「議席につながらない」/所信表明/演説会

けさの定時定点の街宣でも通勤されるみなさんからのあたたかい声援がありました。

午前中は小川地域に入り、おもに農村地域5か所の街頭から訴えました。ある場所でご近所にあいさつすると、「いつも共産党の話はまったくそのとおりと思って聞いている。それなのになかなかその声が議席につながらないのはどういうことか。介護の問題などわが家も切実」という話から、かなり深い対話となりました。こうした機会がほんとうに大事です。

午後は参院選福島選挙区予定候補のいわぶち友さんと宮川県議とともに、平(たいら)地域4か所の街頭から。菅首相が国会で所信表明をしている時間と重なったからなのかどうか、車から手を振ってくれたりクラクションを鳴らしてくれたりの声援が多かったです。

夕刻からは、比例代表候補の大門みきし参院議員といわぶちさんの演説会。いわき市文化センター大ホールにいっぱいのみなさんでした。

私は、この演説会に、薬剤師で前福島県薬剤師連盟いわき支部長の真木哲夫さんが寄せていただいたメッセージを紹介させていただきました。

人間が人間らしく生きられる社会にこの日本をするための大門さんといわぶちさんの話は、参加されたみなさんの心に響いたと確信します。

責任ほおかむり/消費増税大合唱

「国民が聞く耳をもたなくなった」といって鳩山さんが首相を辞任し、菅首相は「普天間と『政治とカネ』の…二つの重荷を、鳩山首相自ら辞めることということで取り除いていただいた」と、副総理・財務相として政権を支えてきた共同責任にはほおかむり。

それでいて普天間の「日米の合意を踏まえ」るとし、鳩山さんと小沢さんの「政治とカネ」問題は真相にフタをしたままにして「クリーン」を強弁。

そして新閣僚たちからは消費税増税の大合唱。

政権交代前に、自民・公明政権のもとで、2002年以降、庶民には年間13兆円を超える負担を押しつける一方で、消費税を5%に引き上げた1998年以降、大企業・大資産家には年間8兆円を超える減税をしたしくみはそのままにしての話です。

献金をもらえる財界にはモノが言えない自民党政権時代と何も変わらない姿がいよいよ鮮明なのですが、その姿が庶民に伝わっているのでしょうか? 責任の所在はどこなのでしょうか?

そんな思いでけさの定時定点街宣を終えると、「きょうはいつもより力がこもっていたわね」と。きょうの写真ではありませんが、ちょっと前の同じ時間・同じ場所です。

内部留保

『内部留保の経営分析』(小栗崇資[おぐり・たかし]・谷江武士[たにえ・たけし]編著、学習の友社)を読みました。

専門書ではなく、「誰もが内部留保分析ができるようになることをめざし」て、やさしく書かれた本です。

第1部で会計や財務諸表の仕組み、経営分析について書かれていますが、内部留保分析に必要な点にしぼって解説されていて、90年代末から導入され始めた新しい会計基準の概要を知ることもできます。

内部留保が企業の発展にとって重要であることはいうまでもありませんが、本書では「内部留保は自由に使えるものではない」との見解に根拠がなく、運用可能な部分を社会的に有効に活用すべきことを提言しています。

ちなみに163ページに掲載されている図は、資本金100億円以上の企業の真実実効税率(つねにいちばん下にある折れ線、2007年度は18%)、日本の企業全体の真実実効税率(真ん中に位置する薄い折れ線)、法定税率(いちばん上の折れ線)の推移を表しています。

大企業から税金を徴収しない課税構造であることが一目瞭然です。それでいて財界は、「法人税率をもっと下げて、消費税率をもっと上げろ」と民主党政権に迫っているわけです。

ちなみに、資本金100億円以上の日本の企業は1300社余りで、法人数258万社余りの0.05%を占めるにすぎません。

市川房枝さんの精神/赤旗の潮流/マスコミの機能

ここ数日の菅新首相誕生を大歓迎するかのようなテレビ編集報道を見たかたも多いと思います。

故市川房枝さんの選挙事務長を20代で務め、「革新無所属」で国政選挙に立候補し、「七転び八起き」の政治家人生で、いかにも市川さんの精神を受け継ぐ市民運動家、といった調子に私には見えました。

きょうの「しんぶん赤旗」の1面の「潮流」では、「市川さんの精神」から遠く離れてしまった菅首相の姿勢を浮き彫りにしています。

市川さんは1970年6月、平塚らいてうさんら9人の女性で発表した声明で「いまだに沖縄をはじめ全国にアメリカの基地があり…外交にまで介入されることを許したまま今日になっております」として、安保条約廃棄を訴えていました。

77年の「私の国会報告」では、菅さんが国政選挙に立候補したことを受けて「私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たち…にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた」と戸惑っていました。

ともかく、官房機密費がマスコミにさかんに登場する政治評論家に渡っていたとわかってもほとんど突っ込みがないのはほんとうに残念ですが、「権力監視」「社会の木鐸(ぼくたく)」の大手マスコミによる機能再生はあるのでしょうか。

そういう思いをいだきながら、朝の定時定点街宣をしました。

色の違い/ドキッ/歓迎報道/小名川の魚

腕時計を外してふと気づいた肌のこの色の違い。

左手首には腕時計とオレンジリング(認知症サポーター養成講座を受けるともらえます)をいつも付け、なおかつ今のところまだ長袖シャツを着ているので。

けさの小名浜での定時定点の街宣には職場がそれぞれ違う3人が旗持ちに出てきてくれました。速度を極端に落として通過する車の後部座席から身を乗り出して手を振って行ってくださるかた。たまたま後続の車がありませんでしたが、ドキッ、としました。

きょうは小名浜地域の後援会員と「赤旗」読者やお知り合いを訪問しました。

「取るものだけは取るぞ」といわんばかりの行政による保険料や税金徴収のありかたに、年金生活者から「生活するなというのか」という怒りと不安、収入が不安定な国民健康保険世帯での高い国保税や住民税の通知に「政治家は庶民の暮らしを知らないのか」と怒るかた。

「民主党政権が公約破りをしてきたのに、その政権の副総理だった人が首相になったら歓迎するばかりの報道はいったいどういうことなの?」とも聞かれました。ちょっと私が答えようもないのですが、これが日本の政治をめぐるマスコミの現実です。

ある事業所の前は小名川(おながわ)。私は気づかなかったのですが、いっしょに歩いていたかたは「おっ、魚がいっぱい泳いでいるな」と。橋の上からながめるとよく見えるのですが、デジカメではなかなか。

最北端へ街宣/「どこもいっしょ」/「言うとおり」

月曜日朝は自宅からいちばん近い定時定点の街宣。

きょうは一日、いわき市海岸側の最北端、久之浜(ひさのはま)町と大久(おおひさ)町を街宣と今週金曜日の演説会案内のテープを「流し」て歩きました。

午前中は久之浜町の4か所の街頭から。「31日のいわき駅前でも話を聞かせてもらいました。以前、自宅の近くで声をかけたんですよ」というかた、「ウチに来るお客さんがあなたのことを話していたので顔を見に出てきたよ」というかた、家の中でずっと話を聞いてくれたかたは「共産党以外はけっきょくどこもいっしょ、がんばって」というかた。またいろんな出会いがありました。

いわき市漁協によりごあいさつしました。吉野衆院議員が少し前によって行った、とのこと。

久之浜市場にも立ち寄りました。

午後は大久地域の3か所の街頭から。話し終えると遠くのほうから手を振ってくれるかた、ずっと聞いてくれて拍手していただくかた。ごあいさつによると、「まったく言うとおり。ぜひがんばってほしい」と励まされました。

途中、筒木原(どうぎはら)不動尊に寄りました。

山中から平地に出ると、宣伝カーを見て車を止める人。「共産党の人? 市会議員の家で仕事をさせてもらって資料ももらった。がんばってよ」と。

農村部で訴え/プルサーマル/懇談会

午前中は草野(くさの)地域の農村部の4か所の街頭から訴えました。

それぞれの場所で拍手や声援をいただき、こうして話をして歩くことの意義をわれながら実感しています。

正午をはさんでは、「原発の安全性を求める福島県連絡会」と「いわき市原発の安全性を求める会」として、いわき駅前での宣伝行動。安全性も必要性もないのに福島県が導入しようとしているプルサーマル計画について、県民の声を聞くことが大前提のはずなのに、それすらしない県政の問題を訴えました。

午後2時からは平地域で「くらしについて考えるつどい」でお話しをさせていただきました。

介護保険制度にかかわる問題、民主党の表紙だけが変わって政治の中身はどうなのか、といった問題、大企業・財界の言いなりの政治が民主党政権でも変わらないこと、普天間基地でも自民党時代にもどってしまったことなど、いろいろな意見交換ができた有意義なつどいでした。

政治屋/対話/理事会/海岸街宣

午前中は小名浜の地域後援会員と赤旗読者や元読者、私の高校同級生実家などを訪問しました。

ほんとうに率直な話が聞けます。「ウソを公然とつかれるのでは、投票することそのものに疑問を感じる。政治を真剣に考える政治家ではなく、政治を自分の生活の糧にするだけの政治屋としか見られなくなってしまう」、「新党があれこれ生まれ、首相が辞め、私たちはどうしたらいいのか、共産党の話をじっくり聞きたかった」。対話は重要です。

午後は浜通り医療生協総代会の議案を決定する理事会に出席。

終了後、2人の後援会員といっしょに海岸沿いの4か所の街頭から訴えて歩きました。ある漁港では漁業者が出てきてくれ、「民主党にはほとほとあきれた。政治を変える絶好のチャンスだと思っている。共産党の出番だ」とハッパをかけられた思いです。

自転車に乗って来てくれて、「共産党の言うことがいちばんまともだと思って投票してきた。いよいよそういう時代だ」と言ってくださるかた。

ガッツポーズ・Vサイン/妻の実家地域/中身は変わらない

鳩山首相辞任後の最初の朝の定時定点での街宣では、4方向から通勤するそれぞれの車から声援があります。とくにガッツポーズやⅤサインにはこちらも力が入ります。

午前中は妻の実家がある地域の7か所の街頭から訴えました。わざわざ「妻の実家がある地域」というのも、義父の友人というかたが「おまえがシゲちゃんの息子か、初めて会えた」と言って拍手してくれたり、叔父が「外には出てこないが家の中で聞いている人がけっこういるんだぞ」と言ってくれたりするもんですから。

確かに、話し終えると家の中から拍手するかたがあり、ごあいさつに寄ると、「言うとおりだよ。私の身近に契約期間が切れた、と言って仕事がない若い人たちがいる。こんな世の中にした政治は変えないとならない」とエールを送られました。

午後の行動予定時間に突然の雷雨。読みかけの『思い出袋』(鶴見俊輔著)を急いで読みきったしだいです。

1時間半後、雨があがってから平地域の後援会員とお知り合い宅を訪問しました。ちょうど菅直人首相が生まれた直後でしたが、民主党の公約破りの8か月半に責任がある人物であり、表紙が変わるだけで中身が変わるとは思えない、共産党がちゃんとがんばってくれ、応援する、という声が多い訪問でした。

ペロはきのう「散髪」しました。

思い出袋/「勁く」/「北斗七星」

『思い出袋』(鶴見俊輔著、岩波新書)を読みました。岩波書店の読書家の雑誌『図書』に80歳から7年にわたって連載した「一月一話」をまとめ、終章に「書ききれなかったこと」を書き下ろした本です。

80代の戦後思想史の専門家がどんな言葉を残してくれているのだろうか、という関心から読みました。こうしたかたがたが残してくれる言葉は財産だと思うので。

それより、オビに「勁くしなやかな思想と言葉」と書いてあるのですが、「勁く」が読めなくて、ほんとうに久しぶりに漢和辞典を調べました。「つよく」と読みます。

鶴見さんは、「九条の会」呼びかけ人の一人でもありますが、私の頭に強烈に残っているのが大学時代に読んだ久野収さんとの共著『現代日本の思想』(岩波新書、1956年発行)の次の言葉です。

「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは、北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた」。