小名浜定時/3月10日/全世界注目の県議選/スナック

火曜日朝は小名浜での定時定点。小名浜の地域、職場、医療生協からそれぞれ「旗持ち」にでてきてくれ、いちばんにぎやかな朝の街宣です。

きょうはちょうど向かいの建物の作業に来ている人たちが数人。みなさんから注目されました。

医療生協の支部があり、党後援会員も多い住宅街を訪問しました。この住宅街では、大震災の前日、3月10日に党後援会員の呼びかけで「はせべあつしさんと語ろう、きいてみよう会」というつどいを開催していたのでした。

震災後に何人かはたずねていたのですが、半数ぐらいは震災後初めて。やはりあの当日の話から始まり、原発事故後の話、現在の民主党政権の「反国民的」姿勢、県議選は、県民がどういう意識であろうが、全世界から注目される選挙になることは間違いない、「原発なくせ」の声をしっかり示さないとならない、と、私はたいへんに後押しされた思いです。

数年前にだんなさんが亡くなった直後に介護保険保険制度の相談を受け、それ以来のお付き合いのかたは「介護も原発も、共産党以外は仕事をしてくれないことは私が証明する」と。切実です。

これまたたまたま先日寄ったスナックのママさんがいて、「私が声をかけられるお客さんには全部声をかけるから」と、私のリーフレットを何十部もあずかってくれました。

定点/職場/街宣/訪問

月曜日朝は自宅近くの2か所での定時定点の街頭から。運転席から熱烈に手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、だんだんとそのモードが。

新しい私のリーフレットもでき、かつての職場の病院の各職場をたずねて歩きました。いちばん近所の病院へもごあいさつ。

午後は平北部地域の後援会員と5か所の街頭から訴えながら、「しんぶん赤旗」読者宅やお知り合いにごあいさつ。

窓を開けて聞いてくれるかた、2階のベランダに出て聞いてくれるかた、散歩途中で最後まで聞いてくれるかた、向こうのほうで双眼鏡を持ち出して聞いてくれるかたと、地域のみなさんの暖かさに迎えられた街頭からの訴えでした。

夕刻には、小名浜地域職場後援会員のお知り合い宅を訪問。震災前にもたずねていましたが、あれからもう半年以上。あらためての訪問ですが、話題は原発事故と放射能汚染。「原発はいらない!」の声は圧倒的です。

決起集会/あの日から198日/生き生きした姿

党内の「県議選勝利へむけた全県決起集会」に参加しました。

私が住む住宅街から参加するみなさんの車に乗せてもらって会場へ向かいました。

午前中は党中央の大幡基夫選対局長の講演と久保田県委員長の報告。震災後の全国の政治状況や党の姿と役割が浮き彫りです。

午後は県議候補6人の決意表明に続き、全県からの参加者の発言。

私はネクタイを締めたスーツ姿で参加したのですが、考えてみれば、この格好は3月11日以来。198日前のあの日のこと、翌日には津波に襲われた小名浜地域の道路上でふらつく高齢者を病院へ連れて行ったこと、安否確認で歩いた先ざきで、そして今に至るまで、「原発はなくしてほしい。原発の危険性を指摘し続けていた共産党の言うとおりになってしまった。今度こそがんばってほしい」と励まされ続けていること、今度の県議選で、「原発をなくそう」の「フクシマ」の意志を示すことは、世界的・世界史的な意義があり、その先頭に立つ決意を表明しました。

全県からの発言では、東電に賠償を求める直接交渉の様子、避難生活を強いられている議員の活動、延期された選挙で議席復活を果たした議員、県議選へ向け、被災した住民に寄り添いながらの地域での活動の様子、全国から党ボランティアを迎え入れている活動の様子など、生き生きとした党の姿が語られました。

 

彼岸/「いちばん身近」「原発のない世の中」/広野町

迷いの此岸から悟りの彼岸に渡る期間の中日、父の墓参りをしました。お寺では、「報恩廟」で檀家のみなさんがお焼香。

墓参りの前に、党のポスターを貼ってくれている、近くの小さくて古いお店で、供えの花と線香を買ったのですが、「写真では大柄な人かと思っていたらそうじゃないね、話も気軽にできるしね」と。

午後は、中央台という住宅街で、医療生協でお世話になっているかたがたを党後援会員とたずねました。

「党の名前で身を引く人もいるみたいだけど、共産党がいちばん身近でがんばってくれることは知っていると思う」、「民主党にはまいった。もともと共産党を応援してるけど、今度こそはね」、「原発のない世の中をこれからの人たちに残さないとならないと思う」とおっしゃってくれるかたがた。

小名浜から引っ越してきて1年ぐらいで、ご近所とのお付き合いがあまりない、というかたは、「お線香をあげにでも来てくれた人かと思いましたが、わざわざ来てもらってありがたい」と。

途中、広野町から避難されているみなさんの仮設住宅にも寄りました。「原発は事故を起こさない、ぜったい大丈夫、と思わされてきた。なにより子どもたちが、ふるさとにもどれるようにしてほしい。原発はたくさん」と、無念の胸の内を語ってくれました。

車が数珠つなぎ/「正心誠意」/意識も激動の2年

木曜日朝は、中央台という団地からの道が通称・鹿島街道に出る場所と、福島高専近くの2か所での定時定点。どちらも、出勤するみなさんの車が数珠つなぎです。

そんななかで手を振っていってくれる人が少なからず、元気づけられるのです。

それにしても野田総理。原発事故の原因究明もされておらず、収束のメドも立たず、独立した権限のある規制機関を確立させることもないまま、「原発再稼動」の前のめりだけは明確。「正心誠意」がどこを向いているかもこれで明確です。

現在は自民党の参院議員で、その彼を市議時代から応援していた、というかたと出会いました。以前にも、いわきの医療を真剣に考えている共産党には共鳴するところがある、とおっしゃっていたのですが、今回は、「自民も公明も民主もダメだ、信用できない、共産党だ。というよりあんただ」と。「以前」というのは、政権交代直前で、いわき市立病院の民間譲渡方針が進められていたときで、この2年間の政治状況と政治意識の激動を見る思いです。

 

朝の渋滞/白水で街宣とつどい/尽きない質疑

水曜日朝は、週で一度だけ、JR常磐線の北側へ。通勤の車が震災前よりずっと増えているかもしれません。自宅から現地まで35分。帰りは現地から自宅まで15分。渋滞で20分は遅れる勘定です。けさも、小雨のなかの街宣でした。

きょうは内郷(うちごう)の白水(しらみず)地域での行動。

台風15号の影響が出始め、午前中は強い雨が降ったりやんだり。午後の「つどい」の案内を兼ねて、会場の近所の4か所から訴えました。

あるかたは、「震災直後にこの地域で共産党が炊き出しで訪問してくれていた。こうしたことができるのは共産党だけだ。実は、以前から地元の共産党市議が相談にはすぐにのって解決してくれていて、応援していたんだ。これからも応援したい」と。こうしたことを口に出したことはなかったんだそうです。

午後はみぞぐち民子市議と「つどい」に参加。あらかじめ案内していたチラシは、党と党後援会連名ですが、「知りたいことを話し合う会」。

いよいよ本格的な強い雨のなか、ご近所から参加していただきました。

放射線の子どもたちへの影響、原発事故の原因、原発撤退後の雇用のこと、地域での放射性物質の除去のこと、県議選や来年の市議選のことなど、尽きない質疑応答でした。

このつどい後の予定もありましたが、それぞれ中止です。

 

若社長さん/集会報告/心に残る言葉

火曜日朝は小名浜の定時定点。小雨模様でしたが、決行です。

木曜日朝にいつもごあいさつする事業所の若社長さんが事業所トラックで通りかかり、手を振っていってくれました。別な場所で会うと、なにかまた違ううれしさです。

きのうの「さよなら原発」集会の報告も街頭からしました。

壇上でスピーチしたみなさんの言葉には、心に残る言葉がちりばめられていました。

「私たちは、原発にさよならをいいます。『また会う日まで』ではなく、『もうぜったいに会わない』が私たちのメッセージ」(鎌田慧さん)、「日本人は、これから原発の事故を恐れなければならない。私たちはそれに対抗するということを、想像力を持たない政党の幹部、経団連の実力者に思い知らせる必要がある」(大江健三郎さん)、「子どもが夜中に起きて、『放射能こないで』と泣き叫ぶような社会を続けさせてはならない」(落合恵子さん)、「さようなら原発、こんにちは命輝く国。その第一歩をみなさんとともに歩き続けたい」(内橋克人さん)、「命を産みはぐくむ女性たちが役割を果たすべきときは今…老若男女を問わぬ、人間のとりでを築いていきましょう」(澤地久枝さん)。

きょうはまちづくりの研究・実践にとりくんでいる研究者と話す機会がありました。「被害をいかに減らすかの努力をしなければならない。この福島を、原発からの撤退と自然エネルギーの発信地にしないとならない」。これまた、心に響きました。

さよなら原発/東電申し入れ/「原発がない社会を」

さよなら原発9・19集会に参加しました。

私は医療生協の一員として、小名浜地区労のみなさんといっしょでした。

集会前に、小名浜地区労傘下の全港湾小名浜支部が一員の全港湾、全日本建設運輸連帯労組、全国一般労組が東京電力に事故の収束、事故被害の全面補償などの申入れに同行しました。

明治公園での集会では、呼びかけ人の鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、内橋克人さん、澤地久枝さんが次つぎに心のこもった発言。ドイツからのフーベルト・ヴァイガーさん、俳優の山本太郎さん、福島県の武藤類子さんが引き続いて原発は人類の生存と共存しえないことを、それぞれの立場からお話しされました。

きょうの新聞報道によると、野田首相は、「脱原発依存」とは一線を画し、財界の言うがままに、原発再稼動優先です。あれこれの言葉はともかく、そういう政権です。

行き帰りのバスのなかで、当然に話題になりました。「脱原発」をめざす内部でのあれこれに意見の違いも出されましたが、こうしたガチャコチャを出し合って、いっしょにできることはいっしょにする、という行動を広げないかぎり、世の中は前に進みません。

国民の多くは原発事故でさんざんな思いを強いられています。「原発がない社会を子どもたちに」、そんな思いを強くしたきょうの集会でした。

いわき平和のつどい/原爆と原発/抑留体験証言

きのう、きょうと「第8回いわき平和のつどい」があり、きょう、行ってきました。

展示の特集が「原爆と原発」。戦争遺品に加え、原爆パネル、福島原発事故を特集した雑誌の数々、原発と放射能の解説、国があげて「原発の安全神話」を国民の心に刷り込んできた教材や宣伝物も展示されました。

1973(昭和48)年9月11日付の「自由新報」の拡大コピーパネルもあります。自民党の機関紙です。

「原発建設は世界の常識」「原子力発電は世界の大勢」「原発建設で双葉の未来を」「反対派の非現実性を訴える」の見出しがおどっています。

自民党という政党は、責任をとって解体すべきではないですか?

午後1時半からは「第3回証言 戦中、戦後の生活」で4人の戦争体験者が証言しました。うち2人はシベリア抑留体験を証言しました。妻の実家がある平高久(たかく)地域に住んでいる菅波四郎さんと鈴木春夫さん。お2人とも87歳で、私も2~3度たずねてお話をうかがっていました。

「酷寒のなかで亡くなった戦友の分まで生きなければならない」「戦争の動きはぜったいにやめさせなければならない」と、声を詰まらせ、涙をにじませた証言は、私たちがしっかりと受け止めなければなりません。

スーパー前街宣/漁港で/訪問

小名浜のスーパー前で街宣。

買い物をして歩いて帰るかた、車で駐車場から出てくるかた、駐車場から店内へ向かうかた、通りを通っていく車のかた、それぞれから手を振ってのご声援があり、力が入るというもんです。

小名浜漁港によると、自転車に乗ったかたが寄ってきてくれました。「漁業をしているが、共産党が政治の世界で少数にさせられ、存在を無視されるような境遇におかれている気がする。漁に出られないわれわれの暮らしをなんとかしてほしい。原発はとにかくいらない」と。

午後は、わが家がある住宅街とは、通称・鹿島(かしま)街道をはさんだ隣りの住宅地で、地元の後援会員とお知り合いをたずねました。

共産党への期待を熱く語ってくれたかたは、政治の世界で共産党を排除もしくは無視する精神構造は、原発の安全神話を信じ込まされた精神構造とそっくりだ、と指摘していました。

またあるかたは、だんなさんが働く自動車整備工場の隣りに洗車場があり、原発作業員を乗せて帰ってくるワゴン車がそこで洗車をしていて、放射線量が回りより高い、と話されていました。

原発事故は、ほんとうに、際限のない悩みや心配や苦しみを広げています。