『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(樋口陽一著、岩波書店)を読みました。
2012年12月総選挙に先立って公にされていた「自由民主党憲法改正草案」(同年4月27日決定)を受け、2013年5月に発刊されました。当時もブログに掲載しましたが、2度目です。
今回は本書で、この「草案」の性格をわかりやすく表現している三つの種類の論点の紹介です。
一つは、これまで、「解釈改憲」をしてきたことを明文化し、さらなる踏み込んだ運用を可能にする意図があることです。天皇の元首化、天皇・摂政を憲法尊重擁護義務の名宛人からはずす、国旗・国歌・元号の憲法条文化。「国防軍」を明文化、集団的自衛権行使も前提とされます。
二つは、現行憲法で例外として位置づけられる事柄を、原則と並ぶ取扱いに格上げして条文化することです。著者の言い方では、「近代憲法の通則をその中核である基本権の具体的な適用分野で逆転させる意味を持つ」とされます。
ここでは項目だけ。「表現の自由vs『公益及び公の秩序』」、「政教分離vs『社会的儀礼又は習俗的行為』」、「労働基本権vs『全体の奉仕者』」。
例外の原則化の促進がここでの問題です。
三つは、原則そのものを否定してほかの原則にとりかえることです。
まずは憲法前文から「人類普遍の原理」を消します。「天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直」す自民党としての意図を貫くことだ、と著者。
「共通の価値観を持つ日米同盟」とは机上の空論ということになります。
現行憲法を貫く骨格となる第13条が「すべて国民は、個人として尊重される」としているところ、「…人として尊重される」とします。「個人」でなく「人」。
そして個人でなく家族を「社会の自然かつ基礎的な単位」と宣言し、現行憲法の社会観を逆転させます。
以下、項目。「公共の福祉」でなく「公益及び公の秩序」、権力を縛る憲法から国民が尊重の義務を負う憲法への転換、緊急事態-「協力」から義務へ、憲法改正手続きを容易にする。
安倍は、こうした「憲法」実現に執念を持っていることを軽視できません。なにせ立憲主義も民主主義も平和主義も、人類の普遍的知識の蓄積とは無関係の理解しかできない人物が安倍のようですから(とは著者ではなく、私の見解)。