足立区から支援物資/変わり果てた二見ヶ浦

党の東京都足立区後援会が、ぬかが和子・鈴木けんいち両区議とともに支援物資を届けてくれました。

足立後援会のみなさんは、4年に一度、大型バスを連ねていわきをたずね、スパ・リゾート・ハワイアンズ、いわきら・ら・ミュウをまわり、浜通り医療生協党後援会を中心に迎え入れる関係なのです。

お2人の区議を避難所や被災現場を案内しました。

午後、生協病院に寄ると、ちょうど、コープあいづから医療生協への支援物資。

その後、津波被害を受けた豊間合磯(かっつぉ)地域へ。被災者支援制度の冊子を求めて党事務所をたずねてきたかたが、「はせべさんにがんばって、と伝えてほしい」とのことだったので。おおいなる励ましを受け、ほんとうにありがたいです。

すぐ近所の医療生協組合員宅にも寄りました。海がすぐ目の前で、実は私は、この家は流されてしまっている、と思い込んでいたのでした。ちょうど斜面になっており、床下まで津波が押し寄せたものの、家そのものも無事でした。

あの日、高台から、自分の家も飲み込むいきおいの津波の様子を見て、「わが家も流された」と思ったそうです。

すぐ前の「二見ヶ浦」の岩も変わり果てました。

【震災前の二見ヶ浦】

久之浜/「自主避難」解除/苦悩の渦中

【御厩小学校・入浴サービス】

久之浜地域の住民のみなさんが避難されている、いわき市平体育館、御厩(みまや)小学校、湯本高校の避難所を高橋あき子市議とおとずれました。

久之浜は、津波と火災による甚大な被害を受けたことに加え、3月15日以降は、「原発20~30㌔圏内」の「屋内退避区域」とされ、自主避難が促されている地域です。

【湯本高校・散髪ボランティア】

今月11日、国が新たに「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」を設定し、これらの区域にいわき市が含まれなかったために、市としては「国がいわき市の安全性を認めたものと受け止め」、「自主避難を解除」しました。

【湯本高校・避難所昼食】

これを受け、住民のみなさんからは不安の声が上がっている、と聞いたのでした。

「放射線量が低くなっているし、安定している、というが、原発事故の終息はまったく見えない状態で、なぜ安全といえるのか」、「自宅にもどったとして、原発でまたなにかあったときに、高齢者がすぐに避難、という対応はもう取れない」、「高校へ通うためのJRが開通していないし、小学生もこちらに通うことになっていて、帰ろうにも帰れない」、「何度か家の様子は見に帰っているが、大きな余震でまた断水になった。帰っても生活できなければまた避難所にもどることになる」というかたがた。

一方で、「ちゃんと文書で‘安全’といってくれただけでもよかった。原発は安心というより不安だが、家に帰りたい」、「家族5人の避難所生活はたいへん。不安だが、これから相談して帰ろうとは思っている」というかたがた。

誰もが口にするのが原発と放射線による被害。原発事故がおさまらないと、まったく先が見えない、といった苦悩の渦中です。

【湯本高校・ 3.11震災被害】

白水でお見舞い/がけ崩れ/政治の使命/まちづくりも根本的転換

先週に続き、午前中、内郷白水地域でお見舞いをして歩きました。

街頭から話していたら、家から出てきてくれた人が、「原発事故があって、子どもがいる東京に避難していました。原発はやめてほしい」と。

【内郷内町桜本地内のがけ崩れ】

この地域から隣の町に抜ける道は3・11の地震によるがけ崩れで通行止め。「90年生きてきた」というかたが「共産党がさっそく配ってくれたチラシを読ませてもらった。さすがだ」と言いつつ、「何があったのか見ておきたいんだ」とデジカメを持って写真に記録していました。

【内郷白水入山地内のがけ崩れ】

磐城三十三観音第四札所「つるし観音」前は、おとといの地震によるがけ崩れで通れませんでした。

またあるお店に寄ると、お客さんが「あの地震後、初めてたずねてきてくれたのが、おにぎりを持った共産党の人でした」と。お店のかたは「震災後、話をしに来てくれたのは共産党が初めて。新聞で、原発の危険性を指摘し続けていたのが共産党というのも知りました」と。

大震災の事態のもと、街頭から話すことでお見舞いして歩いていても、、「共産党の宣伝目的じゃないか」といった声もあるようです。まったくそうではありませんし、まして、こうした事態を前にして政治は何をしなくてはならないか、積極的に考えをお伝えすることは、私の使命みたいなものです。

【市役所市民課ロビー】

午後、高橋市議と市役所をまわると、市民課窓口の市民待合室がやはりおとといの地震で沈下し、休止の状態でした。

福島高専の広野町住民の避難所をたずねました。「福島原発で働く町民は多いし、自分もそうだった。原発は安全で安心だ、としか聞かされていなかった。ほんとうなのか、と思いながら働いていたが、完全にウソだった。共産党の人たちがずっと危険性を言ってくれていたことも知っている」と。ちょうど東電社長の会見が報道されていて、「自分たちが町から離れていわきの人たちにお世話になっているのも、東電の原発のためなんだ。しかも経営者は、事故直後、福島原発の運転をどう続けるか、を最優先に考えたとも聞いた。いい加減にしろ、と言いたい」と。

生活の場を奪われたかたがたの声を、私はどう受け止めたらいいのでしょうか。

この学校で、まちづくりを研究対象としている教授・助教授と話をする機会も得ました。こうした大震災を目の当たりにし、政治の責任だけでなく、まちづくりを専門に研究する立場としても、根本的な転換を考えないとならない、と真剣に語ってくれました。

雨・雷・地震/また6弱/復興共同センター

きのうの夕刻5時16分ごろの地震により、1時間ほどの停電となり、きょうからまた断水となりました。きのうまで復旧率が97%に回復した矢先でした。しかもあの時間は、雨が降り、雷光と雷鳴が鳴り響くという事態。

きょうも体に感じる余震が小刻みに続きましたが、午後2時7分ごろ、また市内各地で震度5弱~6弱の地震。突き上げるような揺れでした。震源は市内内陸部。まったく気が休まる間もない地震続きです。ちょうど、地元の居住党支部会議に参加していた最中でした。

個人的にいうと、不覚にもちょっと高いところにおいていたプリンターがきのうの地震で落下して壊れてしまい、午前中、新しいプリンターを大枚をはたいて購入し、新たなスタートを切った気分になっていた矢先でした。

ともかくさまざまな思いと体験をさせてくれる天災です。原発震災は人災ですが。

「東日本大震災・原発事故被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター」(浜通り復興共同センター)の第1回代表者会議がありました。「いわき市原発の安全性を求める会」代表として私は参加。

今月24日(日)には、第1回相談会を午前10時から午後7時まで、いわき教育会館で行なうことを決めました。生活支援相談はもちろん、原発事故の影響で売り上げが減った、原発立地地域での販路や仕事がなくなった、農作物を作っても売れない、漁をしても売れない、などなど、どんな相談でもお寄せください。

なお、4月17日(日)には、安斎育郎・立命館大学名誉教授を招き、労働福祉会館で「東日本大震災・原発震災緊急報告会」を開催します。原発の安全性を求める福島県連絡会・いわき市原発の安全性を求める会の共催です。

【内郷御厩町三丁目】

1か月後の連続余震/無事確認/放射能学習会

午後5時16分にいわき市内各地で震度5弱~6弱の地震がありました。震源は先月23日にあった市内内陸部の閼伽井岳(あかいだけ)と水石山(みずいしやま)の間付近から20kmほど南西の四時(しとき)ダム近くの地下10kmぐらいで、マグニチュードは7.1。

これ以来、夜10時過ぎまでひっきりなく余震が続いています。あの3・11からちょうど1か月で、たいへんな4・11です。

午前中は内郷地域で、中学時代の同級生や同期生、その実家をたずねてお互いの無事を確認して励ましあっていました。

ある事業所では、3月11日のあの時間、たまたま休憩時間で、厨房の大きな天ぷら鍋の油が地震の揺れで全部飛び散り、火を止めていて危機一髪だった、とのこと。

午後は内郷高坂団地一丁目集会所で「いわき市内の放射能の状況について」の学習会がありました。伊東達也さん、早川篤雄さんとともに参加しました。そう広くない集会所に80人近いみなさんが集まるたいへんな熱気でした。

「毎日、基準があるのかないのかわからない数値が発表され、そのたびに、‘ただちに健康に影響はありません’と聞かされていたら、今度は累積の被ばく線量の値で避難する必要がある地域が出そうだ、という話。いったい、われわれは何をもとに判断し、どうしたらいいのか」と切実な話です。

こうした疑問をいだかせない、もしくはこうした疑問に答えうる、政府としての責任ある姿勢と態度と発表が必要なのですが。

【天田愚庵邸】

「かけはし」配布/「大連立」?/桜/お墓

通信「かけはし」をご近所240軒ほどに配布しました。

この日誌の先月28日に書いた文章がベースで、「原発震災は人災」としました。

先月は3月12日に配布しようとしていましたが、11日の大地震でそれどころではありませんでした。

「いつになるの?」と路上で出会うかたがた。県議選のことです。なかには「復興のために全党派が一致してあたっている時に、民主と自民だけで大連立の話が出てくるわけがわからない。復興以外のことでいろいろ意見があるから政党のはずなのに」と。まったくそのとおりです。


平の街中に出かけました。いわき芸術文化交流館(アリオス)前の平中央公園ではもう咲き誇る桜の木もあります。

いわき市の桜の名所・松ヶ岡公園は、地震による危険個所の修繕がまだで、当面、立入禁止です。

たまたまその近所のお寺に行くと、かなりのお墓が倒れています。

よもや、と思いウチのお墓があるお寺へ行くと、やはりかなりの被害。わが家の墓は幸いにも無事でしたが、いったい、地震被害はどこまで広がるのやら、と思わざるを得ません。

住職さんとしばし、この間の避難所訪問やボランティア活動の様子を交流しました。

わが家の庭の桜もまもなくです。

原発推進・支持をしてきた議員/私の努力

きょうたずねたかたと話をしていたら、あたりまえですが、県議選の話になりました。

これだけの原発震災を受けての選挙になるが、原発立地県でもあり、これまで原発推進の立場で議員になったり候補者であったりする人が圧倒的多数だが、彼らのその立場を有権者の前にはっきりさせるべきだし、推進・支持してきたことについてどう考えるのかも、その態度をはっきり示させないとならない、と。

まったくそのとおりです。

【久ノ浜支所】

防災や原発事故への対応が必要だ、とは誰でも言うでしょう。しかし、それですむのか、有権者の判断がその程度だと思っているのか、と強い調子ですが、ともかく私も、的確な判断をしていただけるよう、努力しなければならないと思います。

写真はきのうたずねた先での様子。

片づけ/「原発国策をやめさせて」/久之浜

【小名浜古湊】

大地震後、2度ほど来ている小名浜地域の医療生協総代さん宅をたずねましたが、きょうもルスでした。津波が少なくとも庭先まで押し寄せていますが、前もきょうも片づけにもどっている様子がうかがわれるので、ちょっと安心はしています。

押し流されてガレキ状態の家屋にふさがれていた道路も通れるようになっており、近所のかたがたがあれ以来、ずっと片づけにおわれています。

【市役所市議会棟入り口】

市議会党控え室で高橋あき子市議と待ち合わせ。東京都青梅市議候補が市内の被災現場や住民・行政のなまの声を聞いて歩きたい、とたずねて来ていました。

【久ノ浜蔭磯橋】

きょうは、久之浜在住で、お隣りの茨城県内に避難していて、今は家にもどっているというかた宅をたずねる約束をしていました。茨城県内で、たまたま駅頭で救援募金活動をしていた山中たい子前県議と出会い、いろいろ話をしていると、共産党に聞いてほしい話がいっぱいあるので、ぜひ話を聞いてほしい、と山中さんから連絡があったのでした。

いっしょにたずねてお話をうかがったのですが、ひと言で言うと、「国と東電が進めてきた原発国策をやめさせてほしい」ということなのです。

原発敷地内で働く機会もあるかたで、働く環境のことを含め、2時間にわたって話してくれたのですが、「まだごく一部でしかないんです」とのこと。

原発の身近で働いていたかたからこれだけの話を聞かせていただいたのはもちろん初めてのことです。

【久ノ浜東町・北町】

その帰りに、大地震・大津波に加え、漏電による火災に見舞われ、原発災害のただなかの久之浜北町・東町に寄りましたが、ここもまた壊滅です。

いわき市久之浜・大久支所も津波に襲われて機能喪失し、四倉支所内に間借りし、きょうから四倉公民館に移った支所もたずね、お話をうかがい、激励しました。

「どうなるの?」/放射線量の発表

訪問して歩く先で、顔をあわせるなり「どうなるの?」がほぼ間違いない第一声です。

原発事故や放射能汚染のことです。

最近になって、「1年間に1ミリシーベルト」が一般の人たちの線量限度であることが「正しく」言われ始めました。一方で原子力安全委員会が5日、「20ミリシーベルトに引き上げるべきか検討を始めた」という話が出てきました。

これまでは、各地の環境放射線測定値が発表されると、「目安として、1回の胃のエックス線検査で受ける放射線量は600マイクロシーベルトです」といったことや、「現在の数値はただちに健康に影響はない」とよく聞かされました。

けっきょく、はっきりしていることは、今回のような原発事故はぜったい起こらないので、そのときの対策は考えない、というこれまでの国策です。

ともかく、被ばくする放射線量について、「いっぺんに被ばくした場合なのか、累積した被ばく線量なのか」、「空気中からの外部被ばくだけの線量なのか、水や食料や吸引を通した体の内部からの被ばくも含まれる線量なのか」、「その数字が出た場合に私たちはどんな行動が必要なのか」、こういうことがわからないデータ公表は、「まだ大丈夫、まだ大丈夫」と言っているだけに聞こえて、「じゃ、あしたはどうなるの? けっきょくどうしたらいいの?」の不安をかきたてるばかりです。

死者数と不明者数/入学式/お見舞いと激励

きょうの午後4時現在でのいわき市災害対策本部発表によると、市内での死者数は285名、不明者数は82名、あわせると367名です。

不明者数は3日前まではずっと「調査中」でわかりませんでした。4月4日に初めて70名と発表されました。12名ふえています。

きょうは公立小学校で市内いっせいの入学式でした。教師にとっても、親にとっても、原発事故の不安を抱えながらの実施でした。さまざまな思いを去来させながらのきょうだったことは間違いありません。

内郷地域では、党と党後援会として、地域の人たちにみそ汁を配ったり、来週11日の原発事故と放射能問題についての学習会の案内をしたり、街頭からお見舞いと激励をするいっせい行動をしました。

私は街頭からの話です。

大地震と大津波、原発震災と、いわき市民すべてが被災者です。そのお見舞いと、亡くなられたかたがたへのお悔やみ、そして原発震災は、想定外などではなく間違いのない人災であること、原発に頼らないエネルギー政策への転換、防災・福祉のまちづくりこそが復興の指針にしなければならないことをお話して歩きました。