炊き出し活動/避難特養訪問/職員に感謝

【小名浜・アクアマリン前】

被災後、連日、炊き出しをして戸別に食事や水をもって訪問活動をしている内郷の党事務所に行きました。

この2週間、直接の被災地や小名浜の医療生協関係者、避難所訪問、電話をいただいたかたがたの対応、市内各種団体の訪問活動などで、なかなか行くことができませんでした。

内郷での炊き出し活動はほんとうにすごいですよ。「これまでこの地域にいけなかったので、きょうはここへ入りましょう」と、連日、入る地域を朝の打ち合わせで決め、組織的に2人組、3人組で訪問しています。

こうした活動は党内ファックスニュースで知っていたので、集まったみなさんに敬意を表しつつ、私のこの間の行動や体験を報告し、引き続きいっしょに心をひとつにしてがんばりたい、とお話しました。

【江名・江ノ浦の碑】

このあと、「いわきゆったり館」へ。ここは、いわき市北部で、原発震災で避難している特別養護老人ホーム・翆祥園(すいしょうえん)のみなさんが来ています。

地震直後の2日間は電気・ガスが途絶えたなかで過ごしていたところ、3日目に原発震災によって、市のはからいによってここへ避難することになったそうです。

【薄磯】

午後は、被災後、最初の医療生協理事会。病院をはじめとした事業所や職員の状況、とりわけ被災しながらも、患者さん・利用者のみなさんを支えるために必死で職場を守っている職員には、理事会あげて感謝です。

【薄磯北街】

伝えきれないいわき市内の被災状況です。

のり面に亀裂/県漁連・市漁協/施設訪問

【中央台飯野】

【中央台飯野】

【中央台飯野】

中学同級生が住んでいて、「陸の孤島」となっている中央台飯野2丁目の一角に寄りました。家族や親族は全員無事でよかったのですが、その「孤島」があるのり面には大きな亀裂があり、のり面がそのまま道路側に移動したかのような状態。そのうえ、道路が盛り上がってアスファルトが持ち上がっています。地震が何をもたらすのか、ほんとうにわかりません。

午前中、県漁業協同組合連合会(県漁連)、この建物に避難して仮事務所を置いているいわき市漁業協同組合をたずねました。宮川県議、渡辺ひろゆき・高橋あき子両市議、党地区委員長といっしょでした。

県漁連では、県内漁協事務所がすべて壊滅し、連絡もできず、職員があげて自力移動で状況把握に努めていますが、いまのところ、把握は困難だそうです。

漁業再開への助成と融資、なにより原発災害の終息がいちばんの願いです。

市漁協では、船が残った漁業者はなにより水揚げできることを望んでおり、港施設の一刻も早い復興が望まれています。

船をなくし、船に乗るために港へ行くための車をなくし、漁具をなくし、家をなくした漁業者への補償もまた重要な課題です。

【舞子浜病院・室内廊下】

午後は高橋市議と養護老人ホーム・徳風園、長春館病院・シーサイドパインビレッジ(老人保健施設)・舞子浜病院、特別養護老人ホーム・楽寿荘をたずねました。

【徳風園】

徳風園は二重の防風林で津波はまぬかれたものの、地震によって浄化槽が機能喪失、原発災害による入所者避難の検討を具体化していました。

津波の直撃を受けた長春館・老健では、入院患者・入所者はきょうまでに全員別の病院・施設、あるいは自宅へ移動されたそうです。地震当日は、職員があげて患者さん・入所者を全員2階以上に移動させ、無事でした。その作業をされていた職員が一人、津波が来たちょうどその時に1階に降りていて、きょう、遺体で発見されました。まったくいたたまれない思いです。

楽寿荘は入所者全員が無事です。ただ、ここ四倉は、市内でいえば原発災害があれば最前線の地域。避難指示があった場合の対策は決めたものの、その場合はいわき市民全員が避難し始めるので、その場合のシミュレーションを市が示し、市民がパニックにおとしいれられることのないようにしてほしい、という話はまさに切実です。

きょうの政府会見は、そんな不安をさらに広めるようで、いったい現地の現実を知ったうえでの話なのだろうか、と思わざるを得ません。

津波被害/行政の姿/再開に感激

【沼の内浜街】

【沼の内浜街・ヤマヘイ前】

沼ノ内の堤防沿いでは、100mほどしか離れていないのに、一方では家が津波で破壊され、一方では津波による浸水被害にとどまったとのこと。

こういう現場を見るにつけ、やりきれない思いにさせられます。

小名浜大原地域の医療生協総代や組合員宅をたずねました。この地域は津波の被害はまったくありませんが、当日の地震による被害、その後の原発事故への不安はただごとではありません。

市内のどこの地域でもそうですが、行政が自分が住んでいる地域にどういう支援の手を差し伸べようとしているのかは、まったく見えない、という声は圧倒的に多いです。行政だけで対応できるとは私はまったく思いませんが、こうした声がどこでも出る事態は、行政はシカと受け止める必要があります。

税金を払う私たちは、こういうときこそ行政が住民の暮らしを支える姿を見せてほしい、と思うのは当然のことです。

住民に寄り添って働く公務員と、官僚をいっしょくたにして公務員バッシングをし、公務員をどんどん減らしてきたことの責任を、見きわめるべきだと思います。

夕刻には小名浜生協病院に全日本民医連から医療材料などの物資が届けられました。月刊誌「民医連医療」の編集部の仕事をしていた当時、編集委員をされていた、いまは事務局次長の広田さんと再会でき、感激です。

【要注意家屋】

沼ノ内から薄磯・豊間小へ

沼ノ内から薄磯に入り、豊間小まで歩きました。

【沼の内側から薄磯】

13日は県道豊間四倉線が瓦礫でふさがれ、この道路を通って沼ノ内から薄磯には入れませんでした。流された車だけがそのままでした。

【薄磯中街から山側】

【薄磯中街から山側】

薄磯中街あたりのバス道路から山側をながめてみました。

【薄磯・薄井神社から】

【薄磯・修徳院墓地】

修徳院の墓地に入る道はふさがれています。

北ノ作の田んぼの様子では、東側(右側)からやってきた津波が、薄井神社を左に見ながら南下して来たようです。

これから薄磯地域での作業が始まるようです。

【豊間小学校プールから】

【豊間小学校前】

【豊間中学校】

沼ノ内公民館の避難所をたずねると、4人のおばあちゃんたちが、「生き残った私たちががんばるしかないもんね」「いまから仕事をしたくてうずうずしてるんだ」と話をしてくれ、なんだか元気をもらえました。

たて続けの地震/孤立する高齢者/民医連会長/オムツ

けさの7時12分・36分・53分とたて続けにいわき市内の内陸部を震源地とした地震がありました。閼伽井岳(あかいだけ)・水石山(みずいしやま)という、いわきを代表する山の間の地下約10kmが震源らしいです(北緯37.1度、東経140.8度)。マグニチュードはそれぞれ6、5.8、4.9でした。震度が市内でいちばん大きかったのがそれぞれ5強、5強、3でした。

阪神・淡路大地震以来、地震活動期に入った日本列島。まず地震はない地域と思い込まれていたいわき市の直下も震源になるのです。

朝、水道が復旧している党地区委員会へ行って飲料水の確保。事務所にきた電話を受けると、「私は80歳。私も近所の高齢者も孤立して、給水場所に来てとか食料をとりに来てとか言われても、行けない」と助けを求められました。

その地域の党の責任者に連絡すると、ただちに対応してくれました。

いったん家にもどると、途中でガソリンを入れようとする車の長い長い行列。営業を再開したガソリンスタンドが今週からふえる、という情報です。

きょうも小名浜生協病院へ行き、午後の拡大職責者会議では、私も市内避難所で受けた相談や医療生協総代さんなどと話したことなどを報告しました。

ちょうどその時間、自衛隊が病院への給水のために来てくれていました。

その後、病院には、全日本民医連の会長・副会長が来られました。藤末衛(ふじすえ・まもる)会長は、阪神・淡路大震災時には神戸の民医連病院の勤務医で、全日本民医連理事会でその生々しい体験を報告する姿をおぼえています。私は当時、全日本民医連事務局員でした。

病院には全国から様ざまな支援物資が届けられ、病院ではとりあえず必要がない幼児のオムツなどを、避難所で寄せられていた声に応え、届けました。

住む家/処方箋/液状化?/尽きない話

自宅にいたら、小名浜の避難所にいる、というかたから電話。

いっしょに避難所にいるかたのご家族についての相談でした。ともかく避難所に出向き、お話を聞きました。

家族は4人。ご両親と本人と娘さん。お父さんは気管切開で言葉が発せなく、必ずしも健康体ではない状態。お母さんが透析を受けていて、きょうも受け入れてくれた医療機関へ行っていました。自宅は津波で床上まで浸水したものの、2~3か月あれば住めるようにできそうなので、その間の住む家をなんとかしたい、ということでした。

被災者のこれからの「住む家」問題は深刻です。いわきの場合、家そのものを流されてしまったり、このかたのように時間があれば自力で住めるようにできる程度の被害だったり、そのうえ、原発災害でいわきに避難せざるを得ない市外のかただったり、あまりに多くの避難者の住む家が必要になっており、市だけでは対応しようがなく、国・県や、東京電力が責任をもつべき事態にもなっているわけです。

そうこうしていたら、この避難所にガソリン切れでとどまらざるを得なかった楢葉町のかた。障害者手帳をもつ目が不自由なかたで、処方箋があるので薬局に行きたい、と。

避難所の市職員や保健所に開いている薬局情報を聞き、処方してくれる薬局に案内することができました。

【岡小名 高田公園】

その帰り、小名浜花畑町の高田公園を通りかかると、消防自動車。公園内の防火用水槽がある部分が盛り上がっているのか、その回りが地盤沈下したのか、ただちには判断しかねるような場所。

【岡小名・高田公園】

公園内には、水が噴出して液状化したような様子。地震によってどこで何が起こったかすら、いまだ全貌がつかめていない状態のようです。

小名浜生協病院に寄ると、ちょうど拡大職責者打ち合わせ。地震後、毎日、朝と昼と、院内や市内のいろんな情報を共有する場としています。

家にもどってからは、町内ご近所の「しんぶん赤旗」日曜版読者宅に2日前の日付の新聞を、お話をうかがいながら配りました。いつもは地元の党員が配ってくれていて、たぶん、配るだけなら1時間ですみそうですが、4時間かかりました。

もちろん、地震当日のことや、その後の原発事故のことや、ご近所の様子のことや、話し出すと尽きないのです。

11日ぶりの入浴/励ましありがとう!/なにより安心できる国を!

いわきは朝からずっと雨模様です。

地区党の災害対策本部会議もきょうは中止しました。

市内の水道復旧はきのう時点で4割ですが、わが家がある郷ヶ丘はいまだ断水です。実家がある内郷(うちごう)の高坂(たかさか)団地はおととい復旧したと連絡がありました。

わが家と実家は直線距離で6km弱とはいえ、ガソリンは限られる、いろいろ事情がある、というわけで2日間いけませんでしたが、やっときょう、実家へ行き、11日ぶりに入浴。頭も体も2回洗いました。こんな爽快なことはありません。

飲料水も40リットルばかり、トイレ用水も18リットルばかり、わがまましてもらってきました。

この10日間、いわきで高校時代をいっしょに過ごした仲間、いわきがふるさとのかた、京都大学の学生時代の仲間、東京都内で働いていたときの仲間から、このブログ、メール、自宅への電話で多くの励ましをいただいています。

みなさん、ありがとね! 私はこうして発信しているように元気だからね!

ほんとうにありがとう!

なにより、これからの日本、子どもたち・孫たちが安心できる国にするために、いっしょにがんばりましょうよ!

地域のネットワーク/避難所/生き残った私たち

車椅子生活のだんなさんと2人暮らしのお連れ合いからきのう、電話がありました。

地震の日からずっと自宅から出られず、食料も水ももうなくなる、という訴え。

私は、隣組の班長さん、自治会連合会の会長さん、そのかたが住む自治会長さん宅に寄ってからそのお宅をうかがい、介護保険のケアマネジャーの緊急連絡先にも連絡し、相談しました。

自治会長さんがそのお宅の状況を承知していたこともあり、なんとか対応することができました。いろいろな家庭事情があるにせよ、介護事業所を含めた地域のネットワークの重要さを知らされました。

と同時に、行政がこうした非常事態時に住民から離れてしまっている現実は、これまでの自民・公明政治がつくり出したものと告発せざるを得ません。

午後は市内の避難所になっている3か所を高橋あき子市議とたずねました。

車が飲み込まれて流される津波から必死で逃げたかた、だんなさんが津波にのまれて亡くなられて遺体が見つかったんだ、というかた、90歳の私が助かったのに、と涙を流すかた、もう、ほんとうに、話を聞くだけでやりきれない思いですが、「生き残った私たちが亡くなった人たちの分までがんばらないでどうする」という言葉には、ほんとうに心の底から励まされます。

いわき市の被害の実情は、伝えても伝えても伝えきれないのが実態だと思います。

【豊間・坂本整形前】

【薄磯】

【薄磯北ノ作市営住宅前】

【久ノ浜町田ノ網】

【沼の内】

【永崎のクリニック・薬局】

いわきは安全/平街中の被害/涙が出る

党地区委員会として、原発事故とその現況、とりわけ放射線量に関する正確な知識と情報に基づき、市民が冷静に対応するように伝えてほしい旨、市災害対策本部と地元紙に要請しました。

きのう、小名浜生協病院では、被爆医療の専門家である斎藤紀[おさむ]・福島医療生協わたり病院医師が、現状ではいわき市内の放射線量では人体被害がごくごく少なく、安心して、地震、津波被害の復興に全力をあげてほしい、と話されました。

放射線防護学が専門の野口邦和氏によれば、福島市で観測された20マイクロシーベルトの10倍高くなるようなら、行政の指示がなくても一時的な避難を考える必要があるが、20マイクロシーベルト毎時の状況が長く続かず数日で収まるのであれば、避難することはないでしょう、とのこと。福島市では夕刻には10を切っていますし、いわき市は1を切っています。

こうしたことをふまえたきょうの要請でした。

避難先で疲弊したり、「いつ落ち着けるのかわからない」と困惑するより、いわき市内にとどまることがいちばん安全なのです。いま避難しなければならない状況でなく、復興にこそ全力をあげるべきときです。

【平二町目・角忠】

【平二町目・ナカノ洋品店】

【平三町目東急イン前歩道】

要請後、平の街中などの様子を見て歩きました。古い建物の倒壊・ひび割れなどや、道路・歩道の被害があります。平二町目の老舗の本屋さん「角忠(かどちゅう)」が跡形もなくくずれ、いまは瓦礫もなくなった姿は残念です。

【平五町目】

【平紺屋町】

【内郷小島町一丁目・二丁目交差点】

小名浜へ行き、市災害対策本部に渡した資料をもって支所に寄り、それから医療生協組合員宅をたずねて歩きました。親族が津波で亡くなられたかたもいらっしゃいます。

国策として原発政策を進めたこと、、医療、とりわけ医療機関と薬局を強制的に「分離」し、民営化を推し進めたこと、その政治と政治家の責任など、必然的な話題です。

きのうもきょうも、「お宅はまだ水が出ない地域。ウチは出始めたからこれまでためておいた水を持ってきな」といってくれるかた、「これはウチの手作りだ」と冷凍漬物を冷凍庫から取り出してくれるかた、涙が出るほどうれしいです。ありがとうございます。

市内では、きのうまでに水道復旧地域は3割ぐらいになったようです。

「市内状況がわからない」/自転車/放射線/漁港の被害など/薬不足

あの日から1週間。

この間、医療生協でお世話になっているかたがたの様子をうかがって歩いていますが、きのう、きょうと小名浜の生協総代さんなど組合員宅をたずねています。

すでに自宅から避難されているかたも少なくありませんが、ご自宅にとどまっているみなさんからは、なんと言うか、大歓迎を受けます。

「いわき市内の状況がさっぱりわからない」という高齢者に、その場でラジオの「FMいわき」(76.2MHz)をつけると、「これを知りたかったんだ」というかたが3人いらっしゃいました。

自転車屋さんは、「修理や、中古を売れるようにする作業で労働量が3倍になった」と。

みなさんから例外なく聞かれたり、話題になるのは放射線の影響。親族の電力会社社員から「報道と実際はぜんぜん違うよ」と聞かされていたご夫妻も。

いま発表されている数値から、健康被害がないことだけははっきりしていることを伝えるだけでも安心されます。問題は、今後待ち受けているありうる事態とその対処法がまったく伝えられていないことです。

【「小名浜漁協冷蔵庫」前】

【小名浜漁港】

【小名浜漁港】

そうこうしながらきょうは、県道小名浜港線の船引場から小名浜漁港に寄り、三崎公園入口までの被害の様子を見ました。

【小名浜下神白綱取】

【トンネルに小船】

【小名浜船引場】

【小名浜・天地閣・ホテル三崎入口】

【マルト御厩店】

午後には、いわき市立総合磐城共立病院をたずね、とくに「薬が足りない」という実情についてお話をうかがいました。病院前の民間調剤薬局は「5時間待ち」という状態でした。

「原発があるからこんな事態を招いたんだ」と、怒る患者さん。

市内の薬問屋さんの配送は徐々に動き出しているようです。