の関係を解きほぐし、変動する気候の過去・現在・未来を語る」の文言にひかれて購入した記憶があります。読み切るまで中断がありました。
『明治維新と現代』(遠山茂樹著、岩波新書)。私にとって「積ん読」本の典型。10年ほど前に、幕末・維新史に触れたいと思って購入したはずの本。先月の『海舟語録』に刺激されたこともありますが、通史的知識を前提に、問題別に叙述されています。
『検証 御嶽山噴火』(信濃毎日新聞社)。信濃毎日新聞の今年1月~6月に計68回掲載した連載企画記事、および3回の特集記事をまとめたものです。昨年(2014年)9月27日の正午直前の噴火により、犠牲者58人、行方不明者5人、けが人69人という戦後最大の火山災害となりました。「防げなかったのか」とはだれでも思うと思います。県内の吾妻山、安達太良山、磐梯山、という火山でこれを繰り返さない態勢・しくみをつくることが求められます。
『リンパの科学』(加藤征治著、講談社ブルーバックス)。2年ほど前、リンパや骨や肝臓など、具体的な名前ごとの一般向け書籍が目立った記憶がありますが、半分ほど読んでから「積ん読」状態。リンパにかかわる治療が始まって読み切りました。
『ニセ科学を見抜くセンス』(佐巻健男著、新日本出版社)。理科教育の専門家としての著者として、「ニセ科学」が学校にまで影響を及ぼしていることに危機感をもって書いています。EM、マイナスイオン、サプリメント、ホメオパシー、血液サラサラ…「効果」「安全」…、ついひかれそうです。
『科学者は戦争で何をしたか』(益川敏英著、集英社新書)。ノーベル賞を受賞する研究をしながら労働者・市民とともにデモや集会に参加していた著者。恩師・坂田昌一氏の「科学者である前に人間であれ」の言葉をそのまま生きざまにしている益川さんです。
『マイナンバー制度』(白石孝・清水雅彦著、自治体研究社)。「分かりにくく複雑な制度」なので「制度を知り、その危険性を理解し、意見と行動につなげ」ることを訴えています。官民分野で広範囲に利用する共通番号制度にさせてはならないことが強調されます。
『学力幻想』(小玉重夫著、ちくま新書)。学力に関して、「学力ってなんだ」という単純な関心から県教育庁と議論したいものです。それとかみ合うかはともかく、著者は「学力問題を私的・個人的な問題としてではなく、かつての明治維新や戦後改革期のように統治機構の改革と結びついた政治的な問題としてとらえる」重要性と、「教育政治学の創成」を言っていて、共感します。
『日本共産党と中韓』(筆坂秀世著、ワニブックス)。書店で「科学者は戦争で…」と並んでいたので。ちょっと何が言いたいのか、要はご自分のこの10年の立場をご自分に納得させようとしているのか…
きょうは、吉田えいさくさんと宮川えみ子さんが党地区委員長とともに病室へ。
喜びを分かち合い、労をねぎらい、新たなスタートを誓い合い。
やっぱりあらためて、2人が当選を決めたおとといの午後10時前に一人でテレビの速報(NHKでは、9時36分に吉田さん、9時58分に宮川さんの当確)をベッド上で見ていた時の興奮がよみがえってきました。
2か月ぶりの食事に関しては、とりあえず、食べられるのがうれしくて、けさも昼も完食。どういう食事だったかもつい記録。しばらく続くかも…
きのう主治医から説明を受けた幹細胞採取にかかわり、きょうの採血結果でその日程と、現在進行中の治療の3クール目開始の日を今週21日と決めました。採血はちょうど1週間前と4日前もしていました。
日程を決めたこともあって、きょう(17日)から20日までの間で24時間の外泊許可。
さっそくきょう午後5時からあす午後5時までの外泊としました。
きょうは午前中、治療開始後の小腸などの様子を見るためのCT撮影があり、午後には、主治医から今後の治療にかかわる必要な措置の選択肢の説明を妻と受けました。
CT撮影での結果では、小腸の様子は通常の食事をとっても大丈夫なまでに回復しており(言い方は不正確かも)、きょう夕方から病院食を食べられることになりました!
検査のために9月28日から入院した前病院以来、絶食50日目にしてやっとの「まっとうな食事」です。実質的にはその前も絶食したりしていたので、ほぼ2か月ぶり。
今後にかかわる医師の説明は、今予定している治療終了後も、引き続く治療が必要になった場合のため、あらかじめ必要な量の幹細胞の採取・保存をしておくことの話でした。採取の時期のこともあるので、きょうの説明とのことでした。
福島県議選の投開票が終わりました。
なにより、告示をほぼ1か月後に控えた9月下旬、事務所開きまでした私が立候補を断念せざるを得ない事態となり、吉田えいさくさんに議席確保を託す選挙となりました。
共産党の現有議席を短期間に守り切る矢面に立ったえいさくさんの境遇は想像を絶します。この選挙のたたかいを支えてくださった地元いわきのみなさん、そして全国からいわきへ支援に来ていただいたみなさん、ありがとうございました。
また、小池晃・市田忠義両副委員長はじめ、この間の国政選挙の躍進で議席を得た国会議員のみなさんも応援に来ていただきました。
文字通り、党中央をはじめとした党・後援会あげての今回の結果だと思います。
会津若松では、残念ながら12年ぶりの議席はなりませんでしたが、かならずや、次につなげる結果を残せたと思います。
私の入院・治療は年越しの予定ですが、じっくりと時間をかけ、次を期したいと思います。
投票日当日に声かけをする対象者は、つながりがある人すべてです。
選挙なので、選挙期間中に、党の主張に共感してくれた人たちも「一人残らず」です。
支持を約束してくれた知人、友人はもちろん、きのうまでに声をかけられなかった人は必須です。
私など、自分の手元の名簿を見て、「あっ、この人にまだ声をかけていない」と気づく人がいたりします。
期間中に電話してもルスで話をできなかった人、テレデータで電話をして反応がよかった人も重要です。
時どき、休憩もとって、電話の反応の交流もします。
きょうも、夜7時近くになって、「まだ行っていない。投票の場所はどこだっけ?」という人。私も何度かこういう場面に出会います。
ともかく今回はこうした活動ができないので、これまでの自分の活動を振り返りつつ、ネット上に記録してくれている様子を見させてもらいながらの記録です。
みなさん、ほんとうにお疲れさまでした。
勝負を決するのはきょうとあしたの活動です。
吉田えいさく候補はきょう一日、朝8時から夜8時まで、運行計画表にもとづいて全力投球でした。
これに先立ち、朝7時半からは、おもに通勤されるみなさんに、早朝宣伝です。
小名浜では、スーパー前で、浜通り医療生協の党後援会が中心になり、群馬県から応援に来てくれているみなさんも加わって、メガホン隊による最後の宣伝。飛び入りの宣伝隊員も生まれたそうです。
多くの車から手を振っての激励があり、最終日にふさわしい宣伝だった、とのことです。
夜8時前には吉田えいさく事務所で打ち上げ。えいさくさんは、いわきでの2議席、全県での6議席の獲得が、戦争法廃止、原発ゼロ、給食費無料の実現への力になる、投票箱が閉まるまで全力をつくそう、と訴えました。
そうです、横一線で大激戦のまま投票日を迎えた今回の選挙の勝負は、投票日当日の投票箱が閉まるまで、これまでの努力を確実に得票へ結びつけるお礼の声かけが、いつにもまして重要な活動になります。
私は朝4時台からテレビを見る生活。