内郷高野行動/花で華やか/地面に付着する放射性物質

内郷・好間いっせい行動があり、内郷高野(こうや)で街宣・署名・ポスター張りをしました。私は街宣です。

いわき市内では桜も散り始めていますが、この地域は今が満開、といった感じ。桜に限らず、いろんな花が咲き、気持ちも華やかです。

共産党市議団と他会派も提案した県内原発全基廃炉意見書を廃案にしたいわき市議会に対する「全原発廃炉を求める請願」署名、消費税増税をやめさせる署名、地震による一部損壊住宅への助成を創設する署名への協力を訴えました。

昼食は満開の桜のもとで。

午後は四倉(よつくら)へ行き、放射線量が高いので測定に同行して確認してほしい、といわれた公園へ。

空間放射線量だけでなく、局所的に地面に付着してしまっている放射性物質にはほとんど注目されていないように思いますが、この除去・除染もまた課題です。

昨年7月に党として義援金を届けて以来、ご無沙汰してしまった四倉町商工会もたずねました。「義援金は有効に使わせてもらいました」と感謝され、私からは駅頭や街頭での募金を含めた全国の共産党の活動によるお金であることをあらためて伝えました。

さようなら、若松紀志子さん

若松紀志子さんが亡くなったことを、24日付の新聞で知りました。

紀志子さんとは、私が県議選に最初に立候補することになった2002年に知り合いました。前任の県議だった伊東達也さんから紹介され、推薦人にお名前を連ねていただいたのでした。

2期目に臨む直前には私の通信「かけはし」紙上の07年「新春対談」にご登場いただきました。写真は2006年12月17日です。

91歳でしたが、話の節々にほとばしる情熱というかエネルギーというか、ものすごい「力」を感じた対談でした。

「コバケン」こと小林研一郎さんは、中学2年生から大学入学まで紀志子さんにピアノを習った教え子でもあります。生まれた京都と通った東京音楽校(現・東京芸大)があった東京しか知らなかった紀志子さんがいわきに来ることになったとき、「地方に行って、有能な人たちを発掘なさい」と恩師から言われ、自分の手元から巣立っていった一人が研一郎さんだった、と語る姿を思い出します。

対談当時は、教育基本法改定が浮上していて、「世の中がこのごろ右がかってきて、この先どうなってしまうのかとても心配」「私は共産党ではないんですけど本当のことを言ってくれるのはやっぱり共産党なんですね」と、激励されました。

2期目の選挙が首尾よくいかなかったあと、「私は4年後もがんばりますからね」と声をかけられたことが忘れられません。

96歳で亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。

小名浜「定時定点」/団体訪問/怒りと要望と

火曜日朝は小名浜での「定時定点」の街宣。

運転席から「強く」手を振って行ってくれるかたが少なくなく、ほんとうにありがたいです。

きょうは党の「消費税増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言」を持ち、各団体を訪問しました。

いわき・双葉地区党の菅野宗長委員長、宮川さん、渡辺ひろゆき・伊藤ひろゆき・高橋あき子各市議といっしょでした。

まわったのは、いわき市医師会事務局、JAいわき市、JA中部、県漁連、いわき市漁協、小名浜機船底曳網漁協。

「地盤がガタガタになって壊れた建物を撤去し、建て替えるにも地盤調査とその対策が必要なのに、2年以内に建物を建て替えなければ補助は出せない、と言われあきらめざるをえなかった」「医療機関のネットワーク構築にお金を出すのはいいが、地元の医療関係者が医療再生のためにして欲しい要望には耳を貸してもらえない」と訴える医師会事務局のかた。

「いわきでどんなに大規模化しようと、TPPのもとではまったくやっていけなくなる。家族経営が基本の農業を支えようという姿勢はまったくない。TPPはぜったいに許せない。あしたは東京での全国集会でおもっいきり訴える」と熱く語るJA組合長さん。

「海と魚種の放射線検査体制の確立、そして福島での漁業を絶やさない未来を拓くことが最大の課題」「浮体式洋上風力発電実証実験に漁業者の合意は得られていない」と漁業者。

消費税増税、TPP、原発事故対応と、怒り爆発を含め、さまざまな要望が寄せられました。

海外調査コンペ/大熊町から避難の保育士

県議会議員海外行政調査企画コンペティションがあり、党県議団から審査委員として参加しました。

調査テーマは「チェルノブイリ原発事故への対応調査」「再生可能エネルギー」などです。2月から各会派による打ち合わせを続けており、私たちも参加することにしていました。

コンペに参加した旅行業者4社からそれぞれ説明を受け、質疑し、「提案書評価基準」に基づき各審査委員が点数評価し、その合計点で業者を決定しました。

こうしてたまたま県庁の控え室にいたところ、東京都大田区の金子区議から電話。大熊町から避難している20代の保育士が、保育所で働きたいが、保育士免許証再発行までの間にでも、登録している県からその証明を示す書面をすぐにでも用意してもらえないか、と。

さっそく担当部署に連絡すると、保育所との関係でその書面でいいのかどうかもあるだろうから、直接ご本人に連絡したい、とのこと。

あれこれ連絡し合い、首尾よく進みそうでよかったです。

完全賠償をさせる会臨時総会/政治的無策と被曝

「原発事故の完全賠償をさせる会」臨時総会がありました。

昨年12月23日、いわき市民を中心に原発事故を人災と認めさせること、県内のすべての被害に対し完全な賠償をさせること、福島原発を廃炉にさせることを目的に設立されたのがこの会です。

私も78人の呼びかけ人の一人でしたが、きのう現在で382世帯867人が会員になっています。市外・県外の会員ももちろんいらっしゃいます。

総会では、①国・東電に要求(政策要求と賠償)を提示し、これを世論にアピールし、要求実現をめざす、②国・東電を被告とする訴訟を提起し、要求実現をめざす、の基本方針を確認。

福島原発放射能被害補償法の立法をめざし、健康管理手帳の交付、無料によるがん検診を含む定期健診受信の保障など、17項目の具体的施策を求めます。

賠償額については、(A)避難の実費、(B)精神的苦痛に対する慰謝料は一人一律25万円、(C)今後の人生への全面的負荷などを包括し、子ども・妊婦は1か月8万円、おとなは1か月3万円を、福島原発の廃炉完了までとし、(B)(C)について一律にできない地域などについては個別に請求することとしました。

総会に先立ち、斎藤紀(おさむ)医師(医療生協わたり病院)による「低線量被曝と内部被曝の問題」についての1時間の講演がありました。

13か月がたって、加害者が被害者を「圧倒し押している」現実、放射線の子どもへの影響が大人よりも大きいことの証拠は原爆被爆の研究・検証から示されており、しかもそれは政治的無策が背景にあることを冷静に見るべき、の話には目を見開かされた思いです。

医療生協支部総会/ベクレルモニター/原発震災シンポ

午前中、浜通り医療生協の私の出身職場によると、「きょうは上神白(かみかじろ)支部の総会があるよ」と。

上神白地域は今の小名浜生協病院の足元の地域で、新病院建設時には事務長としていちばんお世話になりました。当時、支部はなかったのですが、病院建設後に支部が結成され、私は「医療制度のしくみ」をテーマに話をさせていただき、その後もずっと親密におつきあいいただいているみなさんです。

生協にもどると、「ベクレルモニター」で地場産作物の放射線量測定中。この機械は生協に2台あり、この場と支部を通して測定することができます。

午後は、「起きてしまった原発震災! 今、福島の復興を考える」をテーマにした浜通り医療生協主催のシンポジウム。

今年は「国際協同組合年」でその協賛事業です。

シンポジストは、佐藤栄佐久・元福島県知事、開沼博・「フクシマ論」著者、小池晃・日本共産党政策委員長、日野秀逸・東北大名誉教授・日本医療福祉生協連合会副会長の4人。

この面々は、あとにも先にもないんではないでしょうか。2時間強に渡るシンポジウムの中身も感銘深いものでした。

小池さんは「自民党参院議員もされたきょうの佐藤さんの話には全面的に共感しました」と。

シンポ後は4人そろってサインセール。それぞれに行列で、いわき市内ではなかなかお目にかかれない光景です。

金澤翔子美術館/「共に生きる」

今年1月2日、いわき市遠野町に、東日本の復興を願い、金澤翔子さんの日本で初めての常設館である「金澤翔子美術館」か開設されました。

それから3か月、「特別内覧会」の案内をいただきました。

1985年生まれの翔子さんは、ダウン症でありながら5歳で書道をはじめました。今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字は彼女が書きました。

これまでもテレビ出演したり、紹介もされ、知る人ぞ知る若き書家です。妻もよく知っていました。

館長はお母さんの泰子さん。最初で最後と思って2005年に開いた個展が、新たな書の道の出発点になったようです。

被災地のがれきの中で、小さな花に希望の光を見、被災者に寄り添う思いがほとばしる「共に生きる」。美術館に入ると正面のこの書に、感動もし、勇気もでます。

きょうのうちに福島市へ移動し、あす朝9時出発で県議会常任委員会の県内視察に出かけます。

「放射線と健康障害」講演会/姿勢に共感

昨年10月、「放射能から子どもを守りたい! いわきに住み続けたい!」の思いからつくられた「放射能から子どもを守るいわきママの会」主催の講演会がありました。

会場のいわき市総合保健福祉センター入口は毎時0.093マイクロシーベルトの表示。

「放射線と健康障害」をテーマに、福島市の医療生協わたり病院の渡部朋幸医師が講演しました。

渡部医師は、私が小名浜生協病院事務長の時期に、福島県民医連の研修医として勤務していただいた医師です。

内外の公表されている文献を詳細に調査し、現時点での知見を知らせてもらえる有意義な話でした。

「被曝量は少ないほど良い」のが世界の合意であり、ただ、低線量、とくに20ミリシーベルト以下の被曝ではその健康障害のリスクが分かっておらず、それだけに、被曝を減らすために、行政に対する私たちの継続的で粘り強い行動が重要、と受け止めました。

「影響が分からないってどういうこと?」「除染をどう進めるかの話がなかった」といった感想ももれ聞きましたが、私には内科医として誠実に客観的に現実を伝えようとする渡部医師の姿勢に共感です。

わが家にほど近い県立平工業高校の桜も咲き誇っています。

13・14日に震度1以上が21回

11日には新潟市内に泊まり、翌12日は福島市内、13日には県内浜通り北部の相馬市へ行き、その夜からいわきにもどったわけですが、12日夜には福島市が揺れ、いわきにもどってからもずいぶん揺れを感じたので、気象庁ホームページの地震情報で調べました。

11日以降、県内といわき市で震度1以上を観測した回数です。

すると、11日にはなく、12日の午後8時20分に福島市で震度1(いわき市は2~3)、同じく午後11時51分に福島市内で震度2~3(いわき市で2)。

13日はいわき市内で0時台に震度1が1回あってからは、午後7時10分に震度3~4の地震があり、その日は計10回。午後9時21分に震度2~3。それ以外は1。

きのう14日は、深夜の0時台に3回、1時台に1回あって以降は、午後5時46分に震度1~2。それ以降も6回揺れて、計11回。震度はすべて1、もしくは2でした。

日付がきょうに変わってからも、0時5分と8分に揺れ(震度1~2)、朝の5時41分にも震度1でした。

これらの地震の震源は、北緯38.1度・東経142.8度の三陸沖が1回、北緯36.7~36.8度、東経140.8度~141.4度の範囲の茨城県沖が6回、それ以外の19回は北緯36.9~37.4度、東経141.2~141.8度の範囲の福島県沖でした。
(朝8時記)

桜の開花/雨の「お花見」

きのうは東北地方のトップを切って、小名浜で桜の開花が確認されていました。

けさ、庭の桜を見ると、しっかりと開花。市内の桜の名所・松ケ岡公園はすでに五分咲きだとか。

それはともかく、きょうは一日雨模様。きのうは晴れで、あしたも晴れの予報。党のいわき・双葉地域後援会の「お花見まつり」が決行されました。

会場の三崎公園も二~三分咲きのようで、この花のもとで思いっきり「お花見」とはなりませんでした。が、市内各地から参加されたみなさんと、じっくりと交流することができました。

いわき市出身で、劇団前進座の横澤寛美さんもひょっこりと顔を出してくれました。